はじめまして恋人ですか - 5/9

二日目。
出かけようとしていたカラ松はぶすくれた顔の一松から理不尽な蹴りを受けていた。

「なにごとだブラザー。オレはおまえからのミッションを果たすため数多の星のきらめきからたった一つのアンサーを探しだす冒険を大海原へと」
「約束」
「んん?」

玄関先に座りこんで首をかしげるカラ松を憎々しげに見下ろす一松は大変に恐ろしい。親の敵だってもうすこし穏やかな顔で見る、というレベルだ。仮とはいえ恋人に向ける表情ではないと思うのはカラ松だけだろうか。

「や・く・そ・く」

リズミカルに背中を蹴られてもさっぱり心当たりがない。おまえの尻の穴のために学びに向かう恋人をどうか見送ってほしい、をイカす言葉ではどう、と考えだしたところで一松はあっさりと解をはいた。

「昨日、いいってあんた言った、デショ……おれも、あの、恋人っぽいことで確かめたいことあるって」

ぽしょぽしょと小さくなっていく声は「あるって」をカラ松の耳になんとか届けて力尽きた。うつむいた顔は常ならば見えないが座ったままの今ならしっかり見える。

「あ、ああそうだな! すまないマイスイート、おまえから声をかけさせるなんてオレはなんて罪な」
「そーゆーのはいらない」
「あっはい」

本当はチェリーパイと呼びかけるつもりだったカラ松は、やはりそちらにすべきであったかとちらりと後悔した。けれどそれはさすがに。

「そのまますぎるのはイカしてないよなぁ」
「なに」
「いや、なんでもないさ。二階か?」

頬から耳から顔すべて、湯気でも出るのかと危ぶむ程に真っ赤に染め上げた一松の顔。恋人っぽいことで確かめたいことがある、と呼びに来るのにどれほどの羞恥を振りきったのだろう。恋人っぽい、とつけなくともいいのにわざわざ口にするその心境を想像すると面映ゆくてならない。兄弟が皆出かけるのを待って、カラ松がまだ家に居ることを確認して、とそわそわしていたのかと思えば。

「一松はかわいいなぁ」

背後からがたんとなにか重い物が落ちたような音がする。そう、例えば誰かが階段を踏み外したような。

「本当にかわいい」

オレの恋人(仮)はかわいい。しみじみと感じ入りながら二階に到着して背後を振り返れば、未だ階段の半ばでわなわなと震える弟がいた。

「どうした一松。しんどいのか?」
「っ、黙れクソ松それ以上しゃべるな!!!」

なるほどこういう気持ちだったのだな、とカラ松は記憶のあった自分に納得の肩ポンをした。脳内で。
同じ顔の弟で、生まれた頃から一緒で、四六時中共に過ごして。いったいどの様にして恋というミステリアスでスイートな感情を抱いたのかと少々疑問に思っていたが、理解できた。同じ顔だけれど違う、一緒だけれどわからない、共に過ごして隣に居る。そういうことだったのだろう。まだ同じ感情を抱けているとは言えないけれど、とっかかりはつかめた。カラ松はおそらく過去の、記憶のあったカラ松を理解できる。
今のカラ松は目の前にいる弟に恋愛感情を抱くことができる。このまま進めば。

「あんたさ、そんなにおれのことかわいいかわいい言うんならできるよね!? 今更無理とか聞かないから!」
「んん? どうしたそんなに汗をかいて」
「黙って、座って、出して」

ふすまをぴしゃりと閉めた一松が低い声で指示を出す。先程からの流れでこんなに不機嫌になるのはなぜだ。これからカラ松と一松は恋人としていちゃいちゃするのではなかったのか。
緊張で硬くなっているなら解いてやらねばとカラ松が口を開いたとたん、早くと急かされる。

「どうしたんだマイラブ、そう焦らずともしばらくは誰も帰ってこないさ」

おそ松は新台がと十四松を連れて朝一番に出て行った。この時間まで帰らないということはそれなりに勝っているのだろう。ではまっすぐに家には戻らずどこかで一杯ひっかけてくるに違いない。ならば十四松は無論着いて行っているだろう。そういうところ、無邪気な顔をしながらなかなか鼻が効くのが松野家の五男である。
チョロ松はハローワークと告げていたがリュックからうちわの柄のような棒状の物がのぞいていた。ハローワーク経由で帰り道にどこぞへ寄り道してくるのかなんて成人男性にいちいち問うたりはもちろんしない、がまあお察しである。
今日は帰らないかもね、と息まいて出かけたトド松はほぼ確実に帰ってくるが、飲み会だから夜になるに違いない。未だ日の高い今、兄弟が急に帰ってくる心配はしなくていいだろう。
膝枕でも隣に座って昨日のようにいちゃつくのでもなんでもござれだ。大海原のような広い心で一松を見上げたカラ松に降ってきたのは、けれど予想もしていなかった言葉だった。

「さわらせて」
「んん~? 手か? 許可なんてとらなくても」
「ちんこ」

一瞬で、凪いでいた大海原が嵐になった。
ぱちん、と一度まばたきをしてみてもなにひとつ世界は変わらない。ふすまを後ろ手に閉めたまま、仁王立ちの弟はあいかわらず真っ赤な顔のままはふはふと荒い息をついている。滝のように流れる汗が畳に落ち、シミを作っている。このままではあの畳だけ痛みが早いと松代に不審に思われるのではないだろうか。ニート達なにか心当たりある、と問われればカラ松は果たしてこの状況をどう説明すれば。

