好きだらけお兄ちゃん

「おはようハニー! キスしようぜ!!」
「死ねクソ松」
「じゃあホテルか? 朝からなかなかに情熱的じゃないかマイラァブ」
「ふざけるなクソボケ」

 

十五回目のお断りに、どうやら一松は自分とキスをしたくないのだとようやっとカラ松にも飲み込めた。まさかそんなことあるはずないと考えもしなかったので、うっかり気づくのが遅れてしまった。ギザギザとした歯を威嚇するように剥き出して死ねと毒づかれたけれど、いつものことだからと流してしまったのも良くなかっただろうか。もっと誠実に、ロープか包丁あたりを用意して再度問うべきだろうか。首を傾げていれば、さすがにそれは一松が泣いちゃうから止めてやれよとおそ松からストップが入る。わかっているさブラザー、オレだって愛しの兄弟が死んでしまうのはとても悲しい。だけど今のカラ松と一松は兄弟という枠から一歩はみ出してしまったので、大丈夫だと判断したのだ。
おまえほんとそういうところがおもしれーけど一松にはダメだと思うよ、と再度警告されてカラ松はもう一度首を傾げた。なぜだ。ブラザーが死ぬのは悲しい、それ以外はそれほどでも。とても簡単でわかりやすい理屈なのに、いまいち周囲に理解されないことがカラ松にはよくわからない。けれど一松がおそ松と仲がいいことは事実なので、疑問はそのままにひとまず肯いておく。

「しかしなおそ松、そうすると一松の希望をかなえてやれなくなってしまうんだ」
「いや死ねってのは言葉のあやっていうか、そこ本気にとっちゃったらまずいとこだしね?」
「せっかくの恋人のかわいいおねだりをかなえてやりたかったんだが・・・・・・」

そう、カラ松と一松は恋人同士である。兄弟ではあるが、しがらみや家族からの反対すべてを乗り切り、ようやっとおつきあいを始めたウキウキの初恋人。彼からの甘いお願いをきかないでいられようか。

「え~、せっかくならかわいいお兄ちゃんのお願いきいてよ~」
「金は貸さないぞ」
「一松に頼まれたら?」
「貸す」
「ひいき! カラ松おまえいつからそんなえこひいきするような男になったわけ~!? お兄ちゃん悲しがってるよ!?」
「おそ松はどうせパチンコか競馬だろ。なんでわざわざ金をどぶに捨てるような真似しないといけないんだ」
「一松だってどうせ猫関係じゃん」
「それくらいしかしてやれないんだから貸すだろ、普通。せっかく数多の困難を乗り越え家族の反対を押し切りつきあってるんだから」

暇なのか妙におそ松が絡んでくる。今日はパチンコに行かないのだろうか。軍資金を貸す気はないのでやぶ蛇にならぬようカラ松はそっと会話を終了させる。これまでならばたまになら貸してやっても良かったが、今は一松とのホテル代として必要なのだからびた一文出すわけにいかない。今日も失敗してしまったが、いつか彼が肯いてくれた時のために貯めておかなくてはいけないのだ。

「いやいやいや家族の反対とかいっさいなかったよね、つーかいいかげんおまえら早くひっつけようっとうしいくらいの勢いだったよね!?」
「お、チョロ松早かったな。おかえり」
「ただいま、じゃなくて今の! あのね、僕らが反対してたみたいな言い方やめてくんない? こちとらケツ毛燃やしながら兄と弟がひっつくお手伝いまでしたんだよ!? それを勝手にロミジュリぶられても腹立たしさしか感じないっつーか」

すぱん、と障子を勢いよく開いたとたんにせわしなく口を動かすすぐ下の弟に顔を向けると、その背後に真っ青な顔をした愛しい恋人が立ち尽くしていた。チョロ松と一緒に出かけていたのか。カラ松が誘った時は、ふざけるなと吐き捨てられたのだけれど。身体のひねり方が悪かったのだろうか、ちくりと痛む胸を無視しておかえりと笑いかければさっと目を伏せられた。しまった、マイラバーは恥ずかしがり屋だった。

