「いいお話とは思いますけど」
そうですかと肩を落とされてもどうしようもない。そもそもなんでこんなコミュ障の隠キャに見合い話とかもってくるかな。そんな堅苦しいものじゃないんで、ちょっと会ってみるだけ、ね。じゃねーんだよな、見知らぬ女に会うとか無理がすぎる。そっちも困るでしょ、なんか紹介されたしなーって義理で行ったらおれがいるとか。
そもそも万が一、いや億が一だよ、上手く行ったとしてね。ゆくゆくは結婚とかになるじゃん。そしたらエピソード語られるじゃん。教頭が、って当然名前出てくるし招待しないわけにいかないしなんなら仲人気分出してきたらどうすんの。え、教頭独身でした? でもなんか一人でもやりそうじゃん、ええ一松先生にはねあれくらいしっかりした人がいいと常々考えていたんですよ教師は皆我が子のようなものですからね、っていい年齢して独り身なんですけど……でしんみりさせてからのアイドル愛とか語り散らすでしょ。おた芸とかやるでしょ。わかってるんだよ親族の結婚式の話だけはめいっぱい聞いてきてるんだよ招待はされてないけどうるさい黙れなぐさめるんじゃねえ。
そんなん無理。絶対無理無理。
つーかおれの結婚式なんてカラ松先生がさ、ほら、当然のように親友としてスピーチしてくれっから。昨日のことのように思い出します、彼がぼくの式でスピーチしてくれたの。って少し涙ぐみながらおれとの思いでエピソード語ってさ、幸せになってくれおめでとうって笑う顔が誰よりきれいで隣に立つおれが思わず息をのんだら幸せになろうなって。
……ん? 今ちょっとよくわからないことになったな。
快調に妄想を走らせていた脳と緊急会議だ。ストップストップ、聞きたいことがあるからちょっと集合。まだ目の前に教頭がいるって? どうせたいしたこと話してないから意識ちょっとだけ残して適当に相づちうっときゃいいって。それより今の脳内映像な。
おれの結婚式、親友としてカラ松先生がスピーチ。うんうん、なんの問題もない。カラ松先生の結婚が先でそのときおれがスピーチしたってのもわかりすぎるくらいわかる。あっちが先にしそうだもんな。おめでとうって言ってくれるのいい、うれしい。あのなにも考えてませんって感じに頭からっぽっぽい笑顔、ぱっと空気が軽くなってふわふわするのいいんだよね。いやでもさっきはもっとこう、なんか息をのんだ。軽くなるんじゃなくてきゅっとのどがつまって酸素が回らないから頭がくらりとして隣のカラ松先生に……ここだ。
隣ってなに、どういうこと。おれの結婚式なんだからおれは雛壇で、隣にいるのは結婚相手でしょ。スピーチするカラ松先生とは距離があるし、隣ってどんだけ狭い会場だよって話だし、仮に隣にいたらそんなのまるでおれとカラ松先生が結婚するみたいじゃん。
幸せになろうな。
目の前で見たかのようにリアルなカラ松先生が、ふにゃりと気の抜けた笑顔でそう。
りりしいだろうと胸を張っていた眉は下がり、力の抜けた頬は丸くやわく紅潮し、柔らかく細められた瞳はいとおしさできらきらと輝く。好きな人にはこんな顔するんだろうな、そう誰もが考えるそのままの顔で。
おれに。
おかしい。だってこれそんな、親友じゃない。親友はここじゃない。こんな近い位置に立たない。もっと遠く、ほら、あのマイク。スピーチするために出てきてくれるあの位置まではくるけどこんな、目の中におれが映りそうなほど近くには。
こない。いけない。おれも、彼の一番近くには。たとえ親友でも。
親友でも!?
