三ヶ月目で反故になった

松野一松はけして薄情な人間ではない。
野良猫に関しては自らの小遣いから餌を買うほどであるし、時間があればブラッシングだってしてやる。見た目がいい方が拾ってもらいやすいのだから、なるべく身綺麗にするに越したことはないのだ。
そもそも彼は、自他共に認める兄弟大好き人間であった。友達なんていなくても兄弟がいるからいい、は強がりではなく八割方本心である。飲みに行くのも銭湯も遊ぶのも、彼の生活のほとんどは兄弟と共にある。そしてそれを苦にもしていない。
松野一松は、どちらかと言えば情に厚い、兄弟を愛している人間であった。

 

 

だからといってこれはどういうことだろう。
そっと一松は視線を自らの下半身に向けた。勃っている。ちょっとした間違いだよメンゴメンゴ、という弱々しい勃ち方ではない。ぼくは今めちゃくちゃ興奮してますよろしくね! とはきはき自己紹介でも始めそうなほどそそり立っている。
そうっと視線を前に向けると、布団の上に横たわった二つ上の兄。
熱のせいで真っ赤な顔で、鼻がつまっているのかはふはふと口で荒い息をついて、だるさからぐったり寝ころんでいる病人。ただし下半身だけ丸裸。
だからこれはどういうことなんだってば。
再度脳内で誰かに問うてみたけれど、一松の疑問には誰も答えない。なぜならこの部屋には一松とカラ松しかおらず、疑問は声にされていないからだ。

「いちまつ?」
「っひゃい!!!」
「ど、どうした」

おまえがどうした。いつからそんなえっろいかすれ声を修得しやがった。誰かから学んだのか。成果をみせるぜ~なんてかっこつけて少しだけ上気した顔でその声で。

「大丈夫か? あの、無理なら他の」
「よゆうだから」

食い気味の返答はおかしいと思われただろうか、なんてことを考える余裕は一松にはない。

「でも」
「みんな出かけてるし呼び戻すわけにもいかないし帰ってくるまで時間あるし、そもそもあんた病人でしょ」
「いや、あの、自分で」
「さっき無理だって諦めてただろ!」

何気なく家のふすまを開けば兄が自分の尻の穴に指を入れようとしていたのだ。ふすまを開けたら二分でご飯、どころの騒ぎではなかった。あまりのことに動けない一松に、熱で、風邪が、薬を、と必死に弁明したカラ松は気力を使い果たしたのか布団の上でぐったりしている。
薬局でとにかく効果の早いものを、と求めた結果が座薬であったらしい。普通に経口の薬を買ってくればいいのに本当に目の前の兄はぽんこつである。尻の穴になにかを入れた経験など碌にない人間が、ただでさえ熱で朦朧としているときにうまく薬剤を入れられるわけがない。助けを求められた一松が仕方ないと手を貸すのは自然の流れだった。
基本的に一松は情に厚いし兄弟が好きなのだ。それがたとえ、無駄に格好をつけ根拠のない自信に満ちあふれている気にくわない兄であったとしても。けして、いちまつぅおしりいれてくれよぉ、なんて涙混じりの懇願にときめいたわけではない。こういうのこないだAVで見たな、とか思ってない。

「病人は黙って寝ころんでろよ、おれだって熱だしたあんたにどうこうするほど非道じゃないつもりなんで」

勃起はおそらくAVとか連想してしまったせいだ。そういえばここのところ一人になれる時間がなくて抜いていなかった。思春期の男なんて辞書のエロいような気のする単語だけで勃起するんだから、こういうシチュエーションがと思い出すだけで勃つのもおかしくはないだろう。いつまで思春期のつもりかということはおいておく。

「すまない、じゃあ頼むな」

ころりと転がるカラ松の横、布団の傍に転がっていた薬の箱を手に取り使い方を熟読する。自慢じゃないが一松は他人に座薬など入れたことはない。幼い頃、母親にしてもらったことがあったかな~、程度だ。いやでもたいていはそうじゃないだろうか。子供でもいれば違うだろうけれど、一松は由緒正しき童貞である。そもそも誰かの尻をこんなにも見ることさえないに等しい。銭湯に行ってもどうせ男の尻だし、気にもとめたことがない。