「・・・・・・ねえ」

兄弟の前で共に過ごすのを嫌がるかわいい恋人のため席を外そうと立ち上がったカラ松に、妙にかすれた声がかかる。のどを痛めているのだろうか。しょっちゅうしているマスクを最近はしていなかったから、乾燥に負けてしまったのかもしれない。後で薬局でマスクを買っておこうと頭の隅にメモしながら、カラ松は声の主に視線を向けた。

「さっきの、なに」
「んん?」
「包丁、とか。おねだり、とか。・・・・・・それくらい、とか」

一松がなにを知りたいのかがわからず、カラ松はなんとなく笑ってみた。笑顔が嫌な人間はあまりいないだろうからとりあえず。ちっ、と舌打ちをされて一松は数少ない方であったかと失敗を悟りながら、一生懸命に頭を回転させる。
質問の意図がつかめない。恋人のおねだりをかなえてやりたい、というおそ松との会話のことだろうか。いったい二人はいつから居間の前にいたのだろう。いや別に家の中だし、どこにいても責められる筋合いはないのだけれど、でも。

「あれじゃねーのカラ松、おまえが一松の希望をかなえたいからとりあえず死ぬってやつ」
「ああ!」

なぜ問われているのかわからないが、こくこくと一松の首が動いているから正解なのだろう。もしかしたらかなえてほしいお願い事ができたのかもしれない。ひどく顔色が悪いから布団を敷けとかだろうか。わくわくと一松の口が動くのを待っていると、か細い声がひねり出された。

「し、死ぬとかなんで・・・・・・そんなに、お、おれとつきあったの、嫌だったわけ」
「んん~? なんでそんな考えになるのかわからないが、オレは一松とつきあえてサイコーにハッピーだぞ!」
「じゃあ」
「だからおまえの希望にはできるだけ沿ってやりたいんだ! ほら、今朝も死ねって言ってただろ」

ひゅ、と息を飲んだのはチョロ松と一松だった。おそ松は肩をすくめ、笑っている。確かに恋におぼれるカラ松はクールなギルトガイというより情熱的なピエロかもしれないが、そう笑ってくれるな。幼い頃から抱き、かなわないと諦めていた恋がかなったのだから浮かれるのも仕方ないだろう。

「そ、ちが、あ、あんたはおれが言ったらなんでもかなえるつもりなわけ!? そーゆーのは」
「そうだぞ?」
「っ、なんで」
「好きだからな!」

一松と恋人になれるなんて思いもしなかった。
いつからかわからないけれど、ずっと好きだった弟。皆と同じように接しているつもりだったけれど違うことがばれていたのだろうか、妙にあたりが強く乱暴になって。諦めろと言われているのだと思っていた。応えられないから諦めろ、他の相手に恋をしろ、と。
それができなかったのはカラ松だ。優しい弟の無言の拒絶を受け入れられなかった。寝ている一松につい好きだと告げてしまったのはカラ松の弱さ。彼は兄弟としての距離を望んでいただろうに。まん丸に目を見開いて音をたてて起きあがった一松から逃げなかったのは、カラ松の卑怯さだ。卑しい。もしかしての奇跡を期待した。もしかして。もしかしてもしかして、優しいこの弟は兄からの好意を切り捨てないのではないか。恋心をそのまま抱えていることを、許してくれるのではないか。

「それくらいしか恋人の一松にしてやれることがないだろう?」

手をつないで一緒に出かけてペアルックなんかもして。食事は割り勘がいいだろうか奢ろうか、たまにはちょっとしたプレゼントもして、誕生日もクリスマスも一緒にお祝いをしよう。そういう恋人としてするだろういろいろなことは、カラ松と一松はとっくにすませている。なんせ兄弟だ。今だってそろいのパーカーでペアルックじゃないか。
恋人とすること。兄弟ではしたことがないこと。

「オレはおまえとつきあえたのが本当にうれしいんだ。だから恋人っぽいことをしようと思ってキスやセックスに誘ってみたんだけど、毎回断るだろ? じゃあ他に、って考えるともうそれしかなくて」
「え、え、いや、えぇ、あの・・・・・・ちょっと待っていろいろ言いたいんだけどあの、え、それしかないって」
「うん、おまえが死ねって言うから死のうと思ってたんだけどおそ松がちゃんと一松の希望の死に方きけって言うから」
「止めろよ役だたねえなクソ長男!!!」
「俺ちゃんと止めたって~。カラ松の中で勝手にそう判断されてるだけで」