家族と同じくらい、生涯のつきあいになるのが親友じゃないのか。一番近くにいるんじゃないのか。あいつの喜びも悲しみも努力もなにもかも、すべてを知り共に過ごし助け合い生きていくのが。それが。
「カラ松先生にも勧めてみたんですけどね」
「はあ」
のんきな声が現実に戻してくれる。
違う違う、今はおれの結婚式じゃないしカラ松先生も友人代表としてスピーチしてない。まだカラ松先生は結婚してないしおれは式に呼ばれてない。大丈夫。
「あれじゃないですか。ラブハンターたるオレがただひとつの宿り木で身を休めるのはまだ早い……とか言ったんでしょ」
「さすが似てますね一松先生! いやそう思うでしょ、それがね、失恋したばかりだからまだそんな気持ちになれないし相手にも悪いからって至極まっとうなことを……あれ、一松先生? 一松せんせーい、いきなりよろけて大丈夫ですか。顔真っ青ですよ」
「……ちょっと寝不足で」
「医者の不養生って言いますからね、大事にしてくださいよ。じゃ、私はこのへんで」
ああベルが、と一人ごちながら歩き去る背中は教頭。ここは学校、職場。今鳴ったのは四限の終わりのだからこれから廊下には生徒があふれるし、話しかけられないためには早く保健室に戻らなければいけない。ここ最近なぜか声をかけられることが増えているから、これまでしなかった警戒をしなくちゃいけないのは正直手間だ。いや生徒に親しまれたくないわけじゃないしできたらいい距離感をつかみたいんだけど、でもいきなり来られると怖いじゃん……え、なに考えてんのってなるでしょ最近の若い子宇宙人みたいだし。カラ松と仲いいんじゃんイッチー、とか言いながらウェ~イってハイタッチ求めてくる意味がわからない。とりあえず呼び捨てにするな。
そうだ。保健室。
ぐらぐらする視界をなだめつつ、心の砦に向かう。
あそこなら座れるし、いきなりハイタッチ求めてくるリア充もいないし、猫の柄のマグカップあるし、カラ松先生が来る。待っていたら。
カラ松先生が来たら何気ない顔で教頭から聞きましたよって言おう。失恋したんですって? みずくさいな、言ってくれたら。いやこれは唐突だろうか。もっとこう、元気ないみたいですけどどうしましたから流れで打ち明けてもらうとか。
頭を殴られたような衝撃が未だ消えない。失恋、とか。知らない。おれは一つも知らない。失恋ってことは好きな人がいたんだ。あれだけ毎日来て話して休みの日に出かけたりもしたのに、なのに、そんなそぶり欠片も。なんで。おれなんかに話しても仕方ないって思ってた? どうせあんなコミュ障に相談したって、て。
そりゃそうだ。恋バナとかそういうの、上手く返せた試しがない。さすが親友、よく知ってる……親友なら、当然打ち明けられるもんじゃないの。相談に乗ったり、応援したり、上手くいったら祝うし失恋したら慰める。そういうの。そういうのがあるからこその結婚式でスピーチとか後々家族ぐるみのおつきあいとかで、年取ってから昔のことあれこれ言うのとか懐かしいなって笑いあうのとか、全部。おまえとやりたいこと、やろうと思ってたことには必要なんじゃないのか。
失恋したなんて聞いてない。教頭には言ったのに。
それ、本当に親友?
ぞわりと悪寒が走った。気づいてはいけないことを見つけてしまって、いないか。それは見ないふり、なかったことにした方がいいんじゃないか。なあ。
妄想の中、いつの間にか隣にいたカラ松先生。好きな人に向けるだろう、とおれが想像している顔。親友の。親友の?