「お願いだ、あんたのちんこ、さわらせて」
「そんな五七五で言われても」
「なに、おれたち恋人じゃねーの。金くれとか外で露出しろとか痛い目にあわすとか一切言ってないじゃん、ちょっとちんこさわるだけじゃん、あんたに不利益ないでしょ。ここトイレだったらすぐ出すわけじゃん? なんならしょんべんだってしちゃうわけでしょ。それ見せてとか言ってないし。銭湯でもひょいひょい脱ぐでしょ?? おれら昨日も一昨日も一昨昨日も一緒に銭湯行ってんだから目の前で堂々と裸になってるわけだし見せるのが恥ずかしいわけじゃないよねまさか。そもそもあんた昨日おれのさわったし。じゃあなに、おれがゴミだから嫌ってわけ。あーっそ、ゴミにさわらせるちんこなんてありませんよってこと。御立派な事で。ちんこはそんなに立派じゃないくせに。おれのこと恋人として接するって言ってたくせに」

立て板に水どころか濁流が一気に流れ込んできてカラ松は息もつけない。とりあえず。

「ち、ちんこは同じくらいだったろ……!」

最も否定しておきたいところを口にすれば、一松はぎらぎらと目を光らせた。

「比べてみ」
「ない!」

おかしい。先程までのかわいいかわいいリトルキャットはどこへ消えたのか。カラ松のチェリーパイは真っ赤な顔のまま、なぜか毒林檎を使ったアップルパイに変わってしまった気がする。

「こ、こいびとっていうのは」

確かに昨日、カラ松は一松のキューティーサンにふれたし、予想より暴れん坊なサンは暴発というはしゃぎっぷりを見せてくれたわけなので、一松が逆を求めても当然かもしれない。おまえの恥ずかしいところも見せろよ、ということだろう。
いやしかし、カラ松は萎えてしまえばセックスができないが一松側は最悪ぴくりと反応すらしなくても平気なわけで。だから萎えないかの確認で男の下半身を脱がせたカラ松の行為に正当性はあるが、一松が今求める必要はない。そう、パーフェクトなロジックだ。
じりりと後ろに下がると同じだけ距離を詰められる。背後はソファだ。なんだか大変に追いつめられている気がする。蛇に睨まれた蛙、ならせめてジャンプして逃げる意思だけでも示さないと。

「即物的なことじゃなく、心のつながり的な! あの、ほら、だってオレ達であってまだ一週間だろ」
「あと三日で決めるんでしょ、セックスするかどうか」
「そそそそうだが」
「それにおれ達つきあって長いし、絶対もう身体の関係あるよ」
「ま、まあそうだろうけど」
「おれ男相手とか初めてだし、つーかそもそも想像もしてなかったし」

目の前に座りこんだ弟が先程の勢いを納め、少し視線を逸らして唇をとがらせたのを見てカラ松はやっと落ち着いた。あまりがつがつこられることに慣れていないから、一松が強気になると困ってしまう。照れ屋で繊細な弟相手であればいくらでもイカしたかっこいい兄貴でいられるのに。

「あんたのことは……わりと好き、な方なんだよね。家族だし!」
「おう、うれしいぜ! オレも一松のこと好きだからな」
「だから余計にわかんないって言うか……あのさ、あんたはおれ相手にセックスできるわけ? だって兄弟じゃん、普通に好意はあるでしょ。キスとかくらいならしてるじゃん。実際おれ、おそ松兄さんとかべろちゅーしたし」

チョロ松兄さんも十四松もトド松もやろうと思ったらできるしイヤじゃない。
言われて想像し、カラ松も肯いた。うん、できる。イヤとかまったくなく、ごく普通にキスできるしその後も兄弟として平和に暮らせる自信がある。

「確かに世間一般ではキスは恋人同士のものだが、兄弟でできてしまうな……」
「ね。だから恋人っぽいことを一定まではあんた相手でも違和感なくできそうな気がするわけ。でもさ、そんなんでいける気になっていざって時」

なるほど。一松の言いたいことが理解でき、カラ松もようやっと落ち着いて座りなおした。つまり昨日のカラ松と同じ心配をしているのか。カラ松さえ勃てばセックス的に問題はないと考えていたが、一松はもっときちんと向き合うつもりらしい。すまない、同じように恥をかけ、だと信じ込んでしまった。即物的なのはカラ松であった。とりあえずジャンプして逃げる算段は立てなくていいらしい。蛙よさらば。

「あんたと恋人だったって思い出すつもりでセックスしようとして、直前に逃げるとかシャレになんないじゃん」

世間一般で恋人同士がすると言われている行為を松野家は兄弟間でもできてしまう。そもそも元からの距離感が近い。学生時代、おまえらべたべたしすぎじゃねと幾度か苦言された記憶もよみがえる。当時はなんのことだと流していたが、つまり皆そういうことを言いたかったのだろう。兄弟で腕も肩も組まないし腰は持たないし同じマフラーを一緒に巻いたりしません。いやするだろう、少なくともオレ達はする。それで済んでいたのは一週間前までで、現在の二人はそれではいけない。
少なくとも、三日後にセックスできるかどうか決めるまでは、いけない。
恋人のようないちゃいちゃができるからきっとセックスもできるだろう、はない。恋人のようないちゃいちゃは松野家の兄弟でもなされる身体的接触と変わらない。確かに。だから手がつなげようがキスできようが、セックスは無理、はありえる。それを確かめるため昨日カラ松は一松の性器を勃起させた。

