ご機嫌ですね、と微笑まれカラ松は吹いていた口笛をぴたりと止めた。
「ふっ、アルテミスに声をかけられ浮かれない男はいませんよ……ああ今日はすばらしい日だ、最高の一日が始まろうとしている! そうは思いませんかトト子先生」
「もう放課後ですよ」
自分がアルテミスであることは否定しないトト子先生の、そういうところをカラ松は特にすばらしいと思っている。
もちろんかわいくキュートですべてが最高なのは当然の事実として、だ。赤塚中学の女神(先生部門)は本日も最高に輝いている。
「カラ松先生が浮かれてるのはいつもですけど、最近は特にひどいでしょう。なにかいいことがあったんじゃないかって職員室で」
「もっぱらの噂に! ああカラ松ガールズティーチャーズ部門の心をかき乱してしまい申し訳ない……安心してください!! この松野カラ松、皆さんの心の恋人である身として天に顔を向けられないようなことはけして! していないことを!!」
「そんな変な顔して誓わなくても大丈夫ですよ、心の恋人じゃないから。それよりもね、トト子これから」
「なるほど、あまりにいかした顔には打ち明けにくいこともある……勉強になります。美しすぎる故の弊害、というやつか……」
「そうね、かわいすぎるとあんまり相談とかはされにくいわよね~。参考になったならよかった、カラ松先生にはまったく関係ないだろうけど」
生徒からは親しまれている方だと思うのに相談などはまるでされない理由がやっとわかった。確かにトト子先生も、生徒からの相談を受けている様子など見たことがない。かわい~にありがと~と返しているのは毎日見るが、あれはまあ挨拶のようなものなので。
「親しみやすさを全面に出してアピールしてみます! じゃ、トト子先生また明日!!」
「はーい、また~。……あっ」
悩みが解決しすっきりしたオレは、紳士にあるまじき行動をとってしまう。
なぜトト子先生が自分を呼びとめたのか、いつもこういう時はどうしていたのか、がさっぱり頭から飛んでいたのだ。まったく浮かれていたといえ反省せねばならない。
「運んでもらおうと思ってたのに~」
両手に抱えられた資料。常ならば頼む前に運びますよと受け取られる紙の束を持ったトト子先生が、通りかかった教頭と交わした会話はだからオレの耳に入らなかった。
「どうしました、トト子先生」
「運んでもらおうと思ってたのに、カラ松先生行っちゃいました」
「珍しい。いつもならトト子先生が重いもの持ってたらすぐ代わるのに」
「最近ずっとですよ。放課後になったら一目散に帰っちゃうの」
「これはもしや、は、ハレンチな……」
「それはないですよ教頭先生。そういうのは相手がいるんですから」
「はっ、そうですな。カラ松先生も悪い人じゃないんですけど」
「恋人にはちょっと、ですよね~」
◆◆◆
公園のトイレに駆け足で飛び込み個室にこもる。
脳内には先ほどのトト子先生とのやりとり。親しみやすい方が相談しやすい。確かにその通りだ。かわいくキュートなトト子先生の前ならいいところを見せたいし、情けない顔をして相談なんてできっこない。カラ松に対してもそうだろう。よき兄貴分として振る舞っているのに生徒からあまり相談されないのは、きっと親しみやすさが足りなかった。
その点これなら。
デカパン博士から治験の名の下託された薬をごくりと一口。すでに数回試しているのでカラ松に怯えはない。ちょっと市販されていない発明薬を飲んでお金が手に入るなんて最高のバイトだ。いや、待ってほしい。確かにオレは教師で副業は禁止されているが、これはあくまで知人への協力だ。親切。その際ちょっとばかり必要経費をいただいているだけで、けして副業だのバイトだのいうものではない。さっきのはわかりやすい言い方というやつだ。うん。
