かわいそうなおひめさま

その呪いは愛する人とのキスで解けるのです

 

 

 

「悪い」
弓を引き絞るような声は震えていました。
「あんたが悪いんじゃない、おれが。おれが、全部」
震える手は幾度もおひめさまの頬を撫で、くいしばった口はおひめさまの名を呼び、うろうろと揺れるまなざしはまっすぐおひめさまに注がれていたのです。これまでは。
だけどこれからは。
小さな小さな手をすがるように握りしめながら、王子様はひたすら悪いと口にしました。おひめさまは責めていません。手を握られている青い帽子の小人も。それでもただただ謝り続ける王子様は、いったいなにを見ていたのでしょうか。
「いいんだ。これが運命なんだから」
それ以外、おひめさまになにが言えたでしょう。
呪いは運命の相手、愛する人とのキスで解けるのです。青い帽子とサングラスがイかした小人に口づけた王子様が、同じ大きさの小さい生き物になるならばそれが運命なのです。
どれほどおひめさまに愛をささやいていても。あんたがきっとおれの運命だ、と告げられていても。
「キミはオレの運命の人ではなかった、それだけの話だ」
寄り添う小さな二つの影が見えなくなるまで、おひめさまは手を振りました。彼らの幸せを祈りました。幸せそうに笑うからもっと見ていたい、と言われた形をきちんと作りました。
「・・・・・・おつかれ」
きっとそれに気づいていたのでしょう。かけられた声は常よりずっと柔らかく、いたわりに満ちていました。
「オレは、うまくやれただろうか」
「うん。誰より立派なおひめさまだったよ」
凛として、幸せそうで、常に笑顔の。みなの思う、想像する、夢を見るおひめさま。悲しいことがあっても取り乱したりしないで運命には立ち向かう。
「そうか。じゃあ良かった」
するりと寄る体躯は暖かく、目元をひと撫でした尾はふさふさと顔をくすぐります。がまんできずに抱きしめれば、やわらかな声がおひめさまに降ってきました。
「がんばった。あんたはとてもがんばったよ」
唄うようにゆるゆる投げかけられる優しい言葉。温かな体温。
「あいつは、あいつらはもったいないことをしたよ。あんたはこんなにも立派ですばらしいおひめさまなのに」
「はは。珍しいな、おまえがそんなに誉めてくれるの」
「うるさいよ。せっかくなんだから気持ちよく誉められておけば」
どれほど立派でも、すばらしくとも、それは王子様には関係のないことなのです。先ほどの王子様にも、これまでの王子様達にも。ただ運命ではない。それだけ。
おひめさまはそれを理解していました。慰めてくれている猫もまた、理解していました。それでも。
「ありがとうな」
美しい紫色の毛並みに頬をすり寄せ、おひめさまは心の底から願いました。
「ああ、おまえがオレのおうじさまならよかったのに」
かわいそうなおひめさま。
どこにも王子様がいない、哀れで気の毒なおひめさま。

 

◆◆◆

 

なぜ呪われてしまったのかは、誰にもわかりませんでした。
飛び抜けて美しかったわけでも、パーティーに一人だけ妖精を呼び忘れたわけでもありません。けれど十八歳の春、成人を祝うパーティーで呪いは降りかかり、呪われたおひめさまになってしまったのです。
呪いを解くのは運命の人とのキスでした。キスには不思議な力があるのですから当たり前と、お城の魔法使いは胸を張ったものです。
王様はおふれを出しました。おひめさまを助けてくれる騎士様、王子様、英雄よ来たれと呼びかけました。おひめさまの呪いを解いた者にはなんでも望みのモノを与えようと。
隣国の王子様も、そのお隣の国の王子様も、国一番の知恵者も、騎士団の団長も、魔法使いも宰相も肉屋も宿屋も、集まれる者達すべて、どうしたって呪いは解けません。おひめさまがひとめ見て、彼は運命じゃないと拒むのです。困ってしまった王様は、おひめさまの望むまま、運命を探す旅に出ることを許しました。もう国に居て出会える<誰か>などいなかったからです。
おひめさまはたった一匹の猫だけを連れ、旅立ちました。

 

