手にとってにんまり。おもむろに開いて数行目で追って、頬を赤らめじたばたとひとしきり暴れてまたにやにや。少し癖のある右肩上がりの字は筆圧が強めだから原稿用紙が少しよれている。興奮のあまり放り投げそうになった紙の束を、はっと正気に戻ったカラ松が慌てて膝の上に戻す。いけない、これは世界にただひとつの作品なのだ。大切に扱わなくては。
そう。世界にただひとつ。
「っふふふ、へへ……これ、オレなんだよな……オレのことを、先生が」
現実は小説とは違い地の文で感情を書いてないからわからない。そう訴えたカラ松のため、己の心情を書き綴ってくれた一松からのラブレターはすでに段ボール二箱目に突入している。ラブレターではないと一松からは否定されたが、恋人から自分への気持ちが綴られた紙の束はラブ以外の何物でもないだろう。確かにレターと言うには嵩高いが、それくらい様々な感情を抱いてくれていたということだし、世の中には手紙を多量に書く人もいるだろうし。
段ボールに放りこんでいるのはひどいと言うなかれ。もちろんカラ松だって、当初は保管場所を考えたのだ。いつでも読みかえせるようにリビングに置こうか、それとも玄関を入ったところに額に入れて飾る? いやいや寝る前に眺めていい気分にひたるためベッドサイドはどうだろう。玄関開ければ目の前六畳、リビングの折りたたみ机をたたんで布団をしいているというカラ松の生活スタイルはこの際置いておくとして。
ただ問題として、先生から手渡されるラブレターが想像以上に毎回分厚いこと、原稿用紙そのままの束のため本棚にも置きにくいこと、頼むからおまえ一人で見てこの存在を誰かに知られたら死ぬと一松が嘆願したことにより、大量の紙の束は紐で綴じられ段ボールに順に入れられていくこととなった。まったく、シャイボーイな恋人を持つ身として苦労するぜ。もちろんこの苦労は望んでするものだ。若いうちのなんとやら、みたいなあれだ。ちなみに手渡された束毎に紫色の紐できれいに綴じていることはカラ松だけの秘密である。なんせ一松は一度読んだら捨てていいよなどととんでもないことを言うのだ。この、一松からの愛の結晶になんてことを。以前から少々無頓着なところがあると思ってはいたが、予想をはるかに超えている。これはカラ松が傍についてじっくりとラァブの大切さを語り伝えなければいけないのでは。
「おっと、先生じゃない。……い、一松、さん」
耳に飛び込んできた己の言葉にダメージを受ける。
いちまつさん。
なんだ。なんてステキで詩的できらびやかかつファンタスティックな単語。いやもちろん心の中では何度も呼んだ。実はバラの花束を受け取った翌日には愛称案を考えていた。一松、呼び捨てパターンは同僚っぽくていいな。一松くん、これはなんだか学生ぽくないだろうか。一松さん、先生の雰囲気にはこれがぴったりかもしれない。いっくん、いちくん、イッチー、マツイチ、いっそカラ松しか呼ばない愛称なんてどうだろう。イチくん先生、とかほら、なんだか急にライトノベルに出てきそうな感じが。
悩んでいる間に、実は一松に自分は不要なのではないかという疑いが芽生え先生呼びから変えられなかったのも今となってはいい思い出である。なんせそれがあってこそのこのラブレターなのだ。
「へっへへ……一松さん、あの時こんな気持ちでいてくれたのか」
つい先日のお家デートの帰り、なにかものすごくもぞもぞしていたのだ。トイレに行きたいならカラ松の見送りはいいから急いでどうぞ、と心広い彼氏としてクレバーに勧めたのだがクソがと罵られ玄関から蹴り出されてしまった。そんな腹に力の入る動きをして尿意もしくは便意は大丈夫だったのかと心配していたのだが、昨日速達で届いたラブレターによるともう少し一緒にいたかっただけらしい。照れくさくてなかなか言いだせない間にカラ松が見送りはいいなどと口にするから、どうしていいかわからなくなったと。けして便意ではないと。
KAWAII
どうしよう、オレの恋人が心底かわいい。
こんなにかわいくて一途で健気でいかすキューティーでプリティなラバーがいるだろうか。はい、ここにいます。オレの! この松野カラ松の!! 愛しのラバーがまさにこの完璧にかわいい恋人だということをどう神に感謝すればいいだろうか。とりあえずクリスマスは祝うし初詣も行こう。恋人の一松と!
