恋人売ります - 2/3

千空がそれを知ったのは、南からの連絡が切欠だった。
ネットオークションにふざけた品物あげてるけど本気? あんたたちお互いバカなことばっかりして、いい加減にしなさいよ!
確認半分お怒り半分、ゲンはコハク辺りが怒ると予想していたが残念ながら外れたらしい。結局いい年して叱られていることに違いはないが。

恋人の立場を売りに出したのは千空本人だ、と確認した南はため息と共に説教を終わらせた。ニュースにしても構わない、と許可を得たので追及の手を緩めてくれたらしい。あんたたちの考えることってほんと訳がわからないわ、そろそろ腹くくりなさい。じゃあねと共に告げられた言葉に、千空は首をひねる。
あんたたち、とひとまとめにされるのは圧倒的にクロムとだ。研究ばっかり夢中になって、とは言われすぎて耳にタコどころの騒ぎではないが、今回ばかりは無関係だろう。スゲーヤベーと楽しそうに世界中を飛び回っているクロムの顔は、ここ二ヶ月ばかり見ていない。
では誰だ。オークションを見た南が口にしたのだから、そちらになにかあったのだろうか。まるで興味がなかったのでろくに見ていなかったオークションサイトを眺めてみる。石神博士の恋人、ああ馬鹿らしい。こんなものに金を積んでもなりたいなんて、ありえない。スポンサーだって、実際はそこまで必要なわけじゃない。いればもちろん助かるが、わざわざ資金を集めてどうしても今進めたい研究なんてないのだ。
ただ――ただ一言、なにか。

「……脳がバグるにもほどがあるな」

ゲンがほんの少しでも動揺してくれれば。なにか言ってくれれば。
ただそれだけのためにこんな馬鹿馬鹿しいことをしでかすなど、自分自身でも信じられない。石化前の、彼を知らない己ならありえないと笑うだろうか。
だが、今の千空には笑えない。愚かな行動だと理解しているのに、こんなことをしても意味がないとわかっているのに、それでも。

石化から復活し世界が復興した現在に至るまで、千空の隣には彼がいた。ゲンが、ずっと居てくれた。もうゲンが共にいない人生など想像できないくらい、一緒に過ごして。
これからもずっと、を自覚したのは早かった。あまりに当たり前の顔をして隣に居たから、居なくなることを想像もしていなかった千空の幼さを嘲笑うかのように、ゲンが船に乗らないと言ったからだ。乗っても役に立たないから、航海なんて怖いから。千空の傍に居ないという理由にはあまりにも弱い、まるで理由になってない。そう思ったのは自分だけで、ゲンが離れる理由など百も二百もあるらしい。
そうだ、最初から。科学の力に魅せられて千空の陣営を選んだだけで、ゲンにはいつだって他の道がある。
千空の隣以外にも居場所がある。どこを選んでもなんだかんだうまくやって、居心地よく過ごすだろう。好きにあちこち飛んで行って、こちらのことなど思い出しもせず。司を裏切り科学王国に鞍替えしたように。胡散臭い蝙蝠男が村に馴染みきっているように。

だから手を伸ばした。気分でひらひらどこかへ消えてしまわぬようにひっつかみ、科学より興味を引かれることがあっても戻る場所はここだと示した。

好きだと告げれば俺も好きだよと返してくれる。愛していると告げても同様に。ここに居ろと願えばもちろんと笑い、千空の名を愛し気に呼び、キミの見せてくれる世界が好きだよと抱きしめられて。好かれているんだろう。それくらいはわかる。特別扱いもされている。甘やかされていることも、昔は認めがたかったが今は自覚している。

