返事はこないだろうというカラ松の予想は、ものの見事に裏切られた。
「……なんでこんな時だけ律儀なんだいちまぁつ……オレは闇の仕事人であって恋愛相談を受け付けてるわけじゃないんだぞ」
好きなところがわからない、から始まる便せん四十二枚にまたがる大作は、どれだけ一松が彼女のことを好きなのかありありと伝えてきた。
かわいくない、きれいじゃない、いいところなんて笑顔が悪くない程度の。なのにいつだって気になるし視界の端にひっかかる。こちらを見てほしくて気にしてほしくてあの子の世界に入りたくてならない。そのくせスマートに声もかけられないからいつだってからかったりちょっかいかけて、怒らせては逃げるばかりの。
今時小学生だってもう少しうまくやるだろう。好きな子には優しく、ジェントルに、いかしたセリフとキメポーズで意中の彼女もメロメロ! が信条のカラ松としてはため息しかでない。
好きなところがわからない、じゃないだろう。なにもかも全部、引力みたいに惹かれまくって彼女のことすべて好きで好きで仕方ない。そう、読んだ全員が理解するだろう文章をこうもせつせつと書いておいてなにを言っているのだ。便せんにびっちり四十二枚ってなかなかのホラーだぞ。ちょっとした私小説のようでカラ松としては嫌いではないが、今回はそういう問題でもない。
そりゃいくらリア充ぶってるといえ彼女もできたことのない童貞が、グレイトな紳士であるはずがない。カラ松に絡んでくる一松なんて、イヤミ以下だ。だが、将来映画界を背負って立つ予定のカラ松のブラザーなのだから、もう少しなんとかならないのか。
あんなのおれの他に面倒見てやるのいないから慈善事業だ、じゃないだろう一松。彼女のすべてに関わりたいんです、だろう。仕方なく、でどこの誰がラブレターを書くためにこうも労力をさけるのか。それも、必ず恋がかなうという噂の『サトウさん』に依頼してまで。
「あぁ、もう!」
見知らぬガールには申し訳ないが、こんな精神年齢小学生の未熟な男でもカラ松のかわいい弟なのだ。一足先に彼女ができるのは悔しいが、これ以上意中の彼女に嫌がらせをさせるわけにもいかない。今のままラブレターを渡しても、恋がかなうどころか悪質な冗談だと思われてしまうだろう。
好感度だ。とにかく好感度を上げるのだ。なんせ今の一松は、なぜか自分にだけ嫌がらせをしてくる男。そんな相手、どれだけ情熱的なラブレターをくれたって百パーセントお断りだろう。カラ松にだってわかるのにどうして一松はわからないのか。ふふ~ん、恋は盲目……違うな。
だからつまり一松は、子供じみたちょっかいをかけている場合ではない。とにかく笑顔! 優しく! 嫌な事は言わない!
そうすれば、顔はカラ松に似ているし性根は悪くないのだから好感は持ってもらえるはず。結果ふられる可能性はあるが、現状のままより少しはマシだろう。
せっせとアドバイスを書きながら、カラ松は同時に一松を慰めるセリフも考えていた。だっていくら急に優しくなったって、これまでの積み重ねがあるのにころりと落ちるガールがいるだろうか。そういうところ、ガールズはシビアなのだ。まあ振られたら背中のひとつも撫でてやろう、次はうまくいくさと励ましてやってもいい。
◆◆◆
なんということでしょう。一松は、カラ松の予想をまたもや裏切ってきた。
最近やけに機嫌がいいし、この間なんかジュースを奢ってくれたのだ! なんの詫びだ、教科書を勝手に持ち出してなくしたのか体操服に穴を開けたのかつまみ食いを松代にたしなめられてカラ松の真似をして逃げたのか。問いただすたびだんだん怖い顔になっていった一松に結局なぐられたが、仕方ないだろう、これまでがこれまでだ。だがどれでもなかったらしく、他にとどれだけ考えてもわからない。
おかしいことは他にもあって、これまでは登下校の時間が合っても隣を歩いたりしなかったのに、最近なぜか一松と通うことになっている。毎日一緒だったトド松が野暮用でと先に行くのでカラ松としてはかまわないのだが、いい年して兄弟と仲良しこよしで通えるかよと息巻いていたのではなかったか。無駄につっぱるのをやめ、一松も大人になったということだろうか。
首をかしげながらも日常が平和になったカラ松は、深く考えることなく日々をすごしていた。
答えあわせの青い便せんが届くまでは。
「あ~、なるほど」
ウキウキした感情を隠しきれない手紙は、一松改めスズキからだ。
前回カラ松がしたアドバイスを忠実に守ったら、意中のガールといい感じだと。これまでは顔をあわせないよう道を変えられたりしていたのが、あちらから笑ってくれたりすると。
え、避けられてたって、それ好感度ゼロどころかマイナスじゃないか? わりと嫌われてる方では?? おまえその状況でよくラブレターをだそうと思ったな一松……図太いにも程があるぞ。