落ちつくために水でも、と流しでコップに水を入れてみて、手の中にあるのはお揃いなんて名目で買ったものであったと気づきまたじたばたしてしまう。本当に一松に好かれているのか、そもそも恋人ではないのでは。不安になっても聞けなかった頃、一松宅にある猫の柄のコップに似たものをこっそり探して買ったお揃いもどきがこれだ。どうしても恋人の証拠が欲しくて、でも口にしてしまって否定されたらと思うと怖くてひとつも形にならなかった不安たち。こみあげるたび水で流しこんで、なかったことにしようとした勝手な思い込み。結局決壊して、消せたと思っていた不安はすべて腹に溜まり一松にぶつけてしまったけれど、それでいいと一松が言ってくれたのだからいいのだ。ほら、だってあの時のラブレターにだってかわいいとたくさん書いてくれている。
「……んん?」
かわいい?
どこの誰が??
ごそごそと段ボール箱をあさりこのラブレター達が書かれるきっかけになった日の文章を読む。
『……涙をこぼすカラ松の顔を見たとたん混乱に陥った。どうして。泣き顔なんて見たくない、ごめんなさい、おれがなにかしたんだろう。だけどわからない。おそるおそる聞いても要領を得ない説明でどうしていいのかわからない。かわいい』
ふむふむと読み進めていたカラ松は首をかしげた。あれ? なんだここおかしい。つながりが妙だ。
先生はオレがいらないのではないか、と不安をぶつけた時のことだ。気持ちが伝わっている、恋人としてなんの問題もないと考えていた一松が混乱するのはわかる。勝手にカラ松が不安になっていただけで、それをひとつも伝えていなかったのだ。あちらとしては唐突すぎただろう。説明を求める一松に、明瞭な説明ができたとは当人であるカラ松さえ思えない。泣いている時点でぐちゃぐちゃだったはずだ。一松が困惑するのも当たり前。
ただその後。いきなりでてきた『かわいい』がおかしい。
この時一松の目の前にいたのは泣いているカラ松だ。成人男性が情けなくもみっともなく涙を流している。格好よく涙を流そうと思えばもちろんカラ松とて立派にこなす。なんせ学生時代は演劇部でならしたのだ。鏡の前でいかに男らしく格好よく涙を流せるかの練習をしたのも懐かしい。だから望まれればいつでもいかした泣き方をしてみせるが、ただあの時は意識していなかった。泣くつもりではなく、勝手に出てきてしまう涙を止めたいくらいで。だから鼻水も出ていたし顔じゅう真っ赤で翌朝は目が腫れていたくらいだ。お世辞にも見れたものじゃない顔だったはず。
それがかわいい?
「先生は少し特殊な趣味をしていただろうか……」
掃除していた際見つけた本やDVDを思い返すも、少々獣耳が多かった気もするが一般的の範疇に入るレベルだろう。いや、確かにどちらかといえばかわいい系統の女の子が多かった気もする。どこか幼げな、妹とか制服とかそういう。
六畳間には少々大きすぎる全身鏡に目をやる。カラ松の目に映るのは、少々強張った顔をした成人男性。特に女性らしさもかわいらしさもない、クールでいかしてはいるがあくまでも男性の。
「……かっこいい、だよなあ」
どこからどう見てもかわいいという形容詞はつかないだろう。別にかわいいは外見だけを表すわけではない、好ましいものとして書かれているのだろうと受け入れていたのだが、それにしてもちょっと多くないだろうか。書いてある回数が。
このラブレターは、一松の心の内だ。つまり彼はカラ松のことをかわいいと思っていて、それはもちろんうれしいし疑うようなことでもない。カラ松に好意があるからこそ行動がかわいく見える、というのは理解できる。ぶさいくな泣き顔だって小さな子が必死でなにかしている時なんかだと、めちゃくちゃかわいい。おつかいとか、テレビ番組になっているくらいだ。そういうことだろう。わかる。うん、ありがたい。
ただ。
『得意気に今日のおすすめポイントを語るのがかわいい。クソ顔もかわいい。クソなのに。ろくにしたことなかった料理がこんなに上手くなったのがおれのためってのが、改めて考えるとぐっとくる。なんとか必死に美味いと絞り出した声に、そうかと華やいだ顔をしたのがたまらなくかわいい。健気だ。こんな時どうしようもなく、抱きしめたくなる』
アシスタントの頃から作っている料理はそれなりに上達した。認めてもらえたのはうれしい。顔に感情が出ない一松だから、喜んでくれているのをこうして知れるとホッとする。美味いと言われるのもめったにないからこの時のことは覚えている。実は時間がなかったからスーパーの総菜を買ってきて皿に並べたのだ。カラ松としては、美味いと言われ、そうだなオレもここの店はお気に入りなんだ気が合うな今度教えるからな! という気持ちだったのだが……健気。
どうしよう。なんだか、一松の見ている『カラ松』が微妙に自分ではない気がしてカラ松は首をかしげる。
なんとなくの印象だが、料理も掃除も洗濯もしたことがない不器用さんが好きな人のためにがんばりました! あなたの好きな味付け勉強したよ! 理由? だってあなたが好きだから!!! という少女マンガでも今時ないのではというキャラ設定ではないだろうか。
