話があるんだ、と告げたオレを見る一松は気のせいでなければ安心しているように思えた。
いや、気のせいではないだろう。言えなくて苦しんで困って、なんとか気づいてほしいと密かにSOSを送っていたに違いない。この兄に!
頼られていたというのに遅くなって本当に悪いことをした。だからせめて、これからめいっぱい力になろう。オレは決意も新たに一松の正面にそっと正座した。
「な、なに、そんな改まった話なわけ」
そわそわと膝を揺する一松にこくりと頷いてやれば、ああだのふぅんだのもごもごと口の中で何か呟いている。聞き取れた単語をつなぎ合わせるに、もっとロマンチックな所がいいんじゃないのだとか、居間は誰がじゃまするかわからないなどと言っている、らしい。やっぱりわかっているんだな、オレがなんの話をしようとしているのか。そうだよな、本人は知らないパターンも考えたけれど、あのジャージをあの子が持っているという時点でなにかしらの関わりがあったんだろうし。
じわじわ垂れてきた鼻水をぐずっとすすり上げて、オレは姿勢を正した。
「一松、オレはおまえを信じている」
どれだけ卑下してもおまえは底辺の悪党にはならない。意地っ張りで照れ屋で繊細な、優しいかわいい弟。だからきっとなにか理由があったに違いない。
オレはおまえのために、おまえの兄として精一杯がんばるから。
「だから正直に教えてほしい」
オレの緊張が伝わったのか、膝を抱えていた一松もまた正座になっていた。皆出かけてしまった松野家の居間で二人きり、膝つきあわせてまじめな顔をしているなんて何年ぶりだろう。一度もしたことがないかもしれない。オレの尻の開発を依頼したときだって、こんなにも真剣な空気じゃなかった。
「……一松、おまえは」
「うん」
言葉がなかなか出ないオレを励ますように、優しい声音が相づちを打つ。ああ、やっぱりおまえは優しいな一松。そっと伸びてきた手が膝の上で震えているオレの手をとり、握りしめる。
「ねえ、おれが言うよ。おれから言わせて、カラ松」
子供をなだめるようにやわらかな、甘ったるい声だ。そんな声だせたのかおまえ。
「おまえが聞きたいことなんでも言うよ、答えるよ。だから、最初におれから言わせて」
オレの手に唇をあてる仕草は懺悔のようだった。ここは教会ではなくオレは神父ではない。それでも、受け入れ許さねばと思うほどに敬虔な姿で。
やっぱり打ち明けたかったんだな。秘密を抱えて生きるのはつらいものだ。どれほどハードな人生を送ろうとも、心の安らぎは大切だろう。一松が打ち明けることで楽になるなら、オレは兄として聞いてやらなければいけない。愛しいブラザーのためならそれくらいたやすい。
たやすい、はずだ。
それなのにこんなにも心が痛むのは、目の前の弟がオレの好きな人を兼ねているからだ。望みはない、最初からかなえる気もない想いといえ、本人からはっきり口にされるのはやはり心がえぐられそう。
「カラ松、おれはずっと」
どろりとまとわりつくような甘ったるい声。ダメだ。こんな声で秘密を告白されてしまっては、明るく笑って受け入れられないかもしれない。
だってこんな、うれしさと喜びと愛おしさ、甘えに依存に……ああ、他はなんだろう。煮詰めて煮詰めてどろどろにしたジャムのような声で告げられては、任せろと言えない。おまえはひどいな一松。おれはおまえに、ただ思い出にしてほしかっただけなのに。
もうそれさえできない。
「わかっている。大丈夫だ一松、オレは知ってるんだ」
遮るために口を開いた。
すまない。これは兄として失格の行為かもしれない。だけどがんばるから、ちゃんとイかした理想の兄として動くから、だから許してほしい。
おまえの幸せのためにがんばるよ。
「子供がいるんだろ」
大船に乗った気分でいてほしい、ときりりと見つめれば、目の前の一松はぽかりと口を開いた間抜け面だった。オレに似たギルティフェイスなんだからもう少しきりっとした方がイかしてると思うぜ。
◆◆◆
きっかけは、一松が見知らぬ男に童貞をぺろりとされていたことだった。どう考えても犯罪、とおののくオレを後目にうっとり思い出を語る一松。気持ちよくていい匂いがしてできればまたお願いしたい。ぽわぽわと十四松に語る声を聞いて、つい魔が差したのだ。
