僕はメロスになれない - 3/8

「は?」

じわじわ赤く染まる顔はぽかんと口を開いた間抜け面。想像もしていなかったことを突然言われた、ってわかるけど処理落ちしすぎ。もうちょっと早く脳味噌を回転させろよ、間抜け。
気を抜けばすぐさま口から飛び出しそうな言葉をぐいと押しとどめ、おれは後押しするような発言を繰り返す。

「だってさっきから言ってることってさ、おれの兄貴と親しくなりたいって話でしょ」

ついおれと言いそうになっては兄貴と追加するのがもどかしい。
結構適当になってる気がするんだけど、まあこいつはにぶいから絶対気づかないでしょ。気づいてくれてもいいかなって思うんだけどね。でもそうしたらこんなニヤニヤする情報くれるわけない。
真っ赤な頬も耳もやわらかそうで、つるりとした子供子供したフォルムに、今目の前にいるのはカラ松先生ではないという事実をつきつけられる。
こいつは松野。松野カラ松先生の弟。そういう設定、をちゃんとこなせないのがほんとカラ松先生って感じ。

「他の先生と話してるのに自分とは少ない。なんで、って」
「そ、そうだけどそうじゃなくて! オレは、オレだけ違うのがおかしいって話を!!」

あーあ、オレって言っちゃった。いいのかな、おまえ一応まだばらしてないんだけど。興奮してわかってないんだろうなぁ。
松野カラ松先生の弟、を名乗る目の前の少年がカラ松本人であることを、おれは当然知っている。
なぜなら松野一松の弟、壱を名乗るおれもまたデカパン博士の薬で若返った一松だからだ。
普通治験なんてものは、複数人のデータを必要とするものだ。若返る薬なんていかがわしい代物を試すようなバカはそういないだろうが、たった一人なわけがない。そして老人が赤ん坊レベルならまだしも、二十代半ばの人間が十歳ほど若返ったところでたいして変わりようがない。……いやごめん、女はわかんない。トト子先生レベルにかわいいなら生まれたころからかわいいだろうとは思うけど、化粧とかいろいろしてたらちょっと見分けつかないかもしれない。すみませんね、化粧した顔と落とした顔の差を見慣れるような生活してないもんで。
まあ男なら、よっぽど体重の増減があるとかじゃないならわりとわかる。しかも未だ赤い顔をしてうんうんうなっているこの男ときたら、サイズだけ小さくしましたレベルの変わりなさ。弟がいないことを知らない相手なら、名乗られなくても弟だと思いこむレベルだ。おれは家族構成を把握してたからもちろんだまされたりなんてしませんけどね。
ああ、それにしてもとんでもない爆弾を隠してやがった。どうしてくれよう。
単なる同僚への行動でしかないと思ってたんだよ、こっちは。皆で仲良くとか好きなんだろうなぁ、引かれてんの気づかない大ざっぱなんだろうなぁ、いたいよなぁって。必要最低限の返しだけしてたらだんだん大人しくなってきたから、ああやっと伝わったって。それがさ、おれと。おれと仲良くなりたくていろいろがんばってたとか全然ちっともまるで気づかなかったんですけど!??
マジか。本気でこいつおれと親しくなりたかったのか。そんな、職場で義務として話すだけじゃなくて一緒に飲みにとか、語り合ったりとか、そんな……そんなまるで、あの、友達とか……みたいな。
え、おれと? 休みの日は家にこもってたまの外出が路地裏に猫を見に行く、の隠キャ童貞友達ゼロのこのおれと??
指摘されたらこんな真っ赤な顔するくらい真剣に。

「そうだよね、カラ松先生にだけそっけないのはおかしいよね」

兄貴が悪いよ。弟の顔をしてうなずけば設定を思い出したのかカラ松もまたうんうん首を振る。

「おっ、オレは別に兄貴のことだしなんとも思ってないんだけど! でもそういうのはやっぱりよくないって言うか、テンションが下がるって言うか、あ~、そう! 職場の空気もよくないし!!」

