僕はメロスになれない - 8/8

だって困らせる。べそべそと泣き言を繰り返す細い肩は震え、どうにもいたたまれない。普段が無駄に元気だから、罪悪感がすさまじい。おれはなにひとつ悪くはないはずだけれど、それでこの心の痛みだから親友というものはすごい。友の悲しみがダイレクトに感じられるのか。

「誰か知らないけど、やめたら。泣くようなの、よくないでしょ」

本当にわからない。誰だよチクショウ、こんなに泣かすなんて。
カラ松先生が昼に保健室を訪れなくなってから、公園に来れば会えていた松野もいなくなった。
なにが起こったのかわからない。失恋を慰めることも、好きな人がいるって教えてくれなかったとなじることさえもできていない。休日に楽しく過ごし、明日からも変わらぬ日々が来ると思っていたのにどういうことだ。
三日待った。
月曜は、都合が悪かったのだと思った。火曜は、何かあったのだろうかと心配した。水曜、廊下で見かけたとたんするりと逃げていった後ろ姿に息が止まった。
弟のふりをしている時なら話すだろうと松野を待っても、公園に現れない。どちらかで会えるからと油断していた。カラ松先生も、松野も、彼がその気にならないとおれからは会うことさえできない。
木曜、門で待ち伏せし弟が心配していると伝えればようやく松野をひっつかまえることができた。卑怯だなんだと言うなら言え。覚悟をして息をとめてなら水の中に潜れても、いきなり突き落とされたら暴れるしおぼれるだろ。最悪死だ。死ぬか待ち伏せかなら当然待ち伏せでも闇討ちでもなんでもする。
弟が松野先生の弟に会えないと心配している。病気なら以前見舞いに来てもらったから行きたいと言う。行ってもかまわないだろうか。
二人が同一人物だとわかっていて病気かなどと問うのは意地がわるいかもしれない。でもおれだって腹が立っていた。失恋した、はわかった。聞いてないけどそうなんだろう。それで気落ちしていつもと違うなら仕方ない。だけどおれのところに来ない理由にはならないだろう、それ。なんなら積極的にきてわあわあ泣き言いって大騒ぎするんじゃないのか。大人として恥ずかしいなら壱の前でもいい。子供なら子供らしく、自分の気持ちを叫んですっきりしたらいい。少なくともおれを避ける理由になんてならない。楽しかった日曜すべてを拒絶されたようで、腹立たしい。
壱の名をだしたとたん、カラ松先生は逃げようとしていた足を止めた。いちくん、とつぶやく声は小さくか細い。まるで稚い子供のようで、つい目をこする。違う、目の前にいるのはカラ松先生だ。一般的な成人男性の体を持つ大人の男で、未発達な思春期の少年ではない。
松野、は薬で生まれた存在でここにいるはずないのだ。壱がこの世にいないのと同様に。

「だいたいさ、なんでおまえに好かれたら迷惑なんだよ。おかしいだろ」
「うん」
「そんなのよりさ、もっといいヤツいるって。絶対」
「……うん、そうだよな」

素直に肯きはするもののまったく納得している様子はない。
びっしょり濡れたハンカチが見ていられず己のものを差し出すが、ゆるく首を振られてしまう。なんだよ、気にせず受け取れよ。鼻水ついたって今日なら気にしないし。
断られたのはハンカチで自分ではないのに、強気に勧め続けることができない。しつこいと思われたら嫌だ。友達なのに思いやりがないって言われたくない。ああ、こんな時なのにおれは自分のことばかりだ。

「おまえはさ、笑っててほしいんだよね。バカみたいに」
「バカってひどいな。……そうだよな、なんで好きになっちゃったんだろう」
「どこがよかったの」

へにゃりとした気の抜けた笑顔になんとか勇気を振り絞り、言葉にする。
なあ、おまえがそんなに泣くほど好きなのってどこのどいつだよ。
教えてくれたらなんとかする。どうにか。おれなんかにできることなんてないだろうけど、でも、おまえが泣かないようになら。

「……優しかったんだ。わかりにくいけど、親しくなればなるほど伝わってきて。壱くんもそうだよな」

唐突な爆弾発言にカッと頭が燃える。
バカ! なに気遣ってんだよそういうの今はいらないって言ってんだよ、言ってないけど! でも今はおまえが泣いてて、おれはなぐさめたくて、だから一緒に成就なり呪いなりなんでもしてやるから話せよ。聞くよ。

