僕はメロスになれない - 4/8

指摘されて初めて気づくなんてラブハンターの風上にもおけない。
深く反省しつつも本日のミッションを無事こなしたオレは、ひどく上機嫌だった。
忘れ物を受け取るだけでは「ありがとうございます」「いえ」で終わってしまうのではという不安をきれいに消してしまう、あの会話量! わずか数分でこれまで交わした言葉よりずっと多くの言葉を交わすなんて、心配することなかったんだ。さすがオレ、そして壱くん。もちろんオレの会話力がすさまじく高いのもあるだろうが、きっと壱くんがうまいこと伝えてくれていたんだろう。普通、弟の友人が忘れた物を彼の兄に渡してくれと依頼されても、二言三言で終わるはずだ。それまでほぼ会話しない相手ならなおさら。それがまさかの数分。あんなに盛り上がるなんて予想もしていなかった。

「感謝してもしきれないな」

なんせ好きな人の兄である。仲良くするに越したことはない。
そう。好きな人。
オレは気づいてしまったのだ、この胸に燃えさかる愛の炎。咲き誇る一輪のバラのように気高い感情に!
松野壱くん。
オレはキミに恋している。
本人に「好きみたい」などとからかわれるまで自覚していなかったのはラブハンター失格だが、どうか多めに見てほしい。さすがに中学生相手の好意が恋だとは思わない。
話すのが楽しい、早く会いたい、また会いたい。
最初はたんにぽつんと一人さみしそうにしている子供の保護のつもりだったのに、いつから気持ちは変わったのだろう。また来たの、なんてそっけない口調でそのくせ声に安堵が滲んでいた時だろうか。名前は、とひどく小さなか細い声で問うてきた時だろうか。またねと少し目を細めて鼻にしわを寄せる顔がヘタクソな笑顔だと知った時には、もうとっくに会うことが楽しみになっていた。
中学生相手にどうこうするつもりはさらさらない。そもそも壱くんと会っているのは若返ったオレであり、赤塚中学のカラ松先生は彼の憧れの人物ではあるが別に親しくはない。
だけど、だからこそ。壱くんのお兄さんであるところの一松先生と親しくなりたいのだ。
だって憧れの人と自分の兄の仲が険悪だったら悲しいだろ。兄の性格がクズだとかパチンカスとかで他人から煙たがられるのは当然だというならまだしも、壱くんの目に映る一松先生はそれなりにいい兄らしい。こちらとしても、極端な人見知りなんだろうと思っていたら違ったのはなんだかなあだが別になにをされたというわけでもない。ただオレにのみ冷たいだけで。
かわいがっている子供の兄と関係がいまいちなのはちょっとな。その程度だった一松先生との仲だが、今となっては話が違う。なんせ好きな人の兄なのだ。いい感じに親しくなって、あれこれといかすエピソードを語ってもらい、あわよくば壱くんがオレのことをどう思っているのかを聞きたい。いやもちろんおつきあいとかそういうあれじゃない。未成年との淫行ダメゼッタイ。ただ単に、オレへのプラスの感情をもっていてほしいのだ。
中学生の松野としてカラ松先生の話を聞くのはとても楽しい。壱くんからの好意がまっすぐ伝わり、心がふわふわと暖かくなる。ああ生徒達もこう思ってくれているんだろうな、普段言わないけれどこんな風に見てくれているのかな。この愛しい子供にぜひ報いなければ。そうまっすぐ思わせてくれる壱くんの言葉は、すでにオレには必要不可欠なものだ。
だからこそ、彼の悲しむことはしたくない。もっともっと幸せになってほしい。
そのためにも一松先生との関係修復、いや修復するような亀裂があったわけじゃないので関係改善、も違うな。関係回復? 関係進展? は重要事項なのだ。壱くんには兄と憧れの人がナカヨシということでハッピーに、オレには先生から壱くん情報が流れてラッキー。お互いウィンウィンというやつだ。
いや待て、一松先生のプラスがないな。弟が毎日楽しそう、これだけで了解してくれるだろうか。まあこのオレ松野カラ松と親しくなるというだけでプライスレス、最高の日々を約束されたようなものだから問題ないだろうが。
先ほどの保健室での会話を思い返しても、未来は明るい。カラ松にだけひどく冷たいと思っていたがそんなことはなかった。やはり彼は極端な人見知りで、他の先生方とは自分より少し早く慣れたのだろう。壱くんに協力してもらって会話するきっかけを作れてよかった。忘れ物を届けてくれた礼をする、と次に顔を出す約束までできたのは上出来だ。お礼で終わらずまた話が弾むようななにかを考えないといけない。これは壱くんにもまた協力してもらって、とその前に彼の方にこそ礼を。

