カラ松先生が保健室に鍵を取りに来てから今日で十日。
「今日は唐揚げだぜブラザー!」
なぜか毎日、弁当持参で保健室に来るようになりました。
「……松野先生、気分の悪い生徒もいるんですからもう少し静かに」
「すまない! 誰か寝てるのか」
「いや、今日はいないですけど……」
意味が分からない。
いや、流れは覚えてる。弟さんの具合はどうだという雑談からの、男二人(本当は一人だけど)だと食事はなんとか作っても弁当まで手がまわらないなんてあるある話、からの翌日弁当持参だ。マミーの愛情あふれる弁当は最高だぜ、ってそうでしょうとも。たくさんあるから分けよう、って一人分とは思えないお重に入った弁当を並べられて言葉そのままに受け取るバカはいない。きっとこの間言っていた鍵のお礼ということだ。カラ松先生のお母様にめちゃくちゃ感謝しつつ食べた。おいしかったしありがたかった。うん、ここまではちょっと世話焼きだなと思いつつまだわかるエピソードだ。
わからないのは次の日からも弁当の差し入れが続くことだ。
どう考えても負担だろう。すでに社会人の息子の弁当だけでも面倒だろうに、いくら息子の友達といえもう一人分なんて。労力はもちろん、金銭だってかかるんだから。せめてもと材料費を渡せば、真面目だなぁとぴかぴかの笑顔を向けられてしまった。真面目とか不真面目とかそういう問題じゃないですし。落ち着かないだけですし。
というか、カラ松先生の中のおれは一体どんな人間なんだ。いくら友達だと思ってくれているとしても、一気に好意を表しすぎじゃないだろうか。これまでと違いすぎてどうしていいかわからない。ことあるごとに保健室に顔を出し、廊下で見かければ名を呼びながら近づいてくる。なにか話があるのかと思えばまるでなし。商店街の肉屋のメンチカツが最高だの内緒だけどさっき靴下に穴があいてるの発見しただの、壱相手にくっちゃべっていたようなことをにこにこ延々。
謎のブラザー呼びも大問題だ。
なんだ。おれはなにを求められているんだ。最初は、壱とおれが同一人物であることに気づいているアピールかと戦々恐々していたがどうやら違う。もし気づいていて今の態度ならカラ松先生は演技の天才だ。壱相手にはこれまでと変わらず同年代の少年として接し、おれにはよき同僚よき友の顔をする。いきなりの変わり身の理由がまるでつかめない。
カラ松先生がおれと親しくなりたいと思ってくれているのは知っている。壱としていやというほどおれの話題を聞き、ほぼ確信を持っていたからこそ好きなのかと問えたのだ。恥じらいながらも認めつつ、いきなり家の鍵を預けるほどの信頼を寄せてもらえるとは思わなかったけど、親友という立ち位置を求められているなら応えるくらいの好意はある。こっちだって。別にもとから嫌いなわけじゃないし。あちこちでいい顔しやがって楽しそうだなチクショウ同い年似た名前成人男性ということは変わらないのになんでおまえばっかり脳天気に生きていやがる、と勝手に鬱々していただけなので手のひら返したら早いんですよ。ひひ。
でもそんなおれでも、正直最近のスピードについていけてない。
この十日ですでにこれまでのカラ松先生摂取量を越えている。昼食を一緒にとるだけでもいっぱいいっぱいなのに、あれやこれやと顔を出すあたりもしかしておまえ仕事してないな? これまでも結構サボってたな?
「あの……今更ですけど、なんでいきなり弁当持ち込むようになったんですかね」
遠回しに聞いてもらちがあかないのはすでに試し済みだ。
おまえ仮にも教師ならちょっとは言葉の裏を考えろよ。会話の文脈を読みとれ。体育担当だからってバカでいい理由にはならないだろ。
「一松先生と一緒に食べたいからですけど」
ストレート!!!