失恋したらしいじゃないですか。好きな人いたんですね、みずくさいな。言ってくださいよ。そしたらちゃんと応援したんですから。今日くらいは奢りますよ、愚痴でもなんでも聞きますから飲みに行きましょうか。
言えるか。正しい距離、親しい同僚としての口調、これをきっかけに親しくなりゆくゆくは親友にというルートはある。今からでも十分間に合う。
だけどその端々に、けして悔しさを滲ませないことが可能だろうか。
親友だと思ってたのに。言えよ。泣けよ。おれの前でだけ泣け、わめけ、悲しめ。
醜い本音がちらとでものぞいてはいけない。泣き言はいい。親友だと思ってたんだとすねるのもきっと大丈夫。これから明るい道を進める合図、お互いの結婚式で男泣きをして幸せを祈ろう。
でも。
昨日楽しかった、もっと親しくなりたい、一緒に過ごしたい。だってあんたが。
あんたのことが。
「……ないわー、ない」
ごくんと飲み込む。ゆでの甘いブロッコリーだのアスパラガスを飲み込んできたおれののどの強靱さを甘く見ないでほしい。こんな役に立たない言葉など、全部飲み込んでしまおう。
大丈夫。カラ松先生のいつもの顔を見たら気が抜ける。脳天気に弁当を抱えてくる姿を見れば、悩んでるこっちがばからしくなるんだから。
今日のメインはチキンだ。チキンのハニー……ええと、あー、甘辛煮だ! とか脳内にがひよこを飼ってるとばれる発言に何度毒気を抜かれたことか。いや、そうだ、昨日リクエストしたんだから今日はきっと手羽先だ。そのために買い物に一緒に行って、大量の手羽先を買って。
またお母様の無言のストが行われているかもしれないけど、だんだん慣れてきたのか食べられるようになってきた。以前に比べて野菜を食べることが多くなったからか、体調はいい。味だってまあ個性の範疇といえなくもないし、材料費は渡しているし、どうしても無理なら気にせずやめてもらっていいと伝えてもある。おれにできることはもうなにもない。あとはお母様とカラ松先生の間の問題なのでどうぞよろしく。
こちらとしては先ほど持ち上がった新たな問題で手一杯なので。
ごくりと、もう一度飲み込んだ。なにを? なにかを。気を抜けばすぐさま口から飛び出しカラ松先生をぐるぐる巻きにしそうな、執着を。
だめだ。だってこれは違う。きっと違う。親友への思いはもっと純粋で清く明るい、ただ彼のために走り続けたりひたすら信じ待ったりするようなもので。打ち明けてくれなかったことをなじってもいいけれど恨んではいけない。なぜ、と問うては声が裏切る。
おれがいます。
なんでそんな意味のないことを言いたがる、口よ。おかしいだろう。ずっといる、隣に、近くに、ずっとずっと。あんたの一番傍にいたい。だめだ、それは踏み込みすぎている、親友としての言葉じゃない。おれを裏切ってくれるな口よ、のどよ、指先よ。カラ松先生の親友として生きていきたいおれもまたここにいるんだ。
おれを、彼を。裏切ってくれるな。
王に処刑される前に、夕日が沈むまでに帰ってきてくれ。
◆◆◆
松野先生二人いるんだからちょうどいいね。そう口走ったのは誰だったか。
「そうですね、グループ名みたいで」
「松野兄弟ってとこですかね。いたでしょう、そういうの」
「あ~。フォークとかやりそうですね。松野家だと漫才ですかね」
「ラップとかも今のはやりなんですよ」
赴任先で全校生徒の前で挨拶するのさえできれば避けたいのに、楽しい学校だというイメージのため教職員で出し物をすると告げられた日には尻を出さなかった己を誉めるしかない。
誰か止めるだろうと思い周囲を見回すも、トト子歌っちゃお~、じゃあ私たちは踊りましょうか、と止まる気配がない。唯一の頼みだとまじめそうな教頭にすがる思いで目を向ければ、緑に光る棒を振り回していた。辞めたい。
必死に影を薄くしなるべく人数の多いグループでなにもしなくていいものを、と願ってたところに名指しの発言だ。周囲の注意が一瞬で自分に向いたのがわかった。あまりのショックで記憶があいまいだが、言い出した人間を覚えていたら呪ってやったのに。
なにがちょうどいいのだ。同じ名字の人間が二人いたらなんだというのだ。田中も鈴木も木村もそれなりにいるだろう。松野だけが特別なわけじゃない。偶然同じ名字がそろっているからといって二人で出し物をしなくてはいけないなんてありえない。こんな学校クソくらえだ。
同じく巻き込まれたもう一人はどんな表情をしているだろう。きっと同じように戸惑っているに違いない。そうだ、二人で反対しよう。生徒を楽しい学校に迎え入れるのはいいことだけど、そのために教職員が無理をするのはどうかと思う。うん、この路線だ。
必死に開いたおれの口は、言葉を発する暇がなかった。
「ふっ、松野カラ松オンステージ、というわけだな……まかせてくれ、オーディエンス!」
どこからとりだしたのか、先ほどまでかけていなかったサングラス。スーツの上着をばさりと脱ぎ肩にかけたのはいいとして、いやよくないけどそこ流さないともっと大変なことが起こっているからいいとしてよ、ええとどこまで話したっけ。そう上着を肩にかけた、シャツの前ボタンを一気に開いた、なぜか顔のアップリケがこんにちは。
こんにちは???