まあわからないでもない。カラ松だって、これまでの一松なら、廊下で見かけた時点でさりげなく違うルートを選んだものだ。なんせ横を通りがかるだけで無駄に絡まれるし、嫌味を言ったり仲間内でにやにやするから居心地が悪い。家ではしていないから許してほしい。でも確かに最近の一松はそういうことをしないから、避ける必要がなくていい。友達と騒いでるところに近づくのはまだちょっと気まずいから、なんとなく愛想笑いして逃げたりはするけれど。……いやいや、逃げじゃないぞ。いくらリア充といえ同級生から逃げるなんて情けないこと、このカラ松がするわけないだろう。そう、戦略的撤退というやつだ。
予想よりふられる確率が高そうだが、最近のご機嫌の理由がわかってカラ松も納得だ。なるほど、彼女ができそうだから浮かれているわけか。わかる、わかるけれど相変わらずわかりやすすぎないかいちまぁつ。このままではふられた時、落ちこんだ一松に問答無用で巻き込まれそうだ。一人孤独に失恋の痛みを抱えてくれれば慰めるつもりはあるが、八つ当たりなどされては冗談じゃない。
「ええと、まだスタート地点です。もう少し好感度を上げてから告白しましょう、っと」
好感度を上げるためにも、かっこいいセリフやいかす仕草を書き連ねておく。
上げて間違いはないし、せめてふられるまでの期間を伸ばしたい。一松の精神が八つ当たりをしないくらい成熟するまで、はムリでもなんとかこの平和をもう少し味あわせてくれ見知らぬガール……!
見ず知らずの他人に願うのは図々しいが、いくらカラ松が精神的にタフなナイスガイといえ、毎晩寝入りばなに足を蹴られるのはつらいのだ。わかってほしい。
蹴られて起きると逆切れされるので必死に寝たふりしていると、鼻をつままれたり頬をひねられたりと地味ないやがらせが続く。なんでこんなのとかバカじゃねえのなんて呪詛まで聞こえるので、一松の八つ当たりが始まるとカラ松の精神はなかなかに消耗するのだ。寝られないからやめてくれと注意しようとしたこともあるが、昨日の夜中、まで口にした時点で窓からダイブしようとしたのでそれどころじゃなくなった。なあなあになってしまったからそれ以来なんとなく言えない。顔をちょっと触られるくらいなら我慢すればと思うだろうか。でも先日は口を押さえられたのだ。寝返りを装ってトド松の方に転がれば口は解放されたけれど、あれはいけない。まさに息の根を止めるじゃないか。いくらカラ松がタフガイであっても呼吸は大事。酸素がなければ生きていけない。
だからなんとか、カラ松の平和な日々を少しでも長く。よろしく頼むぜガール。
◆◆◆
カラ松の祈りはどうやら天に届いたらしい。
ここ最近の一松は絶好調だ。浮かれに浮かれ、カラ松にまで笑顔の大盤振る舞い。大変いいことだが正直ちょっと気持ち悪い。なんでそんなキラキラした笑顔をこちらに向ける必要が。あいかわらずとろくさいなんて悪態をつくくせに、靴をはくカラ松を待つ間に鼻歌まで聞こえてくる。
確かにカラ松は、愛想よくした方がいいと書いた。いやカラ松ではなくサトウさんだがそれはいいとして。
女子の身支度は時間がかかるし、急かすより待ってる方がいいとも書いた。ナイス笑顔、いかす褒め、クールなキメポーズ。せめてひとつくらいはと書き連ねた好感度を上げるための行動を、すべて取り込み実行している一松は、兄の贔屓目を抜いても相当なナイスガイだ。こうも真面目にこなすと思っていなかったので驚きだが、根は真面目で実直な一松らしい。
クラスの中心でいつも騒々しい男子、だけどたまに見せる無邪気な笑みとぶっきらぼうな優しさが妙に気になる……これ皆にだよね。私だけにじゃないよね。もう、なに考えてるの私ったら! 別にあんなやつ気にしてるとかそんなんじゃない、ないけど……でもこの間見たポーズ、波止場でたそがれてるみたいでかっこよかったな……。
とかそろそろ思われている頃じゃないだろうか。ふふ、なんせ顔のつくりはカラ松と同じでいけているのだ。一松に必要なのは大人の余裕と優しさ。照れが嫌がらせとして受け取られていた以前ならムリだが、今ならラブレターを出してもいける気がする。いや、もう少し成功率を上げるには、ギャップとか自分だけに優しいとかそういう特別感もある方がいいかもしれない。
すでに恋愛シュミレーションゲームでもやっている気分だ。したことはないが。待っていろ一松、ゲームマスターカラ松が必ずやおまえにハッピーエンドをプレゼントフォーユーだぜ。
「これまでのアドバイスを、皆にではなく好きな子だけにすると効果的ですよ、っと」
そろそろ『サトウさん』として手紙を書くのも終わりだろうか。次はとうとうラブレター依頼かもしれない。
何通もやりとりしてきたからなんだか少し寂しいが、仕方ない。こういうものはいつまでも続けるものじゃない。
センチメンタルな気持ちで置いた手紙の返事は、またもやカラ松の予想から外れていた。一松おまえ予想外の男すぎないか!?
