松野カラ松は心底困惑していた。
ギルトガイを自称しているといえ、カラ松ガールズはシャイであったしボーイズからは特に意思表示をされたことがなかったのだが、ここにきていきなりのモテ期がきたのである。
数ヶ月前に高校時代の友人からバイトを頼まれ、ギターの助っ人だと軽く引き受けたのがきっかけであった。同年代で気のいいメンバーとはそれなりに仲良くなれた。それなり、であるのはその場のカラ松の姿が常の己とはかけ離れているからだ。そういうバンドだから、と「架羅」と名乗り、髪には青いメッシュ、化粧に派手な衣装、時には羽など背負ってみたりする自分にいまいち慣れず、カラ松はどうにもうまく振る舞えない。これはこれでかっこいいとは思うが、いつものパーフェクトファッションとは世界観が違う。カラ松は操る言葉も服装も行動も含めてのファッションだと考えている。オザキのような男になるためには、彼のような服装で彼のような行動をし彼のような言葉遣いで話す。
つまり「架羅」でいるカラ松は、常のイかした話し方ではなくもっと「架羅」の世界観を意識しなければいけない。友人による化粧とエクステを施されメンバーに紹介されたカラ松は、架羅がどんな男かすらわからないまましどろもどろであった。今回だけの助っ人だからいいじゃん、という言葉に安堵するほどには。
それがまさか、ギター一人なのにツインギターの曲作っちゃったんだよねなんて連絡がくるとは思わないじゃないか。これからもちょくちょく参加してよ、なんて誘われるなんて予想もしていなかった。
引き受けたのはうれしかったからだ。趣味でさわっていたギターの腕が認められたことも、不器用で無口(という設定になっていた)な架羅をいいやつだからと仲間に引き入れたいと願われたことも。
だから参加した。設定ができた架羅はカラ松とはまるで違う人間だったけれど、別人になりきることも楽しかった。メンバーは皆同年代で、大学のサークルはこういうものなのかな、なんて想像したりして。打ち上げだなんだと飲みの席に誘われては断る架羅を責めることもなく、また今度ねと気持ちよく手を振る。メンバーに入りなよと全員に口説かれる日々に、これはモテ期がきたな、なんてふわふわ楽しく過ごしていたというのに。
あんたが好きなんだけど。セックスとかしたい意味で。
今日、唐突にぶつけられた爆弾はバンドメンバーの壱からのものだった。
笑わない、ぶっきらぼう、目つきも悪いし口を開けば皮肉か混ぜっ返し、そのくせベースを抱えているときは穏やかな顔をして。架羅に対して乱暴であったりひどい態度をとっていたわけではない。壱くんは人見知りだから、という他メンバーの言葉通り、慣れれば少しずつ会話も増えた。それでもカラ松にとって、壱はよくわからない遠い人間だった。人懐っこいメンバーの中で唯一、個人行動をとりカラ松にもさほど話しかけず裏ではぼんやりしている。まさかそんな彼から愛の告白を受けるとは。
そう、告白だ。
きれいな紫の髪の毛をひとつにまとめて帽子にいれ、メガネをかけた壱はステージ上とは別人のように見えた。
眠そうに少し閉じ気味のまぶた、思っていたよりふっくらした頬のライン、もしかしたらカラ松が想像しているよりも若いのだろうか。ぎゅうとひきしめられた口の中にはぎざついた歯が並んでいる。
似ている。
これまで考えたこともなかったのに、プライベートで初めて出かけた壱はどうにもカラ松の弟を彷彿とさせた。体型も、少し猫背なところも、最近は荒げた声ばかりを聞いているが常の弟は壱のような穏やかで甘めの声ではなかったか。
無意識に似たところを探している自分に気づき、カラ松はひどく戸惑った。
違う。だって弟は、一松は人見知りで家が好きだからこんなステージ上で騒がれるようなことはしないはずで、そもそも彼がベースができるなんてカラ松は知らない。ギターを弾く時誘ったこともあったが、舌打ちと共に席を外されるから一松は音楽自体に興味がないのだろう。だから壱と一松は違う。どれほど体型が、雰囲気が重なることがあったとしても別人だ。
だって一松はカラ松に告白したりしない。
「い、壱くん……ええと」
「返事は、あの、今はいいんで! 急なことだし! ただ、その、俺があんたのこと好きってわかっててもらえたらそれで」
なにが気に入らないのかわからない。どこがダメなのかも。カラ松にわかることは、一松にどうにも避けられているということだけだ。
