カラ松は魔法の言葉を知っている。
つい先日できたばかりの恋人にだけてきめんに効く、すばらしいマジックワードだ。
「寒いな、もうすっかり冬じゃないか?」
「まだこれからでしょ。十一月だよ」
言葉はぶっきらぼうなのに、隣を歩いていた一松はほんの少し歩く速度を早めた。とたん吹きつける北風が遮られ、カラ松はほうとため息をつく。
一松はとても優しい。これまでも性根はそう悪くない、小動物にも弟にも優しいとは思ってはいた。少々カラ松に当たりは強いが、まあ頼れる兄に対する甘えだろうとどっしり構えていたのだが。
最近の一松は、カラ松に対してもすこぶる優しいのだ。向かい風から身を呈してかばってくれたり、買物では重い荷物を持ってくれたり。これ貸しな、と言うならまだしも当たり前のような顔でなにも言わず行動するから、気づくたびカラ松は口元がぐにゃぐにゃしてしまう。
親切にされるのはうれしい。優しくされるのもうれしい。おまえが大切だ、と全身で伝えられているようでどうにも口角が上がってしまう。
だけど満面の笑みはあまりクールではない気がするから、ぐっと歯を噛みしめてきりりとした表情をきめたりするのだ。だってやっぱり男らしいいかすオレがいいだろう、一松だって。
派手なくしゃみが響く。マフラーが巻かれていない首元は寒々しく、首をすくめて歩く一松の耳は寒さで真っ赤だ。
これはあまりクールじゃない。でも思いやりのある男はスマートだ。男らしいといえないかもしれないが、一松はそんなことで馬鹿にしたりしない。うん。大丈夫、大丈夫。男カラ松、これを渡してしまっても決してギルティでいかした男じゃない、なんてことはないぜ。
「あのっ、さ、寒いな!」
「そりゃ寒いけど。さっきからなに」
「さっ、寒いから、これを巻くといいぜブラザー!!」
猫がすぐぼろぼろにするから、とマフラーを巻かないことは知っている。だけどそんなことカラ松は知ったこっちゃないのだ。首元になにかあるのが嫌いなんじゃないのは知っている。寒いのが苦手なことも。そのくせ外によく出ることも。
じゃあカラ松がすることなんてわかりきってる。
返事を聞く前にぐるりと巻きつけた紫色は、思った通りよく似合っていた。
「……これ」
「ちょっとくらいのほつれならすぐ直せるから安心してくれ!」
「おまえが編んだの」
「あっ、いやあの、毛糸の特売があってな。その。わざわざ探して買ったとかじゃないから軽く受け取ってくれたら、ええと」
「ふぅん。……いい色じゃん、紫と。青も、ちょっと入ってて」
温かな毛糸に埋もれた鼻と口。もごもごと聞こえにくい声。赤い耳。ちらりとカラ松に向けられたまなざし。きゅうと曲がった目じり。
「……っ、ああ! あの、色合いが特に気に入って」
ああまた口がぐにゃぐにゃする。一松、一松、一松。どうしよう、一松。
セラビーと全力で叫びたい。公共の場でいきなり大声を出すのは迷惑だからなんとか留めたいけれど、活火山のマグマのように喜びがカラ松の全身を駆け巡り飛びだそうとするのだ。なにかでごまかさなければ破裂してしまいそう。
興奮するカラ松になにか言いたいことでもあるのか、一松はちらりちらりと視線を投げかけながら口を開いた。
「あの、おまえ……手、冷たそうだけど」
「あっ! 実はこういうのもあってな!!」
おずおずと手が延ばされたのとカラ松がポケットから手袋を出したのは同時だった。
差し出された手袋を見た一松の頬が、パッと赤く染まる。
「んだよこんなの持ってるなら早く出せよな!」
え、待ってくれ。今あれか。冷たいからって名目で手をつなごうとしたのかもしかして。なんだか甘酸っぱい空気を感じたぞ、今。一松からの歩み寄りを台無しにしてしまったのかカラ松は。
「持ってない! 今おまえはなにも見なかったんだ、ほらオレの手にはなにもなーい」
「今更なんだよクソボケ!」
普段物静かな一松がいきなり怒りだすのが、以前のカラ松にはよくわからなかった。なにかが怒りのスイッチを押すのだろう、そこまでは理解できてもどこにスイッチが隠されているのかさっぱりわからない。怒鳴られるのは好きではないので、つい遠巻きにして関わりあわないように気をつけたりもしていたのだ。
今はもう大丈夫。わからなかった、と過去のこととして語れるのは一松の怒りは単なる照れ隠しだと知ったからだ。
怒ってない、おまえは悪くない、これは照れで。恥ずかしくて。ごめん、なるべく治す。だから。
とつとつと伝えられた言葉達。カラ松が悪いんじゃない、怒ってもいない。遠くに行かないで、一緒にいて。水滴が落ちるようにぽつりぽつりと与えられた一松の本音は、カラ松を生かすに充分だった。
「じゃあこうしよう! な?」
右の手袋だけ渡し、一松の左手はつかまえる。カラ松の左手にはめられた手袋とがっちり握られた左手を見、一松は口をひきつらせた。
「……冗談でしょ」
「本気だ! だって寒いからな」