トト子先生も教頭も、誰一人気にしてないと思うけど。
でもいい言い訳を思いついたぜとドヤ顔ってるカラ松先生がおもしろいから乗ってやろう。おまえの前だと意識しすぎていつもの感じが出せないだけ、なんて知らなくてもいいことだし。格好悪い。
ねえ、おれも同じだよ。友達の今なら素直になれる。
本当は、おまえと仲良くなりたくて挙動不審だったんだ。

「じゃあさ、おれも言っとくからおまえもさりげなく伝えておいてよ。カラ松先生に」
「なにをだ?」
「……な、仲良くしてもいいってこと」
「えっ、ど、どうやって」
「そこは適当に上手くやれよ」

つーか別に言う必要ないだろ。本人が聞いてるんだから、まさに今。
弟から聞きました、って体で明日から過ごせば……いや待て、ダメだ。そんな「知ってますよオレと仲良くしたいんでしょう」なんて態度とれるわけない。カラ松本人が言ってるんだからだまされてるとは思わないけど、そもそも仲のいい態度ってなんだ。友達ってどうやったらなれるんだ。今日から親友な! わっはっは、でなれるなら苦労はないんだよチクショウふざけんな。

「いやでもな、壱はそう言ってくれるけど一松先生はわからないじゃないか」
「大丈夫だって」
「うーん……でもかなり拒否されてないか? あらためて考えてみると」

バカ、いきなり理性的になるんじゃねえよ。改めなくてもめちゃくちゃ拒否ってたんだよ。
そりゃこれまではうざったいなうっとうしいなと思ってたよ。だってどうせ一過性で、飽きたらおしまいだろからかうんじゃねえよって思ってたんだもん! 期待して泣くのはこっちなんですよね、そういうのは十分なんだよマジで。いやでもさ、まさか本気で親しくなりたいと思ってるなんて想像もしてないんだよこっちは。はいはいお世辞お疲れっす、て流してたんだよなあぁぁぁ過去のおれのバカ! あともうちょっと食い下がれよカラ松先生!!

「いけるって! ええとほら、まず挨拶、挨拶から親しくなるっていうか」
「顔合わせたらしてるけど、一松先生基本保健室にこもってるしなぁ」

あああ引きこもり体質の己が憎い!
でもあれじゃん? カラ松先生も体育教師っぽく朝から門に立って挨拶とかベタなことやってくれりゃおれだって挨拶しやすいのに、わりと遅刻ぎりぎりで来たりしてるよな?? なんで知ってるって違うんですグラウンドから校門まで保健室の窓から見えるわけでけしてストーカーというわけでは。ない。ないと思うんですけどどうですか。登下校の時間と担当授業の時間割と昼はホカ弁派ってこと知ってる程度は普通ですよね友情はぐくむのやめたくなったりしませんよねねえそうだって言ってくださいよ誰か!!!
……ねえ、自覚なかったけど過去のおれ、先生のこと意識しすぎでは……?
いやあれだ。関わりあいたくなかったから逃げるために調べてたんだ。敵を知ることが勝利への第一歩ってやつ。

「た、立ち話とか……廊下……歩いてないな」
「うん。一松先生が移動するのって急患とかだしさすがにちょっと」
「だよね」
「あとはイベント関係だが……顔ださないだろ、クラス対抗の合唱コンクールとか地区交流系」
「春の体育祭はいた、けどカラ松先生が」
「忙しすぎてゆっくり話すなんてのできないし」

絶望的では?
待って、ぜっかくできそうな友達との交流がいきなりの無理とかないでしょ。考えろ、考えるんだ松野一松。なにも全校生徒の前で何かしろってんじゃないんだ、カラ松先生個人と交流を持ちたいだけなんだ。
とりあえず挨拶とか。定期的に顔を合わせるとか。接点を増やしてじわじわ親しくなりたいわけで。……それ同僚なら普通だな? 同じ職場なら余裕だよな、一般的に考えて。な、泣いてなんかいないんだから!