オレもそういう風に思われたいな、と。
確かにずっと一松のことを想ってはいたが、伝えるつもりはなかった。一松にうとまれるより良い兄としてずっと共に過ごす方を選んだのだから仕方ない、そう思えども見知らぬ犯罪者をうらやましく思う気持ちは止められない。
いいじゃないか相手は犯罪者なんだから。
見知らぬ男よりずっとずっとオレの方が一松を愛しているし、優しくしてやれる。怖がらせたりもしない。
だから。
「な、なに、なに、こ、……こど、も???」
まさかオレが知っていると思っていなかったんだろう。動揺のあまり幼い子供のような口調になっている一松に、安心させるように笑いかける。
「ああ、安心していいぞ。まだ誰にも話していない。知っているのはオレだけだ」
「いや、あの」
「今まで一人でつらかったな。もう大丈夫だ、オレが一緒に考えるから。三人よれば文殊の知恵、というが二人でもまあなんとかなるさ」
デカパン博士の協力を得、過去へ飛び犯罪者より先に少年の一松の童貞をゲットする。荒唐無稽なはずなのに実現性は高い計画を実行に移す前で良かった。オレの尻がゆるふわとろとろアナルになっていたら即実行のつもりだったから、なっていなくてよかったんだ。
だからオレの目よ、もう少しだけがんばれ。流すなら喜びの涙にするんだ。
「ちょ、ほんとなに、おいクソ松! おまえ一体なんの話をしてんだよ!?」
久しぶりに聞いた呼び名につい笑いがこみ上げる。
ああ、おまえもうずっとカラ松って呼んでたんだな。それに違和感を抱かないくらい長いこと。ちゃんと。大人になっていたんだ。
そりゃそうだ。なんせおまえには子供がいるんだから。
「これ告白の流れだったよね!? どう考えてもそうでしょ、人気のない場所で二人きりでおまえ緊張してさ、だから」
「うん? ああ、そうだな告白というか」
会話の内容上、二人きりの時を選んだのはその通りだ。緊張だってしていた。だって考えてもみてくれ、童貞だと信じていた弟、いやまあ脱童貞していたというのは最近知ったが、その弟に子供がいたなんて。結婚しているならおめでとうですむが、一松は実家住みニートだ。お嫁さんももらっていない。そんな相手に子供が、という話を緊張せずに言えるほどオレは社会人力が強くない。すまない、未だ運命のカラ松ガールズに出会えていないオレは結婚式を途中までしか経験していないボウヤなんだ。
「子供の話と、オレの尻の開発もしなくていいぞ、という話を」
「なんで!!???」
「ん? 子供か? ああ、順に話すとな」
「それもだけど開発! 先に開発の方!! なんでもうしないの、逆レしたいやつはどうしたの、もしかしてもうそいつのこと好きじゃなくなった、つーかあの、別の相手を好きになったとかじゃないの!!? 子供じゃなくてさ、同い年で男でわりと身近にいて協力したりしてくれてるの見てるうちになんかときめいたりとかそういうやつ!!! 無理して一人であれこれしなくてもさ、二人で一緒にやっていこうみたいな! いきなり尻じゃなくて手つないだりキキキキスしたりとか、そういう!!!」
「具体的だな?」
「一例だけど!!! でもそういう、心の変化とか!? そういうのがさあ!!!!!」
かみつくような勢いで話す一松に、やはり兄の尻の開発は荷が重かったのだなと理解する。優しいからその場では協力すると言ってしまったが、ずっと断りたかったんだろう。そりゃそうだ。オレとておそ松がそんなこと言ってきたらとりあえず拳で説得した後に熱を計る。本当に申し訳ないことをしてしまった。
でもあの時はナイスアイデアだと思ったんだ。
一松は男相手でも勃つと知り、エッチなお兄ちゃんも好きだと言われ、これはもう天の采配、ゆるふわとろとろアナルで少年一松を気持ちよくしてやれと神が言っているんだとばかり。尻の開発途中でラッキーなハプニングが起こったり、なんとも思ってなかった兄がなんだかエロく見えてきた……なんて思ってくれないかと欲をかいたのがいけなかったのかもしれない。実際は、オレの尻は未だ出口でしかないのだが。
「いや、そういうのはないぞ」