わかっている。理解している。ゲンは自分の持つ精一杯の愛情を千空に向けてくれている。どこにも行かない、ここに居るとずっと隣に在ってくれた。それを信じきれないのは千空だ。
なにせ彼がくれるものは、あまりに千空のものと違いすぎる。
好きだ。愛おしい。ずっと傍に居たいし他になど行ってほしくない、自分だけを見て笑いかけて抱きしめて、千空の腕の中だけで生きてほしい。
現実的でないことは理解している。実際に行動に起こしたいわけでもない。ただ、千空の抱く執着心や妄執は恋情によるものだというのに、ゲンには欠片も見当たらない。誰と結婚しようが彼女にしようが、呆れて笑うだけで嫉妬の欠片もない。誰から好かれようと、千空ちゃんなら当然だよあの子見る目あるよね、なんて背を押す勢いで。
もし自分なら。千空なら、ゲンに自分より優先される存在がいることなど耐えられないのに。ゲンに好意を抱く相手など、いなければいい。千空だけがゲンの事を知っていればそれでいい。

こんな風に縛りつけるものじゃないと思っていた。
脳のバグだなんて言いながら、温かくて優しい、ふわりとしたいいものなんだとばかり。大樹と杠がお互いに抱いていたのはそういうものだったから。見ている周囲も幸せになるような、ただひたすら優しいものだったから。

キスをした時はまだそうだったかもしれない。
初めて抱きしめた時も。寒いから、狭いから。様々な理屈をこねては二人身を寄せ合った。肉の少ない身体はデコボコしていたけれど、不思議なほどぴたりとひっついた。暗闇で名を呼ばれるたび、胸が引き絞られやわい感情が溢れ出た。好きだ。口を動かすだけで愛おしさでむせそうになった。声にならなくて、見えなくて、ゲンの皮膚に唇をつけては振動を送った。

のどが詰まるころにはもう違っていた。
ゲンがくれる温かく優しい感情は、千空が抱いているものとどうしてこんなに違うんだろう。同じがいい。自分もこんなきれいなものを彼にあげたい。そうしたら喜んで、ずっと一緒に居ると言ってくれるかもしれない。どこにも行かないと約束してくれるかもしれない。
彼自身が望んで、ではないなら意味がないと理解していたから無理強いだけはしなかった。

本当はなにもかもを手にしたかった。肉体だって開いて触れて、千空だけにしか許されないことを増やしたかった。制圧して独占して縛って、あの【あさぎりゲン】を好き放題することを許されるたった一人になれれば。

ゲンが自分に向けてくれる感情は、大樹が杠に向けるものによく似ている。
笑顔が見たい、楽し気に笑ってほしい、そのためなら自分がその人生にかかわらなくとも構わない。

3700年越しの告白をしなかった理由を問うた時、大樹ははっきり口にしたのだ。フェアではない、と。自分たちの生きてきた時代より格段に暮らしにくいこの石世界で、肉体的に杠よりずっと強健な己が好意を告げればそれは強要になるだろう。考え考え、千空に伝わるよう精一杯脳内を整理し言葉にする。無理強いしたいわけではない。嬉しそうに笑っていてくれるならいい。だからそれ一つしか選べない選択肢を突き出すのはよくない。
半年間一人で生活してきた千空だからこそわかる。大樹の力はすさまじい。彼が共に居るか居ないかで生活のクオリティはまるで違う。この原始的な生活の中、千空と大樹と杠というたった三人の集団で、大樹の機嫌を損ねることはすぐさま死に直結するのだ。それは大樹がそんなことをするわけがないという前提をもってしても、あからさまな権力勾配がある。

同じことが千空にも言える。言えてしまう。
科学の知識を備え、石神村の村長という立場の自分。科学王国のリーダーとして動いているこの身には、確実に権力があるということを自覚しなければいけない。
不公平にならないようには振舞っているつもりだった。知識は求める者皆に分け隔てなく、特別扱いはせず、依怙贔屓などもってのほか。メンタリストがうまく動いてくれたおかげもあり、なんとかなっている。
だが、個人としても同じなのだと千空は頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
フェアじゃない。そう、フェアじゃないのだ。
大樹を選ばない道も、大樹を選ぶ道と同じくらい広く大きく歩きよい道でなければならない。傍から見ればどう考えても両想いなのだからさっさと告白すればいいと思っていた。生きていけないから大樹を選ぶ、何の問題もないと考えていた。違うのだ。大樹の好意を受け入れても受け入れなくても、どちらでも杠が彼女のまま幸せに過ごしてほしい。その状況まで大樹は待つと。