ぐらりと視界が揺れ、まばたきする間に視点が低くなる。何度経験しても不思議だが、デカパン博士の発明品はそういうものなのだ。男が美女に変わる薬や体が透明になる薬なんて並べられたら、若返る薬もありだと納得するしかない。
小さくなった体にあう服に着替えるのも手慣れたものだ。変化時間や体調に変化はないかを確認したいと言われたが、繰り返し使用してもなんの問題もない。一回分で約二時間、気候や体調によって多少の変動はあり。痛みも不調も特になし。
若くなるなんて人類の夢だ。まだ十歳くらいダス、と言っていたがそれでもすごい。なんせ成人男性が中学生の姿になるのだ。こういうのを求めるのはもっと年寄りダスから、と言われたが千里の道も一歩から。この薬がうまくいけば次はもっと若返るものができるだろう。カラ松とて最初は若い姿でなにをしようと盛り上がった。実際動いてみれば、未成年だからと禁じられるものが多すぎ正直元の姿の方が楽しかったのだが。
それでもまだ薬が残っているからと博士に返さず、子供の姿になるのは。
「壱くん!」
「遅い! っ、いや別に松野を待ってたわけじゃないけど」
こちらを見たとたんぱっと明るくなる表情に、弾む声。その後どれだけ悪態をついても隠せるわけがない。
全身でカラ松を待っていたと語る姿に、ゆるむ頬が押さえきれない。
「なんだよにやにやして……違うって言ってるだろ」
「うんうん、わかってるって」
「ちっ……いいよもう」
ああ、なんてかわいい!
生徒は皆かわいいが、自分を慕ってくれているなんてプラスオプションをつけられてはかわいがらずにいられないではないか。基本的にオレはストレートに示される愛情に弱いのだ。早くカラ松に会いたいからこその悪態など、天使の歌声もかくやだ。
「ごめんな、ちょっと先生と話してたんだ」
「えっ、先生!?」
トト子先生と、と続けようとしていたカラ松に気づいたのか己の勢いを恥じたのか、ベンチから立ち上がった子供はすぐさま腰を下ろした。
先生、の声がひっくり返っていた。いつもならオレが話し終わるまで聞いてくれることが多い壱くんが、遮る勢いで声に出した。そして態度。ベンチから立ち上がるほどの興奮を彼に与える存在といえば。
松野カラ松先生、ただ一人だ。
「いや、オレ……ええと兄とは、その……家で話せるし」
「そうだよね、うん、あの……違う、ってなにが違うって話だけどその別にいつもいつもカラ松先生のことばっか考えてるわけじゃないし、別におまえから先生の情報もらおうとか思ってないし、いやくれるのはそれはそれでいいんだけどだからつまり」
長い。わかりにくい。もう少し要点を明確に、口をしっかり動かしてはきはき発言しましょう。
これで内容が自分のことでないなら耳を通り抜けてしまうところだが、どれほど好きかを告白されているようなものなのでオレの脳はフル回転だ。隣で暗雲を背負っている子供は気づいていないが、正直大変に機嫌がいい。
カラ松先生の情報がほしいならいくらでも教えてやりたい。なんせ内緒だが本人なので。
そう。実はカラ松は、カラ松先生なのだ。
わかりにくいって? ん~、オーケーよく聞いてくれ。
現在のカラ松はデカパン博士の薬によって若返った姿だ。中学一年生、といったところか。そして未だぶつぶつと反省会をしている少年、壱はこのカラ松と同年代。驚くなかれ、オレの同僚たる保健室の主、松野一松先生の弟なのだ。赤塚中学体育教師、クールでダンディな大人の男松野カラ松先生に憧れる彼は、若返ったカラ松を己同様に先生の弟だと認識している。アンダスタン?