「っ、おれのことはいいんだよ!」
「だから好きで……でも、困らせたいわけじゃないから」
「おまえが好きだからってなにも問題ないじゃん。別に、困るとかないでしょ」
「困るよ、絶対」
「……優しくて、でも好きってわかったら困るのかよ。変じゃね。そいつ本当に優しいわけ」

優しいなら好意を向けられることは多いだろう。なら一人くらい増えても問題ない気がする。
好きだと知られたら困らせる、とかたくなになる理由がわからない。そりゃストーカーが増えたら困るどころの騒ぎじゃないが、このカラ松先生だ。困らせたくないとピーピー泣くこの男がいったいどんな迷惑をかけるというのだ。しかもすでに失恋したというなら、あとは諦められるまで好きでいるか今さっくり諦めるかしか道がないじゃないか。
大体、ここ最近でカラ松先生が失恋どころか恋をする暇がどこにあったというのだ。
しょっちゅう保健室に顔を出し昼もおれと過ごし放課後は壱と、プライベートはほぼ埋まっていたといっても過言ではない。職場恋愛の可能性は、と考えるも四月からのカラ松先生と周囲の対応で恋が始まっているような様子、正直まったくないのだ。トト子先生にでれでれしていたのは男性教師皆そうだし、彼女は大変かわいくステキな女性だけれどこれだけ繰り返されるほど優しいかと言われると……優しさ売りではない、な。
親しくなればなるほど、と言うなら顔見知りよりは進んでいるのだろう。ではますますわからない。通りすがりの弁当屋の看板娘、とかだろうか。いや昼は弁当持参していたんだ最近は。じゃあ違うな。
誰だ。
優しいけれどわかりにくい。
親しくなればなるほどわかる。
好きでいたら困らせる。
そんな条件に当てはまるなんて。

「優しいよ」

ひどくうっとりした口調だった。
べしょべしょにぬれた頬。赤く腫れたまぶた、かみしめすぎて赤い唇。境を曖昧にする揺らぎがほろりとこぼれる。おれの膝の上に。
まだ丸い頬の輪郭。下がりっぱなしの眉毛。薄い肩、骨の目立つ腕、サイズが大きいスニーカー。ああ、バカ、詰めが甘いんだだからおまえは。
じっと見つめる瞳はなにを求めてるんだろう。
もしおれの予想があたってるなら。なあ、もしかしておまえ、壱のこと。

「全然そんな風に思えないんだけど」

誰かに恋してる気配なんてまるで見せなかったカラ松先生。最近親しくなった、のはおれくらい。
失恋したといいながら相手をかたくなに伏せる理由は。なあ、それ相手が恋しちゃまずい相手だからじゃないか。
困らせる、と繰り返し泣くこのバカ単純な男が他に目をやれたんだろうか。若返って、中学生と知り合いその兄と親しくし、毎日そのことばかり考えるんじゃないか。
他に恋などできるだろうか。器用に。
ぎゅうと拳を握りしめる。
もし予想が当たっていたとして。
いや優しいかっつーとどう考えてもちっとも優しくはないと思うんですけど、でも、ほら一応おれなりにがんばって交流してたし。なるべく意地の悪いこと言わないようにしてたつもりだし。だって中身カラ松先生相手ったっておぼこい中学生なんだよ見た目。そんなのにつんけんしてしょんぼりされたら罪悪感で死ぬでしょ、誰でも。
だから。
カラ松先生の恋する相手が「壱」だと仮定するなら。

「あのさ、その~……そいつが優しいのはおまえに好意があるから、とか」

思うんですけどどうですか。
少なくともおれはおまえに好意があるし、元気になってほしいし、好きだと思われてても気にしない。困らない。だから泣く必要なんてないんだ。
友達だし。し、親友だし。ほら、あれだ。メロセリの仲じゃん、別に誰に処刑されるってわけじゃないけどあれ友情の名作扱いだよね? セリヌンティウスに比べてちょっとメロスの野郎ふざけてんな、と思いはするけど。昼寝してんじゃねえよ。

「ないない。いや、好意はあるだろうけどそれだけだから」
「こ、好意があれば十分じゃない!? これからいくらでもがんばればいいわけじゃん。つーかがんばれよ! 即諦めねえでがっと押せよ、好き好きオーラを出せ! でないとわっかんねーよこっちも!」
「……好き好きオーラ」
「わかんないでしょ、人の考えなんか。エスパーでもあるまいし」

そうだよ、こいつ親しくなりたいと思ってたのもわかりにくかったんだ。
ちゃんと主張しろ、押してくれ。アピールを頼む。こっちも自信ないんで、なかなか動けないんだから。
家の鍵を渡してきたくらいの押しの強さでお願いします!!!