「保健室に行ったらいつでも会えるんだけどなぁ」
「それ!」
「い、いやでも行く理由がないんだって」
「うぐぅ」

空き時間に楽しく会話、のために保健室に来てくれるのなんてようこそウエルカムなんだよな。ととと友達が気軽に遊びに来てくれるとか最高かよどんだけリア充なんだカモン未来でしかないわけで。コーヒーとか茶菓子とかめっちゃ用意して待つし。なんなら専用のカップとか置いてみて、保健室に来る生徒達にはあれはカラ松先生のだよほんと二人仲いいよねとか言われるのどんと来いだし。あ、もちろん紅茶派でも日本茶派でも問題ないわけですよおれはそここだわりないんで。
でもそのために、まず親しくならないといけない。
親しくなるためには会話、で会話のために顔を合わせる、ために保健室に来てもらうのは親しくないから無理。
ぐぐぐ、なんだよこの無理ゲー。くそが。どこにも突破口がないじゃねえか。できるかもしれない友達がかき消えていく幻が見える。待って。ちょっと待って消えないで一緒に考えてよ、ねえ。
ダメなのか。やっぱりおれなんかに友達なんて最高の存在は現れてくれないのか。この出口のない迷路から助け出してくれる存在なんて。

「あ! いいこと思いついた!!」

ぎゅっと手のひらに押しつけられた固い感触。

「オレがした忘れ物を壱くんが預かって、一松先生に届けてくれって渡したら理由ができる! 保健室に取りに行くな!」
「え、あ、うん。いや、でもそれ兄貴に渡してもらわなくても会った時に渡せば」
「すごい大事なものだから明日にはいるんだ! なくさないでくれよな」
「だ、大事!? 待ってそんなのおれには荷が重い……っ」
「じゃあ今日はこれで帰るな。明日保健室に取りに行くから」
「ちょ、ま、っからま、んぐ松野っ」
「じゃあな!」

追おうとしたが、ぴりぴりとした手足のしびれに薬の効果がそろそろ切れる頃だと自覚する。走り去るカラ松先生も、そろそろだと急いだのかもしれない。体が元に戻る前にトイレに避難しなくてはいけない。いきなり服が破れた成人男性が公園に現れるなんて百パーセント事案だ。

「つーか一体なに渡してきたんだ」

ぴりぴりしびれるまだ小さい手のひらには、ぴかりと光る銀色の。

「……鍵?」

この形状は自転車ではない。学校の個人ロッカーのものでも、車のものでもなさそうだ。というかこれはもしや。え、いやいやいやないでしょ。それはおかしい。どう考えても違う。いやだって渡すわけないでしょこんな、だってこれ。

「……い、いえ……のかぎ……」

個人情報の塊かつ悪用しまくれるもの渡してくるなんて、それはなんというか、よっぽどの脳味噌お花畑か相当信頼してる、とか。
少なくともおれなら家族以外には絶対渡さないし落とした日には即鍵交換しかないわけで、つまりこれがもし本当に家の鍵だというならカラ松先生はおれのことを家族と同じくらいに信頼しているということで。
え、家族? 血のつながりがないのに家族ってそれもうSHINYUUしかないんじゃない? おれとおまえは血のちぎりを交わした義兄弟ってやつなんじゃないの。
落ち着け松野一松。いくらあっちから親しくなりたいオーラ出されても、つーか本人がそう言ってても、さすがにいきなり家の鍵は渡さない。よな? それはさすがに人の善性を信じすぎというかぽやぽやすぎる。警戒心が仕事をしていない。カラ松先生はそりゃ脳みそふわふわパンケーキでお花畑に住むもちの擬人化みたいな男だけど、でも立派な成人男性だ。大学まで出て教員免許だって取った、ちゃんとした大人ってやつ。ろくに働かないで日がな一日ごろごろして親のすねかじりまくってるニートじゃないんだから、世間の常識ってやつは当然知ってるはず。
だからめちゃくちゃそれっぽいけど絶対違う。家の鍵なんかじゃないない。よしんば家の鍵だとしたらあれだ、昔のやつだ。そうそう、付け替えて今はもう使えないやつに決まってる。ありえない。

 

◆◆◆

 

小さすぎる服に締め付けられながら必死に言い聞かせた説は、翌朝本人から見事に裏切られることになる。
今使ってるやつだぞ、などとケロリとした顔で言われておれはどうしたらいいんだ。おまえ、おまえ、そんな。