ノンノン、だましたなんて人聞きが悪い。カラ松とて最初からこうなるつもりではなかった。
子供になっても特に楽しいことはないな、というかパチンコも競馬も入れないし下手に繁華街をうろついては補導されてしまう。体に害がないことがわかればいいのだから家で寝ていようか、と治験を引き受けたことを後悔しつつ公園を通りがかった時のことだ。ぽつんとベンチに座っている人影に気づいたのは。
小柄な姿は生徒と同じくらいに見えた。未成年が一人外にいていい時間ではない。声をかけにいこうとして己の姿が常と違うことを思いだし、まごついている間にベンチの人影は消えていた。
次に見かけたのも夜。その日は大人の姿だったカラ松は怯えさせないよう明るく声をかけたのだが、すぐさま逃げられてしまった。こちらを認識したとたんまんまるに見開かれた目に、やはり怖がらせてしまったと反省したものだ。
その後も数回、昼夜を問わず一人ぽつんとベンチに座っているところを見かけた。見知らぬ顔だから赤塚中学の生徒ではないのだろうか。小学生かもしれない。それならなおのこと、夜に一人で外出しているのは危ない。明るい街中では補導されると公園にいるのかもしれないが、人通りが少なく見通しもよくない公園ではなにがあるかわからない。不審者はどこにでもいるのだ。家庭の事情もあるだろうが、せめて夜は家にいるようにできないだろうか。
考え込んでも、予想ばかりでどうしようもない。カラ松にできることは、教師として夜に見かけたら補導するくらいしかない。
そう思っていた時期もありました。ほんの一瞬だが。
なにせ生まれながらのアイデアマン、すばらしい閃きには定評のあるこのオレだ。その辺の有象無象と一緒にされては困る。
いかにも教師な大人に声をかけられて警戒するのなら、まったくそう見えなければいいのだ。補導などまるでしないような。そう、同年代の子供なら。
子供同士なら、一緒に公園で話していてもまったくおかしくない。不審者などではない。
あまり遅くまで居そうなら帰ろうと声かけし、なんなら家まで送り届ければいい。うまくいけば夜に公園にいる理由も聞けるかもしれない。いくら外見がキュートな少年でも中身がダンディな大人の男ならおかしいだろうって? 安心してほしい。学生時代演劇部としてならしたカラ松の実力は折り紙つきだ。木の役を演じた際など、背後に森が見えたといわしめたものだ。普段身近に接している中学生を演じるなど、朝飯前である。
計画は恐ろしいほどうまくいった。
一人公園で過ごしていた少年、壱はカラ松を疑うことなく信じこんだ。オレが言うのもなんだが、もう少し人を疑った方がいい。いきなり話しかけてくる相手が同年代だからといって、初日に家庭環境から憧れの人物まですべて明らかにしてしまうのはまずいのではないだろうか。一般的に考えて。
まあカラ松が悪用しなければいい話だ。
壱が他人をすぐ信じる素直な少年であってくれたから、カラ松は彼が兄と二人暮らしであることも、引っ越してきてすぐのため友達がまだいないことも、その兄が同僚の松野一松であることもしれたのだから。
ちなみに彼がカラ松に憧れていることは、会話の流れから把握した。
気のせいでも希望的観測でもない。松野くんは(初日はくんをつけて呼ばれていたのだ、懐かしい)もしかして先生の弟とか? あの、体育の……。と真っ赤な顔でうつむきつつ声を絞り出す少年を見れば、どんなに鈍い人間でも気づくだろう。
越してきてすぐ、カラ松に助けてもらいものすごくうれしかったらしい。礼も言えず心苦しく思っていた、そうなので伝えておこうと胸をたたいておいた。
まったく記憶にないがさすがオレ。転校生を助け礼を気にせず颯爽と去る、まるでヒーローじゃないか! とくに誰かを助けた記憶はないが、存在が赤塚中学のスーパーマンなのでなにかしたのだろう。過去のオレ、グッジョブ。
夜に公園に居たのも、兄を待っていたらしい。
この辺りはコンビニもないし、学校を出たらトイレがあるのはこの公園くらいしかない。確かに松野先生は腹が緩かった気がする。しょっちゅう教頭先生が「そこで尻をだすなんてハハハハレンチ案件では!?」と叫んでいるのでカラ松だけでなく学校中の共通認識だ。
