勢いよく開いたドアを見て、ゲンは自分の計画が失敗したことを悟った。
いや、半分くらいは成功したかもしれない。ひどくやつれた真っ青な顔に、ついかわいそうになってしまって両手を差し出す。自分がしたくせに、まったくいい性格をしている。
「お迎えありがと、千空ちゃん」
「……テメー……ああ、ちくしょうやっぱそうなのかよ」
ソファに身を預けているゲンの両足はない。千空の口座から料金が振り込まれていたからほぼ確信していたが、足は無事競り落としてくれていたらしい。他の人間が落としていても計画上問題なかったといえ、二度手間になる。千空でよかったと安堵の息をつけば、似たようなため息をついた千空にぎゅうぎゅうと抱きしめられる。
「ちょっと~、体重かけすぎないでよ痛いんだから」
「るせぇ、ちっとくらい苦しめ。人の気も知らねえで」
「ねえ、どこで気づいちゃった? 結構うまくいってたと思ったんだけど」
まだ住みだして一ヶ月も経っていない、ゲンの新居にやってきたならすべてわかったのだろう。
もとからだましきれるとは思っていない。千空のことだ、少し考えればすぐ気づけただろう。不自然なことはいくつもあった。龍水や羽京の手を借りられては即ゲームオーバーなので、手出し不要と伝えておいたからここまでもったのだろう。
「あ゛~……手が、早く落とされすぎなとこが。よっぽどテメーのもの落札したくてはりついてるのかとも思ったが、その割に足は俺に譲ってくださる。あれだけ早く落札できんだ、足もできるだろうにしないのがなんかあんのかもしれねえ、とは思ったな」
「ゴイスー! いや、単に手フェチだったのかもよ。あとマジシャンの手は商品価値あっても足はいらないっての普通にありでしょ」
「は? テメーの足だぞ?? んな唆りまくるもんいるに決まってんだろうが」
真顔で返されて一瞬返答に困る。
「つーかあの手なんだ。わざわざ作ったのかよ、御大層な」
「まっさかー。石化したあさぎりゲンが水中から世紀の大脱出! 的なのに使おうと作ったんだけど、お蔵入りになったのね。ほら、子どもとか真似したらまずいでしょ。石化しても復活液があれば大丈夫だけど、水中に置き去りにされたり一部だけ石化して動かなくて溺れたりしたら大事故じゃん」
「テメーが今まさに大事故になってるわけだが、俺は懺悔でも聞いてるのか?」
「なんで。石化した風の俺の手の話でしょ。あ~、でもあれもズイマーだったんだよ。聞いて!? お蔵入りして使わないから、って置いといたのバイトの子が勝手に売っちゃってたのバイヤーじゃない!?? オブジェ的にありって思ったのかもだけどさ、手品のタネだよ、仕掛けだよ。見せちゃったらダメだよねぇ」
誰かに競り落とされる前に気づきゲンが手に入れることができたが、正直肝が冷えた。
そういうグッズ、を出すのはありだがあれは違う。舞台裏を切り売りするつもりはゲンにはない。
まあバイトくんがオークションに出してくれたおかげで計画を思いつき、千空の目も惑わすことができたので手打ちにするけれど。
「……時系列がおかしいのはそれか。最初に手が出品されてた後にテメー生放送出てたからな」
「やっだ千空ちゃん俺の出演チェックしてくれてんの? 俺のこと大好きじゃーん」
「つーかその後のは全部テメーだろ。忙しくなる、つーのもブラフか」
「二つ目の手のパーツまではバイトくんだよ。どれだけ持って行っちゃったのかとか一人かとか調べるのにちょっと手間かかってさ~。だからブラフとかじゃなくて、ほんとに忙しかったの」
疑うようなまなざしににっこり笑って力任せに納得させる。嘘じゃない。出品者の情報や誰が手のパーツを持っていくことができたか、どう対応してどこまでフォローするのか。妙な噂にならないように、でもせっかくなら話題になって知名度アップも狙いたい。
そして千空の恋人の立ち位置を競り落とさねば。
「で?」
「ん?」
「さっきからあれやこれやお話してくださっておありがてえがな、俺の疑問はちーとも解決してねえんだわ」
ゲンを抱きしめていた両腕が、いつの間にか逃がさないとばかりにきつく締め付けられている。
「わざわざ足を石化し、売った理由はなんだ。手を盗んで売った野郎をひっかけるにしても身を張りすぎだし、即決価格なんだあれ。出せる金額にしちまったら買うだろ! 競らせて時間稼いで取引中止にするならまだしもあんなもん買われちまうじゃねえか!!」
