「器用?」
「そ。南泉ってすっごい器用じゃん。あれ個体差なのかな。本霊から器用な気もするよね」
器用。器用、とは。
「そうだね、一般的に南泉一文字は器用な個体が多いみたいだよ」
この本丸の南泉一文字はちょっとばかり不器用な個体なんだな、と山姥切は思っていた。
戦働きに不利なわけでも、バグというほどでもない。ただ少々細かい作業が苦手というか、指がうまく動かないというか。
みかんの皮をむくとボロボロにするし、顔を洗った後たまにこめかみに泡がついているし、襟が内側に折れ曲がったまま廊下を歩いていることまであった。
だから山姥切がみかんを剥き白い筋までとってやっているし、毎朝顔に泡がついていないかチェックは欠かさない。南泉の出陣前にはきちんと戦装束を整えて送り出している。そう、さっきも。
「なんかさぁ、一文字の刀ってみんな何でもできるみたいな顔してるじゃん。でも器用って感じじゃなくてさ、こう、任せとけ! みたいな」
「日光とか、まあ、器用なイメージはないね」
「ねー。そう言いながらなんでもできるんだけどさ。その点うちの南泉、器用っていうかそつがないっていうか」
一般的なイメージの話として会話を続けてみたが、この本丸の南泉が器用だとダメ押しをくらってしまった。
いやうちの猫殺しくん、南泉一文字としてはかなり不器用では? まあ薙刀あたりと比べれば器用と言えるか……力の使い方はわかっているから物を壊すとかそういう心配はないし。
「なんせ顕現初日から箸使えたからね、こいつは有望って細かい作業専門みたいになってたよ。短刀のボタンとめてやったりさ」
「へえ、箸は見ていたからまだしもボタンは不慣れな者も多いのに。シャツのボタンは小さいし」
「そうそう、ちっちゃい! 俺、最初自分の服に絶望したもんね。これどこから手つける? って」
山姥切もボタンとかベルト多いもんね。親し気な声に笑い返しながらも、己の記憶をひっくり返すために脳内は大忙しだ。ボタン。ボタンだって。自分のシャツのボタンを俺にとめてもらう猫殺しくんが短刀のボタンを?
「皆一度はボタンホール裂いちゃうのに、南泉は全然だし。そういうの、本霊由来なのかな~。知ってる?」
「さすがに政府も本霊の器用さは把握してないかな。刀剣男士として降りた身の、なら統計がありそうだけど」
「あ、そこまでマジなやつはいいでーす」
ケラケラ笑う加州と別れ、自室に戻り、再度先ほどから思い返している記憶を総ざらえ。この本丸に来て以来の、山姥切が知る限りの姿。そして器用だと語られた、見たことのない、山姥切の知らない南泉一文字。
この本丸の南泉は、猫殺しくんは、ちょっとばかり不器用な個体なんだと思っていたのだ。山姥切は。
シャツのボタンをちまちまいじってなかなか外せなかったから、仕方ないなと手を出した。白い筋まできれいにとったみかんを口に放り込んでやるのは冬の日常だった。襟元を直し跳ねた髪をなでつけかっこいいよと背を叩けば、座りの悪い顔をしながらもうれしげな雰囲気を隠さないから。だから。
「……器用でそつがない…?」
どれほど記憶をひっくり返しても、山姥切の中には少々不器用なかわいらしい南泉の姿しかないというのに。
◆◆◆
おそらく最初は、南泉がみかんを握りつぶしそうになった時だ。
コタツがある、まだ冬ともいえない今からもう出しているのだと聞いたので、これは猫殺しくんの部屋に入り浸るチャンスと意気揚々押しかけて。猫殺しくん、と呼びかけたのと襖を開いたのは同時だっただろうか。少々勢いが良すぎたきらいはあるが、いつもの事だと南泉は気にしないだろうから。
どう言いつのって南泉の部屋に己のスペースをねじ込もうか。やる気に満ちあふれた山姥切の目に飛び込んできたのは、みかんに指を突っ込んでひどく情けない顔をした昔馴染み。にゃあ、とあまりにしおしお顔を伏せるので、用意していたからかい文句は言葉にする前に消えてしまった。驚かせてしまったかな、と笑う山姥切にほんとににゃと顔をしかめて見せ、みかんだったものを口にぽいと放り込んで。