なるほど謎はすべて解けた。
友達はそのうちできるだろうし家に居づらいわけでもなさそうなら、カラ松がすべきことはもうない。
よかったよかったと去ろうとしたのだ。彼の憧れるヒーローのように、なにも告げず颯爽と。それで彼との関わりは終わる、そのはずだったのに。
「明日も来る? は卑怯だよなぁ」
「なに? 明日も来るけど。暇人でどうもすみませんねぇ」
「なんだよ、拗ねるなって壱くん」
うつむく顔をのぞき込めば座った目でねめつけられる。
ぼそぼそと悪態ばかりつく口も恨みがましくにらみつける目も、ただの照れ隠しと思えば愛らしい限り。恥ずかしがらなくてもいいのに、と思うがこの年齢はこういうものだ。もっとストレートに表現しろと告げても難しいだろう。
彼の兄など、いい年齢をしてまだひねくれているのだから年頃の問題ではないのかもしれない。
カラ松が右と言えば左、黒と言えば白、一人が性にあっているからと協力しようと誘っても個人プレイでどうにかしてしまう。一松先生はああいう性格だから、と許容されているし皆がいいならと受け入れてはいるが、あれはあれでどうなんだろう。保健医だからって教師の一員なんだから勝手はどうなんだ。なんだかんだとかみつかれてやりにくいことこのうえない。
「……松野?」
ほんの少しの弱気が見える呼びかけ。こんなことくらいで怒るわけがないのに、言い過ぎたかと不安気なまなざしに胸がきゅうと痛む。
健気!!
友達同士なら軽い言い合いなど当たり前、この程度軽いジャブくらいなものだろうに。本人は口を濁していたが、やはりこの子は人間関係が得意ではないのだろう。
それなのにこんな多感な時期に転校までして、家ではあの一松先生。明るい会話が飛び交っているとは思えない。
「あの、別に松野を待ってないってのは会いたくなかったってことじゃなくて、ここに居たら会えるだろうからっていうか顔見れたらそれで、って違う別に見ただけで元気になれるとかそういうことじゃなくて、いやでも嫌とかじゃなくつまり」
「ふっ、言いたいことはわかるぜ壱くん。つまりそう、オレが好きってことだろ」
「はぁっ!??」
かわいい。
「っ、だからちがっ、いやちがわな、そうじゃなくて好きとか嫌いとかじゃなくてつまりその」
かわいくてかわいくてどうしてくれよう。
ぐにゃぐにゃと持ち上がる口角を必死で押さえつけるも、壱くんのあまりのかわいらしさにオレの顔は雪崩寸前だ。
弟っていいなあ。かわいさで殴ってくるのは勘弁してほしいけれど、この愛らしさにはどんなものも敵わないんじゃないか。今すぐ抱きしめ頭を撫でまわしたくてたまらない。正直怒ってさえいないのに、たたきつけるように好意をたれ流されておぼれてしまいそうだ。
壱くんと放課後会うようになってから、毎回オレの好意箱はいっぱいいっぱいだ。じゃんじゃん降り注ぐ好意は雨どころか嵐レベルだ。
「……待ってくれ、もうおまえがかわいいってことしかわからない」
「は!? おまえ目悪かったっけ?」
「安心してくれ、メガネの世話になる予定はないぞ」
「なにメガネディスってんだよ、かけたら即理知的になれる魔法のアイテムだぞ」
そういえば一松先生はかけていたな、と思いだし心がほかほかする。
お兄さんが悪く言われてると思って反論とかかわいすぎる弟……一人っ子のせいか昔から兄弟への憧れがあるオレにはまったく目に毒だ。ああ、こんな風にしたってくれる弟がいたらいいのに。
「一松先生はいいなあ」
「なにがだよ!?」
「壱くんがいて」
実感がこもりすぎていたのか、壱くんの頬がじわじわと赤く染まる。照れ屋でちょっと口は悪いけれど思いやり深くお兄ちゃん大好きな弟……は~、ほしい。
「壱くんほしいなぁ」
「ふぇへぅぁ!??」
「あ、別に腹が減ったから食べたいとかそういうんじゃないぞ」
「……誰もそんなこと思ってねーよ」
こんなに慕っているということは、一松先生もいい兄をしているってことだろうか。
学校でのあの人からは想像つかないけれど、そうなんだろう。まあ家族と他人に見せる顔が違う人はいくらでもいるもんだし。心を許した相手には優しいとかそういうの、珍しくないし。