「買ってくれた人ここにいるもんね~、お買い上げありがとうございます!」
「おぉ、手に入れた品について聞きたいんだがな……テメー、足怪我したな。左足。最後にしたのは少しでもばらすの遅らせるためか」
復興後、千空が復活液のレシピをすぐさま広めてしまったため石化装置は脅威ではなくなった。石化による事故は起きても、石化自体は厭うものではない。なんせちょっとした怪我なんかすぐ治ってしまうのだ。それなりの値段はするけれど一般家庭にも使い切りのものが一つくらいはあるのだ。
「石化以前の傷につきましては責任をもてません」
「……バイト野郎とのいざこざか」
「ちょっと擦っただけだよ、かすり傷。でもまあ外聞よくないし内部でもめたってなったら好感度下がっちゃうでしょ? だからさっさと治療しちゃおってだけだよ」
「石化した理由はわかった。まあ最初からなにもないのに石化装置つかったりしねえとは思ってたがな、……手だけ売ってるより足もあった方が話題になる、からか?」
「ん~、まあ話題性も考えたけど正直なとこお金が必要になったんだよね」
「は?」
「だから手っ取り早く稼ごうと思って」
「待て。テメー俺が競り落としてなけりゃどうなってたと」
「千空ちゃん信じてたよ」
「……ざっけんな」
「ふざけてないよ」
勝算があるから行動にうつしたのだ。
周囲から馬鹿なことをするなといさめられることで、オークションに出品したという事実はより千空の脳内に刻まれるだろう。そもそも石神博士が出品者であるという時点で注目度が高いうえに、出品物が出品物だ。ゲンがリークしなくとも南はとっくに知っていたし、あさぎりゲンのパーツもあったため一足先に叱られたくらいだ。
オークションサイトを見、ゲンのパーツが売られていれば千空は興味をひかれる。手は、ゲンの手をモデルにパッと見ただけではわからないくらい似せて作られたのだ、写真では本物のように見えるだろう。
ゲンは千空の記憶力と情を信頼している。千空なら写真であってもゲンのパーツだと見抜いてくれるだろうし、いたずらだと思っても一回くらいは競り落としてくれると。なにか事件に巻き込まれている可能性を考え、必ず。
ではその一回に本物の石化したゲンのパーツが届けば。
「千空ちゃんなら気づくかなって」
傷つくかなって。
石化装置を封印せず、活用していく道を選んだのは千空だ。己の選択がゲンの手足をバラバラにし、集められないまま復活させられず、ミノムシのようなゲンを目にしたら。
自分が競り落としていたなら。手も、足も。足はある。でも手は。千空も気に入っていた、よく動き欺くマジシャンの両手。目の前にない、もうない、手に入らない。なにも千空は悪くないのに、きっとひどく傷つくだろうなって。
「……欲しいもんあるなら、買ってやるって言ってるじゃねえか」
嘘つき。
ゲンのだと思い込んでいた場所を勝手に売ったくせに。ゲンにはくれないのに。
「こればっかりはシステム上千空ちゃんは競り落とせないんだよねぇ」
足パーツ四つ分は、結構な金額になった。龍水から、千空に金を貸したと報告があったので相当無理をしたのだろう。そもそも龍水に借りるという選択肢があるのなら、オークションでスポンサーを募集せずともいいだろうに。
払える金額に設定しては危険だ、と怒っていたけれどゲンは払うのに戸惑う程度の金額に設定したのだ。即決価格は。一つくらいなら、それでも千空なら出せるだろう程度の。まさか四つとも即決で購入するとは考えていなかった。
「ねえ、千空ちゃんの出品物はまだ売れてない?」
「あ゛!? 今そんなもんどうでもいいだろうが」
「必要なんだって。ねえ、教えてよ」
腕の中でジタバタもがけば、足がぶつからないことで改めて太ももから先がないことに気づいたのだろう。びくりと肩を震わせた千空はごまかすようにスマホを見た。太ももの断面は石化しているので痛みはないが、これまであったものがないのはゲンとしても違和感がある。どうせないから、とシャツに下着しかつけていないから余計に目立つのかもしれない。ズボンをはいてもぺたんこなんだから悪目立ちするかと気を使ったつもりなんだけれど。