「お、おれが悪用したり、とか」
「? 一松先生がそんなことするわけないじゃないか」

讃美歌が聞こえた。
あれ、パイプオルガン? なんか木製ででかいふぁーって音のする楽器と声変わり前の子供の歌声。ここって教会でしたかね? 違いますよねただの公立中学の保健室ですよね、うん知ってた。
なのに後光が射している。カラ松先生の背後から、ぶわっと光が放射状に伸びている。
なに、なんなの。おまえどういうことだ。昨日までこんなんじゃなかっただろ。ちょっとおれと名前が似てるだけのうざい同僚だったじゃねえか。デカパン博士の治験してるんだなって少しくらいは仲間意識もったし公園で子供ぶって話すのは悪くなかったけど、でも普段のおまえはすぐクソ顔してわあわあ騒いでるただの同僚でしかなくて。絶対確実に背中に後光背負うタイプじゃない。はず。

「しないだろ?」

あふれんばかりの信頼オーラで、おれのなけなしのプライドだのいきがりだのがぐずぐずに溶けていく。ぴかぴか光る目も、案外低いいい声も、ゆっくり保健室のドアを閉める腕も。全部が全部、おまえを信じているという主張で溺れてしまう。
わかった。
おまえがそこまで覚悟を決めているならおれもやる。
絶対におまえにふさわしい、生涯隣にいられるような親友になってやる。友達の中のトップ、いついかなる時でもおまえの味方である親友という存在に。
結婚式にはスピーチするし、子供が産まれたらめちゃくちゃかわいがるし、なんなら子供の運動会とか見に行ってもいい。得意じゃないけど、つーか苦手きわまりないけど家族ぐるみのおつきあいってやつするからキャンプとかバーベキューとか一緒にやろう。肉焼いてるおまえの隣で薫製つくる。テントは一緒にたててくれ。年頃になった子供にどう接したらなんての悩みも聞くし、奥さんが一緒に行ってくれないならおれが一緒に旅行もしてやろう。葬式はどっちが早いかわからないけど、つーかおまえのが長生きしそうだけど、でももしおれのが後なら弔辞も読むよ。通夜の間中おまえのバカでどうしようもなくトンマな優しいエピソードを語ってやるから。まかせてくれ。
決意をこめてうなづけば、カラ松先生もきりりとした顔つきでうなづき返してくれた。これは早速の親友エピソード、以心伝心というやつではなかろうか。いきなりなんて心の準備ができてない、いやカラ松先生は以前からこうなりたいと思ってくれていたんだ。ここはおれが腹をくくるところだ。

「それに壱くんはすごくしっかりしてるだろ。落としたりなくしたりはしないと思って」
「……まあ、先生がいいならいいですけど」

し、信頼がすごい~!
ここまで開けっぴろげに信じてますって言動一致させるの大丈夫なのかこの人。だってこれ家の鍵でしょ。一人暮らしじゃないから家には入れる、って論点はそこじゃないわけで。家の、自分の気を抜ける安心なテリトリーの鍵、なんですよ。そこにいつでも入れる鍵を他人に渡すという話で。ねえ、ほんと大丈夫? これまではなんとかなってもこれからだまされたりするんじゃ……人もいいし、単純だし、脳天気だし。家族が病気で手術費用が足りないとか言ったら財布開きかねないぞこれ。

「あの、いきなりですけど家族が病気とか言われてもお金ださない方がいいですよ」
「本当にいきなりだな。って、壱くん病気なのか!?」
「え」
「そういえば昨日、おかしかったもんな。いきなり大汗かいたり顔赤くしたり……そうか、体調が悪かったのか。なのにつきあわせて申し訳なかったな」
「ち、ちが」
「そうだ! 一松先生、お見舞いに行っていいだろうか?」
「ふぇ」
「いくらしっかりしてても病気の時は心細いだろう? 先生の帰りは遅いし、それまで」
「いや、待って」
「安心してくれ! 今日は部活もないから」
「ちが、あの、せせせ先生とか緊張するから! いきなりとか!!」