チョロ松とおそ松が言い合いを始めたせいでとたん騒がしくなった居間で、相変わらず真っ青なままの一松がよろりとへたり込んだ。

「大丈夫か? 上に布団ひいてやろうか?」
「その優しさ神かよ・・・・・・なんで他のとこでその洞察力使わねぇんだよ・・・・・・」

ぶつぶつとつぶやきながら頭を抱えているので頭痛がするのかもしれない。マスクの他に頭痛薬も、と脳内メモに書き加えているカラ松の肩をぐいとつかんだ一松はあのねと大声を出した。

「頭が痛い時は大声を出さない方が」
「それどうでもいいから! あの! おれのお願いきいてくれるんだよね!?」
「もちろんだブラザー! なんでも言ってくれ!!」
「じゃあ明日、絶対明日空けて。二人で出かける、わかった!?」

頭が痛むならばもっと早く病院に行った方がいいのではないだろうか。明日まで待たずともまだ診察時間内だと思うのだけれど。心配しながらも一松にも予定があるのだろうと肯けば、絶対だから絶対、と念を押される。

「明日、一松につきあえばいいんだろう?」

病院に。頭痛では注射はうたないと思うが頼られてうれしいカラ松はつっこみなんて無粋なことしなかった。インフルエンザの予防接種の時も、一松はチョロ松や十四松ばかり頼ってカラ松を近寄らせてもくれなかった。注射に怯える一松をなだめるのはかわいいしとてもやりたかったのだけれど、本人から拒まれては仕方ない。それを今回は誘ってまで。
恋人ってすごい。改めてカラ松はそのすばらしさを実感した。うっかり口からこぼれ出た告白を無碍にできない一松の優しさに頼った形だけど、それでも。
よかった。この恩を一松に返すためにも、彼の希望をかなえなくては。それにおねだりをきくなんてめちゃくちゃ恋人らしいじゃないか。

 

◆◆◆

 

目の前に突き出されたスプーンとその持ち主を交互に見、カラ松はぱちんとまばたきをした。おかしい。目の前の光景が消えない。

「ほら、あーんしてよ」

溶けちゃうから、と促されても口が開かないのは「これは兄弟だからじゃないから」と釘を刺されたからだ。兄弟だからって理由であんたに物を分けたことはあるけど、これはそれだけじゃないから。なんでそんな悲しいことを言うんだと問う前に、ずいと目の前に差し出されたスプーン。

「好きでしょ甘いの、カラ松」
「いや、うん、好きだが」

半ば無理やり口につっこまれ、プラスチックのスプーンが歯に当たって痛い。バニラアイスとチョコソースとチョコチップにイチゴ。欲張りすぎのスプーンの中身はカラ松の口の中でよくわからない甘い塊になった。

「うまい?」
「甘い」
「ひひ、だろーね。ん」

ぱかりと口を開く一松に、そうだお返しとカラ松はいそいそと自分のアイスクリームにスプーンを突き立てる。先ほどの悲しい言葉については後で訊こう。今は、めったにさせてもらえないあーんをする絶好の機会だ。

「そうだ、先に言っとくけどさ」
「ん? キャラメルとバナナと生クリームだぞ」
「味は横で見てたし知ってる。あのね、おれ人前でオニーチャンにあーんされる趣味とかないから」
「え」

なんとかすべての味をスプーンに乗せようと奮闘していたカラ松は、一松からの宣言にぴたりと動きを止めた。
だってここはショッピングモールで。松野家の居間や一松の友達の好む路地裏ではない。あっちもこっちも人の目ばかりの繁華街だ。いくら平日といえ、無人ではない。

「ねえ、早くちょーだいよ」

あんぐりと口を開いたままの弟の求めていることがわからない。人前であーんされる趣味はない、と言うならなぜここで口を開くのだ。アイス屋の店員が暇にまかせてこちらを見ているんだけれど大丈夫か。彼女は人に含まれないのか。というか店員は別なんて偏った思考を一松がしていたとしても、カラ松たちと同じくベンチに座ってアイスを食べている人はどうなんだ。ほら、あそこの老夫婦とか、あっちのガールズとか。でも、一松がしてって言ってる。これおねだりされてるんだよな? なのに趣味はないって、Mな嗜好を満足させるためなんだろうか。