実際のところ、カラ松は一人暮らしをそれなりに経験しているので一通りはできる。コンビニのサラダにインスタントみそ汁、肉だけ買ってきて焼く程度でいいなら失敗などしない。掃除機をかけるほどの広さもないからクイックルワイパーとコロコロしか家にはないが、それなりにこまめに掃除している。もちろんゴミは溜めたことがない。確かに一松の服を縮めてしまったが、そもそも洗濯機に入れてはいけない洋服をスーツ以外カラ松は持っていなかったのだからそこは仕方ない。毛糸の服って面倒だな。クリーニング屋さんありがとうこれからもよろしく。
だからつまり、なんというか、ずれている。
憧れの先生のお宅でアシスタント、で舞い上がり失敗は幾度かしたがそれはそれ。どれもそこまでできないわけではないしものすごい努力をしたわけでもない。料理など結構惣菜や冷凍物を利用しているから、手作りとありがたがってもらうと気まずいくらいだ。それでも一松が納得し受け入れているのだからいいのだろうと考えていたカラ松であるが、認識がこうもずれていては問題があるのではないか。
少なくとも、美味いと褒められ笑顔になったのは、自作の料理が一松の口にあったからではない。というか自作ではない。
もしかして彼は、これまでもずっと誤解していたのだろうか。いや、誤解は言いすぎか。カラ松のことを、とんでもなく健気でつくす古風なタイプだと思って。
まさかと思いつつ読み返すラブレターに書かれる『カラ松』は、どこかしら他人のようにカラ松には感じられた。
自分が考えている己と他人から見る自分は違うものだ。己の耳に聞こえる声が、周囲にはまるで違うように聞こえるのと同じで。それくらいはカラ松もわかっている。十代の子供じゃないんだから、あるがままの素の自分を受け入れてほしいなんてことは言わない。どちらかというと、一松の前では少し格好をつけている自覚もある。だって格好いいと思われたい。だからカラ松の自覚している姿と少々違う風に見られていること自体は在りうることなのだ。
ただこれは方向性が違う。カラ松は格好よくいかした男として一松の前で振舞ってきたはずだ。無論それが一松の目に『かわいく』映ったとしてもいい。だが、こんなにも繰り返される『かわいい』に対し『かっこいい』や『クール』『スマート』がまるでないのはどういうことだろう。『クソ』なら大量に書かれているのだが、これは一松の口癖だから置いておくとして。
「……もしかして先生は、かわいい方が好みなのか!?」
そうだ、子供は所持できない本やDVDもかわいらしい女性が多かったではないか。なぜ気づかなかったのだろう。一松はかわいらしい方が好みなのだ。そしてカラ松にはどうにも難解だが、この男らしく精悍な姿にかわいらしさを見出しているらしい。高度だ。そういえば風の噂でMだと聞いた。これも縛りプレイとかいうものなんだろうか。どこからどう見ても男でしかない存在からかわいらしさを感じて愛でる、なんて精神的苦痛がひどそうだが。なるほどM。
目標さえ決まればカラ松は努力できる男だ。無論、なるべく楽して生きたいし本当なら努力なんてせず歌って釣りでもしながら暮らしたい。だがそれ以上に、一松の傍に居て恋人という関係でいるのは魅力的なのだ。
「よし、待っててくれせんせ、……んんっ、一松さん! 次会った時、あまりのオレのかわいさに腰を抜かすといい!!」
ラブレターを読み込んで、どこでかわいいと思ったのか徹底的に拾い上げ参考にする。一松の好む、一松の見ている、一松の望む恋人のカラ松になろう。そうすれば。
そうすれば、もしかしたら恋人としてもう一歩先に踏み込めるかもしれない。
◆◆◆
カラ松の恋愛対象はこれまで異性であった。
知識としては同性同士もあると知ってはいたが、友情以上の好意を抱くことも抱かれることもなく生きてきて深く考えたこともない。そのうちキュートなカラ松ガールズと出会い、恋をし、家庭を築き……なんてぼんやり夢見ながら過ごしていた日々に突如、台風のように現れたのが一松だった。
憧れの小説家、作品を読んで以来ずっと一緒に仕事をしてみたいと望んでいた彼からの情熱的なアプローチ。まるで本の主人公になったようなあの日から、一松のことを考えない日はない。
なんでオレなんだろう。どうしてこんなにオレのことを考えていてくれているの。オレをこうも理解してくれているのは先生だけ。先生。オレを、オレだけを、こんなにも。
言葉使いがわかりにくいと言われた。言い回しがくどい。なにを言っているのか理解できない。考え方が独特。ちょっとずれてる。おかしい。なんで。通じないよそんなの。
カラ松がいかしていると思う言葉は少々伝わりにくいのかと、変えてみるもいつも遅いと言われる。おまえは『そう』なんだから、今更いいよ。なにがいいのかと問うてもなぜか伝わらない。どれほど真摯に伝えても笑われ、なにを口にしてもまっすぐ通じない。仕方ないな、と肩をすくめられてもカラ松も困惑しかできない。
なにもよくない。今のは笑うところじゃない。どうして。
――言ってねえよだから伝わってないって言われたらそーですかってなるだろ! じゃあ次の案行くだろ!!