「壱くん」

ぎゅっと手をつかまれ肩が跳ねた。
のぞきこむように見つめてくる目は赤く、うるんでいる。
先程までと違い少し眉が上がっているのが、なんだか妙にいつものカラ松先生を思い出させて背中がざわざわする。
あ、くるか? これきちゃうタイミングなのか??

「壱くん、好きだ」

きたーーー!!!
予想通り! きた!! うぉぉ人生初の告白!!!

「うぉっ!? お、おれは別に余裕でオッケーっていうかおまえが望むならっていうかさっきから考えてたけどきききキスとか手つないでデートとか全然いけるしなんならもっと先に進むのも問題ないというかいやそんながっつくつもりはないんだけどでも」
「ありがとうな」
「う、うす」

力任せに抱きつかれて心臓が踊り狂う。
なんか緊張のあまり言わなくてもいいことを言った気もするんだけど、カラ松先生の声がうれしそうなんで良しとしよう。キスとかデートとかあわよくばもっと、なんてそんな。……友達ならきっと悩んだと思うんだけど、親友だもんね。家族以外で生涯通して一番近い存在なんだから、まあ別に……できるかできないかでできそうなんだから、いいでしょ。いい、いい。大丈夫。だってカラ松先生から望んでるんだから。親友の願いを叶えないなんてそんな友達がいのないこと、おれができるわけないじゃん。カラ松先生の親友の、このおれが!
耳に冷たい感触。ああ、カラ松先生の頬だ。あんなに赤かったのに、涙のせいで冷たいのか。このままひっついていたらおれの体温が移って温かくなるだろうか。
驚かせないようにそろりと腕をのばす。これはあれだ、このままおれも背中に手をまわして抱きしめあって恋人になる流れだ。教頭がなぜか貸してくれたライトノベルで読んだことある。作り話と思ってたけどそういうわけでもなかったのか。リア充はこんな……待って、つまりおれもこれからリア充ってことでは!?
ああ、そうだ、ちゃんと伝えないと。今更だけど、壱は一松だって。だからおまえは中学生を好きになったって泣かなくていいんだって。この恋は諦めなくてもいい、おれはおまえを受け入れられるから。

「オレ、壱くんを好きになったらよかった」

背中にふれようとしていた手が、ぴたりと止まった。

「へ」

たら。
仮定。本来は違う。こうならよかった、という希望。
え。

「一松先生なんかじゃなくて」

待って壱くんと一松先生は同一人物なんですけどちょっと、えぇ……。
これカラ松先生の中で完全に別人だな? 同一人物って考え欠片もないやつだな??
え、嘘でしょ。だってめちゃくちゃ似てない!? 自分で言うのもなんだけど別人設定するには相当完成度低いよ。兄弟、てわりに兄しか知らないだろうことじゃんじゃん話したりしてるよね。おまえこれ名探偵の孫とか身体は子供中身は大人の小学生とかならしょっぱな見破ってるやつだよ。
確かにおまえ考えなしでうかつですぐ信じ込むイメージだけどさ、第一印象からバカって感じだったけどさ、裏切れよ! そこはおれの予想を裏切ってくれよいい意味で!! 実は切れ者とか観察眼があるとかそういうのないの!? 追加設定でもいいんですけど! 恋する男の第六勘がさえわたってくれていいんですけど!!
つーかなに、壱に惚れてるわけじゃないんだ。
好きってあの、言葉そのままで、好意を表してて……ま、まぎらわしい……。
そして恥ずかしい!!!
おまえを受け入れられる!? 泣かなくていい!?? あーっ殺せ! 砂に埋めろ!! 恥ずかしさで憤死まったなし。
誰だおいなにかっこつけてんだ、勘違いなんだよバカ、好かれてる恋人になりたいリア充に、全部全部なし。こいつがこんなに泣くほど好きなのは一松先生。
……おれだな?