最初に出会ったのは不思議な仮面をつけた青年でした。
口がきけない彼は、その代わりにか顔をあわせるたび美しい花をくれました。おひめさまの顔がどんどんほころび、柔らかくなり、彼が運命であればいいのにと願いだした頃。
青年と共に暮らす神父様と会い、おひめさまはきちんと理解しました。
「旅をしているのに同行者が無口では寂しいだろう。言葉が通じるようにしておいたから、きっともう寂しくない」
とても親切な神父様は不思議な力で猫とお話ができるようにしてくれました。
青年は、やっぱり美しい花をくれました。
「猫よ、猫よ」
「おれはネコなんて名前じゃないよ」
「そうか、猫よ。・・・・・・世界にはよく似た顔の人が三人いるらしいんだ」
「・・・・・・あんたとあの神父は、別にちっとも似ちゃいないよ」
青年はおひめさまにいつもたくさんの花をくれました。神父様は不思議な力で猫と話せるようにしてくれました。
話せないまま青年は、神父様のお部屋に、一輪だけ花を飾っていました。その日咲いた中でいちばんきれいでいちばん美しい、もっとも薫り高い花でした。

 

次に会ったのは、天まで届くような塔にいた王様でした。
ずっと一人だからとても退屈、少しだけ話をしようと猫に語りかけていたところに出会ったのです。
王様は戦争に負けたのだと言いました。お隣の国と、いつの間にか戦わなくてはいけなくなっていて。ずっと昔は仲が良かったはずなのに。戦いなんてなにも産みはしないのに。
戦いは嫌だなとおひめさまも思いました。
ずっと一緒にいたメイド達が、守ってくれている騎士達が、おひめさまの周りの人達がいなくなってしまうような出来事は起こってほしくありません。負けてしまって、捕虜としてひとりぼっちで閉じこめられるのもどんなにか寂しいことでしょう。
「プリンセス、きみには愛らしいキャットナイトがついてるじゃないか。とても頼りになる、な?」
おひめさまのお隣に王様が座ったとたん手をひっかいた猫は、ぷいと顔をそらしました。
「ああ、そろそろ時間だ。名残惜しいがプリンセス、プリティーキャット、お別れしなくてはいけない」
「もしよければ、王様も一緒に行かないか?」
塔はとても高く、入り口は鍵がかかっていました。けれど猫の力を借りれば窓から塔に入れたのです。きっと王様が望めば、出ることだってできるでしょう。
お別れを口にした王様があまりに寂しそうな顔をしたので、おひめさまはそっと手を差し出しました。
「一緒に」
「オレは呪いを解く旅をしているから、一緒に来てくれたらとても助かる。あなたは強そうだし、話していて楽しい」
「ありがとうプリンセス、光栄だ」
王様が手を伸ばした瞬間、猫にさらわれおひめさまは窓の外に飛び出していました。さきほどまでおひめさまが居たソファには、鋭い剣がつきささっています。
「青の、僕から離れるなんて許さない」
聞いたことのない声を背に、おひめさまと猫はどんどん落ちていきました。
「猫よ、猫よ」
「おれはネコなんて名前じゃないよ」
「そうか、猫よ。・・・・・・もうあの王様は他の誰かの呪いを解く約束をしていたんだなぁ」
「あんまり近づかない方がいいね」
でも、とおひめさまは寂しそうだった王様のことを思い返しました。
「オレなら、運命の人とはずっと一緒にいたいなぁ」
「そう」
「だってあんな塔に一人は寂しいだろう。猫はどうだ?」
「・・・・・・大切なモノは隠しておかないと心配だからね」
あの紫の瞳の男も同じなんだろうかとおひめさまは考えました。
大切だから隠したのでしょうか。青の、と呼んだ声はまるで許しをこうているようでした。

 

それからも、いろんな人に会いました。
真っ白の服を着て大きな音のでる黒い物を持った男性は、夢だなぁとぎざぎざした歯をむき出しにして笑いました。
「なるほど、深層心理というやつか? 笑わせる。黙って守られているお姫様なんかじゃねえくせに」
「オレはおひめさまだぞ」
「へえ、じゃあ黙っておれに守られてくれるのか?」
「今は呪いを解く旅をしているから難しいな。守られるにはどうしたらいいんだ?」
「どうしたらって、そりゃおれの傍にいれば」
「危なくないのか? 見たところ、あなたも戦う者のように見えるけれど」
前線にでる者の傍は危ないものでしょう。おひめさまとて騎士団の活躍くらいは知っています。守る、というのであれば城のような強固な守りをしいてある場におくべきではないのでしょうか。
「オレは戦う方が得意だから、その方がいいけれど」
騎士団に混じってこっそり遊んでいたおひめさまが笑えば、白い服の男性はぱちくりと目をまたたかせていました。
「一緒に、戦う?」
「うん?」
「ああ、そうか・・・・・・はは、つまりおれはそういうことを望んでるってわけだ。さすが夢は話が早い」
つい、と延びた腕を猫にひっかかれた男性は楽しげに笑っておひめさまに告げました。
「夢から覚めたら覚悟しておけよ、おれはもう決めたからな。おまえも知ってるだろう? おれは蛇より執念深い」
白い服は赤く染まり、笑い声はわんわんと響きます。おひめさまはなんだか不安になって、そっと猫を探しました。指先にやわらかな毛並みを感じ、ほっと一息つけば珍しく猫から口を開きました。
「ねえ、あんたは守られてるより一緒に戦う方がいいの?」
おひめさまは小さい頃から武芸が得意でした。城で遊ぶ子供達の中では、かけっこだって剣だっていちばんだったのです。だから猫の問いかけがとてもおもしろくて、つい笑ってしまいました。
「そうだな。だから猫よ、おまえと一緒にいるじゃないか」
猫はただにゃあと鳴きました。

