だって困らせる、と口にしたとたんほろりと涙がこぼれた。
ああそうか。オレは泣きたかったのか。
友達と言われたのをよろこばなくちゃいけないと考えていた。だって、あの人見知りで警戒心の塊のような人が友達って。たぶんカラ松のために口にした。伝えたらよろこんでくれると思って、慣れないことを。だからちゃんとよろこばなくちゃ。オレ達最高のフレンズだな! って言わないと。
だから泣くとかおかしい。
「誰か知らないけど、やめたら。泣くようなの、よくないでしょ」
落ち着いた声音はするりと毛羽立った心を撫でる。
まったくもってその通りだ。恋をするのはいい、苦悩もあるだろう、叶わないことも。だけど泣くだけでなにもできないような恋はあまりいい恋とはいえない、カラ松もそう思う。
だけどどれだけ脳みそが指令を出しても、目からはぼろぼろ涙がこぼれるし鼻水も止まる気配がない。ずびりと鼻をすすると見かねたのか隣から紫色のハンカチが差し出された。きれいにアイロンがかかっている。さすがに汚すわけにはいけないと自分のハンカチをひっぱりだす。
「だいたいさ、なんでおまえに好かれたら迷惑なんだよ。おかしいだろ」
「うん」
「そんなのよりさ、もっといいヤツいるって。絶対」
「……うん、そうだよな」
「おまえはさ、笑っててほしいんだよね。バカみたいに」
「バカってひどいな。……そうだよな、なんで好きになっちゃったんだろう」
下手くそな励ましについ笑ってしまう。
なんで、ってそんなの決まってる。優しかったんだ。カラ松のことを見て、考えて、きちんと対峙してくれた。適当に流さず決めつけず、カラ松自身をしっかり見ようとしてくれていた。誠実で、優しくて、まるで隣に座る少年のようだ。さすが兄弟、よく似ている。
放課後ちょっと話すだけの友達の失恋を我が事のように怒っている子供は、少し声のトーンを抑えておずおずと口を開いた。
「どこがよかったの」
別に傷つかないのに、あの人のことを話しても。思い出しても。
だけど少年の不器用な優しさがうれしかったから、カラ松は頬をゆるめた。失恋した友達への言葉なんて慣れてないんだろう。なんなら慰めるのは初めてかもしれない。照れくさいのか拗ねたような顔をしているのがかわいくて、ついからかいたくなってしまう。
「……優しかったんだ。わかりにくいけど、親しくなればなるほど伝わってきて。壱くんもそうだよな」
「っ、おれのことはいいんだよ!」
さっと赤く染まる頬が愛しい。この反応はもしかして好きな子がいるんだろうか。年頃だからいてもおかしくない。ああ、なら余計にカラ松に親身になっているのかもしれない。失恋したと泣く友達を突き放すのは難しいだろう。いつ我が身にふりかかるかわからない。
「だから好きで……でも、困らせたいわけじゃないから」
「おまえが好きだからってなにも問題ないじゃん。別に、困るとかないでしょ」
「困るよ、絶対」
「……優しくて、でも好きってわかったら困るのかよ。変じゃね。そいつ本当に優しいわけ」
「優しいよ」
キミの兄さんは優しいよ。
「全然そんな風に思えないんだけど」
唇を尖らせる子供は、相手が自分の兄だなんて思いもしていないんだろう。
カラ松だって思いもしなかった。あの人のことを好きになるなんて、夢にも思わない。だってただの同僚で、ちょっと親しくなってきたけどまだまだで。
なんなら好きな子の兄だと思っていたのだ。なんせ、自分は隣に座るこの子に恋しているのだと勘違いしていたんだから。
「あのさ、その~……そいつが優しいのはおまえに好意があるから、とか」
頬を赤らめたままもごもご告げられるのは、いっそ罪な程夢みがちな提案。
そういうのダメなんだ、壱くん。夢みるのはすばらしいけど、でも現実とかけ離れすぎては我に返ったときつらすぎる。キミくらい若ければその差をうめるエネルギーもあっただろうが、とっくに成人している大人はそんなことしたら大怪我だ。
ああそうか。膝の上で握りしめている己の手を見てしみじみと感じる。
そうか、壱くんはオレを同世代だと見ているから。今ここにいるのは中学生のカラ松で、ならそれくらい夢みがちでも大丈夫。失恋したって次の恋をすればいい、告白して断られて気まずくなれば別の人間関係を作ればいい。
友達だと思われているなら下手に波風たてるより今のままがいい。気まずくなって関係が途切れるより、現状維持で親しい同僚でいられたらそれで。それだけで。