死ぬから。百六十キロとかの剛速球ぶちあたったら当たりどころ悪くておれは死ぬ。だからお願い、もう少し言葉を選んで迂遠な表現で穏やかに伝えてほしい。
ゆですぎてくたくたのほうれん草のおひたしを飲み込んでから、おれはなんとか体勢を立て直そうとちくわに箸をのばす。本来穴の中におさまっているだろうキュウリがものすごい主張している。ワイルドだな、おい。
「ええと……その気持ちはありがたいんですけど、やっぱり松野先生のお母様のご負担になるだろうし」
「気にしないでください。一松先生がよろこんでくれたらそれで」
いやいやいや気にするんで。だってほら、聞いてよこのゴリゴリ音。おれは今なにを噛んでるでしょうか。ヒントは歯ごたえありすぎるこのゴリゴリした音だよ! ちなみにキュウリをつっこんだちくわはすでに食べ終わったのでキュウリではありません。正解は~? 煮物!
ねえ煮物ってこんな音する? にんじんレンコンこんにゃく鶏肉、みんな素材の主張そのまま煮汁の味には染まらないぜって強気の姿勢なんですけど。
初日に一緒に食べた弁当は普通にうまかった。家庭の味があるから少しなじみはないけれど、でもああ家庭の味ってこういうのだったよなって。
翌日も、その次の日も。正直中身は覚えてないけれど、印象に残ってないということはうまかったんだろう。特筆すべきでない程度に。
違和感を抱いたのは五日目あたりだったか。なんだか卵焼きがべちゃっとしているなと思ったのだ。刻んだネギが入っていたからそのせいかと流したけれど、ひっかかったのはあまりおいしくなかったから。まあ弁当の内容よりカラ松先生が目の前でくっちゃべっている方に相づちをうたないといけない、と必死だったから気にしなかった。
あそこが契機だ。ぱっと見はあまりわからない、だけど火が通りすぎていたり生だったり味が濃すぎたり薄すぎたり。どうにもおいしくない品が増えてきた。急に味付けがおかしくなるとか病気の可能性もある、とひやりとしたがメインは変わらずおいしい。今日の唐揚げも、昨日のチーズと大葉を交互に挟んだカツも、一昨日のキノコの肉巻きもちゃんとおいしい。おかしいなとカラ松先生をうかがうも、こいつメインとごはんしか食べていないからまるで気づいていないらしい。子供かよ、野菜も食え、バランス悪いな。
ここまでされたら気づくだろう。つまりこれは、ストだ。
息子の友人に弁当をたまに作る程度はかまわない。けれど毎日はない。わかるでしょう? というお母様からの無言のお手紙なのだ。
「もしかして、あまり口にあいませんでしたか? まずかったなら」
「そんなことは! 全然まったく!!」
この遠回しな伝え方、お母様は息子に気取られたくはないに違いない。確かに「親友と一緒に食べたいんだ! マミーの料理は絶品だからな!」とかキラキラした目で期待されたら嫌だとは言えない。そして実際料理はうまいのだ。うまかった、のだ。ああ、息子の食べない副菜に託すなんて理解しすぎてるでしょうお母様……もっと食べてくれ、じゃないんだよ野菜関係を全部こっちに寄せるんじゃねえよ。
「一松先生、野菜大丈夫なんですね」
おまえが肉ばっか食うからね。あとお母様からの無言の圧力がある気がする。食べないわけにはいかない。
「まあ……はい」
「……うまいですか?」
ぐにゃぐにゃだったりごりごりだったり大変に個性的ですよね。これが食えないこともない、からまた。ぱっと見で失敗だとわかるなら残すこともできるのに。
おずおずと問いかけるカラ松先生はなんだか常より幼く見えた。嫌いな物を人に食わしてる子供なんだから当然か。ええ、ええ、ちゃんとお母様に伝えておいてくださいよ。
「おいしいですよ」
「そうか! よかった!!」
「あの、おいしいんですけどやっぱりご負担かかるでしょうし」
「マミーもすごく喜んでるんですよ。明日も楽しみにしててくださいね!」
拝啓、カラ松先生のお母様。
本日も微妙なできのおかずはすべておれがいただきぴっかぴかの笑顔は守っておきましたから、そろそろ許していただけないでしょうか。具体的には、疲れたから明日から作らないと宣言などしていただくと大変助かります。こちらの断り文句はまったく通じないので、ぜひご家庭でのご対応よろしくおねがいします。
でないとマミーも喜んでるとかとんでもな勘違いかましてます。おたくの息子さん。自作でもないのに勝手に約束してきちゃダメって怒っておいてください。
おれにはもう打つ手がありません。
「そうだ。今度先生のお好きなもの入れますよ。なにが好きですか?」
「は!? いやだからこれ以上はって」
「んん~、じゃあ買いに行きましょう! で、材料をオレが持って帰って次の日の弁当になる。これなら心配いりませんよ」
「いや心配とかじゃなくって」
「アレルギーとかありますもんね、最近は」
それは昔からあったよ、じゃなくて! 流れ。流れがなんかおかしくない? もしかしておれ流されて変な方向に向かってるのでは!?