「……ないの……そう……ハハハ、うん、ソーデスヨネわかってたわかってた。人生そんなイージーモードなわけないじゃんね」
かくりと頭を落とした一松の首筋は細いけれど立派な成人男性のものだ。だけどどうしようもなく重なる影を思いだし、すうと息を吸う。気合いを入れて、きちんと伝えなければいけない。兄として、ちゃんと。オレはおまえの幸せを祈ってるんだ。それはずっと変わらない、昔からずっと。思い出に成り代わりたいと卑怯なことを画策した時だって、いつだって、おまえとその隣に立つレディを祝福する準備はしているんだ。
「……最近、公園でよく会う子供がいてな」
「そいつ!? 中学ジャージで無口なおまえとしょっちゅうベンチでしゃべってる子供!!?」
「よく知ってるな!?」
「え、そいつ!?? もしかしてそいつ好きになったとか、それでもまあオッケーなんだけどねえそいつ!? おまえ自分の顔大っ好きだから似た顔にも弱いと思ってたんだけどまさかのドンピシャ?? おいそいつに鞍替えしたとかそういう話!!?」
ぱ、と顔を上げた一松がマシンガンのように話し出して正直意味がわからない。え、なんで知ってるんだ。いやあの少年のことを知っているのはかまわないんだが何を言いたいのかがいまいちよくわからない。うん、確かにオレのフェイスによく似たイかした顔のボーイだが、それは。
「ちょ、お、落ち着け一松、話を」
「なんだよ本気のショタコンかよ子供ならいいとかなんなの……オレじゃんそんなのオレでいいじゃんかあれなら、つーかヤる時だけああなったらいーんじゃねえのそうだよねうん」
「しょたこん? いやオレはあのボーイにそういう感情は」
「あのさ!」
「ひゃい!?」
「すげー信じられない話するけど、信じてほしい」
ずっと握られたままだった手がもう一度、すがるようにぎゅうと力が入った。猫背のせいで少し下の位置から見上げるように見つめられる。
いちまつ。
いちまつ。いちまつ。いちまつ。
おまえが何を告げてくれるのかわからない。だけどオレが信じないはずないんだ。オレはいつだっておまえが、ブラザーが伝えてくれることは信じるつもりなんだ。
「オレはおまえを信じてるぞ。大丈夫だ、おまえは優しくて誠実でまじめな男だ。オレの大切なブラザーだ」
おまえはけしてオレのようなことをすまい。目の前のおまえに向き合うのが怖くて、拒まれるのが嫌で、過去へ飛び変えようとするなんてこと。おまえのためにもなると言い訳して、相手は犯罪者なんだからと自分は悪くないと言い聞かせて。
思い出になりたい、なんてバカだ。過去はすべて今につながっていて、けして切れはしないのに。
「卑怯な真似なんてしない」
オレのような。
信じているよと伝えたくて、安心してほしくて微笑めば、なぜかだらだらと滝のような汗を流した一松がそっと手を離した。ずっと握っていてくれてよかったのに。
「……ちなみに、あの、おまえの思う……卑怯なことって」
「そうだな……偽りの姿で相手に嘘をついたり、丸め込んだりは誠実とは言えないな」
同い年の兄弟だというのに見知らぬ年上の男だと偽るのも、言葉巧みにトイレに連れ込みずぶっといくのも、一松に向き合っているとは言えないだろう。
いくら怖かったといえ、好きな相手にだけは誠実に向き合うべきだった。おまえはきちんと考えてくれただろうに。断るにしても、きっとオレのことを考えて思いやってくれただろうに。今ならそうわかるのに、あの時のオレはどうして。
「いくらチャンスだと思っても、そういうのはきっと……あとから後悔することになる」
好きだと告げないのは、アプローチしないのは望みがないから。でもオレは望みがあるかもしれないと知っても動かなかった。思い出になれればそれで、なんてきれいごとで飾って。本当は怖かっただけだ。知りたくなかっただけだ。一松に振られてしまっては万が一の夢さえも見られなくなる、それが嫌で。それだけのために。
「そういうのはやめた方がいい」
「ひ、きょうなのは……カラ松としては……あまり、あの、す、き、とかでは」
「嫌いだな」
オレのことが。
オレは今、とても、オレ自身が嫌いだ。