「ねえ聞いてた? オニーチャンとはしない、つってんの」

そろりと差し出したスプーンをカラ松の手ごと捕まえた一松は、眉をしかめ甘すぎと文句を述べた。ならそういう顔をすればいいのに、目元はゆるみ頬は赤らんでいる。甘いの好きなんじゃないか。素直にそう言っても格好悪いなんてことはないのに。ブラザーのかわいいところをまたひとつ見つけてしまった、とご機嫌なカラ松に一松は再度爆弾を落とした。

「カラ松、へにゃへにゃの顔してるよ。兄弟だったら即家にたたき込むレベル」

だからどうしてそんなに悲しいことばかり言うんだ。逃げないようにか指と指を絡め、腕まで抱き込んで一松はカラ松の顔をのぞき込んでくる。ブラザーとアイスを食べさせあいっこしてうれしかった、一松のかわいいところを見て浮かれた。カラ松の機嫌がいいのは一松にとって見るに耐えない苦行なのだろうか。いやそんなことはない、はず。そもそも今日誘ってきたのは一松で、兄弟と出かけるのは楽しいことのはずで。
どろりと溶けてあまりおいしそうに見えない手の中のアイスに目をやる。さっきまではあんなにもおいしかったのに。紙製のカップが少しだけひしゃげて妙にもの悲しい。
おでんを食べに行っても、飲みに行っても、一松はこんな絡み方をしない。楽しく飲んで、ちょっと酔って、わあわあ騒いで。今日との違いはなんだろう。カラ松はただ、一松と楽しく過ごしたかっただけなのだ。一緒に出かけて、横を歩いて、役立たない大したことない話をして笑ってなにか食べて。うまいなって笑えばそうだねって答えられて、今度あそこ行きたいなんて言われたらじゃあ来週、って約束をしたり。そういう。
最初はうまくいっていたはずだ。昨日、明日出かけるからと誘われた通りさっさと起き出した一松に起こされて。珍しくサンダルではない足下にぽかんとすれば照れ隠しに蹴られたりして。目的地が病院じゃないことに驚けばあきれたように笑われて。並んで歩いて、ぼそぼそと会話して、たまに辛辣なつっこみが入って。とても楽しかった。一松、と呼べばなにと返ってくるのがうれしくて、必要以上に名前を呼んだかもしれない。浮かれていつものクールガイらしさが消えてしまっていたのかもしれない。恰好いい兄でなかったから、一松はこんな悲しいことばかりいうんだろうか。

「・・・・・・ねえ、なんでそんな浮かない顔してんの」
「ん? 俺はいつだってパーフェクトフェイスの持ち主だからおまえが気にすることは」
「なにか嫌だった? さすがに男同士でアイスあーんとか無理、とか人の多いとこで手つなぐのありえないとか、そういうのなら一応他の手考えるからちゃんと言えよ」
「んん?」
「そりゃおれだってベタだと思うよ、あんまりにも。でもご存じの通りあんたが初めてつきあった相手なわけですよ。慣れてないんだしそこは仕方ないって大目に見てほしいって言うか、でも初デートってこういうもんだろうし」

初デート。

「一松、一松」
「なに、この後は映画でお茶してメシだよ、ベッタベタで悪かったですね」
「いやスタンダードは魅力あるからこそ引き継がれているんだと思うぞ。じゃなくて」

一松の口から出た単語に、カラ松は動揺を隠せない。いやだってそれは、そんな。

「あの・・・・・・これってデートだった、のか?」
「・・・・・・そこから・・・・・・」

じゃあ逆に訊くけどあんたなんのつもりだったの、と問われ正直に愛しのブラザーとお出かけ、と答えたカラ松の手は思い切り曲げてはいけない方向に曲げられた。指と指がぎちぎちに絡んだままだから逃げるに逃げられないのでものすごく痛い。ぎゅうぎゅうと力を込めてくるので手の甲がぎしりとしなる。