石世界で生きていくなら、千空からの好意はあって損はない。好悪の情で選別する気はないが、周囲からの見方ひとつとっても違うだろう。断られてどうこうする気などないが、相手がどう感じるかはわからない。
そもそもゲンは自身の技術に誇りを持っていた。メンタリストとしてリーダーの士気が落ちるような行動をとるわけがない。では、もし千空がつきあってほしいと告白すれば、間違いなく了承するだろう。うれしい、俺も千空ちゃんの事ずっと好きだったから。にっこり笑ってこちらが望むことを口にする、それはゲンの本心だろうか。

好意は持たれている。キスもした。抱きしめあい、触れ合い、まるで恋人のような関係を築いていると思う。誰かとおつきあいなどしたことはないが、千空とて一般常識でこれが友人間ですることではないということくらいはわかる。
だけどわからない。
ゲンはつきあってとも恋人になろうとも言わない。千空が結婚した時も彼女ができた時も笑うばかり。ふわふわした情は優しく千空を包むのに、手にしようとすれば指の間をすり抜けどこかに消えてしまう。

千空から告げれば強要になってしまう。メンタリストとしての責任感で応えてほしいわけじゃない。だから求めてほしい。そうしたらいくらでも応えられる。好き、なら言える。愛してるも。ただ関係性を確定させる言葉だけが言えない。
ゲンが告げてくれた返事なら無理強いにならないだろう。だから言ってくれ。なあ。恋人になろうって。つきあおうって、言ってくれたらいくらでも。こんなに好きだと態度で示しているじゃないか、わかりやすすぎて周囲にはもう呆れられているってのに。

復興後ならいいと思った。告白しても強要にならない。【復興のためにがんばるリーダー】ではないから士気など気にしなくていい。千空のメンタルケアをゲンがする必要がなくなる。だから、口をつぐんで必死にがんばった。
復興後なら。復興しても、求めたこともない肩書と不要な権力、千空のいらないものばかりが足を引っ張る。ダメだ。まだ強要になる。あの石神博士の求めを断るなんて、と世間に思われてはいけない。だけど同じくらい、ゲンがいなければ成り立たない仕事をしていてはいけない。千空ちゃんがダメになっちゃうから仕方なく、は違うだろう。

ゲンが居ても居なくてもいい。それでも千空を、ただ彼の気持ちひとつで選んでほしい。
違う道を選んだゲンもきちんと笑えて幸せに生きる、そうでないなら告白できない。

「……いっそ世界に二人だけなら」

ああ、これが最も避けるべき事態だというのに。大樹が選ばなかった選択肢をまるで救いのように考えてしまう己に千空はうんざりする。

フェアじゃないから今は言えない。そう言えた親友がまぶしい。
そう考えたい、そう生きたい。目標を持ってやってきたはずなのに、目標としていた世界で千空は未だゲンに告白の一つもできていない。ああだこうだうるさい周りがいなければ、なんて。そこが出発点だったのに。周囲の事を考え、千空を大切にしてくれるゲンだからこそなのに。

恋人になってくれ。一生傍に居てほしい。結婚だってなんだって、望んでくれればすぐにでも。
いつになれば千空から求めても強要にならない? 周囲のことなど考えず、千空のメンタルケアをしようなどと思わず、ゲンが堂々と断れる状況はいつ訪れる?
断ってほしいわけじゃない。ゲンがいない人生など選びようがない。けれど千空のためになにをも曲げてほしくないのだ。千空のためになにひとつ損なってほしくない。だから。だけど。