「壱くんを好きになってたら、幸せだったろうなぁ」

ふわふわした声が全身を呪縛する。
背中に回そうとしたまま動かない手は未だ固まったまま、それどころか足も口もまぶたさえ、どこもかしこも動かすことができない。どこに力入れたらいいんだっけ、まばたきできないから目が乾いて痛い。かろうじて心臓は動いているけれど、呼吸は意識しないとすぐ止まってしまう。吸って、はいて、また吸って。あ、鼻息荒いって思われたらどうしよう。今はいたら首筋にあたるかも、はあはあなに盛ってんだよきもい、とか思われたら。そうだ口だ、下唇をつきだして口からはいたら空気は上に出るからあたらない! 待ってだんだん苦しくなってきた酸素、いやここで思いっきり吸いこんだら匂いかいでるみたいじゃない!? 百年の恋も冷めるやつでは!?? つまりおれを好きだと言ってくれているカラ松先生の目が覚めてしまう。
全校生徒の前での辱めを一手に引き受けてくれた、ギターをかきならす後ろ姿。
若い男の先生だから、なんて理由にもなっていないこじつけでひっぱり出されそうになるたび隣にはしゃんと立つカラ松先生。
七十五日待たずともおれの噂話などカラ松先生のしでかすことでかき消えていく。
能天気な笑顔で弁当をかかえるウキウキした姿。
マミーの料理は最高、なんて言うくせにこちらに野菜ばかりおしつけるのが心苦しいのかおいしいかと問いかけて。うなずけば妙に機嫌よくなるの、今ならわかる。なんだこいつって思ってたけどおれは見てたかったんだ。だからお母様を言い訳にしてまでおいしいと口にして。
カラ松先生が変にまぶしかったのは。
誰より近い位置で生涯関わりあいたいのは。
望まれたから、なんてなんだそれ。受け入れるじゃないだろ。おれが。ねえ、おれがおまえのこと。

「……メロスに……なれない……」

だってこいつ代わりに殺されるかもなのに来てくれる親友とさ、離れて暮らしてんだよ。羊だか山羊だか飼ってんだよ確か。三分歩いたら着く、とかじゃないの。なんか山越えたり川渡ったりしてたもん、だよね学生時代のおれ!? つまりカラ松先生と遠く離れて、たまに近くに来たからって会う程度なわけ。え、無理でしょ。いや友達の距離感ってそういうのだし、どれだけ離れても親友会ったら即以前のままってのも憧れないではないっつーかそれはそれでいいなと思うんですけど。確かにそれを目指して行こうって考えてたんですけどついこの間まで。でも。
でも、そうしたらわからない。おれの知らないところで勝手に失恋して泣いて凹んでしょぼしょぼになってても、会った時に大丈夫って笑われたらそうかって言うしかない。おれの知らない相手におれの知らない顔見せておれの知らないことするの、それってどうなの。じゃあおれ、どうしたらいいんだよ。一番近くでなんでも分け合えてずっと一緒にいる、過去も未来も現在もお互いがいない人生なんて考えられない。そういうのが親友なら許されると思ってた。それに、なりたかった。
だけどおれの理想とする関係は、友情万歳なんて勢いの登場人物達とでさえ違う。
本当はメロスとセリヌンティウスみたいな二人になりたかったんだ。ああいうのが親友っていうんだろう、どれだけ会わずとも離れていても相手を信じ裏切らない。友情はすべてを覆す力がある。ああいう関係に憧れてたんだ。
だけどおまえとなりたいなんて思えない。

「んん? オレは壱くん、干しブドウみたいだって思ってるぜ」

意味がわからない。人のこと干しブドウってどう聞いても褒めてないのに、こんなに明るく前向きな声で言い放つこいつは大丈夫だろうか。おもに人間関係とか。……前に見舞いだって干しブドウ買ってきてたな。もしかして好物とかなのかな、珍しい……人の趣味にあれこれ言うのはなんだけど、つーかおれの趣味も大概だけど、数あるおいしい物の中で干しブドウ? ほんとなんで??
ああ、やっぱり離れることなんて考えたくない。だってこんな間抜け、一緒にいないとすぐ誰かにひっかかってふらふらしたり騙されたり泣いたりする。こいつなら大丈夫、と信じて遠く離れて暮らすなんて無理。毎日顔見れなくなったらビデオ通話待ったなし、朝と休み時間と昼と放課後と夜、大仰な身振り手振りでなんでもないことをあれこれ報告されないと息ができない。
待て。ちょっと落ち着いて思い出せ脳。なんとか酸素を回すから回転しろ。
未だおれに抱きついたままのカラ松先生は、親友のままでいたいなどと言ってはいない。
ここ大事なところ、テストに出すよ。
壱くんを好きになれば良かった。できたらよかった、ということはそうじゃない。つまり恋愛的な好意はない。
一松先生なんかじゃなくて。なんか、とくさしているけれどここは比較だ。一松先生ではなく壱くんの方を好きになれたらよかった。でもできない。
この二つから導き出せる解答は、はい松野一松くん答えて。