わからないと言われた後、それでも次を望んでくれたのは一松だけなのだ。
小説家ゆえの探究心か、編集部からも変わり者扱いされている一松の性質か、彼だけがカラ松を見離さなかった。わからないと問いかけてくれる。カラ松もわからないと問えば、ラブレターなんてうれしい形で回答をくれる。
こんなに真摯に向き合ってくれる人に、カラ松は初めて出会ったのだ。そして彼のような存在が数少ないことも、わかるくらいには長く生きてきた。コミュ障だ不器用だとすぐ己を卑下する一松は、ただひたすら真面目で誠実なのだ。相手をしっかり理解しようと考えすぎ、疲弊してしまう。その一松が、なぜかカラ松に好意を持っている。しかも恋愛感情だ。アプローチは唐突であったが、嫌悪感はまるで湧かなかった。それどころか、これまでの好意や憧れに上乗せで生まれ出す浮かれた感情。恋愛対象が同性? 問題ない問題ない。なんせ世界はラブアンドピース、愛があればなんだっていいのだ。一松がカラ松を好きでカラ松もまた一松のことが、なんだこれ両想いじゃないかソーハッピー、これから始まるスペシャルなライフ、バラの花束もハッピーエンドの本も二人の未来を祝福してくれているようじゃないか!!!
きっと今なら、カラ松が抱く気持ちの方がずっと強いだろう。一松への好意はすでに執着心に近いものになっているかもしれない。だって一松みたいな人はもういない。こんなにカラ松を諦めない人は現れない。
だから、恋人としての地位を盤石にしたいのだ。
「なんかさあ、最近どうしたの」
だから、来た! と思ったのだ。
「あー、変っつーか、いやそういうわけじゃなくて、でも」
頭をかきむしりながら一松が口を開いた時、やっと勇気を出したのかスイートわかってるぜ照れくさかったんだろう、なんて笑って受け入れるつもりで。
だってかわいくしたのだ。
一松が望むように、一松が好むように、一松が。
ほんの少しでもこんな男の、男でしかない肉体からかわいらしさを見出せるように勉強して。彼がかわいいと書いていた仕草、受け答え、服装。ちゃんと。かわいいって。あんなに書いてくれていただろう、かわいいって。
そうしたら、カラ松に性的な興味が持てるかもしれないと思って。
「……おまえなんか、そういうんじゃなかったよね」
んん?
かわいくしたら抱いてくれるかもしれないと思ったのだ。こんな、男でしかないカラ松でも。
精神的苦痛を快楽とするMな一松なら、欲情できない相手とでもどうにかすることで満足してくれるかもしれない。一松は真面目だから肉体関係を持った相手を捨てるようなことはしないだろう。恋人として遇するだろう。
カラ松が望むなら、ずっと恋人になっていてくれるだろう。だってもう離れられない。一松のいない未来なんて考えられない。
「そういう、って先生……?」
「ほら、そうやって首かしげるのもさぁ、前はやんなかったでしょ。もっとこうなんか、あー、うまく言えないけど」
「こ、こういうオレもキュートだろぉ!? クールでダンディなオレも魅力的だがスイートでハニーなオレも」
「そこ! ほら、そのハニーだのスイートだの。そういうのじゃなかったじゃん。男らしいのが好きだったんじゃないの」
一松の言葉が胸に刺さる。そうだ、好きだ。男らしい、クールでギルティな格好いい松野カラ松。けしてかわいいなんて言われたことのない、自分が。
「……っ、いや、最近流行りだろう? 草食系。男の魅力はひとつじゃない、オレも新たな自分を発見しようかと」
「肉を肉で巻いて食べる肉食系肉、に憧れるって言ってなかったっけ」
「ふっ、時代は流れているんだぜ先生。流行りには敏感なのは職業病かもしれない、な……」
「なんでためたの。そこためるとこじゃないから」
同性同士の恋人の肉体関係のことなんて、考えたこともなかったのだ。あまりに自分から遠すぎて。好きで、傍に居て、ひたすらうれしくて楽しくて幸せで。一松に必要とされていない、なんて思い込みを払拭されてからの浮かれてふわふわしたカラ松の頭に叩き込まれたラブレター。好きだかわいいキスしたい手をつなぎたいいちゃつきたい。
抱きたい、と思われているなんて想像もしなかった。
そしてそれをうれしいと感じてしまうことも。
「まあいいじゃないか! 恋人の魅力が増えることは喜ばしいことだろう?」
かわいい、かわいいと綴られるラブレター。一松の目に映るカラ松。実際のカラ松とは違う、幻の。
一松が求めるのは、恋人にしたいのは、この文章の中の存在だ。カラ松ではない。だってこんなのじゃない。カラ松はこんな風じゃない。
