バラ色の明日 - 1/3

お疲れ、と口々に言い合って楽器を背負う。

「あれ、壱今日もいかねーの」
「ほっといてやれよ。壱くんは操立ててんだからさ、けなげに」

用があるから帰る、と答える前に混ぜっ返されて一松はぎっと声の主をにらみつけた。

「なに? なんか俺間違ったこと言った~? 壱くんが今日の打ち上げ参加しないのも、そこに架羅くんいないからでしょ」
「あ~。架羅くん基本的に真面目だもんね。女の子いる打ち上げ苦手だからって」
「遠慮がちなのかわいいよな~。助っ人じゃなくてもう正式にうちに入っちゃえばいいのに」

好き勝手言うメンバーの最後の台詞だけはそのとおりだと心の内で肯定しながら、一松は背を向けた。これ以上からかわれるのはうんざりだし、今更一松が勝手に姿を消したからと怒るような彼らではない。挨拶はすませたのだからいいだろう。
出待ちの女の子達を横目にそっと通用口を出る。一松が路上で話しかけられるのをなにより嫌うとすでにファンには知れ渡っているので、皆ざわりとするものの近づいてきたりはしない。以前一度、どれほど断ってもついてきた集団がいてバンドを抜ける抜けないの騒ぎになったため、一松の後をつける人影でもあればファンの間で粛正が行われているらしい。女ってこえーね、と教えられたが正直一松はどうでもいい。応援してくれる分にはありがたいし、プライベートにずかずか寄ってこられるのは勘弁。それに男女の差はない。

人気のない公園のトイレに入り、個室の便座に腰掛けはぁとため息をひとつ。今日も秘密は無事守られました。大した秘密ではないけれども。

目の前にたれさがる紫色の長い髪の毛をひっぱると、ばさりとウィッグが落ちやっと頭に風が通る。なぜ長髪にしてしまったのか、夏場のことは考えなかったのか。
いや、そもそも当時の一松は、こんなに長い間このウィッグのお世話になる予定ではなかったのだ。
きっかけはチョロ松だった。地下アイドルのファン仲間がバンドを始めたのだとチケットをもらったはいいが、一人ではちょっとと一松を連れ出して。今思ってもなぜ自分か。人見知りですぐ脱糞する危険性のある弟よりも、それなりに社交的なトド松やそれなりにどこでもうまくやるおそ松を連れて行くべきだったのでは。十四松はいい弟であるが、こういったことに不向きなのは二人の共通認識であったので省いた。「だってトド松はオタク友達ってだけで上から目線になって感じ悪いし、おそ松兄さんが好き勝手してライブぶちこわしたら友達に顔向けできないでしょ。あいつがにゃ~ちゃんの握手会でなにしたか、話さなかったっけ?」おまえはとりあえずおとなしく聞けるしいらないこと言わないでしょ。置物扱いであるが妥当なところかと一松はそっと納得した。ちなみにカラ松は、先に誘ったが用があると断られたらしい。

そんな経緯でまるで縁のないライブハウスにつれてこられた一松が、今では演奏する方としてスポットライトを浴びているのだからおかしな話だ。
チョロ松が友人と話している間、暇だからつい置いてあったベースをさわってしまい。演奏できる人捜してたんだ、と泣きつかれ。人見知りを発揮しおろおろ戸惑っているうちに、チョロ松が探しにきた頃にはなぜか新規バンドのメンバーに決定していたのだから驚きである。一松はただひたすら混乱し、逃げようとしていたはずである。バンドなどというリア充きわまりないこと、絶対に無理だ。しかしあの時、かっこいいよねバンド、とかチョロ松が言うから。カラ松とか好きそう、なんて。だから、うっかり。一松だとばれなければいい、とか。つい。
紫の長髪ウィッグと化粧で外見は完全に別人になった。ステージだけ、と開き直れば案外どうとでもなる。なんせバンドメンバーの「壱」は「一松」とは別人、傲慢で強気でドSの壱様、なのだ。誰だそれは。

「……あー、どうしよ明日」

ドSどころかふにゃふにゃの甘ったるい声が出て、一松は知らず毛を逆立てた。びくびくと周囲をうかがうも、トイレの個室なのだから人気などない。耳をすますも気配のひとつも感じられないため、誰もいないと安堵の息をつく。絶対に知られるわけにはいかない。あの壱様がこんな声をだすなんて。明日が楽しみすぎて今からそわそわ浮かれているなんて。
そう、明日。
明日一松は、助っ人ギタリストの架羅と出かけるのだ。これが浮かれないでいられようか。

 

◆◆◆

 

架羅は、バンドが軌道にのりそこそこの人気を得だした頃に助っ人に入ってくれたギタリストだ。もともと一松の所属しているバンドのギターが「やばい俺実家継がなきゃ」と突発的に消えてしまったため、懇意にしていたライブハウスのバイトが紹介してくれた。とりあえず一回、とあわせてみればこれが悪くない。一人でやっていたので人とあわすのに慣れない、と練習熱心なところも、あくまで助っ人だからと控えめでステージ上でひたすらギターをかき鳴らすところも、メンバー全員が気に入った。実家の旅館が閉館の危機、と消えていた元ギターは結局弟が継いでくれたとけろっと戻ってきたので、架羅が加入するという話は立ち消えになったのだが。
壱くんの応援したげるね、とかわいらしく小首を傾げてまるでかわいくないゲス顔をしたボーカルの顔を一松は今でも覚えている。心底腹立たしかったし恥ずかしかったからだ。だけど感謝もしているので仕返しは我慢している。
わざわざツインギターの曲を作ったボーカルは、架羅くんが助けてくれないとダメ、と連絡をとったのだ。

こいつ突発的にいなくなったりするしさ、架羅くんさえよかったらまた助っ人やってくんない? いや、こっちとしては正規メンバーになってほしい気持ちなんだけど、あ、それはムリ? あははそっかー。でもじゃあ準くらいは? 準メンバー。なるべく優先的にうちのバンドの助っ人してよ。それならオッケー? え? ああ架羅くんのギター超評判よかったし、俺らもやりやすかったし、すげぇファンになったやつがいてさ~。あ、それはそのうち本人が言うと思うんだけど!