しくりと腹の底が痛んだ気がしてオレは首をかしげる。なにか悪くなったものでも食べただろうか。ホカ弁におにぎりを追加で食べたのが多すぎたのかもしれない。いけると思ったんだけどなぁ。
「あー……なんか、あった?」
言いたくないなら言わなくていいけど。つっけんどんに付け加えられる言葉が思いやりに満ちていて、本当にいい子だなぁとしみじみする。この子の兄なんだから、一松先生だって悪い人じゃないはずだ。きっと。たぶん。おそらくは。
「いや、大丈夫。壱くんが心配するようなことは全然なにも!」
というかしまった。相談されるように心開いてもらおうと思っていたのだった。せっかくトト子先生とのスイートトークでナイスなヒントをもらったというのにふがいない。
「それより壱くんこそオレに言いたいこととかあるんじゃないか!? 同世代の友達にだけ言えること、とかあるだろ? な!」
「おっ、おれはそういうのほんとないから。つーか後ろめたいとかないし、ない、うん」
おかしいな。これ以上親しまないといけないのか。難しい。なるほど、生徒達から相談を受ける先生方はすごいな。オレも見習っていこう。
「あ~、そういうのはほら、家族に言うとか」
「一松先生に!?」
「いやそう違うってそうじゃなくてまあある意味相談とかするかしないかって言ったらすることになるんだろうし違わないんだけど待ってこれおれすげー寂しい人みたいじゃん相談相手いないってことはぼっちなんだから寂しいんで間違いないっていうかハハ笑っちゃうよねっていうかだからつまりととと友達だからこそ言えないことってあるしそもそもそんな話せる相手とかしっ親友じゃないかってあれだしええとどこまで話したんだっけああもうちくしょう」
意外だと目を丸くすると、壱くんはさっと視線をそらして早口でまくしたてた。待ってくれ、だから聞きとれないんだ。すまない。
もう少し短く、せめてゆっくりで頼むと背中を撫でてやればぶわりと毛が逆立った。ように見えた。んん? 今なんだか本当に毛を逆立てた猫みたいに見えたんだが……気のせいだな。
「ごめんな。ほら、一松先生って無口じゃないか。だから相談に乗るとかのイメージなかったっていうか。でも壱くんには違うよな、弟だし」
無口というかまず会話にならない。保健室にずっとこもっているようでまず見かけないし、たまに会議なんかで顔をあわせても声をかける前にふいとどこかへ行ってしまうのだから。
極端な人見知りという印象が強すぎたから驚いてしまったが、家族にはきっと違うのだろう。こうしてしょっちゅう待ち合わせをしているということは、少なくとも壱くんには慕われているのだ。好きなお兄さんのことを、あまりいい意味でなく口にされたらそりゃ言いたいこともある。
「……こっちこそ、ごめん。えと、ま、カラ松先生はなんでも話しそうだね」
「えっ、そうだろうか」
「うん。隠し事しなさそうっていうかできなさそうっていうか」
クールでミステリアスな大人の男とはちょっとギャップがあるな。
だが隠し事ができない、イコール正直ということか。そのイメージは悪くない。それに実際にはいないがもしオレに弟がいれば、めいっぱいかわいがってなんでも話を聞いてたくさん一緒に出かけたい。つまりカラ松先生の弟たる現在のオレは、兄貴とあれこれ心おきなく話せるかわいい弟なのだ。
そういうことにしておけば、ついうっかり学校のことを話しても「兄貴から聞いた。仲良しだから」という言い訳が使えるというわけだ。ふっ、計算通り……。
「まあそうかな。一松先生は? 家でいろいろ話したりしないのか?」
「……兄貴とはそんなに話さないから」
あからさまに言いたくなさそうな顔。下を向く視線。暗い声。
地雷! これはふれてはいけない話題だったのか、ああもう一松先生のバカ!! 確かに明るく今日あったおもしろい出来事とか話してる先生なんて想像できないけど、でもこれどう見ても壱くん話したいだろ。お兄ちゃんと仲良しなんて松野いいなぁ、だろ。人見知りなのは知ってるけど、家族にくらいあれこれ話しておいてくれ。だから一松先生はダメなんだ!!!