「とりあえず見舞いなら桃缶だろうか。オレなら梨の方が元気が出るけど」

しかしなんで桃なんだろうな。年中売ってて皮をむかなくていいから缶詰なのかもしれないが、それならバナナでもよさそうなものだけど。栄養価も高いし。
壱くんはバナナのイメージじゃないな。かといって桃も違う。んんん、フルーツというよりあれか、なんかこう、干しぶどう的な渋さがあるというか。中学生だけどたまに妙に大人びているし、でもかわいいところが。うん。あんまり高くなくてお財布に優しいのもいいところだよな。製菓コーナーとかにあるし。常温保存できるし。
なんか考えれば考えるほど、壱くんイコール干しぶどうになってきたな。
ほら、パンにも入ってるしパウンドケーキもいい、チーズに入っててもおいしいしラムレーズンになったらアイスも。どんと真ん中になるわけじゃないけどいないと寂しい、物足りない。いてくれるとうれしい。……壱くんじゃないか! すごいな、これからオレの好物干しぶどうにしようかな。もう干しぶどうを持って行くしかないような気がしてきた。なんでこれ、って笑ってくれたら理由を説明して、意味わかんないと口をとがらせながら耳を真っ赤にする壱くんを見られるかもしれない。それはすごく、かわいい。

 

◆◆◆

 

「いやまさか本当に来るとは」

あきれ果てたようなため息をついたのは壱くんではなく、一松先生だった。
教頭先生に聞いた単身用のアパートの前、玄関先まで辿り着くことなく捕まったオレは子供らしく首をすくめてみた。このポーズを取るとわりと大目に見てもらいやすいんだけど、どうだろう。さすがに効かないだろうか。

「ええと、弟は今寝ていて。せっかく来てくれて悪いんだけどまた元気になったら遊んでやってくれるかな」

聞き慣れない口調がどうにもくすぐったい。
当然だ。今のオレは壱くんの友人、つまり中学生の姿。同僚に話す時とは声のトーンも口調もまるで違う。
わかっていても尻の座りが悪いのは、一松先生がせいいっぱいがんばっているんだろうと想像できてしまうからだ。考え考え紡がれる言葉、少し震える語尾、なるべく穏やかに聞こえるようにだろう、常よりゆっくり話される言葉は少し低い。ああ、がんばっているなぁ。わかる。オレも新任の頃はきっとこうだった。きっとすごく、好かれたいのだ。弟の友人に好印象を与えたい。そのためだけに、全精神力を使って一生懸命に。

「壱くん、風邪ですか?」
「あー、そんなところかな。ちょっと疲れが出たみたいで」

きゅっと顔をしかめたから少しメガネが動いた。違う。鼻にしわがよったんだ、目もちょっと細めて。もしかして壱くんと同じ、ヘタクソな笑顔なんじゃないだろうか。不機嫌そうに眉をしかめたわけじゃなく。
角度が違うとなんだか妙な感じだ。いつもはほぼ同じ視線の位置なのに、下から見上げるとまるで違う顔をしている。
一松先生、そんな優しい顔できたのか。

「お兄さん、壱くんと似てますね」
「おにっ……っ!?? え、いや、うん、そうかな」
「なんでオレが来るってわかったんですか?」
「え?」
「さっき、本当に来るとはって言ってたでしょ」
「いやだって言ってたから」
「壱くんがですか? 驚かせようと思ってたのになんでばれたかな」
「あああいやあのえっと、きみこそよく家わかったね!? 弟に聞いてたのかな!??」