だから恋人でいるためには、一松の好むように。彼がかわいいと書いたように。
「もしかして、ニューバージョンのオレにときめいてしまっているのか? ビンゴォ~!」
「っ、そーゆーんじゃないから! 違うからな!!」
「そうか……ときめかないか」
「あっ、いや、あの、……ときめくかときめかないかというなら正直あの、別に胸が妙に動きをおかしくする時もなきにしもあらずというかこんなの不整脈だしいや違うだからええと」
眉を下げしょんぼりと肩を落とすと、とたん慌てた一松が汗を滝のように流しながら必死に言葉を積み重ねる。ああ、本当にこの仕草をかわいいと思っているんだなあ。書いていた通りに。ときめいているんだ。
だからカラ松は勝負に出た。
大丈夫。卒論の資料より読み込んだのだ、一松がなにをかわいいと思うか今世界で一番詳しいのはカラ松だ。
視線は一度逸らしてから気持ち上目づかい、服の端を指先で軽く引いて声は小さめ、少し震える声音で。ベタだな。こういうところにはひねり入れないんだな、小説家でも。
「……ときめいてくれたなら……今日、泊まっていっても、あの……かまわない、か?」
ごくり、と唾液を呑み込む音がひどく大きく聞こえた。
◆◆◆
膝から太ももにかけて何度も撫でられくすぐったい。先程、思わず身をよじるとごめんと謝られてしまったのでもう動くことすらできない。
「あの、ええと、さ、さわる、から」
「は、はい」
成人男性がパンツ一枚で布団の上に正座して、向かいあわせになってしていることが目の前の相手の太ももを撫でることである。これはなんだ。どうなんだろう。さすがに姿勢がまずいのではないかと、今世では未だ誰かとメイクラブの経験のないカラ松でも考えるのだが。
「っ、あの、嫌な時はちゃんと言ってくれたらいつでもやめるしっ、そんなので別れたりとかもないんで!」
「わかった、わかったから。さっきから何度も聞いたしちゃんと言うから!」
「う、うん……ほんと頼むから」
滝のように汗を流しながら同じく正座をし、おずおずとカラ松に触れる一松にいったいどこの誰が告げられるだろう。この体勢間違ってるんじゃないか、と一言口にしたとたんショックではじけ飛んでしまいそうじゃないか。とりあえずカラ松は一松をショック死させたいわけではない。恋人として次のステップに進みたいだけなのだ。ここは愛の伝道師かつかわいい恋人としていい感じにリードし、せめて布団に横になるべきだ。でないとほら、一松の手もいいかげん太ももは触り飽きたと言わんばかりじゃないか。
「んんっ、あ~、あの……なんだか足が」
「気持ちよくない?」
しびれたぜ、とさりげなく正座を崩そうとしたカラ松を制するように一松の口が開く。
途方に暮れた迷子の子供のようなまなざし。この後どうすればいいのかわからない、誰にどう聞いていいのかさえわからない。常は博識でいつだってカラ松の先に立つ一松のひどくかわいらしい様子に、心臓がぎゅわんと大変な音をたてた。ちょっと今ギアチェンジした。たぶん。
「……足が、ぞわってしたから……寝転びたい、です」
こんな目をした相手に、恋人に、足を少し撫でられたくらいで気持ちいいとか悪いとか特に何もない、なんてはっきり言えない。
カラ松は決意した。必ずこのキュートでプリティな恋人を自らの傍らにつなぎとめねばならぬと決意した。カラ松にはセックスがわからぬ。カラ松は、童貞である。この年まで誰かと交際することもなく、清いまま生きてきた。けれども、快楽については、人一倍に前向きであった。
つまり割とセルフの経験はある。気持ちいいと言われている方法は試してみる方だ。少なくともこうもがちがちになっている一松よりは知識も経験もあるだろうし、彼の好む『かわいい』カラ松のまま、のせられているなんて気づかれないように上手くセックスを誘導してやればいい。先生さすがに足撫でるくらいで気持ちいいとか聞かれても困るぜ、なんて正直な事を言って傷つけてしまってはいけない。大丈夫。エッチな家庭教師とか保健医とか女医さんとかのあれだ。あの女の子達をトレースし、かわいいカラ松として。
「たっ、たぶんそのぞわって、そのうち気持ちよくなるやつだから、あの」
「う、うん……先生、こっちきて、あの……ぎゅっとしてくれないか」
「はっあ!? 望むところなんですけど!!?」
かわいい女の子がしたらときめくであろう、布団に横になってそっと両腕を広げてみるという仕草に一松は思いっきり食いついてきた。やはりこの方向性だ。カラ松は確信を持って、一松の肩に額を寄せてみた。びくりと震える身体と赤く染まる首筋。背中に回された手は指先だけが、タップを踏むように肩甲骨と背骨を行き来している。落ち着かなさげに。