眉間にしわを寄せあまりに不本意そうに食べるから、なるほど白い筋までとりたいタイプなんだと判断したのだ。あの日。その後、詫びだよときれいにむいたみかんを一房差し出せば、なんの警戒もなく口を開くから。だから当然の顔をして、山姥切は南泉の口にみかんを放り込んだ。まあね、見知った顔だし。古馴染みだし。これくらいの距離感、行動はあたりまえかな。本霊の頃はこんなことしていないという事実も、この身になってからは初対面であることも、すべて見ないふりをして。以来、南泉の部屋のコタツに入れば無言で山姥切の前にみかんが置かれるようになった。
風呂場で顔を合わせた時は、ボタンをこねくりまわす指先のつたなさについ手を出した。山姥切がテキパキ戦装束を脱がせてやるのを、邪魔しないくせに文句ばかり。先に入れだの放っておけだの、山姥切がそんなに薄情な刀だと思っているのか。出陣のあと、一刻も早く血や土埃を落としたい気持ちは皆同じ。時間がかかるならこんな時は甘えておけばいいものを。戦装束で腹を出しているのはボタンを必要最低限しかとめたくないのでは、と密かに疑っていたのはここだけの話だ。
だから、この本丸の南泉は、ちょっとばかり不器用な個体なんだとばかり。
内側に折れ曲がった襟を直してやった時に。泡が残っているよとこめかみをぬぐってやった時に。山姥切の髪を耳にかけようと、伸ばされた指先の震えを隠せていない時に。
不器用で大雑把で迂闊な猫殺しくんなんてレアキャラ、知らない。見たことない。ここでしか見られない。気になって、目が離せなくて、手を出したくてがまんできなくなって。
おまえこれ好きだろ、と山姥切が手伝った都度なにかしら持ってくるくせに、礼だと言えない不器用さ。こちらの好きなものをちゃんと知っていて選べる器用さはあるくせに、共に過ごす時間を得るための理由付けはどうにも下手。
きれいにむかれたみかんを差し出された時の満足げな顔。ボタンをとめる指先をまじまじと見つめるまなざし。頬に、髪に、山姥切に触れる前に一瞬止まる、情のこもった優しい指先。
不器用でかわいくて、好きだなと思ったのだ。この本丸の、この猫殺しくんが。どうしようもなく。
◆◆◆
「だから恋仲になった、というわけではないんだけどね!?」
「お、おう?」
そう。別に南泉が不器用だから好きになったわけではない。きっかけではあるが、そうでなくてもそのうち好意は恋に育っていた。そもそも南泉一文字としては、なのだ。刀剣男士の中で比べれば、目の前で首をかしげている南泉とて器用な方に違いない。
「なんだ、どうしたよ。にゃあ」
だから別に、かわいこぶって山姥切の機嫌をとらなくてもいい。気にしないでほしい。ただちょっと戸惑っているだけだ。
不器用だと思い込んでいた自分の猫殺しくんが、実はそうじゃなかった可能性に。
「にゃあ、山姥切、化け物斬り、にゃにがあったんだよ」
「そんなににゃあにゃあと。特売日かな」
「売ってねえよ」
「売りなよ。俺が買うから」
「それぜってぇ自分で使わねえやつ~」
「当然かな。キミが言うからかわいいのに」
にゃあにゃあとわざとらしく鳴く、その心根がかわいい。山姥切が喜ぶから、と普段抑えている呪いまで使ってしまうところが本当に。
「こういうところは器用なくせに」
「だからなにがだよ、にゃ」
不器用な個体なんだと、思っていたのだ。
ボタンがなかなか外せなくて指先でカリカリひっかくから、山姥切は寝間着を前開きのパジャマから浴衣に変えた。胸元から手をすいとすべらせるだけで脱がせられる浴衣は南泉のお気に入りだ。だからというわけではないけれど、そういうことをする夜は浴衣を着る、のがお約束になって。まあ、パジャマだからしないということもないけど。うん。
たまに戦装束の時にもそういう雰囲気になる時はある。そんな時はボタンもシャツガーターの金具も、山姥切が自ら外した。だって外すのに失敗した南泉が、金具を壊したとしょんぼりするから。気にしないよと伝えても落ち込んで、これからは戦装束の山姥切には手を出さないなんて言いそうだったから。
だから、その、成人男性の身をもって顕現した山姥切としては、恋仲との健全ないとなみのため自分であれこれすることに抵抗はないのだ。全部してくんなきゃやだ、みたいな思想はないので。どちらかというと愛でたい方なので。