言い切ればひゅっと息を飲む音がした。まじまじとオレを見つめる一松の目には驚愕と……なんだろう、ひどくつらそうな色が見える。じわじわと潤む目に、相手のことを思いやれるなんて優しい弟だとまた心臓がつきりと痛む。
今のオレが嫌いだ。だから少しでも好きになれるよう、以前よりももっとパーフェクトにイかした男になれるよう、努力させてくれ。おまえのためにがんばらせてくれ。
「それで一松、信じてほしいことっていうのは」
「……いや、いいです……今ちょっと無理」
「そうか。じゃあ先にオレの話を聞いてくれ」
願わくばこれが懺悔に聞こえぬよう。
◆◆◆
そのボーイに会ったのは公園だった。
出会いはなんてことない偶然、オレが運命のカラ松ガールを待っていた橋を彼も通った。それだけのことだ。おにいさん、と呼ばれ落ちてたよと手渡されたのはオレのハンカチ。これが年頃のレディであれば恋の歯車も回り出したに違いないが、相手はジャージに身を包んだ少年。なにひとつ回らない、日常にとけこむ出来事でしかなかった。ハンカチを入れ直したポケットにはもう一枚入っていたから、昨日出し忘れていたんだろう。さほど大きいポケットでもないから二枚も入っていてはそりゃ落ちる。
二回目はまたあちらから。橋で運命を待っているオレに、ハンカチの、と声がかかる。見覚えのあるジャージに、オレ達の母校の、と思ってからもっと最近見たなとやっと脳が回転して先日の出会いを思い出した。今日はなんも落としてないね、なんて生意気な口をきくもんだと思ったのを覚えている。最近の子供は人なつっこいな、とも。
三回目はオレから。ずっと気になっていたことを確認したくてボーイに会えないかと思っていたから姿を目にしたとたん手を振った。きょとんとしてからぐっと口を引き結ぶ表情に妙に懐かしさを感じてしまって笑えば、なんすかとぶすくれていたのを覚えている。
懐かしかった。
オレ達も着ていた中学校のジャージ。過去の自分たちを思い出させる顔。ボーイは妙にオレに、オレ達に……つまり一松に似ていた。
誰が誰でも同じ、と言われた少し後。なんとなく違いがある気がする、なんてたまに言われ出した頃のオレ達に。一松に。
尻の穴の開発に協力してくれると言ったくせに、浣腸を試せだのゴムをのきなみ買ってつける練習をしろだのと言われ、延々スクワットばかりして飽きていたオレは新しい出来事に夢中になった。どっきりわくわくハプニング☆的なものを少し期待していたからがっかりしていたのもあるんだと思う。一松によく似たボーイ。きっとオレが襲うべき一松もこんな感じなんだろう。細い肩や薄い腹を見ては、担ぎ上げたらいけるだろうかいやいや怖がらせてはいけないんだから、と首を振る。
スマートでイかす大人の男、一松が何年も思い出すような大切に大切にとっておくような、そんな思い出のエッチなお兄ちゃん。そうなるための振る舞いを練習するにはちょうどいい、なんて考えていたから罰があたったんだろうか。いや、違うな。罰ならもっと前、きっと過去を変えようとしたことに対してだ。
「一松、おまえ子供の頃に男とやったって言ってただろう? ずっと疑問だったんだ」
「いやそれは夢……まあいいや、なにが」
「おまえの上にまたがってずぼっ、はさすがにムリじゃないかって」
「は?」
一松がうっとり語るゆるふわとろとろアナルなら可能なんだろう、と思いこんでいたが自分でふれてみる限りどう考えても無茶な話だ。指一本すら怪しいのに、子供のものといえ勃起したあんなものがきもちよく収まるものなんだろうか。
一人で開発しようと意気込んで調べた時も、いきなりつっこむのは無茶というものばかりだった。なにもせずに挿れるなんて、受け身はもちろんつっこむ方も痛いばかりでいいことなどなにもない、と。
才能か、開発が足りないのかと考えていたが、ボーイに出会って得た天啓がある。
まさか。もしかして。でも。
そんなことはありえない。でも。でももしかしたら。
「開発したらいけると思いたかったんだが、おまえあまり乗り気じゃなかっただろ」
「いやそれはっ」
「いいんだ、気にしないでくれ。オレだっておそ松の尻の開発は協力したくない。だからおまえの気持ちはわかるんだ」
「ちょ、そんなことおれ言ってない!」