「まだ売れてねえな。ほら」
さほど入札されていない画面を見せられ、期間を確認する。あと五日。即決価格は設定されていないけれど、期間内なら設定変更はできるはずだ。
競ってしまえばわからない。世間がどれほど千空に価値を見出すのか、ゲンには予想できない。けれど今なら。まだ皆様子見している今なら。
「じゃあ即決価格設定してよ。俺、買うから」
何を言っているのかわからない、と視線ばかり雄弁に意志を伝えてくる千空に笑いかける。
言葉の通りの意味だよ。本当にわからないなんて、やっぱりひどいな。
「出世払いとかツケとか言わないよ、ほら、ちゃんと千空ちゃんが振り込んでくれたから口座にうなってんのよ、お金」
ちょいちょいと今はない足を指せば、千空の視線は導かれるままゲンの足の輪郭を探す。記憶にはあるのだろう、ソファから床に伸びるそれ。
幾度か撫でられたことがある。傷跡だらけで固い足の裏からくるぶし、張ったふくらはぎから骨が浮き出た膝小僧までたどった千空の指先はひどく荒れていた。あれはまだ石神村に居た頃だったか。長距離移動する足は違うだとかなんとか言って、お互いの足を並べて見比べたりしたのだ。
あの頃はまだ、キスもしていなかった。相手の顔を見るとうれしくて、二人きりになれば落ち着かなくて、そのくせ離れようとはしなかった。千空からの好意はなんとなく感じていて、でもどこにしまえばいいのか迷っていた。皆と同じ場所か、違うのか。迷う時点で特別なんだと、今更ながら笑ってしまう。かわいくて。
「俺が買うよ。千空ちゃんの恋人、俺に売ってよ」
千空からの好意を疑ったことなどない。
大切に思われている。好かれている。特別に思われている。今だって、ゲンのために必死になり大金を躊躇なく支払いやつれるほど心配してくれていた。
わかっている。誰から見てもそうだ。皆、千空とゲンはつきあっていると思っていたし、だからこそオークションは悪ふざけだと南など怒っているのだ。龍水も羽京も、ちょっとゲームしてるの、で納得してくれた。
ゲンだって。
ずっと恋人だと思っていた。信じていた。千空が好きで、同じ気持ちを彼も抱いてくれているのだと。
なのに千空だけが違った。
誘い合わせたように距離を詰め、手を伸ばし、頬を寄せ、じゃれるように唇で顔中に触れた。隙間などないように抱きしめあい、好きだと告げあった。今はない足だって、幾度も絡めあったのに。言葉も、態度も、感情も。なにもかも千空への愛を告げていたし、告げられた。
うれしくて、楽しくて、幸せで。
ゲンはずっと千空を恋人だと思って、そう振舞い過ごし生きてきたのに。
千空はゲンを何だと思って過ごしてきたのだろう。愛の言葉を告げあい、隣で過ごし、けれど恋人ではなかった。
自分はいったいなんだったんだろう。あの幸せな日々は。
二人で過ごした時間は、恋人同士の行為は、千空にとってただの友人と過ごすものだったのか。
ゲンのことを特別にしてくれていることは理解している。
では恋人は。
オークションで募集した恋人には、どんな態度を。言葉を。感情を。
「千空ちゃんはいくらで売るの?」
キミの気持ちを。
「……金、じゃなくて」
「うん?」
「違う。俺はそういう、金とかじゃなくて」
「あ~、売れない? まあ恒久的なスポンサーになるにはちょっと甲斐性が足りないかもしれないね」
「違う! テメーとの関係に、金もちこむのは嫌だっつー話だ!」
ああ、ひどい。
なんで泣きそうな顔してそんなひどいこと言うの。そりゃ最初に千空ちゃんに意地悪したの俺だけど、ちょっとくらい傷ついちゃえばいいなって思ったけど、でも。
いいじゃん、バカ。だって恋人じゃなかったんだもん。俺はずっと幸せだったのに、恋人だって思ってたのに、じゃああの時間はなんだったの。千空ちゃんは俺の事なんだと思って一緒にいたの。今更違うとかそんな、ひどいよ。意地悪くらいさせてよ。
最後の手段をとることもできないとか。がんばることもさせてくれないの。
千空ちゃんの恋人に誰かがなるのを、指くわえて見守るしかできないなんて。ねえ、レースに参加くらいさせてよ。恋人じゃなかったなら、恋人になる努力くらい。
それもさせてくれないなんて、じゃあ俺どうしたらいいの。
◆◆◆