「だから」

落ち着いて話を聞いてみれば一松らしい慎重な意見だった。とりあえず言葉を選んでほしい。カラ松など二階の窓からジャンプするかどうか真剣に考えたのだから。

「わかった。確かに一松の言うことは一理ある」
「見て、さわれるくらいじゃないと無理でしょ。それができるかどうかの確認したいわけ。お互いに」
「おれは昨日さわれたぞ?」
「男にさわられるのはイヤ、とかもあるかもしれないし」

だからあんた無理だったら正直に言って。
ぽそぽそと付け加えられる言葉にぎゅうと胸が痛んだ。なんだ。目の前の弟が妙に庇護すべき対象に見える。具体的に言うなら猫とかハムスターとかそういう、ふわふわで小さくて丸くてかわいい、口の中に入れてしまいたいようなそういう。
目の前の男はカラ松と同じ身長体重で同い年の、煙草も吸うし脱糞もする(らしい。外で。なかなかにロックだ、と感想を述べたらトド松に殴られた)立派な成人男性である。あごにはひげのそり残しだって見える。あぐらをかいて憮然とした表情を浮かべている男のなにがそんなに。

「カラ松?」
「なんでもない! よし、さあちゃちゃっとやってしまおうな!!」

かわいい弟、という分類からはみ出しているこの感情はいったいどういうものなのか、悩むのはこの検証の後にすべきだろうと脳内で警鐘が鳴る。
双方が無理、双方が大丈夫。どちらのパターンでも平和だが、違っている場合だけが問題だ。なんせこの感情に名前をつけてしまえば引きかえすことができない。冷静に判断しなければいけない、とカラ松はそっと自分を諌めた。
諌めなくてはいけないくらいもう振りまわされている、という事実は気づかないことにした。

 

◆◆◆

 

くちくちと水音がカラ松を苛む。耳を閉じてしまいたいが、左手は一松のものに添えられ右手は自分の身体を支えることに忙しいため手が足りない。

「カラ松、ど、う」

あがった息と共に呼ばれる名前にどうしようもなく心が騒ぐ。
同じように右手をカラ松のものに這わせ左手でカラ松の右肩にすがっている一松は、するりと頭をこすりつける。猫が甘えているようだ。実際の行為はそんなかわいらしいものじゃないくせに、要所要所がどうにも愛らしい。

「っ、どう、って」

こういうのはお互いせーのだ、と同時に下着までずらした時は平静だった。足にひっかかっているのもまぬけだし、と脱いでから下半身のみ丸出しも充分にまぬけだとお互い笑いあった時など和気藹々として。銭湯で見るのとまるで変わらない股間に、安心しきって二人でひとしきり笑ってから。
いつこうも変わってしまったのだろう。水気を含んだ音と吐き出す熱い息で、二人はいつの間にか淫猥な空気の中に取り残されている。
向かいあわせに座り込んだ時はまだ笑っていた。どうぞよろしく、なんて股間に頭を下げる心の余裕まであって。なにそれ、とイヤそうに一松が顔をしかめるから息子さんにごあいさつをなんて冗談を言っていたのに。
ふれた左手の中、みるみる硬くなる一松を実感した時だろうか。
初めて感じる他人の熱に、ぶるりと震えてしまった時だろうか。
吐きだした息が予想外に大きく響き、カラ松は驚きで跳ねた。自分のせいかと誤解した一松がおずおずと大丈夫か問うてくる癖に、手がまるで股間から動かないから気恥かしくてならない。イヤじゃないのか。さわるのは平気なのか。男の、他人のものなのに。
同じように一松のものを手にしたままの自分をきれいに棚上げして、カラ松は感動に打ち震えた。
だってイヤだろう。気持ち悪いだろう男のものなんて。ふにゃふにゃの状態であればかわいげも多少はあろうが硬くそそり立ってしまってはビジュアル的にもお別れしたい一辺倒だ。さようなら、ご縁がありませんでした。またの機会を。それなのに。いやもちろん一松のはそんなことなく楽しくさわれたのだけれど。
ぐちゃりと響く粘着質な音。手の平のぬめり。耳に当たる生温い呼吸とふれる肌の湿り気。昨日も経験したはずなのに、まるで違う。
カラ松、カラ松。すがるような細い声に返事をするのも息苦しくて、代わりに鼻先をうなじにつっこんだ。ひぐ、と素っ頓狂な声に思わず笑ってしまったのが身体の揺れでばれたらしい。余裕じゃん。苛立ちがこもった声が耳元に飛び込んできたと同時に右の脇腹がくすぐられた。慌てて身をよじっても力が入らないうえお互い密着している。くすぐったいのに気持ちいい。なんだこれ。一松はひどく楽しそうに息を乱すカラ松を見ている。
見て。
ここだ。おかしくなってしまったのはきっとここ。この瞬間。
だって見る必要なんてなかった。いや、そういった行為中の男の顔が萎えるかどうかという話で確認のために見るのならば必要はあるのか。そうかすまない、おかしいとか言って悪かった。
けれど一松は楽しそうにカラ松を見て。とっくに成長しきった股間のそれをネチネチいじくりながら、反対の手は執拗に脇腹をくすぐる。止めろと言ってもふざけたのを謝っても、とぎれとぎれのカラ松の言葉に聞こえないと悪ノリして。
高い声が出たのは仕方ない。思いもよらない個所に指がかすって驚いたのだから。カラ松だって自覚があればきちんと止めた。自分の声帯に、もっと男らしい低い声を出すんだと指示したはずなのだ。わかっていれば。だから悪くない。仕方ない。
悪いのは絶対に一松だ。ぴたりと動きを止めて、声の出所をきちんと確認してからにやりと笑ったあいつが絶対に大悪人。驚いて目を見開いているカラ松と目があったくせに。事故だって、自覚なしだって伝わっているはずなのに。
声かわいいの出すね、って。なんだそれ。おかしい。かわいいのはおまえ。一松だ。そのはず。そもそも男の野太い声帯から出た高い声なんて聞き苦しいだろうに、その表現はおかしい。くすぐったくて笑っていたはずなのに、なんだか、一松にあちこちをまさぐられることがうれしい、みたいな感情にすり替わっているのもおかしい。
おかしい、おかしい、おかしい。
全部がどこかしらおかしい。ずれている。カラ松が予想していた地点と違うところに着いてしまいそうだ。
恋人のように接する、のは想定通り。どうせ無理だろうと覚悟していたのに一松がセックスして記憶を取り戻すことに前向きだったのはいい予想外。お互いの性器にふれることへの抵抗はカラ松自身は特にないだろうとふんでいたし実際平気だった、予想通り。一松は嫌がるかもしれないと危惧していたけれど大丈夫なのはよかった。
ここまではおかしくない。お互いのものをさわれる、勃起もできたし萎えない、つまりセックスも大丈夫だろう。想定の範囲内だ。少々予想外があったり範囲が広がったりしているけれど、おかしくない。大丈夫。でも。