「……浣腸を全メーカー試させたり、ゴムを買い占めてすりこぎにつける練習したり、なんて遠回りなことしなくてもよかったのに」
一言やめると言ってくれれば。
「そりゃオレは気が回る質じゃないが、さすがにわかるよ。おまえにその気がないことくらい」
「ち、ちがっ……鼻の粘膜を鍛える方法探してただけで、時間が、あの、他のヤツに頼まれないようにしようって」
「ああ、確かに十四松やトド松に頼むもんじゃないよな。兄の尻を開発してくれなんて」
本当におまえは弟思いで優しいな、とほめれば真っ青な顔をして首を振る。チョロ松からほめてやればいいよと言われたから意識してみたのに、どうやら失敗したらしい。難しいな。
「……オレが尻の開発をしたかった理由な、おまえなんだ」
おまえは優しいから許してくれるだろう。ごめんな、こんなお兄ちゃんで。
一生言わないことも考えた。これまで通り、ずっと今のまま。だけどどうしても介入したいんだ。おまえの人生に、兄弟よりももう少しだけ余分に関わっていたいんだ。すまない。
応えてほしいなんて言わない。いや、応えてもらっちゃ困る。おまえはこれから奥さんと子供と一緒に幸せになるんだから。
これはこれまで卑怯だったオレが、おまえの人生に関わるために見せる誠意。ごまかさず偽らず、ちゃんと全部さらけ出して並べていくから。だから。
「おまえの童貞がほしくてゆるふわとろとろアナルになろうと思ったんだ」
「……はああぁあぁぁあああぁあぁぁぁぁ!!!!?????」
「見知らぬ男に童貞を奪われたんだろ? だからオレがその男でもいいかなって思って」
「え、は? いやいやいや、えぇ??」
「おまえのいい思い出になりたいなって、気持ちいい思いさせてやれたらなって。ゆるふわとろとろだったんだろ?」
「きもち、え、はあ、……うえ?」
「協力してもらったらきっとそうなれるって思ったんだけど、一松協力的じゃないし。気持ちはわかるから仕方ないんだが」
「いやめっちゃ協力したいっていうか、あの、話。話についてけてない」
「そんな時に出会ったのがボーイなんだ」
「ひゃい!」
「さっき一松も言ってたジャージの彼だ。なんだか詳しかったが」
「ま、まさか! ぜんぜんまったくこれっぽっちも知らない!」
「いやそんなに叫ばなくてもいいんだぜ。……あのボーイな、おまえによく似ているだろ。まるで昔の一松みたいだ」
「デカパンの薬には若返るのとかないから!」
「そうなのか。なあ、一松は知っていたか? 中学ジャージな、今のとオレ達のころのはデザインが違うんだ」
「はあ、そうなの」
「うん、商店街の佐々木さんが言ってたんだ。今時のに変わったんだかっこいいんだって」
「あんた妙にあの辺のじじばばと仲いいよね」
「よく会うからな、公園とか」
「あ~」
「もう、オレ達と同じデザインのジャージを着てる中学生はいないんだ」
「へえ」
「ボーイな、十二、三才かな。おまえが童貞捨てた頃と同じくらいか」
「ふーん」
「……おまえの中学ジャージ、膝のとこ、裏に猫のワッペンついてたんだ。表は恥ずかしいって言うからマミーはかがっただけでいいって言ってたんだけど、猫好きだろ。かわいいのも。だから、せっかくだしって……オレ、こっそりつけておいたんだ」
「え、おま……なにそれ神かよ……いや、あの」
「ボーイのジャージも、膝のとこそうなってた」
ぱちん、とまばたきする音が聞こえそうなほどだった。一松の。
呼吸音すらとぎれた空間。遠回しに外堀を埋めるように告げていったのは、本当に、オレが全部知っているのだと理解してもらうためだ。
きっと普通に告げただけでは、一松はするりと逃げてしまう。口がうまいし頭がいいんだ、オレの弟は。
「……なにが言いたいの」
「オレは全部わかってて、それでも受け入れるって話をしたいんだ」
「その子供がおれのジャージ着てて、あんたの好きそうな年齢で。……そんなの一つしかないでしょ」
ばれてたなんて情けないと一言呟いて顔をおおい、一松は深いため息をついた。
「やっぱり、そうなのか」
「ジャージでばれたか……でもサイズあうのがあれくらいしかなかったからなぁ」