あまりのスピード展開に口が追いつかない。
いきなりのおうち訪問とか何事。そういうのはもっとこう、外で何回か遊んでもう少し気心しれてから鍋パとかたこパとかで家に行くってことに慣れて、貸すマンガ忘れたから取りに来いよを経由しての今日おまえのとこで飲もうぜ、じゃないの。約束もなしに来ちゃった★できるのは憎からず思ってるかわいこちゃんだけなんだよぉ。いやカラ松先生のこと憎くは思ってないですけど! ですけど!! そこは置いといて今日は時間なかったから布団あげないで来ちゃったし、洗濯物もといれたまんまほってあるんだよ。
いや病気でふせってるなら少しくらい部屋が荒れてる方がいいのか……?
って待て。病気って誰だ。ふせってる、のはどいつだ。
壱とはつまりデカパン印の若返り薬を飲んだおれで、保健室におれがいるってことは部屋は無人で、カラ松先生がお見舞いに来てくれたとしていったい誰がそこで出迎えるって言うんだ。
誰もいないですよ、壱はおれなんで。
さらりと告げようと口を開いたけれど声はでなかった。
もしそう聞いたカラ松先生が、怒ったら?
いや、怒られる筋合いなんてない。だってだまそうとしたわけじゃないんだ。子供姿でいたおれを勝手にカラ松先生が勘違いしただけで、こっちは積極的に嘘をついたことなんて一度もない。いや、まあ確かに名乗らなかったかつ偽名を使ったのは責められてもしかたないかもしれないけど。
でもわかるでしょ普通。今のおれとたいして変わってない見た目でちょっと背が低いくらい、メガネはしてないけど全身からかもしだされる陰鬱オーラはコミュ障のおれしかいないって。そもそも自分だって若返る薬飲んでてさ、じゃあもしかしてってなるじゃん似てる人いたら。おれはなったしわかったよ。カラ松先生っぽいな、からのちょっと話したらすぐピンときましたけどね。
つまりだからそう、全然おれは悪くないし病気の弟なんていないしなーんだそうだったんですかあっはっは、になるから。
ほら、言え。動けよ口。のど、干上がってる場合じゃねーぞ。

「一松先生? ひどい顔ですよ、気分悪いとか?」

でももし笑い話にならなかったら。
嘘をついて人をだますなんてそんなひどい人間だと思わなかった、おまえなんかと友達になりたいなんて間違っていた。そう、カラ松先生が思ったら。
頭を鈍器で殴られたような衝撃。
そうだ、だってカラ松先生バカで抜けてるけどわりと優しくて正直者だ。そんな人が親友だと思う人間が、うそをつくわけがない。聞かれなかったから言ってないだけだもーん嘘はついてないもーん、とか言い訳にもほどがある。

「……あの、全然おれ達には無関係っていうかほんとただのたとえ話っていうか単なるアンケートっていうかつまりそう気にしないで答えたらすぐさま忘れてほしいんですけど……う、嘘をつく人間ってどうですかね……」
「嘘? まあ、あまりつかない方がいいですよね」

や、やっぱりかー!
なんだよ清廉潔白嘘偽りなしで生きてきたのかよ。……生きてきてそうだな。家族でもない相手にいきなり家の鍵渡しちゃう男はさすがものが違うな……ま、し、親友のおれが。親友の! このおれが!! きちんと預かり渡してやったから問題はなかったんだけどね。いや~信頼されるってつらいね、いきなりはやめろっていつも言ってるんですけど。

「っぐ、そ、そうですよね。いやもちろんそうですよ、当然ですよね! 嘘つくとかほんと最低最悪、正直者で名が通ってるおれにはまったく嘘つくやつの気持ちがわかりませんよ!!」
「いやそこまでは……あの、なにか事情があるかもしれませんし」
「ないですね! 事情とか甘えでしょ実際。解決しようと思えばどうにでもできるんですよこういうの。どうせちょっと気まずかったとかそんなつもりじゃなかったとか」