ボタンを引き千切らないように、慎重に動かす指先が。爪の先の引っかかりも許せないとばかりに、山姥切に触れる直前ぐっと詰める息が。きれいに剥かれたみかんの房を、襟元を直す指先を、シャツガーターの金具を自らはずす山姥切を、こちらが差し出すものをなにひとつ疑わず受け取る顔が。
南泉が山姥切をとても丁寧に扱おうとしてくれているのだと、隠せずわかりやすく見せてしまうその不器用さ。
器用に動けぬ己を自覚しているからこその精一杯。
「……キミ、小さいボタンとめるの、得意らしいじゃないか」
「おう?」
「顕現初日からとんでもなく器用だったと聞いたよ」
みかんの皮をきれいにむけるだろうし、洗顔後に泡なんてつけないだろうし、誰にチェックされずとも戦装束をきれいに整えられるのだ。この男は。
そうだ。みかんに指を突っ込んで情けない顔をしていたのは一度きり。それ以降は山姥切が剥いてやっていたから知らない。泡だって、曲がった襟元だって、たまたま一度見た山姥切がその後チェックするようになったから、二度目はない。なかった。山姥切が確認せずとも、きっともうなかった。南泉は己で全てうつくしく整えられる男なので。
ただそれを山姥切が楽しんでいたから。猫殺しくんかわいいなぁと手を出したがっていたのに気づいていたから。だからわざわざ隙を作って、構われていたのだろう。それは不器用なんて言えるものじゃなく。
ああ、どうにもうまく飲み込めない。
「器用って。普通だろ」
「だから気にしなくていいんだ、本当に」
不器用な個体だから。力加減がうまくないから。だからボタンを力任せにひっぱって引きちぎりかけたりする。南泉が幾度も山姥切のシャツをダメにしそうになったから、自分でボタンをはずすようになった。寝間着にこだわりはないから、ボタンのあるパジャマをやめて浴衣にした。
みかんを口に放り込むのは楽しかったし、洗い残しチェックという名目で毎朝堂々と顔を見に行けるのは嬉しかった。戦装束を整えて戦場に送り出すなんて、役得以外のなにものでもない。
何の問題もない。山姥切は南泉を構うことを楽しんでいたし、実際のところ南泉が器用だろうが不器用だろうが気にすることはない。そんなことで二振りの関係は変わらない。
ただ、ちょっと。ほんのちょっと。
丁寧にする、手をかけることを、惜しまれていたのかなとか。少しだけ。
あんな、破きそうな勢いでシャツをひっぱらなくとも、猫殺しくんはボタンをひとつひとつ手早く丁寧に外せたんだなとか。あたって痛いから本当は外してしまいたかったベルトの金具を、つけっぱなしにしなくてもよかったんじゃないかなとか。そういう。
好かれていることを疑ったことはない。南泉一文字は己が厭っている相手を恋仲にするようなことはしない。
ただ、思いの大きさの違いを改めて悟っただけの話だ。重さがぴたりと釣り合うことなどない。どちらかが大きくどちらかが小さいのは当たり前、山姥切の想いの方が大きいことなどよくよく知っているのだから気にするまでもない。
「なあ、こないだのシャツ、やっぱりオレが新しいの買う」
「いらないって言ったろ」
「ボタン引き千切っちまって悪かったよ。気に入ってたんだろ」
気に入っていたのは、南泉が手触りがいいと言ったからだ。
あのシャツを着ていると南泉がすぐ寄ってくるからしょっちゅう着ていただけで、別に好みでもなんでもない。山姥切はよほど奇抜なもの以外は何でも似合う顔をしているので、己の着る物にそこまで強いこだわりはない。
「あれは別に関係ないよ」
「他かぁ? えぇ、マジでにゃんだよ」
小さいボタン、小さいボタンと呟きながら頭を抱える南泉は器用だという指摘を否定しなかった。
ひたすら山姥切の不機嫌の理由を考えている姿は見慣れた腐れ縁で、古馴染みで、この本丸で出会い恋仲になった南泉一文字だ。
不器用な個体なんだろうなと思っていたのに、違ったらしい南泉。器用な猫殺しくん。人の身一日目から箸を使いこなし、小さなボタンもさっさととめ、他刃の世話までやいてやれる器用でそつのない個体。
誰だよ、それ。
「キミさぁ、なんで」