馬鹿なことをしている。
恋人の立場をオークションに、など誰かに落札されてもつきあえるわけがない。そこに居てほしいのはたった一人だ。ずっと。ゲン以外なら必要ない。

けれどもう限界だった。復興すれば、と必死に堪えたのにいつまでたっても周囲は千空を放っておいてくれない。欲しくもない肩書は重いだけでなく、ゲンの手をとることばかり邪魔をする。復興後とはいつだ。あとどれだけ待てばいい。どれだけ努力すれば、誰が復活すれば、千空を逃がしてくれる。ゲンが千空を選ばない道を誰も責めない世界が来る。
ゲンは求めてくれない。彼がくれるのはあたたかでやわらかな、ひたすら優しい愛情。千空が誰を選んでもどこに居ても、嫉妬のひとつもしてくれない。

そこは俺の場所だよと、せめて一言。
売るくらいなら俺が座るよと。
馬鹿なことをするなと怒りのひとつも見せてくれたなら。

「ありえねえな」

こんなことで求めている言動をとってくれるような簡単な男なら、これまでにどうとでもなっただろう。
それでも馬鹿げたことをせずにいられなかったのだ。そうしなければ諦められない。これが最後だと決めていたというのに往生際が悪い。
にじむ視界でオークションサイトをぼんやり眺める。表示されている品物は生活用品ばかりで、千空の出品物だけが異彩を放っている。
いや、違う。

「は?」

少し離れていたから気づかなかった、同じく奇妙な出品物。

「……あさぎりゲンの、パーツ……?」

すでに競り落とされているその品物についている写真は、この世界の人間なら皆見覚えのある色。石化した左手首に見える出品物は、千空には見覚えがあった。
触れて、引いて、握りしめた。
節の目立つ細長い指先は見た目よりずっと力が強くて、想像より平べったい。短く切りそろえられた爪。すらりとしているのに大きい掌。なにもかもを隠せる、さえぎる、マジシャンの。ずっと見ていた、見慣れている、ゲンの左手首から先だ。

 

◆◆◆

 

「ちくしょうまたか!」

落札済の文字に千空は拳を机にたたきつけた。
あさぎりゲンのパーツと銘打たれた、石化した左手首を発見してからすでに十日が経つ。
すでに競り落とされていたそれが本物かどうか、どれだけサイトに問い合わせをしても個人情報なのでと取り合ってもらえない。ゲンに会えばわかると連絡をとれば、しばらく忙しいからそっちに顔だせないな~とのんきな返事。

質の悪い冗談だと思ったのだ、千空も。最初は。
現在のカメラはまだ以前のものほど画質はよくない。それらしく色をつければ、石化した人の手を撮った写真などすぐできる。有名人の名前を使って、それっぽいものを出品する。テレビには五体満足な本人が映っているのだから、偽物だということはすぐわかる。そもそもパーツと銘打っているのも怪しい。問い詰められた際、モデルにして作ったのだと言い逃れるためだろう。

左手を発見した二日後、右腕パーツが出品された。千空が見た時にはすでに競り落とされて。
妙に胸がざわついた。いたずらにしてはしつこい気がしたのだ。
映りの良くない写真は、確かにゲンの右腕に見えた。二の腕から肘の下まで。あさぎりゲンのパーツ、と商品名は左手の時と同じ。筋肉はついているが細い、男性の腕。見慣れている千空だからわかるが、これだけでゲンのものだとわかるのだろうか。
左手を発見した時にゲンには一応伝えたが、手フェチかもねとまるで興味のない返答しかされなかった。

右腕の翌日、出品されていたのは右足。膝の下、ふくらはぎの途中できれいに切られたゲンの。落札される前に発見した千空は、迷わず即決価格を突っ込んだ。石化した足を模した作り物にしては高額だったが、のんきに競る気分ではない。たとえ作り物であっても、千空が一目でゲンのものだとわかるほどに作りこまれたパーツが自分以外の人間の元にあるなど想像したくない。
本人に見られたらからかわれるだろうなとうんざりしながら、それでも初めての勝利に少々浮かれたくらいだ。ゲンの肉体を模したパーツを競り落とすゲームに負けたくはない。
事情が変わったのは、競り落とした品が届いた日。
初めて左手を発見してから、五日が経っていた。