 

黒い服を着た男は、カラアゲという異国の料理をくれました。
がんばりすぎないでほしいんだよね、と口元をゆがめたのが笑顔だとおひめさまが知ったのは、猫が、あいつ笑顔が下手だねと言ったからです。
白い上着をはおった男は、ストレスかなと首を傾げていました。
未来を奪いたくはないんだけど、と猫を撫でながらまるで咎人のような顔をするのでおひめさまはひどく驚きました。一緒にいたいと願うことが相手のためにならないなど、考えたこともなかったのです。
十五勤は無茶だったかと呟いたひどく顔色が悪くやつれた男は、あんたそんな恰好しててもかっこいいねとほろりと涙をこぼしました。
優しくしたかった、笑ってほしかった、一緒にいたかった。おひめさまの前でほろほろと涙と願いを溢れさせ続ける男に、猫は居心地悪げに身じろぎしていました。彼は願いの相手にしてやりたかったことができただろうか。呟いたおひめさまの頬をぺろりと舐めたのが答えだと、わかるくらいにふたりは一緒にいました。
まるで猫と人のあいの子のような者にも出会いました。猫と同じ、きれいな紫色の毛におおわれた二振りの尾をふりながらおひめさまの匂いをかいだので、つい猫にするように撫でてしまいとても怒られました。
空を飛んで逃げないあんたも面倒そうだね、他の方法で逃げるんだ。どうしてそんなことを言われるのかおひめさまにはわかりません。呪いを解くために旅をしていることは、この不思議な人猫にとって逃げることになるのでしょうか。

 

おひめさまと猫はいろいろな人に会いました。
呪いを解いてくれる王子様だろう人達にも会いました。みな、おひめさまのおうじさまではありませんでした。
おひめさまを選んではくれない人ばかりでした。
靴の王子様に出会ったのはそんな、宛のない旅にほんの少しおひめさまが疲れていた時でした。
呪いを解く旅をしているというおひめさまに、王子様は自分もだと驚きに目を丸くしました。この靴に似合う姫を探し出さなければいけない、と自らがすっぽり入る靴を示すので、それはなんて大変な呪いだろうかと深く同情したものです。こんなに大きな足のお姫様はどの国にいるのでしょう。
おひめさまが猫とふたりだけで旅をしているのを知ると、王子様は靴の爪先部分から小人達を呼び出しました。赤、青、緑、黄、桃。王子様の膝までしかない小人達は、そろいの色違いの帽子を楽しげに振りながらたくさんの話をしてくれました。おひめさまの旅の話も聞いてくれました。たくさんで話すのも楽しいでしょ、と告げた王子様はとても優しい人でした。
いろいろな話をしました。
いつからか王子様は靴から出、おひめさまの隣に座るようになりました。小人達は靴の周りに座り、猫は気むずかしげな顔をしながらもおひめさまの足下に丸まっていました。
たくさんのことを知りました。
呪われる前のことも、呪われた後のことも。王子様もおひめさまも、とてもとてもとても多くのことを話しました。
ふれた指先が温かいことも、運命だと告げられるのはとても胸が痛むということも、王子様と共に居たからこそわかったのです。
おひめさまは、今度こそ呪いが解ければいいなと思いました。
王子様の呪いを解くのが自分であればよいなと思いました。
だけどそれが無理なことは知っていたのです。誰より、猫より、おひめさまがいちばんわかっていたのです。

「猫よ、猫よ」
「おれはネコなんて名前じゃないよ」

かわいそうなおひめさまは知っているのです。呪いを解いてくれる王子様には出会えないことを。

「猫よ、猫よ」
「おれはネコなんて名前じゃないよ」

 