「……『最初から好きな相手にしかしてません』……んん~?」
がんばります、そろそろラブレターお願いします、的な返事ではまるでない。それどころか、こんなにアピールしてるのにまったく気づいてもらえない鈍すぎるんじゃないか、なんて愚痴めいた嘆きまで。
『でも反応は悪くないので、そろそろ告白したいと思っています。あんたは直接の方が好き? 記念にラブレターも欲しい方??』
「え、いつアピールしてたんだ一松。おまえ結構手はやいんだな、っていうかラブレター代行人に聞いたらダメだろ、手紙のが好きですって答えるしかないぞ。ああでも形が残るのは後から思い出せていいよな、記念か……じゃなくて! 意中のガールにだけしてるって」
カラ松の見た一松はなんだったのだ。
最近の行動が常通りでないのは、誰に聞いても肯いてくれるだろう。機嫌がいいから、だけでは理由として弱い。
百歩譲って、奢りや買物についてきて荷物を持ってくれたのは、たまたま気分が良かったとか筋肉を鍛えたかったとかあるかもしれない。
それでも、ハンカチを落としたカラ松に手渡しながらとろくさいと笑い、でもキレイ好きっぽくて悪くないよねと目をそらして告げたのは。ボタンがとれたとブレザーを押しつけながら、おまえのつけたボタンとれにくいしと一緒にキャラメルを投げてよこしたのは。図書室で密かにとっていた波止場のポーズ、カラ松しか見ていないのはもったいないくらいいかしていた。肩にかけたブレザーがたなびいて、思わず港の乙女のような気持ちにさせられたものだ。アドバイス通りがんばっているのだと思って褒めたら、頬を真っ赤にしていたじゃないか。その後なぜかしどろもどろで、一緒のところまで帰ろうなんて言うから思わず笑ってしまったのを覚えている。同じ家なのに、一緒のところまでなんてまるで他の誰かに言うみたいで。
あ。
そうか。そういうことか。
「練習、してたのか」
思わず口から転がり出た言葉は、見事に欠けたピースを埋めた。
なるほど、てっきりカラ松は皆にいかした仕草で接しているのだと思い込んでいたが、そうではなかったらしい。確かに誰からも、最近の一松いかしてるなぁなんて声は聞こえてこない。あんなにかっこういいポーズが決まっていて優しくて、耳や頬を赤くしながら褒めてくれたり、うれしそうにはにかんだ笑顔なんて振りまいていたらもっと話題になってもいいはずだ。だってすごくキラキラしている。これまでだってクラスで目立っていたけれど、もっとずっと。声はよくとおって勝手に耳に飛び込んでくるし、いつでも目が引き寄せられる。ああ笑ってる、でも自分に向けてくれる顔はもう少し違っていて、なんだか。
「そりゃそうか。うん。やるじゃないか一松、そうだな皆に同じことをしてときめかせてしまってはいけないものな。意中のレディにだけ、うん、そうだそうだ」
ぶっつけ本番ではなくまず練習するなんて一松らしい。成功率は少しでも上げたいものな。だけど他のガールズ相手にして、うっかり好意を持たれてしまってはいけない。その点兄弟は最適。絶対恋心なんて抱かれないし、いまいちならなにしてるんだと突っ込んでくれる。好きな子への対応の練習だと告げても、カラ松なら心広く受け入れてくれると思ってのことだろう。
おそ松チョロ松、と順に顔を思い浮かべカラ松はうんと肯く。自分だ。どう考えてもカラ松が最も適役だ。弟より兄、という以前にやっぱりカラ松しかいない。おもしろがったりからかったりはするだろうが、十年二十年経っても「あの頃さ~」とことある毎に蒸し返したり、それをネタに金を無心したりはしない。デリカシーのないことだって言わない。自慢じゃないがカラカラカラッポ頭のカラ松と言われてきた男、他人の恋愛沙汰など一年覚えていられるかどうかだ。
「さすがオレ……弟からの信頼も厚いダンディな男……」