自分の口から出る言葉にぐさぐさ刺される。
実際そうだから仕方ないんだけど、でもそんな言わなくてもいいんじゃないですかねおれ!? でもカラ松先生が信頼して親友になりたいなんて思う人間はやっぱりお天道様に顔向けできないようなことはしないんじゃないですか。そうですね。そうですよ。少なくとも弟のふりして本人の話を聞くとかダメでしょう。
……だってすごい、なんか、一松先生一松先生っておれの話ばっかりで。いつも。
ただの世間話のつもりだったのにあまりにおれのことだから耳を閉じることができなくて、つい真剣に聞いてたら聞き上手なんて言われてもっともっと。生徒の前でする本人はいけてると言うクソみたいな顔じゃなく、トト子先生の前でするかっこつけたバカみたいな顔じゃなく、なんかもっと。口がふにゃふにゃとゆるんで奥歯にしこんだチョコレートが溶けだした、みたいなそんな。見たことない表情でおれなんかの話をするから。だから。
また見たくて。聞きたくて。
壱、が誕生してしまったんだ。
だってカラ松先生はあんな顔しない。先生、の顔をあんなでもしているんだと比べてわかった。松野と名乗ったカラ松先生は常よりずっと幼く、声は高く、見たことない表情ばかりするくせに知ってる人の話題ばかり。
おれ、の話ばかり。
たんにパーソナルスペースの狭いうざい同僚、のくせに。だったくせに。親しくなりたいと思っていたなんて。おれのこと親友レベルに信頼してくれてたなんてそんなの、絶対裏切れないに決まってる。
なんだ一松先生が壱だったんですね、そう笑ってくれるならいい。
だけど怒られたり……軽蔑、されたら。
そんなことする人だと思いませんでした、一松先生にはがっかりです。あのあけっぴろげな信頼がするすると抜け落ちていったら。
怖い。
こんな恐怖これまでなかった。手に入るなんて想像もしていなかったから平気だった。だけど手の届くところにある親友のいる生活が、信頼が、友が。消えてしまうことを思うだけで足の力が抜ける。
ばらすわけにはいかない。
絶対に。
松野一松には年の離れた弟、壱がいる。よし。

「……よくわからないが、もしかして壱くんが嘘をついたならあまり厳しくしてやらないでほしい。あの年頃は家族より友達を優先したりするものだし、その~……鍵も、オレ、の弟が落としたわけだし……すまない」
「えっ、いやそれは別に……落とし物は仕方ないですし……」

そういやそういう設定だった。
落とした鍵を拾った壱が兄経由でカラ松先生に渡す、それをきっかけに親しく話せるよう、ってやっぱり無理がないだろうか。普通落とし物を返したらそれで終了だよね。そこから親しくなるにはもう一押しなにか必要では? 挨拶か? おれが保健室から出ていけばいいのか? でもカラ松先生が絶対にいる確信もないのに下手にうろついて生徒と交流なんて始まったらどうしていいかわからないんだけど。

「そうか! よかった、やっぱり一松先生は優しいんだな!!」

まぶしい。なんだ、電球か? 何ワットだ、どういう理屈でカラ松先生から光がさしてるんだ。確かにさっきから後光は射してるけど、今回は顔というかなんというか全身? 光というより存在がまぶしい。そりゃ前から妙に目に付くうっとうしい存在だと思ってはいたけど、こんなに視界にうるさく飛び込んではこなかったんだけど。
首を傾げるおれに「今度礼をさせてくれ」と言いおき保健室を出ていったカラ松先生のあわただしい足音が聞こえる。ああそうだ、確か今日は一時間目から体育がある日だっけ。ならもっと早く準備すりゃいいのに、こんなところに寄ってないで。
というか、いやまあうれしいんですけど。おれなんかと仲良くなるために小芝居うってまでって。つーか礼とかいいのに。今度っていつかわからないからもっとはっきり言ってほしいんだよね、でないと心臓が保たないって言うか。今日の放課後とか明日とか。
……今日、の放課後。
あれ? 結局見舞いがどうこうっていうのは諦めたってことで……いい、んだよね?
大丈夫、だって家どこかとか知らないし。ってわかるな、教頭にでも聞いたら一発で住所教えてくれるやつだな。いやでも他人の住所をおいそれと教えるとかプライバシーの問題が……教えそうだな……カラ松先生がそんなあくどいこと考えるわけないでしょ、とか言いながらぺろっと教えそうナンバーワンだな教頭。
いやでもさすがにない。いきなり教師が家にきたら驚くくらいの想像はできるよな。昨今そういうのは流行らないって理解できてるよね。昔の教師ドラマみたいなことやったら完全アウトだから、わかってるよねカラ松先生!??