「おれと! あんたは! おつきあい始めたんじゃなかったですかねえ!?」
「ギブ! いたたたたた、い、いた、そうだぜマイラブ! だから指、指の力抜いてくれ、痛い!」
「おつきあいしてる相手とのお出かけを世間一般じゃデートって呼ぶんですよねえ!!」
「わわわわかった、そうだなデートだ! だから指、指を」
「つーか誘うたびあんたが十四松やらトド松に声かけなきゃもっと早く初デートできてたんですけどねえぇ!!?」
「え」
「あ」

口を滑らせた、とわかりやすく顔に書いた一松がようやく力を抜いた。カラ松の指は相変わらず人質(いや指質か?)として手の中に収まっているが、とにかく今のところ危機は去ったらしい。けれどそろりと引いた腕は絡ませたまま、離れることは許されなかった。

「・・・・・・あんたね、恰好いいの好きでしょ」
「うん? そうだな、好きだ」
「これすっげぇ格好悪いし、だから絶対あんたに知られたくなかったし、でもそしたらあんたとんでもないこと考え出すから」

一松の低い声がぽつりぽつりと雨粒のように落ちていく。地面にも、カラ松にも。

「好きだよ、カラ松」

染み込んでいく。

 

 

ずっと好きだ。好きだった。あんたが告白してくれて、だから夢だって思うくらいうれしくて。浮かれて。
デートとかしたくて誘ったら、そのたび十四松だのトド松だのに声かけるし。照れてんのかなって、二人きりは恥ずかしいのかなって思ってもう少し慣れてから誘おうって。一緒にいたくて声かけたら、なんだブラザーって。恋人になったのにブラザーじゃねえだろっていらっとして蹴ったのは悪かったなって。思って、て。手、とか。つなごうとしてもあんたすぐ他の奴のとこ行くし。す、好き、とか言おうと思っても、あんま二人になれねえし。
だからちょっと最近拗ねてて、そしたらなんか突拍子もないことになってるし。死ぬって。なんだよあんたがおれにしてくれることなんか、めちゃくちゃいっぱいあるし。なんなら隣で息してたらそんでいいんだよ。なあ。聞いてる?

あまりの情報量にカラ松の頭はついていけていない。おかしい。いや、一松と恋人になったという前提はあっているのだけれど、その後がなんだかあまりに違う。

「え、でもおまえ・・・・・・キスとか、セックスとか、嫌がってただろ・・・・・・?」

カラ松の思う恋人同士のすることをことごとく断り、ふざけるなだの死ねだの罵っていたのは隣で未だ腕を放さない一松ではなかったか。

「だってそんな、そ、そーゆーのはデートとか手つないだり一緒のジュース飲んだり、そういうのの後じゃねえか!」
「え」
「そりゃおれだって男ですし!? やりたい気持ちは正直すっげえあるって言うかそっちから誘ってくれるとか神かよって思ってるけど、でもがっつくのは違うっていうかそもそもそれ目的じゃなくて」

口数が多い時はひどく動揺している。緊張している時は何度も唇をなめるし照れくさい時ほど眉間にしわが寄って不機嫌そうな顔になる。二十数年、一松と兄弟をしてきたのだからそれくらいはカラ松だって知っている。見慣れている、けれど。
どうして今。兄の手を握って、腕を絡めて。それくらいこれまでにだっていくらでもあっただろう。なんならプロレス技でもっと体同士が絡むことだってあった。隣に座っていて距離が近いなんてことも、普段寝ている時の方が近いくらいで。
なんで一松はこんなに。

「あんたが、好きだから色々、一緒に、やりたいん、デス。ケド」

真っ赤な顔でどんどん小さくなる語尾。汗ばんだ手のひら。放さないとばかりに力の込められた腕。

「・・・・・・でかけてるだろ、これまでだって」
「兄弟のおでかけじゃなくて、あんたと二人きりでデートしたいの」
「でーと」
「映画見たり猫カフェ行ったりとかのベタなやつ。あんたの行きたいとことおれの行きたいとこ、交互に行ったりしたい」
「行ったこと、あるだろ。別にこれまでだって」
「あるよ。勝手にデート気分だったよ。でもこれからは本番じゃん」
「ほんばん」
「そう。兄弟のあんたとはいろんなとこ行ったけど、恋人のあんたとはまだどこも行ったことないでしょ」