「ええと、うつ伏せになって丸まる感じで」
「こうか」

ところで唐突だが、ここでひとつ新たな事実を発表したい。
一般的に男の尻は角張っていて固く女の尻は丸みを帯び柔らかいと認識されている。女の尻など雑誌やAVでしか知らない一松も、無論そう信じて生きてきた。
しかしながら今一松の目の前にてーんと置かれた尻は、丸くつるりとしひどく白い。太陽の光を知らないその肌はいっそ汚れを知らぬ新雪のようで、柔らかそうな尻たぶがそろえた足の上で押され少しだけ形を変えている。
みなそろいの青いパジャマからいきなり現れる尻。ぷりんとして小振りでひどくさわり心地のよさそうな、できたら枕にさせてもらえませんかと申し込んでしまいそうな魅惑の尻。から低い男の声が聞こえてきて一松の心臓はぴっと縮んだ。

「もう少しあげた方がやりやすいか?」
「はっあぁああっぁっっぁっぁぁぁぁl!!!??? なに、なんなのおまえ馬鹿かよバックでがつんがつん突かれるつもりかよそんな食いつきたい尻振ってもっとあげるとかなんのつもりなんだよばーっかばかばかばかちょっとくらい考えてもの言えよ自分を大事にしろよつーかケツ毛のひとつくらい生やしとけよチョロ松兄さんに燃やされたのかよクソ松マジ死ね!!!!!!!!」

叫びながらのけぞって、三回ほど天井を仰げばようやっと落ち着いた。

「け、ケツ毛は燃やされてないぞ・・・・・・生えてたら薬いれにくいか?」
「・・・・・・だいじょぶ。でもこの体勢はやめよう。なんかちょっと」

熱のせいか恐怖からか、うっすら涙の幕を張ったカラ松の瞳からそっと視線をそらし一松は指示を出した。今のはさすがに申し訳ない。ケツ毛が生えていようがいまいが本人にはどうすることもできないことだ。ハゲに髪を生やせと言うのは非道だろう。そもそも尻が女のものに見えてしまったのは、一松が他人の尻に慣れていないせいもあるのだろうし。別に尻ソムリエは目指してないからこれからも慣れるつもりはないけれど。でも今のはさすがに悪かった。病人には怒鳴り声はきつかっただろう。
反省した一松は、心持ち優しい声を意識してみた。これは成功したらしく、カラ松もいそいそと体勢を変えていく。

「仰向けで寝ころんで。膝のとこで足抱えてちょっと尻浮かす感じで、あ、まくら腰に入れた方が安定するかな」
「まかせろ、こうか?」

先程は体勢が悪かったのだ。
カラ松の男らしい体躯がすべて隠れ、さほど男女の差のない尻だけ強調するような姿勢だから混乱したに違いない。仰向けで、男以外の何者でもない姿を見て薬を挿れるならば問題ないだろう。一松の股間とて落ち着くに違いない。
そう信じていた時期が僕にもありました。

「?」
「どうした?」
「???」
「おい、一松? 腹が痛いのか??」
「?????」

他意はなかった。一松にはそんなつもりはまったくなかったのだ。足は自分で持ってもらった方が両手が使えるし、腰を上げた方が患部を見やすいだろうと思っただけだし、そもそもずっと足を抱える姿勢はつらいだろうからまくらを、という思いやりであったし。
もちろんカラ松にだってなにもなかっただろう。彼はただひたすら、一松の指示通りの体勢をとっただけだ。腰の下にまくらを入れ、両足を抱え、尻の穴を一松に見やすいようにさらけ出したのだ。
たぶん、熱のせいで真っ赤な頬がいけなかった。涙で潤んだ瞳も、荒い息も。極めつけは、座薬を挿れるじゃまになると考えたのか、右手で膝をまとめて抱え左手で竿から睾丸まで持ち上げた今の姿勢だ。健気か?
これはあれでは? セッ、とかの体勢なのでは?? 挿れてほしい、とかおねだりのポーズなのでは??? がまんできずに自分でこすっちゃったりしてあんあんらめぇ気持ちよくてしんじゃうぅとか言っちゃうやつでは???? ぎゅーできないぃとか泣いて足放していいよって許可もらってやっと抱きついてくるやつなのでは????? ピクシブでみた!!!!!(見てない)