「あの……おれ、も。その、おまえがそんな泣く必要なくて」

覚悟を決めろ。清水の舞台どころか富士山のてっぺんから飛び降りる気分だけど、でも今のおれには紐がついている。カラ松先生はおれのことが好きなのだ。恋愛感情で。恋愛的な感情で!!!
大事な事なので何回でも繰り返すけど、おれに恋してるんだよカラ松先生は。だから飛び降りても死なない。紐なしバンジーじゃない、ちゃんと紐つきだ。勇気をふりしぼって伝えたら、未来は明るい。

「松野一松は! おまえのことが!! 好きです!!!」

必死に腕を動かし肩をひっつかむ。
抱きしめられたままじゃダメだ。そうじゃない。ちゃんとおれは、流されたんじゃなくて求められたからじゃなくておまえのことが。カラ松の、ことが。
誤解されてはいけないと付け加える。

「恋愛感情で!」

水分を含んでとろりとした目の玉が、ゆっくり見え隠れする。ぱちん、ぱちん。

「……好き……オレを、か?」
「そう!」
「一松先生が?」
「恋人になりたい方の好き!!」

叫びすぎてのどが痛い。
だけどなんとかこれで伝わっただろう。逆にこれでわかってない方がヤバい。おれはがんばった。できることは精一杯やった。メロスにはなれないけど、もっと望む関係を手に入れられるんだ。

「……そうか」

安堵のあまりベンチに全身をあずけたおれの前に、影がかかる。
身体つきに比べ大きい靴なのは、服は用意しても靴はいいだろうとそのまま履いているから。少し古臭いデザインの赤塚中学のジャージに身を包む、細い肉体。骨が目立ち、ひょろひょろとした印象を与えるのは成長期特有のアンバランスさからか。
細い首、丸い頬、まだまだ幼さの残る顔。硬い表情。
あれ。

「壱くん、すまないが一松先生に伝えてくれないか」

あれれ。
れ。

「おれも好きだから恋人になりましょう、って」

いやそれはいいんだけどうれしいんだけど。あれ。

「でもまだ未成年なんで、そういうことは大人になるまで待ってくれ、って」

ちが、え、カラ松先生は未成年じゃなくて。いやでもそういや目の前にいるの松野だ。同一人物だってわかりきってるしこいつも全然隠す気なさそうっていうかばればれだったからうっかりしてたけど、もしかしてもしかしておまえまだ別人設定いきてると思ってる……?
いやでもさっきちゃんと名前呼んで……呼んで……呼んだっけ。壱と一松を別だと思ってるから一松がって主張のため自分の名前を叫んだ記憶はあるんだけど、カラ松先生の名前呼んだ記憶がない。

「まさか先生がおれのこと、なんて思いもしなかったからびっくりしたけど」

おれもだよ。
いやそりゃ好意はあったけどさ、それはカラ松先生の小さいのだと思うから発生するやつで、別におれはペドではないわけだから警察は勘弁してください。
つーか成人男性が中学生に恋人になりたい方の好きって百パーセント事案では? いくら中身は同い年なんですって言っても信じてもらえなくない? そしてこれカラ松先生からしたらさ、弟に代わりに告白させる最低最悪な情けないヤツでは。
早く。今なら誤解を解ける。
なんなら壱と一松が同一人物ってことも白状しよう。全部打ち明けて、それで改めて告白を。

「でもうれしい! 一松先生とつきあえるの、すごくうれしいんだ!!」
「ぐぅぉっ」
「まずは交換日記かな。明日兄貴に託すからって先生に伝えておいてくれよ!」

じゃあなと花を振りまきながら駆けていく後ろ姿に手を伸ばしても、カラ松先生改め松野は振り返りすらしない。
あまりのハッピーな空気に押し流されてしまったけれど、いいのかこれ。ダメだろ。なんでかカラ松先生の中ではオッケーになったみたいだが、どう考えてもアウトでしかない。知らぬ間に未成年に関係を迫る犯罪者になってしまった。どうしよう。どうしたらいいの。ねえ。
なんだかんだ話を聞いてくれていた松野はいない。いても聞いてもらうわけにはいかないけれど。