「ねえ、言って。教えてよ。カラ松の気持ちいいとこ」

カラ松が一松につっこむのだからこの発言は少々おかしくはないだろうか。
脇腹をくすぐっていたはずの一松の左手は、いつのまにかカラ松のパーカーの中にもぐりこんでいる。背骨をするするとたどって尾骨を爪でひっかかれると、勝手に身体が跳ねて逃げ出したくなる。

「い、いちまつ」

大丈夫だ、オレは充分な硬度を保っているからこれ以上あちこちいろいろ気を遣わなくていいから。だからおまえの心の準備のためにサイズだけ確認してくれたら今日はおしまいにしよう。いい子だから。

「なんでそこ……あの、オレのそこは無関係だろぉ……? 汚いからほら、さ、さわるのは止めた方が」
「だってここ使うでしょ」
「いやオレじゃなくておまえ……ッ」

ぎゅ、と一松の右手に力が込められ息をのむ。
するすると左手の指先が、これまで他人どころか己でも直接はあまりさわらない部分を撫でてくるのに悲鳴を必死で噛み殺した。なんかぺちゃってした。ぺちゃって。なんで湿ってるんだ死にたい。

「なに、あんたオレにコレつっこむ気だったんだ」

どうりであっさりセックスできるって言うよね。はん、と鼻で笑われ涙ぐんでいる目元を舐められる。

「泣くほどイヤな事、かわいい弟にしちゃうわけ?」
「ち、ちが」
「そりゃおれなんかそもそもがゴミだし今なら初対面の知らないヤツだし弟としてカウントしてないとかそういう」
「違う! オレはそんなこと」

確かにカラ松は一松を抱くつもりだった。というか逆なんて考えた事もなかった。
しかしそれは一松があまりにかわいかったため自然に男性として思考してしまっただけであり、イヤな事をおっかぶせようとしたなんてけしてけして。
腹にぐっと力を入れて跳ね起きる。押し倒されかけていた体勢からぐんと顔が近づくと、一松の半分閉じた瞼がぴくぴくと震えた。

「だっておまえがすごくかわいかったから!!」
「は」
「あんまりにも一松がスイートでキュートなかわいいこねこちゃんだったから、これはもうオレが彼氏だったに違いないと信じこんでしまったんだ! おまえも彼氏役をやりたいなんて思いもしていなかった、すまない。これまでがどうだったかはひとまず置いて、今の気持ちを確認すべきだった」
「いや、これまでもたぶん」
「え?」
「あぁ?」

なぜかメンチをきりあってしまったから慌てて眉間の力を抜く。喧嘩をしたいわけではない。目の前にいるのは弟であって見知らぬ男ではない、なんせ同じ顔だ。記憶にはないだけで二十数年を共に過ごした愛しいブラザー、睨みつける対象ではない。
怯えさせてしまったのか、ふるふる震える一松になんとか笑顔を向ければなんなのあんたと脱力された。カラ松の尻の穴を狙っていた左手も股間を人質にしていた右手も力が抜けて、ぷらりと畳に落とされる。それにしても改めて考えるとなんだこれは。尻の穴に指って。おいこれは事件じゃないか。

「……あんたおれのこと抱きたいわけ」
「うーん……」
「え、なんでおれふられたみたいになってんの。さくっと肯けよそこは! 別におれは抱いてほしいわけじゃないってか、あんたを抱くつもりで」
「そうなのか?」
「あぁん?」

少々元気のなくなった一松のソレからそっと左手を離しつつ、カラ松は首をかしげた。それにしてもまだ硬度を保っているなんてさすが一松だ。カラ松はすっかり萎えてしまっているというのに。