嫌われているとは思わない。兄弟としての情もあるだろう。ただきっと、人としてあわないのだ。そういうことはある、それなら理解できる。どちらが悪いわけでもなく、ただどうしようもないこと。なるべく関わらないようにするしか解決策がないこと。
一松はカラ松よりかしこいから、先にそれに気づいたのだ。だから兄弟で動く時に拒否したりはしないのに、隣で寝ることを拒まないのに、カラ松と関わることは嫌がる。それはムダな争いを避けるためだ。
「あっ、男に好かれてるとか気持ち悪い? 架羅さんが嫌ならバンド抜けるし、近づかないし」
「な!? なんでだ!! 抜けるならオレだしそもそも壱くんに好かれてうれしいならまだしも嫌とか絶対ない!!!」
だから絶対に好かれない。
告白なんてされるわけない。
こんな熱烈でそのくせ優しい、カラ松のことばかり考えられた言葉を贈られることなんてけして。
けして、絶対、まったく、ない。ないんだよ、カラ松。わかれよ。
「まじで」
ぎゅっとかみしめられていた口元がふわりとゆるむ。こわばった目元も、力の入りすぎで震えていた拳も、するりと落ちて出てきたのはうれしいとばかり伝える笑み。
「まじでヤじゃないとか架羅さんいい人すぎ……やばい」
カラ松が好きだと、それがうれしいと、好意ばかりが伝わる声。
一松によく似た男から与えられる、弟からは絶対にもらえない感情。
「ほんと、返事は気にしなくていいから。言えただけで俺、うれしいし」
目の前で笑う彼からじゃなければよかったのにと欠片でも考えてしまったカラ松は罪深い。そんな人間性だからきっと一松はカラ松に近づかないのだ。
◆◆◆
カラ松は壱に告白された。恋愛感情で、と告げられはしたが返事は求めていないともつけくわえられて、正直彼のことをそういった対象に見たことのなかったカラ松は助かったと思ったのは否めない。
それがどうしてこうなったのか。
二人で出かけ好意を告げられた後も、壱はさほど変わらなかった。これまで通り、黙々と練習し終われば飲み会は断り帰路につく。カラ松に花束やプレゼントを贈ることも仰々しくほめたたえることもせず、挨拶と少しの会話を交わしておしまい。ただ、帰り道途中まで一緒になることが増え、プライベートで共にCDショップを巡ったことが数回。
壱の優しさはじわじわとカラ松にしみこんでいった。
必要最低限の会話、けれどもカラ松の意志を常に確認してくれている。横を歩くペースが日に日にゆっくりになっているのは。助っ人だからと控えているカラ松の隣にやってきて煽るようにベースを弾くのは。カラ松を見て心底うれしそうに笑うのは。
一松ではない。壱だ。
カラ松は自分とあわない二つ下の弟のことが、兄弟愛とはまた別に好きだった。自覚した時にやっと、だからあんなに彼のことが気になっていたのだと納得した程度で嫌悪はなかったけれど、それが一松にとっても同じとは限らない。一松から避けられているのはこの感情にいち早く気づいたためかと考えもしたが、聞くわけにもいかないのでカラ松は放置している。どっちにしろどうにもならないからだ。カラ松の好意に気づいているならば現在の状況は明確な「お断り」だろうし、気づいていないにしても一松から避けられているのは間違いない。同じ意味で好意を返されることはない。そんなこととっくに認めているのだから今更で。
架羅さん、と呼びかけられるたびに胸がざわつく。
一松と似た声。だけど一松からは聞いたことがないような、穏やかで優しい、好きな人を呼ぶ声。
そんなきれいなものを惜しげもなくカラ松に差し出して、ただ共にすごせることが楽しいと、他にはなにも望まず笑いかけてくれる壱。返事はいい、と笑う顔。
好きなのは一松だ。
カラ松はずっと、気づけば弟に恋をしていて。自覚してすぐの失恋から立ち直ることもなく、ただひたすらこの気持ちを抱えて生きていくつもりで。彼以外を好きになるなんて想像もしたことがなくて。
それなのに。
「架羅さんのそういうとこ、俺は好きだよ」
親しい友人なら言い合うだろう言葉にまで胸を躍らせて、期待して、そういう意味だろうかと必死に探って。
カラ松はもう、目をそらすことができない。胸の内に育った感情から。
「あの、大事な話があるんだ。帰り、よかったら聞いてくれないか」
だから彼の手をとろう。目を丸くして、期待しちゃいそうと笑って空気を軽くしようとしてくれる壱の手を。
「……期待、してほしい」
さよなら一松。ちゃんとおまえを兄弟愛で見られるようになるから。
よろしく壱。待っててくれた優しいおまえとなら、きっと明るい未来を見られるから。