「せんせい、だいすきです」
低い声が気にならないように、なるべく一松が正気に戻らないように、このまま流されてくれるように。
声をひそめ耳元でそっと囁けば、力任せに抱きしめられた。おれも。鼻声の理由は追求しないでおこう、カラ松の肩が濡れている原因も。感極まって流すのは哀しみの塊じゃない、喜びの表現でもあるのだ。カラ松と抱き合うことをこんなにも喜んでくれている、望んでくれている。それだけで十分じゃないか。
「……ん、んんっ」
じわじわと触れる範囲を広げていく手の平が、背筋から尻に移っている。男の硬い尻であっても気にしないなんて本当に一松は心が広い。もしくはこれも小説のための経験だと考えてくれているのかもしれない。まあ嫌な事もネタになると思えば乗り切れることもあるし。どうしてか以前に聞いた言葉が耳の奥に響く。
「っふ、あ」
あの時は、さすが先生だと感心しきりだったのだ。
なるほど小説家というのはこのようにして日常から世界を切り取って新しい世界を作り出すのだなと。あと転んでもただでは起きないって感じがかっこいいな先生、とか。
「あ、あ、」
今となってはちょっとふわふわした感想すぎないかと思わずつっこんでしまう。過去の自分に。
もちろん経験を糧に小説を書く一松は素晴らしい。アウトプットだけじゃ無理だよインプットもしなきゃ、と新作ゲームに手を伸ばしていた後ろ姿も思い出す。そうだ、これはインプット。したことのない経験。初めてだから慣れてないからごめんと最初に言っていたじゃないか。異性相手はあっても同性は初めてなんだ、だからこれは一松にとっても悪い話じゃない。
「んん、あっ」
誤魔化していない。騙していない。悪いことじゃない。
大丈夫。一松だって望んでカラ松を抱くのだ。好奇心でも、職業意識ゆえでも、そんなことはどうでもいい。抱かれれば、セックスすれば、きっと恋人としてより強固なつながりができるはず。セックスした恋人と簡単に別れたりなんて、優しい一松はきっとしない。
だから。
「……ねえ」
「ああんっ、え?」
「あのさ、なんか……喘ぎすぎじゃない?」
「え!?」
カラ松に覆いかぶさっていた温もりが離れていく。
「そりゃあちこち触ってるけどさ、そんなすぐあんあん言うもん……? つーか全然勃ってないのに気持ちいいとかある??」
勃起するほど気持ちよくはなかったのでしていない、という簡単な事実に気づかせてはいけない。一松が泣いてしまう。
「えっ、あ、あの、えーと……緊張! そうだ緊張して!! だから勃たないんだ!!!」
「へー……そう、緊張なら仕方ないね」
「ああ! 緊張だからな! どうしようもないんだ!!」
肯く一松に、なんとか説得できたとカラ松はホッと身体の力を抜いた。
緊張はあながち嘘じゃない。好きな人とパンツ一枚で抱きしめあっているのだ。いくら部屋の電気を消したといってもうっすらと身体の線は見えるし、直接肌に触れている。これで緊張していない方がおかしい。ただ勃起していないのは純粋に、まるで快感を得ていないからなのだがそこは秘密にしておかねばいけないだろう。
「じゃあ快感は得てるんだ?」
「もちろん!!」
「ふーん、じゃあいいよね」
「ああ!」
続きを、だと信じて力強く肯いたカラ松は次の瞬間息をのんだ。
「おまえがいいって言ったんだからな!?」
ひどく苛立った声と乱暴な手つき。先程までのどこか遠慮がちな優しい手の平はどこにもない。強引に足を割開き、密かにおそろいだと胸ときめかせていた白いブリーフをずらして押しあてられているのは。
「いっ、せ、先生っ!!?」
下半身がスースーする。尻の穴で風を感じたことなどろくにないというのに、どうしてこれがそうだと理解してしまうのだろう。己のクレバーさが憎い。
カラ松が苦悩している間にも、出口としてしか使用したことのない穴にみちみちとなにかが押しあてられ開かれようとしている。
なにか、というか率直に言うならペニスだ。まるで勃ちあがる気配のないくたくたのカラ松ズサンをあざ笑うかのように、いきり立ちあらぶる剛直――そこまでではないな、恥ずかしがり屋だけどがんばり屋さんのボーイだ――が新たな道を開通させようとしている。
「いだっ、いだいいだいいだいっ、ぜんぜいい゛だい゛っっっ」
「バカにすんなバカにすんなバカにすんなバカにすんなバカにすんな」
「ちょ、い゛だっ、ま゛、っだい!!!」