◆◆◆

 

猫がおうじさまなら、なんてきっと怒られてしまうでしょう。
とても優しい声を出して慰めてくれた猫です。とても長い旅を一緒にした猫です。おひめさまのがんばりをいちばん近くで見ていたからこそ、投げ出してはいけないと諌めてくれることでしょう。
「・・・・・・あんまりバカなこと言うもんじゃないよ」
「猫よ、おそらくオレの呪いは解けない」
「世界は広いよ。きっとあんたのおうじさまがどこかに居るはずだから」
「この呪いは解けないようにできているんだ。だって運命なんて」
おひめさまは優しい猫に、ゆっくり、ひとつづつ教えてあげました。
本当は解けてほしい。呪われたおひめさまのままでなどいたくはありません。それでも。
「呪われたオレを愛してくれる人は、呪いの解けたオレを拒むだろう。呪いの解けたオレを求める人は、今のオレを受け入れられないだろう」
「あんたは、あんたでしょ。さっきの王子みたいに、本当は小人の姿でも。どんな恰好でも、たとえ飛べても、他の誰かと似た顔をしていても」
猫は目をぴかぴかと光らせて言い切りました。
「あんたは、あんただ」
たったひとりの、猫と一緒に旅したおひめさま。どの王子様に断られても、呪いが解けなくとも、凛と背を伸ばし笑っていたおひめさま。
「おれはあんたの王子様にはなれない」
「猫だからか?」
「違うよ。呪いを解く資格がないからだよ」
呪いは、愛する人とのキスで解けるのです。愛に資格などないというのに、猫は首を傾げるおひめさまにため息をひとつつきました。
「オレのことを愛していない、以外の意味がみあたらない」
「あんたがおれなんかを愛する、ことはないからだよ」
「オレは猫がおうじさまならうれしいな」
「おれはあんたの王子様になんてなれないよ」
思えばこんなにも長い言い合いをしたのは初めてでした。長い旅の間ずっと共にいてくれた猫は、いつだって仕方ないとおひめさまに譲ってくれていたのです。
「猫よ、猫よ」
「おれはネコなんて名前じゃないよ」
「じゃあ名前を教えてくれないか、おうじさまかもしれないキミ。オレの名は」
「っ、バカ!」
名前は存在です。存在は力です。力は鎖にも剣にもなるのです。
相手の名を問うことは求愛であり、自分の名を告げることは心を捧げることだとおひめさまとて知っていました。
猫も、知っていました。

 

流れる黒髪、こめかみから一房だけ青いのは王族の印。旅暮らしのためほんの少し灼けた肌と青みがかった瞳、すっと通った鼻筋、楽しげに上がった口角。
女物のドレスを着た滑稽な男が、そこには居ました。
同じように一房紫色に染まった髪の毛の、少し日に灼けた頬を赤く染め短い眉をひそめた男の腕の中にとらわれて、ひどく楽しげに笑っていました。
「・・・・・・あんたは大馬鹿だ」
「解けたじゃないか」
「なんで呪われたのかわかってないからっ、……わかってたらこんなこと」
「わかっているさ」
「じゃあますます馬鹿だ。おれが呪ってやったんだ。あんたはお城で幸せに暮らしていけるはずだったのに、こんな旅にまで出させて、全部、おれが」
「わかっているさ、オレを想ってくれていたんだろう?」
呪われたのは、成人のパーティーでした。出席していたのは、運命かもしれないお姫様達でした。
未来を共に歩むかもしれない誰かの手をとろうとしたその時、呪いは降りかかったのです。
「なんでっ、あんたはそんなに」
呪いには代償が必要です。
それは話せなくなったり、共に歩めなくなったり、愛する相手の未来を奪ったり。物言えぬ猫になって、しまったり。
「ノンノンノン、オレはカラ松だぜ運命のおうじさま」
あんた、じゃないぞと笑えばそっちもねと涙声が返ります。
いつだって、おひめさまの声には猫だけが応えてくれていたのです。
「一松、ですけど」
かわいそうなおひめさまはもういません。おつきの猫も。
ここにいるのはただ幸せな一組の恋人達。
「呪いが解けるって確証もないのに名前なのるなんてほんと馬鹿だね、カラ松」
「口をふさぐなら他の方法もあったんじゃないのか~? 一松はずいぶんと男前さんだな~??」
「ん゛ぐぅ」

 

呪いは愛する人とのキスで解けたのです
そうして一人と一匹は、二人で末長く幸せに暮らしました。めでたしめでたし。