恋人のカラ松とは。

「一松は」
「うん?」
「兄弟のおれ、より」

恋人のカラ松の方がいいのか、と素直に口にできなかった。そうだよ、と肯かれてしまえばどうしよう。恋人として好かれている、それはうれしい。うれしいんだ。だけど兄弟として、兄として過ごしたこれまでは。カラ松の愛おしい過去は、一松にとってとるに足らないものでしかないなら。

「あー・・・・・・ねえ、ほんとどう言えば伝わるわけ」

がしがしと乱暴にかき回される髪の毛とため息と共に吐き出される言葉。面倒だな、そうだな、カラ松自身もそう思う。おかしい。こんな予定ではなかったのだ。
告白なんてするつもりなかった。ずっと兄弟として楽しく生きるつもりだった。だけどうっかり口にして、受け入れられて、だから浮かれたのは許してほしい。カラ松がいくらクールな男といえ、長年の恋がかなえばふわふわと地に足などつかない。でもだからこそ、一松にとっていい恋人になろうと思ったのだ。ちゃんと。ああカラ松とつきあって良かった、そう思われるようなパーフェクトラバーに。
一松は家族が好きだから、彼から兄弟をとりあげるわけにはいかない。あたりが強くともそれはそれ、兄として愛されていないわけではない。だから兄は兄として、兄弟のカラ松はそのままに新しく恋人のカラ松も。だから兄弟でしたことをもう一度、してしまってはいけない。恋人のカラ松としたこと、として上書きしてしまってはいけない。
カラ松はきちんとそう自覚し、努力してきた。うまくいっていたはずなのに。

「ご、ごめん」
「なに。なんで謝ってんのかわかってんの」
「面倒なことさせ、てっ」
「やっぱりわかってねーし」

髪をかきむしっていた手がびしりとカラ松の額を弾く。音ばかりで少しも痛くない。そういえば一松は昔から、音ばかり派手でまるで痛くないシッペが得意だった。お調子者のおそ松などは痛い痛いと大げさに騒いでいたけれど。

「いや、でも面倒だろ。オレの誤解? をとくためにわざわざこんなところまで出かけて」
「だからデートなの。うれしはずかしデートなの。大っ好きな恋人と初めての二人きりのお出かけなの。理解していい加減に」

ほろほろと降り注ぐ言葉をうまく受け止められない。咀嚼できない。なんだ? 大好きな、恋人???

「・・・・・・なんなの、あんたのその強固な誤解。おれがあんたのこと好きなの、まだ伝わってなかった?」
「え、好きでいてくれてるのはわかってるぞ! でも兄弟としてだろ?」
「いやいやいやだからさっきまでの話の流れぇ」
「だってキスもセックスも嫌だって言うから」
「そこ・・・・・・なんでそこそんなにこだわる・・・・・・」

兄弟ではしなくて恋人ではすることだから。
しかし思い返せば一松はおそ松とキスをしていたではないか。つまりキスは一松の中で兄弟とする行為、ということか。しまった。断られるはずだ。

「おれはさぁ」

する、とカラ松の指先に一松の細い指先が絡む。一見体温が低そうなのに、いつでも暖かな手のひら。子供体温なんだろう、とてもかわいい。甘えるようにすり寄る頭、カラ松に身を寄せ全身で懐いてくる大きな子猫。冬の夜、寒いとぼやいては寄ってくる一松はとんでもなく愛らしくていつでもカラ松は彼を受け入れたものだ。今は寒いどころか汗がとまらないほどの熱気に包まれているけれど。
手に持ったアイスのカップは、とっくに溶けてシェイクになっている。

「兄のあんたと手つなぐのも、横で寝るのも、一緒にでかけるのも、なんでもかんでもドキドキしたし浮かれたよ」

ああきっとアイスは一松が食べてしまった。このカップの中のシェイクはじゃあなんだ。知らない。わからない。だってこんなどろりと甘ったるい声、アイスがそのまま声になったんじゃなけりゃどうして。