痛い。なんで。痛い。さっきまでは優しかった。痛い。優しかったのに。痛い。ひどい。痛い。
いきなりなんて挿いるわけがないのに、どうしてこんな無茶をするのだ。さっきまではあんなに優しかったのに。ずっと優しかったのに。カラ松に。カラ松を。見て、話して、わからないと聞き返して、何度も。諦めずに繰り返し、カラ松自身を見てくれていたのは一松なのに。
そんな一松だから、恋人でいたいのに。
痛い。違う。こんなの嫌だ。痛い。誰。痛い。どうして。痛い。なんで。
無理やり押し開かれそうな下肢が、力任せにひっつかまれている太ももが、上からのしかかられ体重で押さえつけられている身体が。
「っ、やだ」
全部痛い。
なにひとつカラ松を見ていない一松が。そんな世界に投げ出されてしまったことが。
「え」
「やだやだやだやだやだーーーーーーー!!!!! 嫌だ!!! やだっって言ったらやめるって言ってた! やーーーーーだーーーーーーーー!!!!!」
「え、嘘でしょちょっとおまえ泣きすぎ」
「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
「ごめんごめんごめんすみませんおれが悪かったからちょっとお願いねえせめて叫ぶのは」
どん、と壁を叩く音に二人揃って飛び上がり気まずげに顔を合わす。
「……壁、そこまで厚くないみたい」
「す、すまない……混乱でクールなふるまいがどこかへ飛んでいってしまった……」
「いやおれが悪かったから」
「先生のせいじゃない、オレが」
手の平が勢いよく、けれどどうしようもなく優しくカラ松の頬をこする。これは知っている、一松だ。
「おれのせいでしょ……少なくともおまえのこと泣かせたのは」
「でもっ」
「じゃあさ、ちゃんと言ってよ。おまえの考えてること、不安なこと、してほしいこと、全部。悪いと思ってるなら教えて。おれのことわかんないって言ってたけどさ、おれだって……わかんない、つーか……おまえだから、その、知りたい、し」
「? 先生、前におれのことわかりやすいバカ正直って言ってなかったか」
「だっから今そういう流れじゃなかっただろって……っは~、いや、うん、いい。もうそれはいいから仕切り直しな」
するりと離れていく体温にカラ松の足が勝手に動いた。
そう、勝手に。不思議なこともあるものだ。カラ松の脳はけしてそんな、一松の胴体をカニばさみのように挟みこんで止めろとか命令していなかったのだが。
「いやだ」
口も好きに動いてしまう。最近の世相というやつだろうか、新人類か。なるほど。
「離れたらいやだ、先生」
「へ?」
「セックスできる。ちゃんと、今度は大丈夫だから」
なんということでしょう。カラ松の脳はまるで、まったく、ちっとも命令していないというのに。教育方針がいけなかっただろうか、自由に育った四肢が勝手に動いてころりと一松を転がし上にまたがってしまっている。こらこら、ちょっとそれはお上品じゃないぞ~。まあ最近は強い女性も多いし、一松なんて乗っかられたらそれはそれで喜んでしまいそうだし、現に今混乱しつつちょっと顔緩んでるし。
まあそういうことだ。カラ松はそんなつもりではないのだけれど、身体が動いてしまうのだから仕方がない。ストだな。
「だから別れるなんて言わないでくれ」
「はぁっ!? どこからそんな……いや、待ってもしかしてこれ、勝手に納得するなちゃんと言え話し合おうって前に言ったからそれでこういうことになってるとか?」
「……ちゃんと、言った」
「おっまえはほんともう……もう……」
顔を覆ってしまった一松に、これ以上どう訴えればいいだろう。彼の好むようにかわいく、と焦れば焦るほどどうすればいいのかわからなくなる。
かわいく、かわいく、かわいく。
かわいいのが悪いわけじゃない。カラ松にもかわいらしい部分はあるのだろう、どこかしら。自分ではわからないけれど。だけどそうしたら、男らしくクールでいかすカラ松はどうなるのだろう。カラ松の好む自身は、一松に好かれないソレは、いったいどこに消えてしまうのか。
消さなくていい、今のままでいい。脳は、理性はそう告げている。わかっている。別にカラ松が男らしかろうがギルティガイであろうが一松は嫌わない。そんな男じゃない。ちゃんと理解している。
ただカラ松が勝手に怯えているのだ。一松の目に映るカラ松、かわいいカラ松、彼の脳内にだけいる幻のカラ松。そんなものに負けてしまうであろう現実に、こんなにも。
失望されたくない。カラ松を見て、好きだといつでも新鮮に思ってほしい。なんて欲張りで身勝手な願いだろう。