脳内でならいくらののしったって伝わらないから問題ない。
底意地の悪いことを考えているに違いないにやけ顔をギタンギタンにしていれば、顔は似ているのにまるで性格の違う弟がいやに唇をかみしめているのが見えた。
「壱くん?」
「あの……お、兄貴はその、人見知りが激しすぎるというかあんまり人と関わりあうエネルギーがないというか派手な場所に立ちたくないというか、その、でも、悪いことを考えているわけではなくて」
フォローだ。
こんなに年若い少年が、十歳は年上だろう兄のフォローを懸命にしている。
自分だってそう弁がたつわけでもなく、そこそこ人見知りだというのに。
おい聞いてるか一松先生。この健気、このがんばり。見ろ、膝の上で握りしめた拳はぶるぶる震え、下を向いたままの顔からは汗がしたたっている。この姿を見てどうとも思わないのか。オレは感動ですでに目がうるむどころか前が見えない。
「いぢぐん!!!」
「うわ、ちょ、鼻水つくって」
「キミの気持ちはわかった! キミのお兄さんは、オレが責任持ってみんなと仲良くなれるようにプロデュースする!!」
「は? いやおれは別にそんなこと」
「とりあえず皆に親しみやすいって思ってもらおう。……やはり歌か。ソングは皆の心を開くからな。弾き語りでまずオーディエンスの心をぐっとつかんで」
「待って待って待って、おまえなんの話してんの!? 人見知りって言ったよね!??」
「そうだったな。じゃあ給食の時間に流してもらおう! 放送部に週一くらいでお願いしたら」
「なに着々と進めてんだよ顔出さないからオッケーじゃねえって」
「あ、ギターはオレのを貸すから安心してくれ」
「そこ不安に思ってるんじゃねえんだよありがとうな!」
じゃあなにがいけなかっただろう。
「……あまり歌が上手くない、と思っているなら練習につきあうぞ」
「そこで優しさをみせるんじゃねー!!!」
咆哮、と言わんばかりの叫びは一松先生そっくりでああ兄弟なんだなぁと実感する。特に壱くんは普段大人しく穏やかなので差が激しい。いや一松先生も静かだ。アグレッシブな先生の方がレアキャラだ。だがたまに尻を出そうとしたりオレに怒鳴ったりするので、アバンギャルドな一面ばかり記憶してしまう。
しかし歌がダメなら、どの方向から親しみやすさを出せばいいだろうか。
「あの、別におまえにどうこうしてほしいとかじゃなくてさ……そういう人間だからあんまり関わらないでいて、でも悪いことは考えてないのでってことだから」
確かに一松先生は極度の人見知りだ。
だがすでにそういうキャラとして教職員どころか学校中から受け入れられているので、今更そのフォローは不要なんじゃないだろうか。
てっきりもっと親しみたいと思っているのだと案を考えたが、本人が問題ないなら今のままでいいだろう。そうは言っても身内としては不安なんだろうな、と壱くんを見やれば額の汗を拭いながらため息をついていた。阻止した、ってなにをだろう。給食の時に弾き語りを流す案はナイスなので、今度の職員会議にかけてみるつもりだ。オレのスイートなソングで皆が楽しく食べる時間がもっとすばらしくなる、最高じゃないか。
それにしても、やはり一松先生は身内から見ても人見知りなのか。
「……あっ、そうだ壱くん、こないだ先生な、トト子先生と話してたぞ。あと教頭先生ともわりと話してるし、廊下で生徒と立ち話してるのとか見たことある」
「う、うん……?」