ゲンから求めてほしいと思っていた。
つきあおう、恋人になりたい、ずっと一緒にいようね。千空が口にしてしまえば強要になるだろうそれを、世界が変わるまで待つつもりであった言葉を。
ゲンが千空を必要として、求めてくれたならいつだって。少しの言葉でもいい、欠片でも、千空を独り占めしたい気持ちを見せてくれたら。
そう、確かに願っていたけれど。
「違うだろ、それは……そういうのは、だって」
ああ失敗してしまった。どれだけ考えても、今回こそはとトライしても、ゲンのことに関してだけ千空の脳は頻繁にバグを起こす。後から考えればもっとうまいやり方があったと思いつけるのに、幾通りも予測をたて万全を期して対応しているつもりなのに、なぜ。
どうしていつも、うまくいかない。
今だって笑ってくれると思っていた。ゲンは見事千空をひっかけたのだ。ゲンの作戦にはまって慌てていた千空にネタばらししながら、千空ちゃんもまだまだだね、なんてご機嫌に笑ってくれるのだと。がんばった千空にそれくらいのご褒美があってもいいだろうに。
なのにどうして泣きそうな顔をしている。両手を伸ばしてくれたのに、抱きしめれば身を固くする。逃したくないのに距離を取ろうと身じろぎして、自分で切ったくせに足が存在した場所をしょぼくれて見つめて。
ゲンが寄り添って悟って種明かししてくれないと、千空にはなにもわからない。
わかっているつもりですることはいつも、ゲンの表情を曇らせる。
「テメーとだけはそういう関係になりたくねえ」
金に困っているならいくらでも渡す。あっても使い道がないのだから気にしなくていい。無条件で渡されるのが対等な人間関係を崩すというなら貸す。利子も期限もいらないから、そのうち手元に金が余ったら返してくれたらいい。
だからダメだ。できない。したくない。
ゲンを売らないでほしい。買ってしまう。千空は必ず手に入れる。オークションにかけられていた足を、手を求めたように。ゲンが売るなら絶対に買う。自分では止められない。いさめられるのはゲンだけだ。
金で手に入れてしまっては、それはもう対等になど永遠になれない。
告白できない。つきあってくれ、とただ伝えることが命令になる。ここまで我慢したのに、言わず堪えたのに、すべてが台無しだ。
「っ、俺けっこういい物件だと思うけどな~。気心も知れてるし体の相性も悪くないし放っておけるから実験ばっかしてても問題ないし」
「は!? テメーがいてなんで実験ばっかするんだよ、急ぎならともかく」
「いやしなよ、大好きなことに集中できるよってプレゼンなんですけど!? 俺のいいとこ売り込んでるんだからちゃんと考えてみなって」
「いいとこも悪いとこもあるだろうが俺にとっちゃ全部必要なんだが」
「そういうんじゃなくて! 千空ちゃんが俺の事しっかり好きでいてくれるのは知ってるんだよ。でもそれじゃダメなんだから、せめてスタート地点に立たせてって話をしてるの!」
「とっくにゴールにいるだろうが、なんの話してんだ!? こちとらテメーを安売りすんな、つーか売るなって話をしてるんだよ」
「売ってるのは千空ちゃんでしょ! 俺は買わせてって言ってるの!!」
「絶対買っちまうからやめてくれって言ってんだよ!!」
話が通じない。ちょっと待った、と右手を挙げたゲンが数秒考え、困ったように千空を見上げた。出会ってから今までずっとゲンの方が背が高いのに、眉尻を下げ見上げられてばかりの気がする。きっとこの表情に弱いことがばれている。
「……もしかして千空ちゃん、さっき俺がお金が必要って言って、石化した足オークションで売ったから怒ってる…?」
「あぁ」
「でも俺の肉体を俺が勝手にしたから、じゃないよね。買っちまう、っていうのは千空ちゃんが?」
「テメーの持ち物をどうしようと俺に口出す権利はねえ。だが売ってありゃ話は別だ。絶対に俺が手に入れる。薄々そうかもなと思っちゃいたが、今回のことではっきりした。買う」
「買ってくれるんだ……そういや龍水ちゃんにお金借りたんだって?」
「そこまで知ってんのかよ、くそ、情けねえ。……ああ、だから意味がねえんだ。わざわざ売っても俺は買ってそろえてゲンにしちまう。それならわざわざ石化してばらしたりしなくても、その欲しいものとやらを俺が買えばいいだろ」