「……かわいい……」
「待ってくれ! 今のどこが!? どんなところがかわいかったんだ!??」
「え、なんでそんな食いついてんの、つーかちょっとは照れとか!!!」
「今はそんな些細なこといいんだ! それより死活問題なんだ、どこがどうかわいかったのか詳しく!」
「だから、あの……こう、なんだ」
口調か、伏せた目か、上に乗った積極性か。いったいどこだと身がまえたカラ松に与えられたのはあまりにも簡単な。
「……おれのこと、す、好きって……全身で主張してるとこ、とか……いやもちろん気のせいとか言われたらそれはまあすみませんでしたって話なんだけど実際おまえの態度がどう見てもそうとしか受け取れない時が多々あるっていうかあのだから」
なんだそれ。
好きなんて。好きなんて。好きなんて。
「そんなの当たり前じゃないか」
「そうそう当たり前、って、え?」
「先生のこと好きだから、かわいくしたいんだ」
「は」
「好きになってほしいから、ちょっとでもかわいいって思ってほしくて」
「うぇ」
「だから一生懸命勉強して」
「待って
「先生がかわいいって思った仕草とか、服装とか、態度とか」
「待って待ってキャパオーバー。……え、もしかして最近なんかおかしかったのって」
「おかしくはないだろう。先生がかわいいって書いたことばかりしたんだから」
ひぃだの神かよなんて泣きながら呟いている一松は自分の世界に入り込んでいることをすでに学んでいるカラ松は、大人しく一松の帰還を待った。小説を書く邪魔をしてはアシスタント失格である。
それにしてもどういうことだろう。一松を好きなことが『かわいい』に含まれるとすれば、カラ松はかなりのかわいいポイントを稼いでいることになる。なるほど、だからラブレターにはあんなにもかわいいという表記が多かったのだろうか。クールでいかす男の中の男へのラブレターとしてはおかしいと思っていたのだが、それならば納得である。一松への愛情が滲み出た瞬間にかわいいを感じていたなら確かにあの多さにもなろう。
ではもしや、かわいいと書かれていた時の仕草や口調を取り入れるのはピントがずれていたのではないだろうか。そうか、だからおかしいと言われていたのか。
「っ、あの、カラ松、さん」
「はいっ、あー……一松さん」
これはかわいいと思われたいわけじゃなく呼びたいから、ときちりと説明をすれば一松はまた顔を覆ってしまう。なんだか尊いなんて泣き声が聞こえるのだがいったい何が起きているのだ。
「一松さん? どうしたんだ??」
「っはー地上に降りた最後の天使かよ……ありがたみ天元突破……おれの恋人がこんなにもかわいい……」
「あっ、また好きだって思ってたの伝わったのか!?」
「もうこれ以上おれを萌え殺すのやめてもらえませんかねえ!? 嘘、もっとお願いします!!!」
「お、おう……??」
情緒不安定な恋人の頭でも撫でてやろうかと腰を浮かせれば、カラ松の尻になにか突起が当たった。……なにか、などと乙女ぶっている場合ではない。カラ松にも同じものがついているからこそ、この硬さはそろそろ出したい頃だろうということがわかる。萎えていなかったのか。強い。
ちらりとうかがってみた一松の顔は、先程から変わらないように見える。正直カラ松がこの硬度であれば、もうさっさと出したいしか頭にないだろうに。顔にでない性質なのか、我慢強いのか、もっとがちがちになるのかどれだ。
いたずら心が湧いたので、少しだけ尻を動かしてみる。だってさっき怖かったし、痛かったし、ちょっとくらいのいたずらならいいだろう。あくまで自然に、身動きしたからこすれてしまった事故ですよという顔は崩さない。動かないでと止められるのか、もっと硬くなるのか、どれだ。
は、と熱い息が漏れた。目じりが赤く染まっている。上気した頬、少しよせられた眉、カラ松の名を呼んだ時震えた語尾。
「……あのさ、言ってほしいんだよ。おれは言葉足らずだしおまえは言わなきゃわかんないし、だけどたぶん逆もだから」
「逆?」
「おまえのことばっかすっごい考えてるけどまだわかんねえもん。ねえ、だから言ってよ。おれも、筆に頼らないでなるべく言うようにがんばるから、だからさ」
一松。
思っていることなんて。カラ松が言いたいことなんてそんなの。
「好きだよ、カラ松」
「一松さんとセックスしたい!!!」
でも挿れるのはちょっとまだ怖いから乳首の開発くらいからよろしくお願いしたいですと続けたら尻に生温い感触と泣きそうな一松の顔が見られたので、正直になるのはなかなかに良いものです。(カラ松からのラブレターより抜粋)