「……大丈夫、同一人物だって知ってるけど問題ないって伝えたらそれで」

そうだ。カラ松先生であろうと松野であろうと、おれのことを好きでいてくれているのは間違いないのだ。
だからおれが、二人が同一人物だと知っていると伝えればいける。というかあまりにカラ松先生がガバガバ設定でくるから、外見を見ないと違いがわからないのだ。話題とか先生しか知らないことでも松野の姿でぽんぽん混ぜてくるし、あんなの隠す気ないと思うじゃないか。お互い気づいてるけどまあ一応、のつもりだったのに本気で分けてたとか。
そんなの、ああもう。
クッソかわいい。

 

◆◆◆

 

その後の話だって?
すぐ伝えて誤解も解けてハッピーエンド、一松先生とカラ松先生はラブラブです。それでいいでしょ。そういうことにしといて、マジで。
違うって、おれもね、顔あわせたら一番に伝えようと決めてたんだよ。前の晩に練習もしてさ、緊張でふっとんだらまずいなって手の平にもセリフ書いた。準備は完璧だったんだよ。
ただカラ松先生がさ、こう、へにゃっとした顔でおはようも言わないでノートを渡してきたのね。猫のイラストついた、かわいいの。つい受け取るでしょ。でもこっちも言おうとして口を開くじゃん、後でなって笑うわけ。なんだか恥ずかしいな、ちょっと今日暑いのかな? とか真っ赤になってそそくさ逃げてったんだけどさ、これどうなの。引きとめて話があるんですとか言える? つーか引きとめられる? こんな破壊力の存在。
自覚してない間は大丈夫だったんだよ。友達認識の間はさ、ちょっと内臓がねじれても心臓が踊りまくっても、ああ友情に慣れてないから……って思えたんだよ。
でも違うじゃん。今すでにめちゃくちゃかわいく見えてるんだよ、かわいいって認めたわけ脳が。するとさ、そのへんでこけてるのまで間抜けかわいいになるの意味わかんないよね。人類の神秘。つまりそんな相手がさ、ほわほわでふわふわで恥ずかしいとか言うわけですよ。え、無理じゃない? 出血多量でよく死ななかったと思うもん。
で、これまた交換日記の内容が、まったく書く必要のない自分がかっこいい角度とかなの。四十五度でも三十七度でも足くんでもおろしてもなんでもどうでもいいんだよな~。は~バカ……こんなの保護しないとダメだろおれが……。
で、昼もまた来るようになるし廊下で会っても逃げない。
こんなぬるま湯、出られると思う?
いやもちろんちゃんと誤解解くべきだよ。そう思ってるし今も虎視眈々と機会をうかがってるわけで。
でもさ、正直これもういいんじゃないかな。壱として公園に行ってないから松野とは会っていない、カラ松先生との仲は以前よりいい。もしかしてカラ松先生も気づいたんじゃないの、壱と一松先生は同一人物なんだって。で、自分も気づかれてると悟り、ではあの告白は……て理解してくれたんだよ。でないと現状の説明がつかない。
自分の弟に恋愛感情のある成人男性と、交換日記といえ交流を後押しする兄とかないでしょ。
交換日記も別にそれっぽいことやりとりしてるわけでもなし。

拝啓メロス様。
おれはあんたになれなかったけど、それでいい。あんた達みたいな関係は憧れたけど、今はもっと最高の恋人が。

「一松先生、そういえば弟から伝言なんだが」
「ひぇっ」
「次の日曜一緒に出かけませんかって」
「うぇ、あ、じゃ、じゃあ松野先生も一緒に!」
「やですよ。恋人同士の中に混ざるなんて馬に蹴られちゃうじゃないですか」
「こい、いやあの……っ、おれの好きなのはせ、先生でっ」
「その冗談あんまり笑えませんよ」

メロス様待って、待って待って教えて!
あんたさらっと友情を裏切ったみたいなこと懺悔して許されてたじゃん、頬打てとか言ってお互い様だねみたいに大団円だったじゃん。
あれ、あの空気感どうすんの。
今こそ誤解を解きたいのにカラ松先生がなんかちょっと怖いというかいや気のせいだと思うんだけどでもやっぱりその。

 

おれはメロスになりたい!!!