「・・・・・・せくろす・・・・・・」
「いちまぁ~つ? 腹で悪魔が踊っているならオレのことは気にせず約束の大地に」
「目隠しを、します」
「ホワイ!?」

溜まっているのだ。だからなにを見てもそっちの方向に考えてしまうに違いない。箸が転がってもおかしい頃とかあるだろう、それだ。でないと先程より元気元気と主張の激しい一松の息子と喧嘩別れしてしまいそうだ。彼とはこれからも仲良くやっていきたい。

「なに、なんか文句あるわけ? このオレの艶姿をしかと目にとどめよ記憶しろあとからも思い出せなんなら使ってもいいんだぜぇ~とか言うのかよどこの堕天使だよ」
「いや、あの、すまない・・・・・・?」

だてんし? と呟いているカラ松を後目にタンスから取り出してきたタオルを顔に巻けば、とたん視界が暗くなる。
これで安心だ。よかった。なにも見えない薄暗い視界には、いきなり暗闇から飛び出して腹に包丁突き立ててくるような破壊力満点の勢いある次男はいない。一松の背を押してよくわからない世界に飛び降りさせたりしない。よかった。

「じゃあ挿れるから」
「あ、ああ! すまない、頼むな」

薬の箱はこのあたりに置いたはず、と探った右手が四角いものにふれる。記憶に間違いはなかったらしく、一松は無事軽い小さな紙箱を手にした。蓋を開け、中の包み紙を取り出す。ひとつずつ包まれている薬剤を、ぽこりとカプセル状になっている部分を押して取り出す。元来器用な一松にとって、見えていないからといって難しい作業ではない。丸みを帯びつつも尖った方を先端に、右手の親指と人差し指、中指でそっと持つ。あとはこれを挿れてしまえばいいだけだ。

「じっとしてろよ」

これを挿れてしまえば。
Q:どこに。
A:クソ松の尻の穴に。

「・・・・・・一松、やっぱり見えないとやりにくいんじゃないのか?」

ぴたりと動きを止めたのは目隠しのせいだろうとカラ松が声をかけてくる。見ろってか。見ろと言うのか、さっきのどの角度から見ても性行為のように見えてしまう体勢を。オレのえっちなとこ見てくれないか。お気に入りのAVの台詞だったのにどうして一松の脳内ではカラ松の低い声に置き換わってしまっているのか。

「だいじょうぶ」

絶対に見るわけにはいかない。今ならまだ大丈夫、大丈夫、大丈夫。でももう一度まじまじと見てしまうのは一松は自分に自信がなかった。
そろ、と伸ばした左手がしっとり湿った温かいものにふれる。おそらく太ももだろう、熱のためか汗ばんでいてぴたりと一松の手のひらにはりつくようだ。
柔らかい部分は尻の肉。左から手を伸ばしたからこれはカラ松の右の尻のはずだから、中心はもう少し右に。脳内で詳細に思い浮かべるのはAV女優の下半身だ。そもそも一松は男の下半身もこういった体勢もろくに見たことがないのだから当たり前なのだけれど。見慣れた映像ではモザイクがかかっている部分、の少し奥にそっと指先をすべらせた。

「ひゃっ!?」
「動かないでよ」
「わ、悪い、ちょっと驚いて」

はねたカラ松の足が肩に当たり、一松は眉をひそめた。せっかく捜し当てたのに動かれて手が離れてはまた最初からやりなおしになってしまう。右手に持った座薬もあまり時間が経てば溶けてしまうかも知れない。体内の熱で溶けるとあったので、指で持ち続けるのだってきっとまずいだろう。
ぐいと体を押し込み、左肩でカラ松の抱え上げられた足を支える姿勢になる。これならば右手は自由だし、少しくらい動かれても当たって薬が飛んだりしないだろう。
確認のため、左手の指先にくっと力を入れる。周りと比べると妙にぷにょっとした感触が一松の人差し指を迎え入れる。