「今のおまえがオレを抱くつもりなのはわかった。オレもなにも考えず自分が男役のつもりだったからな、男とつきあっている自覚もなくセックスと言われたら即通常のままの役割だと考えるのは当たり前だろう」
「はあ」
「だがな、記憶のあったオレ達はどうだったんだろう」

男性相手の恋愛など自分が経験していたなど思いもよらなかったカラ松は想像することしかできない。できないが、おそらくは自分が男役だったのではないだろうか。
なんせ目の前の恋人はかわいくて、リードしてやらなければいけない年下で、守るべき弟なのだ。見た事もない未来の彼女相手にしたいことをめいっぱいしたんじゃないだろうか。

「今オレが女役としておまえとセックスをするとしよう。そして記憶が戻る」
「デカパン博士が言うにはね」
「そこは信じるしかないだろ。まあ戻って、だ。その時今の記憶はどうなる?」
「は?」
「オレが思うに、残ったままだろう。失った記憶が戻るだけで、それ以降過ごした記憶が消えたり改ざんされたりするならまた別の問題が起こるだろ? 博士はそんなこと言わなかった」
「うん。記憶は基本的に戻らない、のつもりで作ったって言ってたね」
「じゃあ、普段とは逆の記憶がそのまま残ってしまうだろ。さすがにそれは未来の、記憶を取り戻したオレ達にかわいそうじゃないか」

筋肉質で固い、男の物でしかない身体を抱いたなんて。記憶が戻った一松が嫌がって別れるなんて言い出したらどうすればいい。未来のカラ松に申し訳なくてならない。
記憶は取り戻せないと覚悟していた。目の前の、少しだけ知って親しくなった弟らしい男を、実の弟だと納得させていきていくのだと。恋人はこれまでいなかった、これから誰かと出会う人生を生きていくのだと。
けれどほかならぬ彼が。目の前の、恋人であった弟が記憶を取り戻すことに前向きならば、カラ松とて覚悟を決める。別の。
愛しい弟に恋人という別の特別も捧げる、カラ松のこれからを一松に託す、そういう。
だからほんの少しでも未来の自分達が険悪になるようなことをしたくない。逆カプ地雷です、というやつだろう。カラ松は知っているのだ。演劇部時代、友人がきゃあきゃあとそういった話題で盛り上がっていたのを耳にしていたのだから。
記憶を取り戻したのに一松を失うなんてことになったらどうしようもない。

「……つまりあんたはさ、つきあってる時おれを抱いてたって思ってるわけだ」
「ああ」
「だからおれにはあんたを抱けないって」
「ん? いやそれはちょっとニュアンスがちが」
「バカにした話だよね」

ぐるんと視界が回る。
背中が畳に打ちつけられる衝撃に思わずつぶった目をおそるおそる開けてみれば、間近に炯々と輝く瞳があった。いくら距離が近い兄弟といってもこんなに至近距離で顔をのぞきこまれることはない。知らず息をつめれば一松はかぱりと大きく口を開く。兄弟の誰とも似ていない、ぎざついた獣のような歯がずらりと並ぶ。
喰われる。

「平行線でしょ。これ実践するしかないよね」

はふ、と顔にぬるい空気が当たってカラ松は詰めていた息をやっと吐いた。
喰われてない。
喰われるってなんだ、オレは食べ物じゃない。
大きなため息をついた一松は疲れ切った顔を隠しもせずカラ松の胸に乗せ、だらだらと話を続けた。

「あんたと同じ、おれも自分が抱く立場だって思ってたわけ。男に抱かれるとか考えた事もなかったしね。で、なに、あんたどうせ今も譲る気ないんでしょ」
「譲る気、というか前と同じに揃えた方がいいんじゃないかと」
「なんで前もおれが抱かれてる設定なんだよ」
「一松はかわいいから」

今もそうだ。
カラ松ならしない。同い年の男の胸の上にのしかかり、ごろごろと頭をこすりつけるような行動をとるなんて幼げなかわいいことはできない。無論カラ松がしないというだけで、男らしくないとか女々しいなんて否定するつもりはない。一松は似合っているしかわいいからいい。こんな行動を自然にとれるくらい自分達は甘い恋人同士だったのだろうし、記憶がなくとも無意識に身体がよくしていた体勢をとったのかもしれない。

「だからそこ。かわいいもなにもおれ達同じ顔でしょ」
「でもおそ松はかわいくないけど弟達はかわいいぞ? そういうことだろ」
「兄だからって? その理屈ならあんたはかわいくないはずだからおかしいでしょ」

真顔で返されて首をかしげる。かわいくない、うん。おかしい、うん?