オッケーでました~、と電話を切ったボーカルにつかみかかるのを我慢した一松は本当にえらい。すばらしい。皆ボーカルをほめるばかりで一松にはほほえましい物を見るような視線をよこすので、仕方なく自分をほめておく。
実際の話、ファンになったというのは大げさではない。テクニックの鬼だとか一度聞いただけで忘れられない音を奏でるだとか、架羅はそんなギタリストではなかった。幾度も練習を繰り返し、確認し、できなかったところは次回までに必ずできるようにしてくる。そういう、地道であまり花のない演奏を得意とする男で。あんたも下手を引くね。頼まれたからとこんな小さなバンドの助っ人なんてお人好しだな、とつい憎まれ口を叩いた一松に、そうだなとあっさり肯くうかつな男だ。

「でも、楽しいから」

自分で振っておいて失礼だと毛を逆立てた一松の目の前、固い殻からほんの少しのぞいた柔らかいもの。サングラスに隠された目尻がぎゅうと下がって、いつもきりりと引き締められている口元がふにゃりとゆるむ。笑った、と気づくのに少々の時間を要した。それくらい、架羅はメンバーに心を許していなくて。丁寧な口調、仕草、あくまでも仕事仲間としての距離感。ほろりとはがれたそこに見えたものから、一松はもう目が離せない。
固いのは緊張から、距離のある対応は人見知りの毛がある、真面目な性格だが結構天然。共に過ごすにつれてどんどん現れる架羅という人間。今日はスタジオにいるだろうか、と期待している自分に気づいた時、一松は歓喜した。
絶望ではない。喜びだ。
男だ? 別に気にしやしない、どこぞでは同性でも結婚できるようになったはずだ。どうせ振られる? 今はそんなことどうでもいい、別につきあうことをゴールに設定していない。

大切なことは、一松が、自分の兄であるカラ松以外に恋愛感情を抱けたということだ。

一松はずっと諦めていた。
生まれてこの方ずっと一緒、六つ子として生まれ同じように育ち、他人からは未だに判別つかないと言われる同じ顔の兄。そんな男にしか恋愛感情を抱いたことのない自分を。
幼い頃はまだよかった。純粋に、大好きな兄として慕っていた。精通をやつで迎えてしまった時は少しだけ絶望したけれど、親しい女の子もいないしあっちもそこまで男らしい外観ではなかったし、人肌とか体温とかがムダに妄想力をかきたてたのだろうと納得した。いつか自分もかわいい女の子に本当の恋をするのだろうと無邪気に信じていられた。
それが、ハタチをとうに過ぎた今現在もきていない。本当の恋、とやらにはちっとも落ちないのに、カラ松の言動で毎日心が躍る。疲弊する。兄に抱いているこれは恋ではない、絶対に違う、ちょっと過剰な兄弟愛で、本当の恋に落ちたらすぐわかる。そう言い聞かせながらまだダメだと肩を落とすのが、最近の一松の過ごし方であった。

そんな地獄に舞い降りたのが架羅である。
会いたいな、と思う。話すのも楽しい。笑顔を見ては動悸が激しくなるし、誰か他人に笑いかけているのを見れば苛立ちを隠せない。そのくせ二人きりになるとどうにも上手く話せなくて、架羅に嫌われるんじゃと思うと泣きそう。
これは恋だ。まぎれもない恋だ。カラ松への感情とひどく似通っていることが、兄への感情もまた恋であったのではと一松の胸をちくちく刺すがそれがどうした。たとえ恋であったとしても、それはもう過去の物だ。一松はひたすら架羅への思いを暖めればいい。そしてカラ松に、きちんと兄弟としての態度をとってやらなければ。
感情をごまかすためとはいえひどい態度ばかりをとっていた過去の自分に一松はそっとため息をついた。兄弟をひたすら愛するあの兄にはきつい対応だっただろう。恋ではないと信じ込むためといえ、カラ松に悪いことをしてきたという自覚は一松にもある。架羅に会い恋を自覚してからは、それでもだいぶ優しくできていると思っているのだが。
恋、と胸の内で繰り返し知らず熱を持った頬に手を当てる。
幸せでうれしくて楽しくてそわそわする、泣きそう。これが。こんなに明日が楽しみなこと、一松はなかった。目を開ければ兄がいて、まだちっとも消えていないと彼への感情を重苦しく自覚して一日が始まっていたのだから。

「架羅」

そっと口の中で名前を転がす。胸の内にこみ上げる多幸感に震えが走る。
うれしい。カラ松以外を愛することができる自分が。それを教えてくれた架羅が愛しい。好きだ。大好きだ。彼が一松を地獄からすくい上げてくれた天使だ。
この恋がかなうかどうかはどうでもいい。一松は、兄以外を好きになれる。これでカラ松にも、他の兄弟へのような態度をとれる。彼の望む弟でいてやれる。よかった。
すべてがいい方に回っている。うっとり笑って明日を思う一松は、幸せの絶頂であった。