「基本保健室にいるから見つけやすいし、先生に用があったら保健室に行けばいいから結構ありがたがられてるし。ええと、あと……あとはそうだな、保健室に行くの怖いって仮病使う生徒がすごく少ないんだ!」
すごいな! と笑えば戸惑ったように首をかしげられた。
あれ? おかしいな、不安な身内のために一松先生の武勇伝を伝えてみたんだけど。
そうか、そういえば悪い事を考えているわけじゃない的なこと言ってたな。なのに怖がられてるのはダメだったか。一松先生のエピソード……悪いこと考えてなさそうな、いい感じのエピソード。
「……ええと、あー……オレの顔を見たとたん逃げる速度が速い……?」
「松野の?」
「兄! 兄貴の!!」
「はいはい兄ね」
「あと遠くから睨みつけてくるから案外視力がいいのか? いやでもメガネだな。他はその、えー」
口にするうちだんだん声が小さくなってしまう。あまりにエピソードがない。
だって仕方ないじゃないか、一松先生との間になにひとつ出来事が起こってないんだから。
そもそもこっちが近づいたら逃げるような相手とどう関われと言うのだ。オレとて職場で居づらくなったりなどしたくない。なるべく楽しく過ごしラクな仕事内容で短時間で終わることを希望している。今の職場はなかなかに楽しい。キュートでかわいいトト子先生とのおしゃべりは最高だし、生徒達はかわいい。あとは一松先生がなんとか打ち解けてくれれば、オレの教師ライフ~赤塚中学編~は最高なのだ。
当初、仲良くなれたらと期待していたのだ。実は。
同時期に赴任した同い年、保健医と体育教師でジャンルは違えど同じ教師。理想を語り合ったり相談しあったり、学内だけでなく学外でも親しくやっていければと。名字が同じ松野という縁もある。名前だってカラ松と一松、まるで兄弟のように似ているじゃないか。名字に松がつくのに名前にまでつけなくてもね、と顔を合わせて笑いあう、なんてありえる話だろう。
現に、最初の最初、出会ってすぐは上手くやっていたのだ。お互いに。
太陽と月は並び立たず、ヒーローは二人いない。同様に、名前と年齢が似た松野二人はまるで違うキャラクターとして生徒に受け入れられた。
ダンディかつクールでいかしたスーパースター、カラ松先生と穏やかでたまに辛口な一松先生。
同じ名字だから、と名前で呼ばれることになったのも親しみやすくてカラ松はうれしかった。松野先生、よりカラ松先生、の方がいいじゃないか。キンパチ先生とかみたいで。グレートティーチャーカラ松、も考えたけれどGTKって呼ばれたいわけではないので却下した。あとちょっと彼はバイオレンスがすぎる。カラ松としてはもう少し平和な学校生活を送りたい。部活で燃えるのはいいが泣き虫先生とかあだ名を付けられたいわけでもないしな。
担当が体育ということもあって、他の先生方より保健室へ顔を出す頻度も高かったと思う。
突き指だ捻挫だと生徒を連れて行くから自然ふれあいは多くなる。
カラ松がどれだけ友好的に話しかけても目も合わさず口を開けば攻撃的。人としてどうかと思ったことはあるが、人見知りだと聞いて納得したものだ。なるほど、まだ慣れないから距離感がわからなくてああなのだ。生徒からはそれなりに受け入れられているんだからひどい人間ではないのだろう。ここはカラ松が大人になり受け入れてやるべきだ。そのうち一松先生も、目をかたくなに合わせないとか隣に座ろうとしたら飛び上がって違う席に移ろうとするなんてことしなくなるはずだ。話しかけるたびだらだら汗をかいたり、真っ赤になって怒ったり、遠くからにらみつけてなにやら呪いのような動きをしたりしないはず。……暑くもないのに汗とか大丈夫だろうか。交感神経がおかしいとか持病とかあるんだろうか、もしかして。医者の不養生というやつか、あれは。