松代まだパジャマにしてないから、と聞き取りにくい声が言い訳を口にする。そうだな、多感な年頃の子に父親のならまだしも祖母がパジャマにしていた服を渡すのはいけないだろう。上から順に着つぶしていたから確か今はチョロ松のを着ているはずだ。
「……ねえ」
一松の声が明るい。
「さっきあんた、おれの童貞くいたかったって。そんで、あの子供のこともわかってるってことは」
やっぱり秘密を打ち明けて心が軽くなったんだろう。よかった。オレは聞いてやることしかできないけれど、それだけでも役に立てた。
「ああ、そうだ」
簡単なことだったんだ。前提条件が間違っていた。
慣らしもせずずぶり、一松にひどく似た少年、彼のジャージ。なあ、学校指定のものではないジャージを毎日着ているのはどういうことだろうな。自分の顔とよく似たオレに声をかけ、なんだかんだと会話をし、家族や自分のことは言葉少なになりオレの話ばかりを聞きたがる。
たとえばそう、見知らぬその人が女性であれば。
ひとつだけ条件を変えればすべてのピースがあっていく。
女性であればずぶりと飲み込むのに苦労はないだろう。いい匂いのゆるふわとろとろ、残念ながらオレには未だ縁がないがきっとそういうすてきなものだ。服装と混乱した頭、生まれて初めての快感に流れる時間。すべてを曖昧にするそれは、一松の童貞喪失相手の性別を逆にしたに違いない。少々夢見がちなところがあるから、女性がそんなことするわけないあれは中性的な男だ、と思いこんでしまった可能性もある。
そして相手が女性だということは、対策をしなければ新しい命が宿ってしまうこともある、ということだ。
年もあう。家族のことを話したがらないのも、そのくせオレの話は聞きたがるのも。きっと父親のことを聞きたかったのだ。会いたかったのだ。だから似た顔のオレにへたくそな近づき方をして。
「一松、責任はとるべきだ」
たとえおまえが被害者で、相手が勝手に産んでいたのだとしても。おまえの預かり知らぬところですべてが進んでいたのだとしても。
それでも自らのジャージを渡す程度には知っていたんだろう。自分の血を引く子供がいることを、知識としては持っていたんだろう。
じゃあせめてあのボーイには、顔を見せ父親として接し、認知するべきだ。本当は、おまえのことをそんなにも愛している女性と結婚すべきだとも思う。だけどそこまで口を出してはいけない。オレにはその資格がない。
「そ、そんなの喜んでとるし! おまえがそういう気持ちなら、おれだって毎回ああなる覚悟決めるし!! デカパンは依存性ないって言ってたし、おまえが望むならおれは」
「そういうのはダメだ。オレが言ったからじゃなく、おまえがきちんと決めないと」
「おれが、ってそんなの当たり前だし。ちくしょ、カラ松、ねえおれがさ、どんな気持ちであんな姿になったかなんて」
せつせつと訴える一松の真剣さに目頭が熱くなる。ああよかった。ボーイ、キミは近いうちにお父さんに会えるぞ。うまくいけば両親そろった温かな家庭も。
キミと一松と一松の大切な女性の幸せのために、オレはどれだけでも努力しよう。それが、キミを消しかけてしまったオレの贖罪。過去へ行き一松の童貞を得てしまってはボーイは生まれていなかった。軽い思いつきでなんてことを。
「ああ、でもよかった。まさかあんたがおれと同じ気持ちだったなんて信じられない」
「信じてくれよ。オレはいつだってブラザーの幸せを願ってるんだぜ」
「そこでクソ顔決めるのがうさんくさいって話だよ」
目を見合わせて同時に吹き出す。ああ、なんて晴れ晴れした顔なんだブラザー。それほどに秘密は重かったのに、よく耐えた。えらいぞ。
機嫌のいい一松に、今なら大丈夫だと頭の片隅から声がする。大丈夫かな。いけるいける、あんなにうれしそうな顔なかなか見ないから今ならノリでいいよって言ってくれる。大丈夫。
「なあ一松、おまえの気持ちが固まったところでお願いがあるんだ。……呼び名の話なんだが」
「なに、ハニーとか呼びたいわけ? いいよそれくらい。おれはダーリンの立場のつもりだけどおまえがそう呼びたいならそれくらい」
「いや、それは奥さんとやってくれ」
「へ」
おまえのいい兄でいたいんだ。そして許されるならもう少し特別、おまえの人生に関わりたいんだ。兄弟よりももう少しだけ多く。