一松のナイスな練習相手セレクトを称え、己のすばらしさに改めて感動し、言葉を発したはずだった。
なのにどうしてか、ひどく声がかすれた。ひゅっと息を飲む音がする。どうしてか。苦しい。息がしづらい。腹の奥がぎゅうぎゅう痛む。
おかしい。
うれしいんだ。うれしい、はずなんだ。ちゃんと。
すごく、うれしかった。
優しくて笑ってくれていっぱい話して、カラ松って呼ばれて。遠くから手を振ってくれて。最近ずっと、睨まれたりひどいことを言われたり小突かれたりばかりだったから。機嫌がいいせいだと思っていたけれどそれだけじゃなくて。好きな子のためにがんばっているの、えらいなと思っていて。いろんなかっこういいポーズの中、カラ松一押しの波止場のポーズを選んでくれてうれしかった。やっぱりそれが一番いかしてるよなって言いたかった。顔が似てるからじゃなくて、もちろん似ているからいかしているんだけれど、だけどカラ松のしない表情をする一松の顔が最高にいかしてるって。キラキラしてて、眩しくて、おまえを見てるとまばたきばっかりしてしまう。
そう、伝えたかったんだ。
サトウさんじゃなく、カラ松が。
なんだ、伝えたかったって。過去形ってどういうことだ。言えばいい。別に言ったらいいんだ、最近のおまえいかしてるな一松さすがオレのブラザーだって。そう、かっこういい大人の雰囲気で。練習相手にされていたことを気にしているのか? まさか、そんな狭量な男のつもりはない。ひどいことをされたわけじゃなし、メンバーセレクトだって理解できる。どう考えたってカラ松だ。カラ松自身とて自分を選ぶ。ならなんの問題もない。そうだろう?
わかっている。ちゃんと頭では理解しているのだ。なのに。
『告白する』
『直接の方が』
一松の書いた文字が目の前をぐるぐる回る。ラブレターはいらない、一松は意中のガールに直接告白する。この調子なら勝利を確信しているんだろう。確かに最近の一松なら彼女のひとりやふたり問題ない。だから大丈夫、機嫌はずっといいだろうし八つ当たりもされない。弟に一足先に彼女ができるのはもちろん悔しいが、おおむねカラ松の希望通りだ。
だけどうまくいったら当然、もう練習は必要ない。
赤い耳も、照れから少しかすれる声も、消えがちな語尾も、無言のままかかとで土をざりざり削る癖も。ぜんぶぜんぶぜんぶ、もうカラ松は見られない。
手に入らない。
カラ松のものじゃない。カラ松のためのものじゃない。カラ松には絶対に向けられない。
一松。
「ハハ、なんだ水臭いなぁ。上手くいきそうならラブレターはいらないなんて」
彼女ができたら一緒に登下校するだろうから、一松はきっと一人先に家を出る。休み時間毎に彼女のクラスに遊びに行くかもしれないし、同じクラスなら教室移動も一緒かも。昼休みは彼女と弁当を食べ、ボタンがとれれば彼女にお願いし、ソーイングセットやハンカチを持っていることをはにかんで褒めたりするのだろう。少し唇をとがらせ照れた顔で。友達と騒いでいても彼女を見かければ手を振り、ちょっかいをかけに寄っていき、放課後こっそり寄り道してジュースを奢ってみたりするに違いない。
練習通りに。
「……こんなに協力したんだから、親愛なる兄に礼とか色々あってもいいんだぞ。なぁ」
練習通りに彼女にやっていたなら絶対うまくいく。
なんせカラ松に似た顔のナイスガイで、でも全然違って、たぶん全世界をメロメロにするのはカラ松だけど、でもきっと一松は誰か一人だけを。その人だけたった一人だけ。
「なんだよ」
ラブレターより直接告白すると書かれて悔しかったのかもしれない。きっとそうだ。だってこれまでさんざ相談にのって、アドバイスもして、練習相手にもなったのだ。
そう、それだけ。
他にはない。なにもない。
「……あなたの好きな人には他に好きな人がいるので諦めてください」
依頼を断った手紙を最後に、ラブレター職人サトウさんは消えてしまった。