続きの言葉が出てこない。らしくない。わかっている。わかっているのに、問い詰めるような声音になった己が山姥切は許せない。どうして意図した通りの声が出ない。言葉も。言いたくないことも、言うべきでないことも知っているのに。理解しているのに。
自分ばかりがこんなにも。
「細かい作業、苦手なフリしてるんだ」
器用でそつのない南泉を否定するわけじゃない。本霊からしてそういう刀だ。何をさせても涼しい顔でシレっとこなす、かわいげのない付喪神だ。
だけど山姥切の知る、この本丸の南泉は。俺の猫殺しくんは。
「は? なんでんな意味ねえことすんだよ」
「知らないよ。だから聞いてるんじゃないか」
「にゃんでキレてんだよ。いきなり言いがかりつけられてるこっちがキレるとこだろこれ」
最近はボタンあんまり引き千切ってないだろ、じゃない。それは山姥切の協力もあってのことだ。
そもそもシャツはどうでもいい。そうじゃなくて、そこじゃなくて。ああ、でも、じゃあなんだと問われても答えられない。何も言えない。
不器用な個体なんだと思っていたんだよ。南泉。
おまえの精一杯を受け取っているつもりだった。そうじゃなかった。ただそれだけのことで勝手に裏切られた気持ちになったなんて。
「……仕方ねえだろ、逸っちまうのは。許せよ。まだ人の身に慣れてねえんだ」
「は? キミ顕現してどれだけ経つと思ってるんだ、のんきすぎるだろ」
「うっせーよ! だいたいおまえが見たくなるツラばっかしやがんのが悪い!!」
「俺のせいなんてよくも言え、……ツラ? 見たくないじゃなく、見たくなる、顔?」
見飽きた顔、ならば当然のこと。けれどあまりに予想外な発言に目をまたたかせれば、南泉はぐっと眉間にしわを寄せた。言いたくない、とあからさまな。こうもわかりやすく表されては、問い詰めずにいられない。
「猫殺しくん」
「別に、にゃに、なにも」
「猫殺しくん」
「気にすんにゃって」
「猫殺しくん」
「にゃー! っ、……だから、人の身はあるだろ。こう、内臓だの皮だの肉体が」
「うん。俺達は刀剣男士だからね」
「で、つまり、その……勝手に動くじゃねえか、心の臓だのなんだの。オレはそのつもりもねえのに熱くなるし、指先はしびれるし、喉はつまるし」
すべて付喪神であった頃にはなかったこと。知らない動き。初めての感覚。なんせこれまで肉体とよべるものは鋼だったのだから。
人の身を模して形をとったからこそ生まれる、困惑。
「おまえ見てると勝手に動くから」
本霊ならばありえない。付喪の身は精神体に近い。だからこそすべて己の思うまま、こうであれと考えるからそのように動く。管理下にないものは無い、存在しないというのに。
重い。熱い。理解できない。己を裏切って勝手に動く、なにひとつ自由にならないこの肉の器はなんだ。
「オレだってどうにかしてぇよ。なんでおまえのツラ見てるだけでこんなわけわかんねえことになるんだ。最悪だろ」
なあ、と同意を求められて山姥切は思わず息を止めた。油断したら叫んでしまう。
おまえそんな。バカ。だから不器用な個体なんだと思っていたと、そう言ってるだろ。
「気ぃとられなきゃうまくやれんだぜ、ボタンでもなんでも。でもおまえの顔も見なきゃいけねえとか、忙しすぎんだよにゃ。つーかそもそもおまえがこれまでにもちゃんと見せりゃよかったんだよ、オレに。なに隠してんだよ」
じっくり眺めときゃちったあ慣れてマシだっただろうに、なんて。
山姥切の顔など飽きるほど見てきたくせに。南泉の知らない顔などないと言い切れるほどの期間、ずっと。それなのにまだこんなことを。見たくなる、なんて五百年共に居て、まだ。まだまだ。まだまだまだ。
肉体を得た、ただそれだけでなんて浮かれよう。
「もっとオレ見てうれしがってる顔見せろよ。慣れるまで」
そんな顔はしてない、なんて。
勝手に上がる口角が、熱を持つ頬が、汗ばむこめかみが。人の身を模した己のすべてが裏切ってしまうから言えなかった。
だからどうしておまえはこうも、こちらの機嫌をとることにかけてだけ。
「器用な猫殺しくんほど腹立たしいものはないな」
「この流れで喧嘩売るおまえほどじゃねえんだよにゃあ」