本物だった、のだ。
石の塊ではない。模して作ったものでもない。届いたのは、真実ゲンの右足。

悟ったとたん千空はパソコンにかじりついた。オークションサイトを必死で探す。まさか。ありえない。だって連絡が取れていただろう。テメーのパーツだって石が売ってるぞと伝えた千空に、さすが俺のファン創作意欲ゴイスーじゃんなんてのんきに笑って。手フェチじゃないの、昔っから人気あるんだよ俺の手。まさか石像にしてもらえるとか思わなかったけど。右腕の時だってそう言って笑っていた。足を競り落とした時、千空が落としたことは伏せて今度は足も売ってたぞと伝えた時は、なんでもありじゃんと大笑いして。

あさぎりゲンのパーツ。目に飛び込んできた商品をすぐさま落とそうとして、落札済の文字に拳を握る。左腕。右腕と同じように、肩の下から肘の下まででぶつりと切られた写真。
すぐさまゲンにかけた電話は圏外。オークションサイトへの問い合わせは個人情報なのでとけんもほろろ。警察に、と立ち上がりかけて脛をしたたか打ちしゃがみこむ。

違う。違う違う違う、ゲンじゃない。ついこの間も会った。仕事が忙しくなると笑っていた。だからなにかあるわけがない。あればとっくに警察が動いている。ニュースにだって。なんせあいつは売れっ子芸能人様で、そうだ右腕も左手も足だって。テレビに出ているんだから無くなればすぐ騒ぎになるに決まっているんだ。そうだ。左手が競り落とされていた後、テレビに映っているゲンを見た。両手をひらひら振っていたはずだ。

だけど足は本物だ。
千空の元に届いた右足は、しっかり張ったふくらはぎも甲の高い骨ばった足も横長の爪も、すべてゲンのものだった。作り物ではない。これは石化したゲンの足だ。

考えろ。動揺に脳のリソースを割く暇はない。
目の前にあるのは作り物ではない、確かに石化した人間のものだ。他の石化したパーツと組み合わせ復活液をかければ戻る、人間の足。千空の目にはゲンのものにしか見えないこれは、なぜここにある。
これが確かにゲンのものならば、現在彼の右膝から下は失われていることになる。だが電話で話したゲンからそういった話題は一切なかった。なにか事件に巻き込まれてSOSをひそかに送ってきていたのではないか。思い出せ。考えろ。暗号は? モールスは? 口調、話題、声音。なんでもいい、なにか。
なにか千空に伝えてはいなかったか。助けを求めては。
ゲンから、なにか。

七日目、右足の太ももから膝下までのパーツを即決価格で落札する。
八日目、前日同様左足太ももから膝下までのパーツ。
九日目、同様に左足膝下から爪先まで。

千空が競り落としたパーツはすべて、本物だった。
どれだけ調べても、作り物ではなく人体が石化したものだと結果がでる。そしてパーツをあわせたそれはどれだけ記憶と見比べてもゲンの足なのだ。
圏外だったゲンからは、しばらく時間が読めないからメールにしてほしいと連絡がきた。実入りのいい仕事らしく、その分本気でやるのだと。手足が欠けているなどありえない、まるでこれまで通りの文章。なにひとつ変わらない、助けを求めてなど一切ない。