「それでさ、どうせおれら記憶ないんだし言いあっててもどうしようもないし。記憶戻すにはどっちにしろどっちかを選ばなきゃなんだから」

つらつらと流れる言葉にカラ松は慌てて意識を集中させた。せっかく一松がきちんと説明してくれているのに聞いてませんでしたなんて言ったら悪い。人見知りで人に注目されることも嫌いなんだから、きっとこうしてカラ松に説明するのも苦痛だろうに。

「交互に調べるしかないでしょ」
「こうご」
「順番。あんた男のケツにつっこむ方法知ってる?」
「え、いや」

それを学ぼうと外出しようとしたところを止められたカラ松が言い淀むと、じゃあおれからねとあっさり返される。

「あ」
「ローションとか浣腸とかいろいろ必要なの用意してないでしょ」
「う」
「心の準備もいるだろうしおれも鬼じゃないからさ、明日ね。さすがに家は落ち着かないし。明日あんたのケツいじってなんか挿れたことありそうならビンゴ、無理そうなら明後日おれのケツ」
「え」
「最終日にどっちか正解の方のケツにつっこむってことで平和的解決でしょ」
「い、いちま」

流れるように明日以降の予定が決められていく。なんか挿れたことありそうって、なんかってなにだ。ナニか。ちんこか。え、一松は自分のあれをカラ松の尻につっこんだことがあるという前提なのか。ちょっと無茶じゃないだろうか。
じゃそういうことで。最後までカラ松がまともな返事のひとつもできない間に、一松はそそくさと立ち上がって下着に手を伸ばした。
待ってくれ。カラ松は未だ理解が及んでいない。そもそもちんこ挿れたことありそうってどうやったらわかるんだ。調べるってなにをするんだ、ケツいじるの前に浣腸って単語が聞こえたけれどやっぱりそれはあれか、イチジク的なあれか。なんでおまえはそんなにテキパキしてるんだ。パンツ前後反対に履いたけど大丈夫かフィットしないんじゃないか、というかトイレで困るぞ。

「あ、明日のホテル代はおれが出すから。あんたはもしあったらの明後日よろしく」
「……っはい」

開いた口は最後の爆弾にぱくりと開き閉めした後肯定の動きしかしなかった。言おうと思っていたことはすべてすっ飛んで、部屋を出ていく一松の背中にぶつけることもできず消えていく。だってホテル代って。ホテル代って。
人生初、ではないかもしれないけれど記憶にある限りではカラ松人生初の、おそらくはラブホテルに行ってしまうのか。一松と。いやこれまできっと数え切れないくらい行ったのだろうというのは置いておいて。
数え切れないくらい、一松とセックスを? 先程のような行為を。
ぼんやりと霞がかっていた想像が急にリアリティを持ってカラ松に迫る。つきあっていた、なるほどセックス! と単純に考えていたけれど、確かにどちらかのちんこをどちらかの穴に入れるわけで。穴なんて男にはひとつしかないからつまりそれは。
明日調べるって、さっきも明日も、なんでおまえは他人の尻の穴さわるのに躊躇しないんだ。
茫然としていたカラ松は、ふすま越しに「十四松帰ってきそう歌が聞こえる」という一松の警告でやっと下半身が丸出しのままであったことに気づいた。危なかった。一松が教えてくれなくては通報待ったなしの姿で弟を出迎えてしまうところだった。ギルトガイを自認しているが、そういった意味で罪を背負いたいわけではもちろんない。さすが一松は心遣いのできる気の利いた男だ。常通り心中で弟を褒めそやすカラ松の脳内にちらりと「ローションだの浣腸だのの心配もできるし」などという考えがよぎってしまったが全力で見ないふりをした。いや気が効くことはいいことだ。すばらしい。あと相手の身体を慮るのは大切。やるな。さすがオレの弟。気遣われているのが己の尻でなければ見ない振りなどしなかっただろうけれど、なぜ尻を気づかわれたくないのかまででカラ松は考えるのを止めた。
嫌悪ではない。自分とてつっこむ気であったのだから悪感情ではなくて、ただ。どうしようもなくむずがゆい。居心地が悪い、落ち着かない、そわそわする。自分の立ち位置ではないと全身が訴えている。
つまりは明日どうしよう。

 

◆◆◆

 

言ってしまった。とうとう後戻りできないところに来てしまった。
廊下にうずくまりながら閉めたふすまの向こうをうかがうも、うんともすんとも言いやしない。物音ひとつ立たないということはカラ松は未だぽかんと口を開いたマヌケ面のまま座りこんでいるのだろう。一松が最後に見たままの姿で。
常着の青いパーカーと靴下だけで、ジーンズとパンツは脱いだ間が抜けている以外に表しようのない姿。投げ出された下肢の間の陰茎はとっくに萎えてふにゃりとしていたのに、昼間の光の元てらりと光ったのがどうにも。認めたくないけれど、一松の背筋をぞくぞくと走ったのは。あの光景に嫌悪ではなく鳥肌を立ててしまったのは。
右手をちらりと確認する。薄暗い廊下では視認できないけれど、まだなんとなく濡れている気がする。耳に残るくちくちという水音と荒い呼吸、ぬめった手の平、左手でふれてみたカラ松の。