職員室で聞いて、と答えようとして気づく。ダメだ。同僚だし同じ松野だから、などという謎の納得をして教頭先生は教えてくれたけど、本来住所を教えるのはプライバシー的に問題だ。なぜか一松先生とオレは血縁者だとたまに勘違いされるのでそこらは緩かったが。名字が同じというだけで顔も雰囲気もなにもかも似ていないと思うんだが、兄弟だと思ったとよく言われるのでぱっと見が似ているのかもしれない。

「ええええっとそうです壱くんに聞いてて! 前に!!」

兄貴とすんでる、と聞いてはいたから嘘ではない。嘘では。どこにとかそういう話をしていないだけだ。

「あのじゃあオレ帰ります、壱くんによろしくお伝えください! これお見舞いです!!!」

嘘ではないけれど後ろめたくて、そそくさと退散しようとする。
壱くんの顔が見たかったけれど一松先生がいるならいいだろう。さみしくない。実はちょっとばかり、病気で弱っているところにお見舞いでドキドキ★ラブハプニング的なものを期待してしまったが、元気になってからの方がいいだろう。

「ほ、しぶどう!?」
「はい!? あっ、おいしいやつです! おすすめです!!」

スーパーの袋にも入ってないのはまずかっただろうか。最近はエコのためとレジ袋にもお金がかかるのだ。学校帰りだからエコバックを持っていなかった。シールだけでも袋入りでも味は変わらないんだから気にしてくれるな。

「……っふ、干しぶどうって……」

あ、すごい。
笑った。
しかめつらにしか見えないヘタクソな笑顔じゃなくて、ふわっと力が抜けて口角がゆるむ。きゅうと細められた目はレンズ越しでもとても優しげで、やわやわした声がオレに向かって。