「うぉあっ」
「ごめん!??」

なんだこれ。なに。なんなの今の。ぷにってやわってぺちょって、え、なに。周りはしっとりした肌、はわかる。汗ばんで、うん、熱あるし。でもさわった部分はそうじゃなくて、なんかこう、粘膜って感じの。

「・・・・・・い、たいとか、は」
「ナイデス・・・・・・」
「じゃ、じゃああの・・・・・・続けるから」

ぽたりと膝に何かが落ちてきた感触で、汗をかいているのだとようやく一松は認識した。
手のひらがぬめっている。Tシャツの背中が妙にはりついて気持ちが悪い。カラ松の足を支えている左肩から腕にかけて、まるで発熱でもしているようだ。
きゅ、ともう一度指先に力を込める。先程と同じくふにふにと柔らかなそこはひどく気持ちがいい。けれどきゅうと閉じたそこに、座薬は入るのだろうか。薬は結構大きいけれど。
一松は馬鹿ではない。今ちょっと動揺しているけれど、座薬より大便の方がずっと太いということくらいはわかっている。とりあえず一松はそうだ。だからなんの心配もない。
しかし今、目隠しをし指先ひとつで感じるそこは、うんこ出すとこというよりももっと清廉ななにかに感じられてしまっているのだ。ほら、女性器のこと観音様とか称したりするでしょスポーツ紙のエロ小説とか。ああいう感じ。なんかこうかわいくてやらかくて温かい、色でいうなら淡いピンクの。一松の想像力はわりと豊かであった。そして現在脳内はとんでもなく煮えていた。

「い、いちまぁ~つ、なんでそんなに押すんだ、そこ」
「・・・・・・ちょっと揉みほぐさないと入りそうにない」
「え、尻の穴って押したらでかくなるのか」
「でかくっていうか、マッサージしたら柔らかくなるでしょ。そういうこと」
「なるほど、助かる」

そういうこと、では何一つないのだが弟にとても優しくされてうれしいのかカラ松はあっさり納得した。どういうことだよ、と己につっこみつつ指の動きが止められないため一松はそっと口を閉じた。でもほんとどういうことだ。
押すと柔らかく受け止められ離そうとすると軽く吸いつくような感触がする。そろりと参加させた中指で表面を撫でてみれば、ふるふるとカラ松が震えた。男の尻の穴、なんだよなあ。しみじみと考えるも見ていないせいかまるで現実味がない。そもそも一松は他人のも己のものも、尻の穴というものをまじまじと観察したことなどない。
というか、なにか違いがあるのだろうか。男女差、はそりゃ色々ある。骨格だの筋肉のつきかただの、胸だの尻だの性器だの。しかし一松は先程、尻に男女差はさほどないと実感したところではないか。軽率に思い出しそうになる脳味噌にぴしゃんと平手打ちをかまして(想像)考えを先に進める。
尻の穴、と出口一辺倒で考えるからいけないのではないだろうか。これは体内と体外をつなぐ門であり、つまり口と同じようなものと考えれば。少し指を進めれば粘膜なわけだし。

「えっ」
「んん~? どうした一松」
「っ、ろ、なんでもない」

いけない。エロい単語ひとつで興奮するのは思春期もとうに過ぎた身として勘弁してほしい。一松の息子は元気すぎるのではないだろうか。こういう場合どうしたらいいのだろう。亜鉛を控えるのか?
あまりに左の指先が気持ちいいためよくわからない考えに至ってしまった。ぶるりと頭を振った一松は、とにかく薬を挿れてしまおうと右手に力をこめる。

「えっと・・・・・・ここ、であってる?」
「あ、や、その・・・・・・少し左にずれてる、気が・・・・・・いや気にしないでくれ! きっと大丈夫だ!!」
「は?! ここまでやっといて失敗しましたとかしゃれになんないんですけど。つーかめちゃくちゃ汗かいてるじゃねーか、熱しんどいんでしょ」

左手の押さえる場所に薬を当てているつもりが、微妙にずれているらしい。押し込めばどうにかなるのかもしれないが、あんなに柔らかな部分に乱暴にして切れてしまわないのかと心配で、一松はどうにも力が入れられない。いや、気にくわないむかつくクソ松といえど今は病人だし。これで切れ痔にでもなられたらさすがに哀れすぎるし。
一松の右手にそっと誰かの手がふれた。

