絨毯の上に山となっている灰に瓶から別の灰を加え、最後に己の血を数滴。
まるで決められていた場に戻るようするすると動く灰は、ぴたりと固まった後じわじわと変質する。灰の中に元からいたかのように飛び出す腕。なめらかな肌。はおるものでも探していたのだろう、きょろりと周囲を見わたし人影に気づいた男はよどみない笑顔を向けてきた。
「おはよう、イチマトゥ」
懐かしい名を紡ぐ声は瑞々しく、その口がまさか先程まで灰であったとは想像もつかない。
「いや、ジェイソンの方がいいのかな? ずっとがんばっていてくれたんだな」
「……カラマ、トゥ」
「そうだ。別にカラ松でもいいぞ」
呼び捨てで構わないと言っていたのを覚えていたんだな、えらいぞ。まるで犬の子にでもするかのようにわしわしと撫でられる。ああ、これだ。この人だ。ずっと追い求めていた、待っていた、この瞬間を。
「あいかわらず人が悪い」
カラ松、と呼びかけるわけがない。それは欠片の名だ。ひとときの。
「おまえほどじゃないさ。……何人分だ?」
「五人。あんたがあちこちに飛び散るからでしょ」
「灰だったんだから文句は風に言ってくれ」
吸血鬼のくせに直射日光を浴び灰になった馬鹿な男は、死に急ぐ肉体を探し勝手に寝床にした。記憶も力もなにも受け継がず、ただ命だけをつなぐ灰。
一人目は双子の姉妹の片方。二人目は棺桶から生き返った奇跡の少年。三人目は生き返ったとたんつぶれてもう一度死に、四人目は明日プロポーズすると息巻いていた花屋。そうして五人目が、この屋敷で息絶える予定だった子供。借りてくるだけと言いくるめられ、幽霊屋敷と名高い廃墟に金目の物を求め忍びこんだ哀れな。
「全員をカラ松と呼ぶなんて横着が過ぎるぞ。せめて愛称を変えるとか」
「女の子はカーラにしたでしょ」
「まあそうだが、それにしてもだな」
名前なんてどうでもいい。イチマトゥにとって大切なのは、その内にカラマトゥの灰を持っているということ。カラマトゥの力で命をつないでいる状態で、イチマトゥに好意を抱くこと。
「あんた、全部の記憶がある?」
「んん~? どうだろうな、あるのかもしれないが思い出そうとしないとわからない……しまいこまれている気はするな」
「じゃあ」
賭けだった。
イチマトゥをかばい灰になった養い親。あの時イチマトゥの世界は一度終わった。だから次に始めるなら、もう少し希望の配置で。せめて彼の目に、守るべき子供以上の存在として映るように。
「……おれへの気持ちは、残ってる?」
恋われるように動いた。灰を持った者達に好かれるよう、愛されるよう。内包しているカラマトゥに少しでも影響するように。さしずめ呪いだ。
カラマトゥが過去、幼い己にしたように。イチマトゥがされてうれしかったこと、楽しかったこと、恋に落ちずにいられなかったこと。薔薇に囲まれたこの屋敷で二人、彼だけを見て暮らしていた頃のように。
「子供への好意じゃなくて、守るべき存在じゃなくて、ねえ」
皆、イチマトゥを好きだと言ってくれた。カラマトゥの灰を身に宿した人間達。その記憶は、感情は、彼に受け継がれているのだろうか。目論見通りに。
「あんたは、おれのこと」
「イチマトゥ」
はおる物さえなく未だ絨毯の上に座り込んだままの男は、いたずらっぽく笑い手を伸ばした。イチマトゥに。
「とりあえずなにか着て、アップルパイでも食べよう。その後おまえの自慢の薔薇園に連れて行ってくれ」
恋人には薔薇を贈るものさ。おまえももう少し大きくなればわかるよ。
「一番オレに似合うものを選んでくれるだろう? 大きくなったね、愛しい恋人」
◆◆◆
バイバイサクリファイス 永遠に
抱えあげられた肩越しに、床に打ち捨てられたバスローブが見える。
さようならだ、カラ松。イチマトゥはアップルパイになんの反応も返さなかった。おまえのことを思い出すことなど欠片も。また一緒に食べよう、来年も。その次も、ずっと。そう痛いくらい願っていたのを知っているよ、我が事として。だけどごめんな、仕方がないんだ。これはカラマトゥが細心の注意を払ってつくりあげた作品。かわいいかわいそうな子供を伴侶にするために敷いた、見えないレール。
「葬式をしようか」
哀れな恋心達を慰めるための。
なにひとつカラマトゥに影響していない、彼ら彼女らのかわいい恋心。安心してほしい。それは確かにキミの、キミ達だけのものだ。
けしてイチマトゥには届かないけれど。
「吸血鬼のくせになんでそんなに人間臭いの、あんた」
「弔いの気持ちに吸血鬼も人間もないだろう?」
ここで切り捨てなきゃおまえはずっと気にするだろう?
優しいやわらかな心を持つ愛しい子。薔薇園にいる歳をとらない化物に、さみしいならぼくが一緒にいるよと手を出したおまえは、きっと彼らをも忘れられない。
出会いの場所を捨てるのは惜しいけれど、カラマトゥに必要なのは過去ではない。
「守っていてくれてありがとう、イチマトゥ。……なあ、おまえの過去ごと彼らに贈ってはダメか?」
両親との温かな記憶も、カラマトゥとの密かな交流も、すべてを失い人間ではなくなったあの夜も。なにもかもを見ていた薔薇園も屋敷も、二人で背負うには重くなりすぎた。ジェイソンとカラ松達との交流まで請け負う気は、カラマトゥにはさらさらないのだ。
「ジェイソンは彼らに。イチマトゥはオレに」
「っ、あんたこの屋敷すごい大事にしてたのに……薔薇、好きなのに」
「好きだぜ」
「なのに、いいの。……おれだけで、いいの」
「いいさ!」
おまえの生まれた屋敷だから大切にしていた。おまえの生きてきた証がたくさん残っていたから見守っていた。だから、本人がいるならもういいのだ。
感極まったように抱きついてくるイチマトゥは、記憶にあるより大きくひんやりとしている。吸血鬼にしたことを悔いてはいないが、ほかほかした子供の体温は惜しかった。日光には当たれないけれど、あの頃確かにカラマトゥは太陽を抱きしめていたのだ。今は月のように冷やりと心地いい、カラマトゥのためだけの。
「おやすみ、善い夢を見てくれ子供達」
哀れでかわいそうな独りよがりの恋人達。キミ達の気持ちはかりそめじゃない、カラマトゥに影響されてなどいないから、せめてそれを抱えて永久の眠りにつくがいい
グンナイラヴァーズ、善い夢を。
バイバイサクリファイス、永遠に。
愚かで哀れな子羊達のため、せめてジェイソンはそちらに置いて行こう。キミ達のよく知る、優しく不器用で誤解されがちな善人を。共に逝くなら良い連れだ。きっと善き所に案内してくれるに違いない。
キミ達のジェイソンを取りはしまい。夢はそちらに任せよう。
カラマトゥは、キミ達の知らぬイチマトゥと、悪い現実を歩んでいく。
夢はもう見ない。