「……ぜんっぜんいける」

ぼそりと声にしてしまい慌てて背後を確認するも、誰もいない。部屋の中からも誰も出てこない。
一松は当初、ここまでやるつもりはなかった。いや、なかったと言えば嘘になるが、尻の穴までさわるつもりなどなかった。だって汚いでしょ、うんこ出るとこだよ。風呂の後ならまだしも。
恋人のつもりで過ごそう、五日後に記憶を戻すか決めよう。余裕綽々なカラ松の態度がどうにも憎らしくてわざと嫌がらせでひっついてみたのに、ブラザーを愛してるぜと鳴き声のようにうるさく繰り返すバカがうれしげに受け入れてしまうから引きかえす切欠が見つからなくて。つい、このようなことに。いや、それも違う。自分をごまかしても得る物はなにもない。
いけるな、と思ったのだ。うかつにも。
手を握り、指をからめ、抱きしめて。硬くてごつくてどうしようもなく男以外の何者でもないカラ松をソファの上で見下ろした時、胸の奥から湧き出てきたとんでもない高揚感。同じ男を、兄を征服しているという下剋上的な感情かとおそ松に二千円で同じ体勢をとってもらったが、まるで興奮しない。なんかがっかり、と露骨に顔に出していたらしく「告ってもないのに振られた気分になって傷ついたから」という無茶な理由でもう千円徴収されそうになって踏んだり蹴ったりであった。五百円で手打ちにした。
おそ松ではダメでカラ松ならいけた理由。そんなもの、以前つきあっていたからということ以外ないだろう。つまり一松はカラ松の顔も好みなのだろう、六つ子といっても当人達としてはまるで違うように見えているあの顔が。
まっすぐな性質を表すような眉がりりしくて、少し目が優しげに垂れていて、低くて男らしい声を出すくせにつやりとしたまるで女のように瑞々しい唇の。情けなくへにょりと下がる眉の、一松をまっすぐ見つめるまなざしの、男らしさに憧れているくせに妙にかわいらしい言葉を紡ぐ口角の上がった口の。一松とそっくりでスペアのような顔が五つもある、けれどまるで違うしどうしようもなく目が追うし絶対に認めたくないけれどたぶんおそらく、かわいい。カラ松が。
つきあっていたのだ。好きだったのだ。忘れてしまうほどに。忘れられるほどに。
考えれば考えるほど一松は頭に血が昇って冷静になれない。だってあいつがおれを。カラ松が一松を、忘れてしまう程に一途に強く好きだったのだ。
もちろん今現在の一松は彼を好きではない。カラ松のことなどまったく覚えていないし、だからつい一週間程前に知り合った兄弟らしい人物であるし、そんなぽっと出の男になぜ恋心など抱かなければいけない。ありえない。好きじゃないったら好きじゃない。絶対に。
だけどまあ、かわいく思わないと言えば嘘になるし、こいつおれのこと好きだったんだよなと自覚すればきゅうと胸もときめく。話していて楽しいし気もあうし、兄弟としての好意はすでにある。
一松はけしてナルシストではない。けれど、自分のことを吐くほど嫌いとかそういったこともないのでカラ松の顔とて嫌いではけしてなく、どちらかと言えばまあ、うん、どちらかしか選べないなら。好き、だし。己ではけして浮かべない表情をするカラ松を見ているのはなかなか楽しい。満面の笑みとか。気の抜けた、安堵の笑みとか。猫に指先を舐められまんまるな目を一松に向けて口をぱくぱく動かしていたのとかよかった。かわい、いやいやいや。かわいいのは猫。猫。カラ松は。
……かわいい。
一松の指がいたずらに脇腹を撫でた時に高い声を出した顔とか。混乱しきってどうすればいいのかわからないまま、一松の名を繰り返し呼んでいたとか。なんだ。なんなのあれ。なんのつもりあいつ。嫌なら蹴り飛ばせ、力なら確実にカラ松が強いし、一言嫌だと口にすれば一松はすぐやめた。怯んで。嫌われたいわけじゃない、嫌がられたくない、それくらいには兄弟として順応している。
ただのイタズラ心と実際に試してみたかった、あとはカラ松の余裕を崩してやりたかった。それだけのつもりだったのに、お互いの性器にふれあうだけの行為は一松にもダメージを与えた。
かわいい。
後戻りできない。
明日、なんて予約までしてしまった。
正直な話、一松は挿入までしていなかったのではないかとふんでいた。カラ松と恋人だった、という可能性に気づきお互いにそうだろうと納得してから、一応男同士の性行為を調べたのだ。生真面目すぎると笑わば笑え、実の兄と恋人だった、しかももう数年たってそう、なんて過去があればどんなことでもまず調べないとどうしようもないだろう。慎重さと思慮深さは一松の良い点だ、そうカラ松なら評する。
そして実際、男同士は性器の挿入まで行わないことも多いという情報を得ている。注射でさえなるべく避けて生きたい一松があんなものを尻に挿れられることを受け入れるはずがない。
ならばカラ松が、と考えてもそもそも一松は男の尻に自分の分身ともいえるムスコをつっこみたいのか。恋人といえ男だ。なにかしら好意があっただろうしそもそも兄弟とつきあっているという段階で熱烈な恋情であっただろう、と想像はできる。だからといって男だ。キスくらいなら目をつぶれば女と変わらないだろうから問題ないけれど、でも男だろう。
これまでの人生で男に性欲を向けた事のない一松は、どう想像しても過去の自分がカラ松に挿入できたとは思えなかった。もちろんつっこまれていたとも思わない。
だからこそ、愛はあってもさわりっこまで、相互オナニーでお茶を濁していたのだろうと予測していたのだ。それなのにセックスなどとデカパン博士がのたまうので、考えなしのバカが前向きになってしまった。ろくに考えもせず自分が男役と思いこんでいるだろうと指摘してやれば、愕然とした顔をしやがってカラ松の野郎。なにが一松がかわいいだ。かわいいのはあんただ。かわいい方が抱かれるという理屈なら、カラ松が抱かれるに決まっているのだ。