「あの、こ、ここだ・・・・・・よろしく頼む」

誰かの、とかごまかして申し訳ない。カラ松だ。一松の二つ上の兄、クソ顔でクソみたいなことばかり言っている無駄に自信家な、さきほど自らの足を抱え上げ一松の目の前に尻穴をさらした男。その男の手が、そろりと添えられ尻の穴の位置を教えてくる。
ここにちょおだいよぉ、きゅんきゅんしてせつないのぉ。
なぜか先程から何度も最近見たAVの台詞が脳内で再現されている。なぜか。わからないわからない、一松は知らないわからないなぜかでいい。いい、のだ。わからないけど。
く、と軽い力で押せば吸い込まれるようにするりと薬が入っていく。

「一松、あの、助かった」
「うん」
「それでだな、あ~、えっと・・・・・・もう指を離してくれてもかまわないぞ」
「肛門ってさ、まあぶっちゃけ出口じゃん。ここから入ることとか想定されてないわけじゃん」
「うん?」
「だからさ、薬なんかもフツーに出てきちゃうわけ。出口から。そしたら意味ないから溶けるまで押さえてなきゃいけないんだよね」
「そ!? そうなのか、すまん、座薬なんて初めてなものだから」
「おれもさっき説明書見て知ったし。つか座薬に詳しいとかもなんかイヤだし」
「ハハ、しょっちゅう熱出してないとだな」

痔か座薬プレイしか考えていなかった一松は、あまりのカラ松の純真さにそっと視線を逸らした。目隠しで見えてないけれど。
座薬を挿れるのは高熱を出す以外に考えたこともないのか。おまえはいったい何歳だ。立派な成人男性ではないのか。そんなだから妙に幼女扱いされたりするんだふざけるな。
いや幼女なのか? だからこんなふにふにで柔らかな部分があるのか体に。そうだ、そう考えれば納得がいく。幼女だから尻も白くてつやっとしてかじりつきたい感じでもおかしくないし、足抱えてごろんとかされたら謎の罪悪感あるし、尻の穴に座薬つっこむのもイヤじゃないのだ。

「なるほど、じゃあ仕方ないな」
「な、やっぱり早く熱下げるにはいちばんいいらしいし」

しかし幼女であるならば、これだけは教え込まなくてはいけない。
一松は情に厚い、兄弟を愛している人間なのだ。ましてや幼女ならば輪をかけて世間のあれやこれやから守ってやらなければ。

「おいクソ松、おまえこれからしょっちゅう高熱出すけど」
「え、なんで断定?」
「もし薬挿れるなら絶対おれのとこ来いよ。幼女にひとりでさせるとかかわいそうなことできるわけないし」
「ヨージョ・・・・・・? いや、別に他のブラザーに」
「おれのとこ、来い。わかったな!?」
「ひっ、なんで強気ぃ」

やはりこの兄は幼女であった。まったく世の中のことがわかっていない。一般的に貞操というものはとても大切なのだ。いくら本人にそのつもりがなく相手が兄弟であっても、誰にでも尻を突き出すような人間に育ててはいけない。今回のことは不可抗力であるし仕方ないので、せめて被害を最小限に押さえなくては。
一松は使命感に燃えていた。ぽんこつ幼女なカラ松を、立派は無理でもそれなりの成人男性(貞操観念あり)に育て上げねばと決意した。戸惑った声で呼びかけてくる兄が同い年の自分より力も強いごつい男だということは、目隠しのため見えていない。
いや頭では理解しているのだ。きちんと。けれどやはり、薬を押し込んだまま離されていない右の指先が、左肩に感じるふるふると揺れる足が、しっとり汗で湿っている左手が、これは壊れ物だと主張する。丈夫で健康なゴリラのはずなのに、少し一松が対応を間違えば即壊れてしまう何かだとどうしてか思ってしまうのだ。
壊れてしまうなら別にそれでいい、と思うにはだから一松は情に厚い。兄弟が好きなのだ。馬鹿でクソでどうしようもない兄であっても、楽しく生きてること自体は悪くないのだし。新たに発覚した事実として幼女なわけだし。これから一松がきちんと育ててやらねばいけないわけだし。うん。