偽ってごまかして空回りし、罪もないボーイの命をなかったものにするところだった。オレは一度した失敗を繰り返さない。ギルティガイは生き様であって人様に迷惑をかける存在ではないのだ。だからおれは、おまえにきちんと向き合うよ。誠実にすべてを明らかにしよう。
「おまえのことが好きなんだ。童貞を得て思い出になりたかったくらいに」
「う、ん」
「だけどおまえやボーイ、未来の奥さんに迷惑をかけるつもりはない」
「おく、さ、……?」
「でもやっぱり好きだから、少しだけ特別でいたくて」
「好き……おれだっておまえのことがっ」
喜びに満ちあふれていた一松の顔がまた固まっているのはどうしてだろう。やっぱりもう少し後、奥さんとうまくいってからの方がよかっただろうか。
「だからボーイにパパって呼んでもらっていいか!?」
もう一人の父さん、じゃちょっと長いだろうし。でもあの年頃ではパパは気恥ずかしいだろうか。
どう思う? とのぞき込んだ一松は泡を吹いて気絶していた。
メンタルが弱いのは仕方ない。奥さんがフラワーのような強靱な精神を持っていればいいなとオレはそっと瞼を閉じてやった。そうすればほら、破れ鍋に綴じ蓋、お似合いの夫婦になる。
◆◆◆
いったい何が悪かったんだ。なんでこんなことになってんの。
そりゃね、デカパンの薬で子供の姿になってカラ松に近づいたのはおれだよ。でもそれはさ、そもそもあいつが子供に掘られたい願望なんて持ってたからじゃん。尻の開発に協力してくれ、とあるボーイの童貞をゲットするため、なんて遠まわしな告白とかかわいいがすぎるだろって浮かれてたらさ、まさかの他人のため。おれのこと好きだったんじゃなくて適当な子供に逆レするためとか知ったおれの気持ちさあ、わかる?
しかもおれに頼んだ理由もさ、童貞じゃないからだって。バッリバリの童貞なんですけど!? 物心ついた頃からおまえしか見えなかったせいでそういった事とは縁遠く育ちましてねえ!! 年上のお兄さんなカラ松に誘われ童貞捧げた夢見たのがうれしくて十四松につい自慢しちゃったおれ、こうもひどい目にあうことしたかな。おまえも立ち聞きするならもっとしっかり全部聞いておけよな。夢だっつーの。現実にそんな男に奪われてたら今頃こんなひねくれ具合じゃすんでねえよ。
確かにそこで誤解を解かず、子供の姿になればワンチャンあるんじゃね、と思ってしまったことが悪いのはわかる。実行に移したのも。
でもやっちゃうでしょ。できるんだもんデカパンの薬があれば。それにそのへんの子供やっちゃったらあいつ犯罪者だけどおれ相手ならプレイだって言いはれるじゃん。そのうち絆されてくれそうじゃん頭ゆるゆるのうちの次男なら。
あいつのハンカチを持ちだして声かけて、親しくなって。うまくいってたんだ。そのはずなんだ。
尻の開発の協力をしてくれ、と言う大変に魅力的な誘いをさりげなく逸らしながら、でも精一杯優しくして。できれば子供なんかじゃなくおれのこと好きになってくれたらな、なんて願いながら。どうしても子供がいいならせめておれが薬つかった姿にしておけよなって。
だから緊張しきったカラ松が声をかけてきたとき、これはいけたんじゃないかと思った。
途中意味のわからないことを言いだしたけど、あの子供がおれだって知ってそれでも受け入れるって。おれの童貞がほしかったって。これ告白でしょ。まぎれもない告白。あいつがおれのこと、好きだって。
着られるサイズの服がないからって松代がとっておいたジャージをひっぱりだしたのは甘かったと反省したし、なんでおれの夢の話を今更蒸し返すのかなって思ったけどそんなことどうでもいい。それよりなにより、カラ松がおれを好きって。好き。ねえどう聞いてもブラザーとしてじゃないでしょこれはだって童貞ほしいとかそんな。うっわ。
舞い上がったおれを地獄に叩き落とすのもまたあいつだ。
ねえ奥さんって。子供って。ねえだから童貞捨てたのは夢の話だし、あの子供はおれがデカパンの薬でなった姿で。
だから。
自分を偽って嘘をついてあいつを騙してたんだけど、卑怯だと嫌われないようにどうやってこの誤解を解いたらいいの。