そう、認めよう。ここで見ないふりをしても話は進まないし勝手に知らぬところへ流れ着いてしまうくらいなら少しは一松の希望通りの道へ辿り着きたい。
一松はカラ松に好意を抱いている。恋愛的な意味の。抱いていた、ではなく、いる。現在進行形で、たった一週間ほど前に出会ったばかりの男に。いくらこれまでおつきあいしてきただろう相手でも、もう少し戸惑いとかそういったものがあってもいいんじゃないかと即物的すぎる己に思うところがないわけではないが、でももう仕方ない。
だって勃ってしまった。男で。というか、カラ松で。そして今なお萎える気配がない。
似たような形で似たような大きさのそれが、カラ松のものであるというだけでふれることに躊躇しなかった。ぴくぴく揺れる肩と耐えるように寄せられる眉、ときおり堪えきれずもれる声を聞くのが楽しくてどんどん指を進めた。昨日のカラ松の気持ちが少しわかる。自分の行為で気持ちよくなって声を出しているのだと思うと、妙に張りきってしまうのだ。ワシが育てた、みたいなやつだろうか。カラ松はおれが感じさせてる。いいな。それすごくいい。
カラ松が逃げないなら両手でさわってやりたかったし、引かれないなら口でやってみてもいいかなと思った。これはなかなかのレベルではないかと一松は勝手に自負している。なんせ男の性器だ。さほど自分と変わらずとんでもなくグロいだの赤黒くそそり立ち、なんて代物ではなかったけれどようはこれだ。自分のものを口に入れるなんて勇気のあることをしてくれる女性がいたらもれなく惚れてしまうくらいには気持ち悪いのに、それをしてもいいと思った、なんて。これすごい告白みたいだから重いとか引かれたら嫌だし、とやめた自分ナイス判断。ちょっと身体を撫でただけで腰が引けていたカラ松だ。絶対に拒否されていたに違いない。
きっと明日、約束したからと律儀にカラ松は身体を明け渡すだろう。逃げてしまえばいいのに、やっぱり尻は無理ですと頭を下げればいいのに、ひとつのことを考えだせば他は入らない不器用な頭にはもう一松につっこむのかつっこまれるのかしか存在していないんだろう。
バカ。単純。かわいい。これは脳みそのサイズが。サイズがかわいい。褒めたりとかじゃなくてけなし言葉だから。小さい脳みそだって言ってるの、必死で回転させてものみこめなくて目を白黒させてたのがハムスターみたいでかわいいとか全然思わなかったし、ホテル代の流れでさりげなく明日も明後日もと約束を取り付けたのに「はい」とかなんだそれ吐くかわいさで死ぬ、とかまったく思わなかったし。
今思い出してちょっと泣きそうなんて誰にも言わないしばれないし。だってまだ兄弟は帰ってきていないしカラ松は部屋の中で。
中で、まだ服も着ていないのだろうか。衣擦れの音は聞こえていない。そっとふすまに耳をひっつける。不審者とつっこむ者は誰もいないため一松は自身の行動に違和感を抱かない。音がしない。声は、わからない。え、なに、まだぼんやりしてる? いやでもさすがにそろそろ脳の処理も終わってる頃なんじゃ。もしかして中途半端だったから処理、とか。
想像してカッと頭が煮えた。
一松が育てたカラ松のちんこを、恥ずかしそうに目元を赤く染めて少し涙目のまま一瞥して、きゅっと一度まばたきして戸惑ってから、そろりと皮の少し硬い手の平が包み込むように握りしめ。
そんなの見たい。一松の目の前でお願いします。大丈夫さわらない、踊り子さんにはお手をふれないでください、了解しています。ちょっとだけ感想を述べるだけ。今びくってなったの感じたの? とか、そういう感想。ダメですかそうですか、じゃあもっと独り言なら問題ないでしょ。すごいいっぱい出てきてるのこぼれそうだから舐めてあげたいな、とか。あくまでもおれの感想で独り言であとえろいことも言ってない。完璧。よしこれで行こうこの方向で大丈夫まだ誰も帰ってなんか。
聞き慣れた歌声に一松の肩がびくりと揺れた。ふすまを背にしてしゃがみこんでいたはずなのに、なぜか目の前にふすまがあり手をかけていた。なんだこれ怖い。自覚なしに一松はなにをするつもりだったのか。
のんきな歌声と反比例するように声はどんどん大きくなる。十四松の速度を甘く見てはいけない。どぶ川をバタフライする弟の肺活量は一般的成人男性のものにおさまりきらないのだ。
取り急ぎふすま越しにカラ松に声をかけ、一松は階段に足を向けた。共に居る所を見られるのはなんとなく気まずい。そもそも二人は仲が悪いという設定のため、なにしてたの、なんて無邪気に問われてしまっては掴みたくもない胸倉をつかんで睨みつけなければならない。涙目のカラ松は正直そうイヤではない、というかぶっちゃけ興奮しないでもないのだが、今の一松は刺激に敏感なためあまりオカズ的なものを目にしたくない。あと演技といえ嫌われたらイヤだな、とか。兄弟として! 好きだった歴史のない一週間程の知人に乱雑に扱われ、カラ松がそんな他人になにを思うかと想像してしまうと一松は怖い。もう兄弟としてカウント、どころかもう少し特別な地位を得てしまっているカラ松から拒まれるなんてことがあれば、ただでさえ弱い一松の心はさくっとなぎ倒され復活の目途が立たない。
ただいマッスル、と元気に響く声におかえりと返しながらトイレへの籠城に成功した一松は、前後逆に履いていた下着に気づきすみやかに発火した。羞恥で人は燃えられる。