「クソ松、繰り返して。座薬は一松にお願いします」
「ざやくは一松におねがいします?」
「誰にでも尻をさわらせたりしません」
「誰にでも、っていやオレはそもそもそんなつもりは」
「繰り返せつってんの」
「だからなんで強気ぃ」

頭が残念な出来であることは生まれてこの方のつきあいで十分にわかってしまっている。それでも育てようと決めたのは一松なのだ。責任を持たねばいけない。すぐ抜けてしまうすっからかんな頭に注意事項を刻み込まねば。
落ち着いたら本屋でものぞいて育児本をみつくろわねば、と考える一松はとても誠実な人間であった。古本屋だと情報古いのが並んでるかもしれないし、と考える程にカラ松に対して真摯に取り組む男であった。
偶然出くわしてしまったから、という理由で同い年の男に座薬を挿れ、諸々ありながらも目隠しを選択することにより兄と弟の距離をきちんととり、自分の子でもないのに育ててやろうと決意し、薬が溶けるまで出てこないようにきちんと患部を押さえててやる。一から説明すればそこそこ納得してもらえる状態であった。説明をすれば。
説明さえさせてもらえれば。

 

 

ただいまと帰ってきたチョロ松に無言で蹴り飛ばされるところから始まる阿鼻叫喚の第二部は一松の精神衛生上放映は禁じる。無理。ちょっとつらすぎて記憶薄れてきてる。
ひとつ確実なことがある。おそらくカラ松は一松を殺すつもりである。「一松は優しかったぞ」「この体勢もオレがしんどくないように一松が教えてくれて」というぽんこつの弁護はまるで助けにならなかったうえに、座薬と納得したトド松が他の松に頼みなよボクはお断りだけどと口にした際「尻は一松にしかさわらせるなって言われたんだ」と頬を赤らめ視線を逸らして言いやがったのは許し難い。おまえギルティにもほどがある。確かに言ったが、それはなんというか、ちょっと今みなさんの考えていることと温度差が違うっていうか! なんで松野家の居間こんなに冷房効いてるんですかね北極レベルですね!!!

「・・・・・・まあ個人の好みって色々だし・・・・・・ボクに関係ないとこでやってくれたら別に」
「ちょ」
「一松の趣味はやっぱり僕にはわからないけど、うん、こっちに迷惑かかんないなら好きにして」
「ち、ちが」
「もーおまえら水くさいよ~、そういうことならおにーちゃんにさっさと教えて、そんでお祝い金くれたらいいよぉ」
「おまえがもらうのかよ」
「にーさんえっらい趣味でんなぁ!!!」
「じゅ」

確かに普段、一松はカラ松に対してそうほめられた態度ではないと自覚している。丈夫でなんでもすぐ忘れてぽんこつな兄は、少し乱雑に扱っても大丈夫という松野家の基本的ルールにのっとっているのでそこは仕方ない。でも別に、うざいし苛立つしクソだと思っているけれど、嫌いではない。だから病気で弱っていれば手助けするのに躊躇はないし、幼女だとわかれば育ててやらねばと使命感とて芽生えるのだ。これは家族に対する愛情。崇高な義務。

「・・・・・・おまえら黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって・・・・・・」

それなのにこのクソ兄弟ときたら俗にまみれた目でしか物事を見ず碌なことを言わない。純粋なカラ松の耳が汚れたらどうする。

「こいつは幼女なの! このままじゃ誰にでも懐いて警戒心皆無でそのへんのおっさんにころっと騙される未来しかないわけ!! だからせめておれがっ、立派は無理でも一般的な考え方のできるそれなりに警戒心を持ったクソ松に育てなおしてやろうとしてるのに、なんでそーいうこと言うわけ!!!?? もういい! おれが一人でクソ松育てっから!! おまえらのことおとーさんとか呼ばせねーしっ、責任を持って処女のままバージンロード歩けるよう育てあげっから!!!!!」

一松の精魂込めた説得は通じたらしく、座薬の件に関して以降いっさいいじられることはなかった。松代の立場は、というトド松のか細い声は叫び疲れた一松の耳には入らなかった。