「ないない。いや、好意はあるだろうけどそれだけだから」
「こ、好意があれば十分じゃない!? これからいくらでもがんばればいいわけじゃん。つーかがんばれよ! 即諦めねえでがっと押せよ、好き好きオーラを出せ! でないとわっかんねーよこっちも!」
「……好き好きオーラ」
「わかんないでしょ、人の考えなんか。エスパーでもあるまいし」
なんて優しい言葉を選ぶんだろう、この子。
お兄さんの教育がいいのかな、なんてどうしても思考がひっぱられる。ひどいな。ひどい大人だ、オレは。
キミのことを好きだと思い込んでいた頃、オレは平気でキミの心を操ろうとしていたのに。中学生なんて単純だから、好意を恋だといくらでも勘違いするから。そう、軽く考え動いたというのに。
「壱くん」
あまりにまっすぐな考え方に敬意を表し、オレはぎゅっと彼の両手を握った。
なあ、伝わってるだろうか。キミへの感謝、好意、信頼。つないだ手から、あわせた目から、ほんの少しでも伝わってほしい。言葉にだっていくらでもする。だってわかってほしい。覚えていてほしい。キミの友達は、中学生の肉体を持つ松野カラ松はたぶんそのうちいなくなってしまうけれど。でも、キミにとても救われたんだ。会えて、友達になれて、本当によかった。
「壱くん、好きだ」
「うぉっ!? お、おれは別に余裕でオッケーっていうかおまえが望むならっていうかちょっとこないだから考えてたけどきききキスとか手つないでデートとか全然いけるしなんならもっと先に進むのも問題ないというかいやそんながっつくつもりはないんだけどでも」
「ありがとうな」
「う、うす」
ぎゅうと感謝のハグをすればとたん壱くんはぴたりと動きを止めた。
触れあう胸からどこどこと早鐘のように打つ心臓の音が聞こえる。驚くよな、いきなりハグなんて。でもこうしてひっつくのが一番まっすぐ気持ちが伝わると思うんだ。
オレは昔からなぜかうまく言葉の意味を受け取ってもらえないし、壱くんもいきなり早口になる時は実はよく聞きとれていない。なんとなく流してしまっているが、あまりよくないと思ってはいるんだ。今も、たぶん肯定の言葉だったと思うんだけどなにを言っていたのかはわからない。
だからこそ、どうしても伝わってほしいこの感謝と信頼をハグに託そう。
なあ、本当にキミのこと大好きなんだ。薬がなくなって、このオレがいなくなっても……壱くん、キミが許してくれるなら友達でいたいくらいに。
「オレ、壱くんを好きになったらよかった」
だけどきっと無理だ。
だって騙されたって思うだろ、こんなの。同年代の友達が実は兄の同僚でした、なんてあっさり受け入れる方が難しい。そう、なんて流される方がショックだ。オレの存在はキミにとってそれほど大したことないんだなって実感してしまう。
今、ちゃんと友達だと思っていてほしいから正体をしったら騙されたって怒り狂ってほしい。許さないでほしい。
「へ」
わかった。
「一松先生なんかじゃなくて」
きっとこれが好意か恋かの違いだ。
壱くん、キミが今後も健やかに幸せに生きてくれるならオレは自分がキミのこれからに関わらなくてもかまわない。正体がばれずこのままフェードアウトしても、ばれて絶交だと罵られても、大喧嘩して生涯口をきかなくても。キミとの友情を懐かしみながら、だけどそれだけで大丈夫。
でも一松先生は違う。違うんだ、ごめん。
だって見ていたい、関わりたい、できれば影響したいしこちらを見てほしい。あの人の関心を独り占めする相手が羨ましい。ずっと、彼の人生に関わっていたい。困らせたり喧嘩したりして嫌われたら、絶交だって言われたら、迷惑だから関わらないでくださいって。
無理だ。嫌だ。そんなことになるくらいならこのままでいる。いい友達でいる。ちょっと苦しいのなんて慣れたら平気だ、彼のいないこれからの方がずっと苦しい。
だから。
「壱くんを好きになってたら、幸せだったろうなぁ」
どう答えていいかわからないのだろう。オレの腕の中、じわじわと熱くなる壱くんを困らせるつもりはなかったがそういうわけにもいかないのだろう。
ごめんなと忘れてくれ、どちらを先に伝えた方が正しく気持ちが伝わるだろう。悩むオレの耳に飛び込んできたのはどうにもよくわからない単語だった。
「……メロ…に……なれない……」
めろ…ん? メロンか? そりゃまあ大体の人間はなれないだろうな。
「んん? オレは壱くん、干しブドウみたいだって思ってるぜ」