「千空ちゃんには買えないんだよ」
「っ、じゃあテメーが買って俺が金出せばいいだろ! 財布一緒にしてた時と同じじゃねえか」
財布も世帯も墓も一緒にしたい、とはまだ言えない。
言ってもいいだろうか。いや、ゲンは千空がゲンを買い集めると断言すれば目を見開いて驚いていた。そこまでされると考えもしていなかったのだ。あたたかで優しいばかりの関係だと考えているゲンにこの執着を告げて、引かれてしまってはどうしようもない。
「うーん……あのね、テメーとだけはそういう関係になりたくねえ、って意味を聞いてもいい?」
「……そのままの意味だ」
「俺たちの関係にお金を持ち込みたくないってこと?」
「ああ。俺がテメーのパーツを買ってゲンにしちまえば、それは俺のもの、だと思うだろ。律儀だからよ、テメーは。こっちがどれだけ元のままでいいつっても、たぶん無意識に一歩下がる。対等でいてくれねえ。だから」
「それって千空ちゃんもじゃない? オークションに恋人の立場売ってるの、忘れてない??」
「今それは関係ないだろ」
「関係大ありなんだよねぇ。俺はね、それを買いたいなって話をしています」
「あ゛?」
「千空ちゃんの恋人、にお金を使ってなろうとしてます。ずっとその話をしてるよ、俺は」
顔を合わせた時にするだろうと思っていた、してやったりの表情。目を細め口角は上がり、にんまりと悪人顔で笑ったゲンはもう一度繰り返した。
「千空ちゃんの恋人の立場を買いたいの」
「……それは」
「お金を持ち込んじゃうね。どうしよ。困っちゃう」
久々に見たゲス顔も悪くねえな、じゃねえ。得意げな顔もいい、でもなくて。
恋人に。買いたい。
そうだ、俺に売ってよとゲンは言った。下肢のない姿と泣きそうな顔、怪我をしていたという情報で脳の大部分はショートしていたんだろうか。思い返せば確かに口にしていたのに、耳にひっかかりもせずするりと流れていって。
「……俺の恋人になりたい、ってことでいいのか」
待ち望んでいた言葉すぎて、夢ではないかと思う。ゲンから求めてくれたら強要にはならない。ゲンが告げてくれたら。ゲンが。
「でもそういうのはダメって千空ちゃんが言うから」
「待て、それはずりぃだろ」
「俺の足売ったお金で買うの、これ二人の関係にお金を持ち込むってことだよね。しかも石化した俺のパーツ売るの、絶対買っちゃうって言ってたのもお金の関係になっちゃうってことかな」
「おい、ゲン、おい、悪かったって。待て、ちょっと待て考えさせろ」
「今更考えるとか傷ついちゃうな~、二人のこれまでって遊びだったんだ~」
「ずっと本気に決まってんだろうが! わかってるくせにからかうんじゃねえよ!!」
純情科学少年が青年とおりこしていい年になった現在まで、純情どころか感情のほとんどを握って離さなかった男がなにを言ってやがる。
恋愛感情など脳の不具合だとうそぶく幼い子供にメンタリストを相手取れという方が無茶だとはわかっている。それでも本人として、千空はもう少しがんばれよと過去の己に告げたい。そしてメンタリストは手加減をしてやってくれ。おそらく手加減してもなお、千空の感情はゲンに握られてしまうのだろうけれど。
「あ~、その、ゲン」
「なぁに」
「オークションのは取り下げる。恋人は金だしてくれりゃ誰でもいいわけじゃない。買った買われたの関係になるつもりはねえ」
「うん」
「だから、その……テメーの代わりに足競り落としておいたから、あとで代金払えよ」
「っふ、ふふ、ゴイスー友達っぽいじゃん」
「友達じゃねえよ」
それでは我慢できない。
もういいか。告げていいのか。さっきゲンから求めてくれたのは空耳じゃないのか。現実か。サービスでそれっぽいこと言ってみた、なんてオチならどうすればいい。
ああ、大樹のように予告しておけばよかった。メンタリストならすぐ気づいて、それとなく振るなりなんなり対処してくれただろうに。
「友達じゃないの? じゃあ同盟相手かな」
「……っ、ゲン」
伏せられたまつげが震え、視線がそっと千空に向けられる。先ほどまでゲス顔で笑っていたくせに、千空とソファの間に閉じ込められたゲンはまるで壊れ物のように見えた。
眉をひそめ小さな声で、ほろりほろりと言葉をこぼす。世界中で千空にしか聞こえない、ゲンの声。動けない、腕の中にいてくれる、千空しか知らないゲン。