「恋人のあんたとも、同じくらい、でも別の方向で心臓痛い。ねえ、なんでって訊いてよ」
「な、なんでだ」
「許されてるから」

トッピングはチョコソースとキャラメルのはずで、蜂蜜なんて頼んでない。それなのにカラ松の指先は甘ったるくてべたべたしている。一松の指と離れない。
弟の声はとろとろで熱い。耳から入って体内をくるくる回り、カラ松の血液をあちこちで固めながら心臓で暴れ回る。ハートのエネルギーは蜂蜜だったのか。こんなにも早く打つ必要なんてないのだから少し落ち着いてほしい。

「あんたにどれだけひっついても、好きだって言ってもいいでしょ。兄弟の時はちゃんとつけてた言い訳、恋人だからってそれだけですむんだよ」

ね、サイコーでしょ。うれしい。浮かれる。わかる?

「そんであんたはおれのこと好きなんだよ、同じ意味で。一人で勝手に喜んでんじゃなくて、あんたもうれしいんだよ。そんなのときめくでしょ」

兄弟との思い出を上書きしてはいけない。一松から家族を奪ってはいけない。兄弟でしたことはしない。恋人としてするのは兄弟としてしたことがないこと。それだけ。それだけ。

「お、なじだけど・・・・・・同じ、じゃなくて、いいのか」
「同じなわけないじゃん」
「でも」
「つーか兄弟と恋人って分けてるけどさ、あんたが兄の時だっておれはやらしい目であんた見てたし、今恋人のあんたに兄ぶりやがってって腹立てたりするから。どっちも一緒だし」

それともあんたはおれのこと、もう弟だとは思ってない?
まさかの問いかけにそれだけはありえないと頭を振れば、じゃあなんで同じだって思わないのと笑われた。笑われた。え、そうなのか。そんなんでいいのか。だって一松は。あれ。
伝えられた言葉たちをゆっくりと受け止める。ひとつずつ手にとり、そろりと口に入れる。甘い。ほろほろ舌の上で崩れ落ちる柔らかで温かなそれ。気持ちいい。うれしい。かわいい。
好きだ。

「一松」
「うん」
「一松」
「なに」
「一松」

好きだ。一松。

「もしかしてずっと、好きでいてくれた、のか」

カラ松が告白をしたからではなく。かわいそうな兄弟を拒絶しきれなかったわけではなく。

「・・・・・・映画、そろそろ始まるから行くよ。おれすっごい楽しみにしてたんだよね!」

勢いよく立ち上がったくせにカラ松が立ち上がるのを待っていてくれている。手はあいかわらずそのまま、指は外れない。声からはもう蜂蜜のような甘さは消えていたけれど、うわずってかすれて語尾が強い。少しだけ震えて。
ああ、確かにカラ松はどうしようもない。察しが悪い。どうしてこんなにもあからさまな好意に気づけない。

「そうだな。オレも楽しみだ」

なんせ初デートだもんな、と笑いかければすいと視線を逸らされる。シャイボーイなんだ。ずっとそう思っていたしやっぱりそうなんだと今も思う。違うのは、一松の耳が赤いこともカラ松の目にきちんと入っていることだ。

「なあ一松、映画でメシなんだよな」
「そーだよ、あとお茶。ベタですみませんねぇ」
「オレ、お兄ちゃんだけど恋人だからちょっとだけわがまま言ってもいいか?」

お兄ちゃんで恋人とかなにそのどちゃシコワード勘弁して、という地獄の底から響くような重低音は無視する。たまに松野家でも聞こえるのだが、家鳴りみたいなもんだよ無視しな、とチョロ松に言われている。愛するブラザーからの忠告は聞いておくものだぜ。

「わがままってなに」
「うん、一松がよかったら・・・・・・いや、重大な問題がなければさほど乗り気じゃなくてもぜひ」
「はいはい、だからなに」

恋人だからすること。兄弟はしないこと。恋人になれたからしてもいいこと。

「きょ、今日は帰りたくない、とか」

言っちゃったりして。まで口にする前に一松が炎に包まれたためわがままは延期になった。

 

◆◆◆

 