「ありがとう。ちゃんと伝えておくよ、お見舞いに来てくれたこと」

あまりに気持ちが入ったありがとうに、なんだか照れてしまう。壱くんに言われるならまだしも一松先生からだなんて、先生は本当に弟思いなんだな。キュートかつクールでアドリブもきく壱くんはオレにとって最高だが、どうも周囲からは浮いているらしい。あんなにいかしたボーイがなぜ、と思うが人間関係は相性やタイミングもあるから難しい。その壱くんに、オレのようなナイスガイが友人として現れたんだからきっとうれしいんだろう。
壱くんの顔を見られなかったのは残念だが、彼の良さにあらためて気づけたうえ一松先生のいいところまで発見できた。今回のミッションはなかなかの成功だったんじゃないだろうか。
機嫌よく帰路につきながら、オレはいつもの公園のトイレに向かう。わりとおおらかなマミーとダディだが、さすがに我が子が十年も若返って帰ってきては驚いてしまう。薬の効果が切れるまで、ゆっくり次の作戦でも練ろうじゃないか。
作戦ってなんだって? おいおい忘れてしまったのかうっかりさんだなマイヘッド。オレの熱いハートは覚えているだろう? この燃える心が誰を思っているかを。
そう! 壱くんだ。
壱くんに恋していると気づいたその日から、オレは懸命に考えた。いったいどうしたいのか、と。
恋をしたなら願うのは当然その成就だ。ラブハンターたるオレもそこは人の子、壱くんとラブでハッピーな関係になれたらと思うのは当然。だが考えてみてほしい、壱くんの目の前にいるのは松野カラ松の弟、という設定の若返ったオレである。自力で中学生の姿になれます、という特殊な力があるならまだしもきっかけはデカパンの薬。今は治験中だから問題ないが、治験が終わればこの姿にはなれない。ではこの姿で壱くんとおつきあいを始めたりしたら、いつか松野カラ松の弟は消えなくてはならない。
ではどうしたらいいのか。ここで天才的な案を思いつくオレ、マーベラス!
薬がなくなるから小さい姿のままではいられない。ならば薬がなくても変化しない姿でおつきあいを始めればいい。
つまりこの松野カラ松、若返っていない今のままの姿を壱くんが好きになってくれればいいのだ。
幸運にも壱くんはオレに憧れている。記憶にはないがなにやら助けたこともあるそうで、百メートル走でたとえるならスタートの合図の時点で五十メートルくらい走っている状態というわけだ。好意ありあり、プラスの感情しかない。しかも友達の兄。よく知った人間の関係者というだけでなんとなく親しい気がするだろう。壱くんがオレを好きになる可能性はかなり高い。
だがどれほど勝ちの見えている勝負でも全力で行くのがハンターというもの。オレは全力で、壱くんを恋に落としてみせるぜ! 大人の姿でな!!
というわけで作戦会議だ。
憧れられているくらいだ、好意はあるだろう。友人の兄という親しみも。まず顔をあわせ会話から、が恋愛成就のセオリーだが今回は少しまずいかもしれない。なんせオレは教師、壱くんは生徒。禁断の恋に燃え上がってくれればいいが、先生となんてと後込みされては困ってしまう。もちろん手を出す気はない。未成年の間は適切な距離感で清く正しいおつきあいをするつもりだ。なら今じゃなくて壱くんが大きくなってからでもいいだろうって? いやでも約束はほしいじゃないか。かわいいなぁ大きくなれよと思っている間に同じクラスに恋人ができたなんて報告を受けたら倒れてしまう。彼女と約束があるからと公園に来なくなり、一緒に過ごしていてもラインを気にしたりしたらと思うと泣く。だって壱くんが。不器用でぶっきらぼうで愛想のない、だけど穏やかで聞き上手なあの壱くんがそんな。
わかっている。恋人ができたら浮かれるし、つい優先してしまうのもよくある話だ。あの子とオレのどっちが大切なんだ、と聞くような話じゃない。オレだってトト子先生が「カラ松先生とつきあいたくなっちゃったな~。明日デート、いかない?」って誘ってくれたら今回だけって壱くんに断ってデート行く。いや友人をないがしろにするつもりはないけど、でもこれは仕方なくないか? 仕方ないだろ。な、許してくれよ。
オレのことはいいんだ。うん。だからほら、恋人ができたら仕方ないってわかってるんだ。わかってるんだけど、でもさみしい。嫌だ。オレのこと公園で待っててほしいし、うれしいって顔を隠せず松野って呼ぶくせすぐ視線をそらすのかわいいし、興味深げに目を細めて話を聞いてくれるの好きだし、低い穏やかな声で壱くんの意見を伝えてくれるの聞いていたいんだ。
じゃあ優先されるだろう恋人になるしかない。そういうことだ。エッチなことをするかどうかはおいておく。とりあえず彼が成人するまでに考えればいいことだし、それが大人というものだろう。未成年に手を出したりしない余裕あふるる……オレ!
基本的に壱くんは慎重だ。おそらく教師と生徒の火遊びとか年上の彼氏と大胆★危ない体験なんてものに手は出さないだろう。少し話しただけでなにがわかるというのかって? そこは歴戦の勇者であるこの松野カラ松を信じてほしい。まあなんとなくの勘なわけだが。
そういう性格には、教師としてのオレはあまり近づかない方がいい。
燃え上がった恋心を鎮火させるのは大変だが、ぼや程度ならさっさと消せる。壱くんの恋情が盛り上がるまで、教師と生徒、大人と子供という現実は彼の目から遠ざけておいた方がいいだろう。それより、友人の兄という立場を強化するのはどうだ。気の合う友人の仲がいい兄、友人が懐いていてしょっちゅういい話を聞く相手、エピソードを聞けば聞くほど親しみがわいて、いつしか彼のことを考えるとうっとりしてしまうように……おれは恋に恋してるだけ、こんなの勘違いだ! そう必死に己に言い聞かせるのはすでに後戻りできないから。壱自身も本当はわかっていたのです。
というような小説をこの間読んだのだ。これはなかなかいい案なんじゃないだろうか。
壱くんも気づかぬ間に恋心をしこむなんて、まるで必殺仕事人みたいじゃないか。闇夜にうごめく巨大な悪を……いや悪はとくにどうもしないな。本人も知らぬうちに恋心を生まれさせるキューピッド、か……オレに恋させるということはキューピッドに恋を? んん? まあそこは掘り下げなくともいいだろう。
とにかくこれから、このオレの最高ポイントをしっかり伝えていこう。壱くんがときめくようないかすやつをたっぷりと。