丸い輪郭に黒髪、サングラス。こんなキャラクター見たことないんだけどもしかして……いやでもサンリオとかなんでってキャラいるし……うんいやでも。誰もつっこめない空気に気づいたのか気にしてないのか、同じく巻き込まれた被害者であったはずの男はきりりと言い放った。
「オレtoオレ、いかしたツインズで赤塚中を沸かしてやるぜ!」
ツインズってもしかしてやっぱりそのタンクトップのアップリケはあなたを模したものでしたか、つーかツインズじゃなく一人なんじゃないかな、いやその前にオンステージではないな?
つっこみに疲れると人は皆流してしまうものなんだろうか。松野カラ松、と名乗った意味のわからない男は結局本当に一人でギターを抱え歌い、そのおかげでおれは自己紹介だけですんだ。歌だの漫才だのラップだのから逃げられたうえそれを非難もされないのは、認めたくないけれどあの奇人のおかげだ。トト子先生が歌う時は教頭と共に光る棒を振り回し、なにそれと胸のアップリケに言及されればプレゼントだと生徒の顔のついたハンカチを持ってくる。とんちんかんな言動をするが悪意はない、ちょっと頭がひよこなだけだと周囲に理解される頃には同じくらいおれのことも放っておかれるようになっていた。
騒々しい松野先生としゃべらない松野先生。
おバカだけど生徒思いのカラ松先生となに考えてるかわかんない一松先生。
注目を集めてくれることも、同僚としてごくふつうに接してくれることも、こちらのことを一切聞かないことも。本当はずっと、助かっていた。ありがたかった。
どんなキャラクターでも求められるとつい演じてしまう。そこそこやれているのか周囲に受け入れられないことはないが、ただただ疲弊する。だからずっとがない。続かない。どれだけ居心地のいい場所でも、おれ自身が求めた立ち位置でも、つい無理をしてしまうから最後には離れてしまう。気を抜いたまま、明るくもない隠キャとも言い難い闇というほど思考は暗くないし特筆すべきものがなにもない、ただの松野一松として居られる場所がほしかった。放っておいてくれたらよかった。
それをかなえてくれたのが彼だと、今なら認められる。
本人はそんなつもりなかったんだろう。おれだってカラ松先生がそんな気遣いをしているなんて思いもしない。だからこそ。気遣われていないからこそ、救われたなんて。
考えなしに、こちらのことなどまるで気にせず動いているだけで。それだけで息がしやすい。カラ松先生のいる世界は楽だ。
だから、彼がおれと親しくなりたいと思っていると知ったときは驚喜した。
恩返しができる。一方的じゃない、彼の希望をおれがかなえられる。
おれ達はただの同僚だ。職業柄、他の職より転勤も多い。他の学校に赴任した相手と会うなんて、プライベートで親しくなけりゃけしてない。まして移動はいつあるかわからない。数年、下手したら来年にはどちらかが違う学校に移動する可能性がある。
こんなに生きやすい日々が失われる。仕方のないことといえ、一度知ってしまった呼吸のしやすさは手放したくない。慣れなきゃいけない。カラ松先生のいない世界がほとんどなんだから、ずっと楽をしていちゃだめだ。彼のバカな言動を覚えていて思い出すのはどうだろう。少しだけマシになるかもしれない。独特の話し方をまねてみたら、周囲から放っておいてもらう率が高まるかもしれない。ちゃんとしなきゃ。できる。そのうちカラ松先生とは無関係の他人になるんだから、それまでに他との適切な距離感に慣れていかないと。
覚悟していたからこそ、手放さなくていいかもしれない可能性にすがってしまった。
彼と無関係になる未来が恐ろしすぎて、生涯共にあれるスタンスになりふり構わずしがみついた。
それが今だ。
自分の感情を読みそこね、どこに着地するか予想せず飛び出した。隣で膝をかかえる子供の背をなでてやることもできない情けない大人が、愚か者のなれの果てだ。