なぜだ。発火するほど嫌だったなら断ってくれても、と嘆くカラ松に包帯まみれの一松がふざけんな神か火傷が治ったら覚えとけ、と犯行予告をしたその日。
兄さん達バカップルはせめて人目のないとこでやってよもうあのアイス屋さん行けないじゃんこちとら同じ顔なんだよ、とトド松から身に覚えのないクレームが入り、一松のシッペは昔からめちゃくちゃ痛いでしょとチョロ松に怪訝そうな顔をされ、一松ニーサン体温超低いよと十四松に首を傾げられ、家鳴りが最近特にヒデーんだけどカラ松なんとかしといてよとおそ松に無茶ぶりされカラ松は目を白黒させた。どういうことだ。とりあえず他は置いておくとして、家鳴りは家が古いからでそれはマミーかパピーに言ってほしい。カラ松は手先はそれなりに器用だが大工仕事が得意なわけじゃない。
買ってきたマスクを手渡しながら愚痴半分ブラザーに頼られた喜び半分で語れば、一松は布団に横たわったまま器用にのけぞってみせた。

「っ、あんたのそれは天然なのかわざとかどっちだ……っ」
「どうした一松!? 火傷が痛むのか??」

たまにあることだから、と病院にも行かずデカパン博士作の薬を塗るだけだったがやはりまずかったのだろうか。以前もこうして治した、と言っていたが人間そんなに何度も全身が燃える機会はないとカラ松は思うのだが。

「大丈夫、これはそういうんじゃなくて。痛い、つーかむずがゆいだけ。あー、あいつら後で覚えてろ……」

治りかけの傷はかゆくなるものだから、一松の言葉にカラ松はほっと力を抜いた。せっかく気持ちが通じ合ったのだ。なるべく早く治して、できれば延期になったカラ松のわがままをきいてほしい。ちゃんと、一松の恋人、に全部でなりたい。

「あっ、そうだ一松、これ」

あまりにも最近の自分の思考が恋する乙女のようで、我に返るととたん恥ずかしさが襲ってくる。赤くなった顔に気づかれる前にとマスクを取り出せば、なにいきなり、と怪訝そうに横目で見られた。セクシーだなそれ。

「マスクだ。最近つけてなかっただろ? ストック切れたのかと思って」

買って来たんだ、にかぶるようにまた家鳴りが聞こえる。なんだよどんだけ嫁力強いんだよ思いやりの塊か結婚してぇぇぇ、ってなかなか具体的な家鳴りだ。カラ松としては、大変個人的な意見だが、うん、まあ、家鳴りとはできないけれど家鳴りの中の人にだったら即よろこんでー、だ。でもまだ家鳴りらしいので、返事はもう少し後でいいのだろう。
ぎゅ、とマスクを持った指先に温かいものが触れる。一松の指だ。痛くないから、と聞く前に答えられてしまいカラ松は開いた口をそのまま閉じた。

「……マスク、つけてないのは、わざと」

だってほら、邪魔でしょ。いざってとき。
ぼそぼそと独り言のように、けれどカラ松に向けて放たれる一松の言葉。言ってもわからない、でも言わないととんでもない方向に行く。それがあんただから仕方ないね、おれくらいしかこんな面倒でどうしようもないことできないからよろしくね。覚えてて。初デートの最後、真っ黒に焦げた一松の宣言を目の前の一松は忠実に守っている。
カラ松がわかるまで、何度でも。何度でも言葉にする。
そのたびカラ松の心はじわじわ湿り、温かくなる。雪を溶かす、温かな雨が降る。

「いざ、って」
「機会うかがってたんだけどあんた案外隙ないから」
「好きだらけだぞ?」
「いや、ガード固い。まあこっちが不器用ってのもあるけど」

そうか、まだこの溢れんばかりの好意は一松に伝わりきっていなかったか、と反省したカラ松は自分史上最も愛の伝わる行動をとってみた。
今なら包帯にまかれて反撃も少なそうだし、二人きりだし、一松からも好かれていたとわかったことだし、そこまで責められはしないだろう。おそ松としてたのが羨ましかったとか、そういうのはない。まあ少し。ちょっとだけ、しかない。あとほら、わがままきいてもらうのの前菜みたいな。どうだろう。

「隙あり、ってやつだな」

いや、ラブあり?

「あんたほんとーはぜんっぶわかってやってんだろ!!? おい!!!」