足パーツを競り落としていなければ、趣味の悪いことするやつもいるんだなで終わった。だが千空の手元にはゲンの足がある。これは確実に石化した人間の足で、そしてその人間はあさぎりゲンだ。自分でも気持ち悪いが断言できる。
助けを求めてこないのは千空を巻き込まないためだろう。一人でどうにかできると考えているのかもしれない。なんなら手足を千空が競り落としたと思っているだろうか。オークションの話題を千空から出すなんてらしくない。ゲンならば少しの違和感から正解にたどり着く。
ゲンがなぜ手足だけ石化され売られているのかはわからない。手がない状態でメールできるということは、少なくとも協力者がいるはずだ。そもそも全身一気に石化せず手足のみオークションに出すのはどんな目的があるのか。

千空がすべて競り落とせれば、集められれば、復活液をかけてめでたしめでたし。
だがもしゲンが全身石化されたとして、オークションに出されなければ。千空以外に競り落とされてしまえば。

ぐうと腹の底が痛み、口の中に酸味があふれる。ろくに物の入っていない胃からは胃酸しか上がってこない。
先ほど、あさぎりゲンのパーツと銘打たれた右手首から先を逃した。千空と同じく即決で落札している人間がいるらしく、両足は手に入れたが両腕は先手を打たれている。
すでにいたずらという線は薄いと考えている。なぜなら千空が競り落としたパーツは、本日届いた左足膝下から爪先まで四ヶ所すべて本物だったからだ。両手だけがこのタイミングでただの偽物、いたずらであると考えるのは楽観が過ぎるし、そもそも両手パーツが偽物であってどうだというのだ。ゲンの足が石化され切り落とされていることに変わりはない。

メールはできる。ゲンから送ってきはしないが、返信はくる。
パーツが本物かつゲンと連絡が取れた時点で警察沙汰にするのは止めた。パーツすべてを千空が競り落とせているならばともかく、ゲンの両手はどこの誰とも知らない相手のところにあるのだ。その状況で警察が動き情報が流れれば、手を競り落とした人間がなにをするかわからない。ゲンの手のレプリカかなにかだと思って手に入れたのに本物だと知れば。彼がなにより大切にしているマジシャンの手が。
せめて手を自分が手に入れていれば、と考え千空は頭を振った。同じだ。足だとて、どうせ変わらない。己ではないどこかの誰かがゲンの足を手に入れ、それを本物だと知る。その可能性を許せない。確実に問題がおこる。

ゲンからは助けを求める言動がいっさいない。気づいていないだけかとどれほど思い返しても、常通り、いや常より忙しいくらいで。龍水や羽京に協力を求めようにも、ゲンから聞いたがまたなにかやっているらしいなと楽し気に笑われた。先手を打たれている。周囲の助けを求めることなく解決できる、というゲンの主張なのだろう。
千空の助けはいらない、と。
知っている。泣いたりわめいたり忙しいくせに、結局なにもかも一人でできてしまう男だ。頼った方がいいと判断したことだけ周囲に回して、なにもしていないよと嘯いて。本当は誰も隣に居なくても大丈夫なのだ、ゲンは。千空も。必要だ、といつだって言ってくれていたけれど。けれどゲンの傍に、隣には居ても居なくてもいい。ゲンはなんでも一人でできる。
だから今回のことも、うまくやって戻ってくるのだろう。なにか事件に巻き込まれても、攫われても、ゴイスー大変だったんだよと笑って飄々と戻ってくる。ゲンはそうできるしするだろうと、わかっていても。

逆流する胃液を吐き出し水を飲む。何を入れても胃が受け付けないから吐くものもない。頭ではどれほど納得しようとしても肉体が反抗するのだから、まったく人間の身体は複雑だ。思った通りに動きやしない。

「……戻って、くるよな」

攫われたのなら、なにをしてでも助ける。バラバラになったパーツを集めなければいけないなら、いくらででも買い取る。ゲンが助けを求めていようといまいと、心配だから、で動いていいくらいには親しいはずだ。自分たちは。
けれど、彼が自分の意志でどこかに行くなら。
舞台上でバラバラになり消え、別のところに出現するマジックを行っているというのなら。
千空は彼の消失マジックを見破れたことがない。