「恋人だと思ってたんだ、俺が」
ぜんぶあげたし、もらったよ。俺の場所、だったのに。
「でも違うなら……売っちゃうなら、俺が買えばいいんだって思って」
冗談めかして煙に巻いて目くらましをして、ここから逃げられない理由まで物理的に用意してくださって。
千空にだけこぼしてくれた言葉を取り逃してはいけない。今度こそ。
「ゲン、俺はずっと」
「それで恋人になったら、こっぴどく振ってやろうと思って」
「こっ、あ゛、え」
「で、フリーになるから恋人募集しちゃおって決めてたんだよね~! いっそ俺もオークションにかけちゃうのもいいかな。あさぎりゲンの恋人」
「即決価格はいくらだ」
「あっれ~、お金が絡むのはダメなんじゃなかった?」
「っぐ、あ゛~……悪かった。ちっとでいいからテメーが妬かねえかって馬鹿なことした。俺がしっかりしてりゃいい話だったのに」
ずっと、できた男だと思っていた。
千空の不得意なところをフォローし、さり気なく気遣い、いてほしいときに傍に居てくれる。ゲンが隣に居なくなった時を想像できないくらいに寄り添って。
ああ、それがまさかこんなにも。
「ゲン、好きだ。つきあってくれ」
パーツが売られることを止めなかった。足を見ただけで千空がゲンのものだとわかると信じていた。探して居場所を突き止めるのは当然だと一人で待っていた。動かないで。動けないから。だから逃げない、逃げられない、足を落としてしまったままで。
千空の腕の中、消えもせずおとなしくただ意地の悪い揚げ足取りばかりする。ひどいひどいと唇をとがらせ、そのくせ離れろも嫌だも何も言わない。
「恋人になってほしい。ずっと一緒に居てくれ。俺はテメーが居ないとダメだ」
まさかこんなに面倒な拗ね方をするなんて、思いもしなかった。
全然できてない。手間のかかる、ややこしい、どうしようもない。
「……そこまでストレートに言っちゃうの、千空ちゃんらしくないね」
「テメーも思ってたより百億倍おかわいいぞ」
千空でないとダメだろう、こんな男。
「ちょっ、どしたの!? 気ゆるみすぎて単語選択ミスっちゃった? メンゴ、やりすぎちゃったかな、俺メンタリストなのに」
復興のために。千空のために。メンタルケアの一環として自分との関係を断れないかもしれないなんて、もう思わない。こんなに好き勝手ひっかきまわして気を遣っていると言われたら、メンタリストの看板を下ろせと笑ってやる。
告白はもう強要ではない。
だから好きな時に好きなだけ、いくらでも言って構わない。ゲンは千空の想いで苦しんだりしない。
なんせ恋人の立場を買った後、振るつもりだったのだ。千空のメンタルを考えれば一番選んではいけない方法を、腹いせにさっさと選べる。メンタリストとしてなんて考えてもいない。
今も、千空がゲンをかわいいと評したことをいぶかしんでいる。そう思っていなかったことなどないのに、今更。千空のことをすべて見透かしていると思っていたのに、まるでわかっていやしない。
なんだ、全然ダメな男だ。
ゲンのこととなるとからっきしの千空と同じくらい。
「千空ちゃん、やっぱ俺、恋人売っちゃう」
「ほーん」
「【あさぎりゲンの恋人の石神千空】を千空ちゃんに売るからさ、【あさぎりゲンの生涯のパートナーの石神千空】で支払ってよ」
「物々交換じゃねえか」
「ドラゴできるまでは石神村ではそうだったでしょ」
「名目が変わるだけだろ」
「……もう売らないでしょ、そしたら」
そこまで不安にさせてしまったのか。
かわいそうにという気持ちといとおしさが同時に胸の内にうずまきぎゅうぎゅうと心臓をしめつける。
「無理だな。全部いる。テメーを隣に置いとく名目が他の誰かにあると思ったら耐えられねえ。一つじゃ無理だ。全部俺が買うから」
「先に売ったのは千空ちゃんじゃん」
「ゲンが嫌ならもうしねえ」
「やだよ。しないで」
「しねえ。約束する」
もう二度と、なにも売らない。
「うん。……ところで千空ちゃん、今、俺の足ないんだよね」
「おう」
「だから今なら、お尻に入れても蹴れないよ?」
「……」
「トライ、しちゃう?」
「……………………テメーがしっかり抵抗できる状態に戻ってから、する」
「ゴイスー揺れてんじゃん」