そう、慣れてくれれば、とカラ松はずっと受け入れてきたのだ。この数ヶ月。
まさかその行動が、四月から夏休みをまたいで今まで続くと思わないじゃないか。もう秋だぞ。
人見知りにしても限度がある。そもそもカラ松は親しみやすいと言われたことはあるが、怖いとか緊張すると称されたことはない。生徒にだってたまに呼び捨てされてしまうくらい親しみやすさの塊なのだ。そのカラ松に緊張して、他の先生方には問題ないというのはいったいどういうことか。教頭先生はなめやすい、いやあまり緊張しない相手だがトト子先生など緊張するだろう。世界で一番といっていいレベルにかわいいんだぞ。あんなにかわいいトト子先生と二人、向き合って話しなんならちょっと笑みを浮かべていた一松先生を目撃したカラ松の衝撃がわかるだろうか。ない。ないだろう。え、なにあのうっすら笑みを浮かべた顔。一松先生といえばひきつった顔と滝のような汗、ゆがんだ口元から発せられるのは悪態とひねくれた物言いだけ。それがデフォルトのはずなのに、トト子先生が楽しそうに笑っているということは確実にそうではないということで。で。つまり。
意識して見てみれば、カラ松以外の皆にそうだった。
待ってほしい。人見知りだから仕方ない、そういう話だったはずだ。慣れればあの穏やかな先生になる、ならなぜカラ松相手にだけ未だハリネズミのようにバリバリ針を尖らせているのだ。
ふれるもの皆傷つけるのは口下手だからで、カラ松を見てはびくりと肩を揺らすのも遠くからにらみつけてくるのも人見知りだからで、かたくなに松野先生と呼び続けるのは照れくさいから。でないなら。全員にではなく、カラ松オンリーなら。
つまりそれは、まったく認めがたいことだが、このスーパースター松野カラ松のことを……さほど好んでいない、という結論に達してしまうんだがどうしよう。
いやいやいや、そんなまさか。いったいなぜ。だってありえないだろう? そもそも嫌われるほど深く知り合ってすらいないのだ。もちろん光り輝くサンシャインのごときカラ松の存在がまばゆすぎて苦手だ、と言われてしまえば仕方ない。こちらとしては光量を減らす術がないので申し訳ないが慣れてくださいとしか言えないのだが、一松先生もそういうことだろうか。
だがきらめき仲間たるトト子先生には平気だったじゃないか。普通の同僚として、それなりに愛想良くきちんと日常会話もこなしほどほどの距離を保つ。カラ松が求めていた行動すべてがそこにある。
「……オレだってもっと有益な情報を伝えたいんだが……すまない」
いい感じのエピソードを探すうちになぜか日ごろの一松先生への愚痴になってしまった。
そりゃ彼の態度はどういうことだ納得できない、とは常々思っているけれどそれを壱くんに言っても仕方ない。弟のことならまだしも兄の言動の不満を伝えられても困るだろう。
しょんぼり謝れば、興奮からか頬を赤く染めた壱くんから衝撃の一言。
「……ねえ、それってさ」
思いもよらない方向から銃で撃たれたのは今。
「すごい好き、みたいじゃない?」