堂々と言いきるのはカラ松が勝利を確信しているからだ。
なんせこの弟兼恋人は、寒いからと言い訳をつければなんだってきいてくれる。
にんまりと笑うカラ松の意図を知ってか知らずか、三秒悩んだ一松は、つながれた手をそのまま勢いよく歩きだした。
「寒いなら仕方ないけど! もうちょっとマシな防寒しとけよクソがっ」
「そうだなぁ」
マフラーも手袋もなしにこの寒空の下ついてきてくれたおまえがそれを言うのか、なんてカラ松は口にしたりしない。照れた一松に怒鳴られるくらいならまだしも、逃げ出されてしまってはデートにならない。買い出しだろうって? ノンノン、愛しあう二人が出かけるそれすなわちデートさ。
寒いから。そう言えば傍に寄ってもひっついても不自然じゃない。冬はさほど得意ではなかったがこんな効能があるならどんと来いだ。使える間にめいっぱいこの言い訳を使っておかなくてはならない。そして夏のための言い訳も考えておかなくては。
デートに誘いだすには方向音痴だから迷子になるかもしれない、でいけるけれどひっつくのは暑くなるとむずかしい。日傘にいれてやるという名目で相合傘かつ隣に並んで歩ける、なんてどうだろう。日光に弱い一松は影に入るためならなんでもするんじゃないだろうか。
来年の話をすると鬼が笑う、と言うが笑われるくらいカラ松にとって大したことじゃない。初めてできた恋人と、今後どうやって触れあっていくかは現在のところ最も大切な案件だ。スマートに大人っぽく格好よく、いかしたところを見せてもっともっと好きになってもらいたい。
「ねえ、口さびしくない?」
「あっ、飴あるぞ」
大きく響く舌打ちに失敗を悟る。しまった、飴を持ち歩くなんてオールドレディのようだと思われてしまっただろうか。だけどほら、ちょっと小腹が減った時とか喉が痛いときなんかにいいんだ。ポケットにいくつか入れておけば十四松への口止め料にもなる。
あと、レモン味にしておきたいじゃないかおまえといる時の唇は。
告げるには少々恥ずかしい理由をのみこんで、はりきって差し出した黄色い包装紙を見る。おまえが言ったんだからな、ファーストキスはレモン味だろうって。
「……あのさ」
つながれたままのカラ松の右手が、勢いよく温かい場所につっこまれる。ポケットだ。一松の。
ぐるぐると一松の首に巻かれていたマフラーがほどかれ、命を危ぶむ勢いでカラ松の首に紫色が巻きつく。
「食うならこっちにして」
べちん。額に当たった固いものはマフラーに引っ掛かってぷらりとゆれた。
「いって……飴?」
「おまえほんと馬鹿。クソ。恥ずかしいとかそういう概念がないわけ? マジ信じらんない。ありえねえ。マフラー長すぎんだよあからさますぎんだろ」
一松のポケットの中、見えない右手はぎゅうぎゅうに握りしめられて痛いし早足で歩く一松に引っぱられ首が絞まって声が出せない。一松の首も痛いだろうに足を緩める気配すらない。確かに少し長めのマフラーだが、二人で巻くには短すぎると思うのだがもしかしたらこれは一松なりのデレかもしれない。おまえそういうの好きなら先に言っておいてくれよ。そうしたら最初からもっと長めに編むのに。
延々と続く文句はカラ松の耳をきれいにスルーしていく。
だってそんなごまかしと照れ隠しの嘘ばかり聞いている場合ではないのだ。
「一松」
なあ、だってこれ。
「ソーダ味ですけど。なんか文句ある?」
だっておまえがレモン味って。皆とはぐれた祭りの夜、氷を食べながらいつかできる彼女とするならレモン味のキスがいい、ファーストキスはレモン味だって。そう。
「なんの気まぐれかレモン味の氷食ってた馬鹿が隣にいた日な! っあ~むかつく。知ってるけどおまえ本当クソだし馬鹿だな!!」
「バカじゃない! おまえの言ったことちゃんと覚えてたんだから」
「じゃああの日おまえが食ってた氷の味も思い出せよだから! レモン味の飴ばっか持ち歩いてんじゃねえよクッソ単細胞かよ逆にかわいすぎるとかおれの正気を返せよ!!!」
「え」
「準備万端整えすぎなんだよクソかわかよおれにはおれのペースがあるんだからもうちょっと待てっつーか口さびしいとか合図じゃん目と目が合って周りの音が聞こえなくなって二人の世界に突入からのキキキキスだし一応人通りがない路地裏にすぐ入れる場所とかで声かけて、っていや犯罪とかじゃなくちゃんとシュミレーションして」
カラ松は魔法の言葉を知っている。
この世で一番愛してくれてる最高のナイスガイにだけ効く、マジックワードだ。
「一松」
マフラーも手袋もせず、寒いのが苦手なくせにカラ松と共に外出する理由。ソーダ味の飴をポケットにいくつも入れ、長めといえ二人で巻くには短すぎるマフラーを無理やり巻き、寒さのせいではない真っ赤な耳をさらすカラ松の恋人。
「好きだからキスしないか?」
「は、はひ」
理由を述べればいつだってなんだってどれだけでも。好きだから、は万能だ。