「そういう話じゃなくて! だから弁当は」
「楽しみにしてくれてるの、うれしいなぁ」
「んぐぅ」
ダメ。なんだこの正の光。輝きすぎでは? 遮光カーテンとか必要なんじゃないか。
もういいかな? おれがんばったよね。がんばった。コミュ障にもかかわらず必死で弁当取りやめの方向に持って行こうとしてたよね。何一つ通じてないけど。でも努力はしたし。あとはカラ松先生のご家族でどうにかする問題だよね。嫌なら嫌、面倒なら面倒ってちゃんと言わないと。みんなエスパーじゃないんだから。うん。
流されてしまえば楽になれるんじゃないか。カラ松先生の差し出す手をとってしまおう。ふわふわとうなずきそうになった瞬間、稲妻のように現実が立ちはだかった。
買いに行きましょう、って言った。
しかもそれをカラ松先生が持って帰る、って。
それはつまり、一緒に買い物に行き荷物を預けるということでは? 弁当に入れてほしい物、ということはスーパーだろうか。二人で。
二人で!?
え、ちょっと待って。二人で行くの!?? いやお母様が一緒にいらっしゃってもめちゃくちゃ緊張するし困るから二人でいいんだけど、でも、二人で??? おれの好きな物を買いに???
「つ……作っていただいてるだけでありがたいのに、リクエストとかさすがに」
「メニューに困るからリクエストしてくれると助かるってよく言われるんで、ちょうどいいですよね」
でもせっかく答えてるのに無理って言われることもあるんですよね、なんででしょうねじゃねえよ。絶対からあげカレーからあげハンバーグみたいな小学生みたいなこと言ってんだよおまえ。
「週に三回もからあげはダメって」
「大当たりかよ」
こんなとこで運を使いたくない。クソクイズはやめてくれ、本気で。当ててしまう己が憎い。
「じゃ、今日の放課後とか! 一松先生今日はあいてましたよね」
あいてるけど! 会議もなにもないけど、でもプライベートでなんかあるかもしれないんだから断言はやめろ!! あと約束が急すぎて心の準備をさせてほしい。
「いやっ、あの」
「あ、もしかして壱くんと約束とかありました?」
「それ! 今日は先約があって。いや~残念だなぁ、ははは」
「先に約束があるなら仕方ないですね……じゃあ明日」
「うぇっ」
「明日もダメなんですね……来週はどこか開いてますか?」
「うぐ」
ぶんぶん尻尾をふっていた犬がしょぼくれていく幻覚が見える。やめてくれ、猫派ではあるけど動物系には基本弱いんだ。しょぼしょぼの犬がおずおずお手とかしてきたら問答無用でほめるだろ。ご褒美の餌待った無しでしょ。いやでも目の前にいるのは成人男性でけして犬ではない。犬ではないしかわいくないし尻尾も振ってない、んだけどしょんぼりしてきてるのは本当で。
コミュ障だけど陰キャだけど、し、親友と出かけるのは……あり……。
「にち、ようび、なら」
「日曜日! じゃあせっかくだし遊んでから買い物に行きましょう!!」
あれ。またおれ墓穴掘ってない?
「せっかくだから壱くんも誘って! よろしくお願いしますね」
待って物理的に無理な提案を走り去りながら言うのやめてっていうか断らせろおいふざけんな言い逃げクソ野郎!!!