「生意気する、は日本語としておかしいよね、猫殺しくん」
「は?」
自室に戻ったつもりがまるで見知らぬ部屋に通されてしまった南泉は、腐れ縁ののんきな声を聴いたとたん警戒を解いた。なんせこの発言である。本丸が襲撃されただの主の身に異変がなんてことがあれば、こうもくつろいでいるはずがない。
「おや、いらっしゃい」
「……おまえの部屋じゃねえだろ」
俺の部屋でもねえけど。
上手い返しが思いつかぬまま言い返せば、見たことない部屋だよねと笑い声が上がる。主の私室以外は和室のはずのこの本丸で、フローリングにベッドとソファなんて洋室がある時点で笑い事ではない。なのにどうしてこうも山姥切は楽し気なのか。
「ほら、キミも聞いたことくらいあるだろう? 特定の条件を満たさないと出られない部屋、の怪異」
「知ってるけどにゃあ」
「あれだよ、あれ」
つまりは噂の『でられない部屋』ということか。
刀剣男士や審神者を閉じ込め指定の行動をとらせ達成すれば解放する、部屋の形を模した怪異。部屋から出るための行動に伴う熱量だかなんだかを餌としているため、絶対に達成できない条件は出さないらしい。だからこそ時の政府から目こぼしされ、本格的な討伐はされていないとかなんとか。噂に聞いてはいたが、まさか己が体験するとは。人の身もとってみるものである。
どうやら山姥切も、めったにできない体験に浮かれているらしい。会いたいと思って会える怪異ではないから、わからなくもない。いや、ベッドで跳ねてはしゃいでいるのは、怪異ではなくこの部屋が珍しいからかもしれない。そういえばこいつはシール交換個体で、政府で働いていたわけじゃない。この本丸は和室で布団生活だから、ソファもベッドも目新しいだろう。なんだかんだ新しいもの好きなとこあるもんな、こいつ。そういう時、には南泉の部屋に連れ込むか山姥切の部屋にしけ込めばいいから外でなど考えたこともなかったが、こうも喜ぶなら話は別だ。最近の連れ込み宿は洋室もあると聞くし、一度行くのもいいかもしれない。
それにしても。
「……これ、条件かよ」
部屋に入ってからずっと、あえて目を逸らしていた事態にふれれば山姥切も跳ねるのをやめた。室内にあるのは見慣れぬベッドとソファ、そしてローションだのコンドームだのが所狭しと並べられているローテーブル。何をすべきかあまりにあからさますぎて、同じくテーブルの上にある『××イキしないとでられない部屋』と書かれた指示書の存在感が薄い。小さく記載された『他に必要なものがあれば随時ご用意できます』の文字が泣ける。他にって何をどこまで想定されてるんだ。これだけ用意されてりゃ十分すぎるだろ。
ここまでストレートに「おまえらセックスしろよ!」と言われると、南泉としては正直ちょっと萎える。いやするけれど。やろうと誘われればできるけれども。ただどちらかというと南泉は、情緒や雰囲気を重視する方なので。
そういった方面にはとんと疎い、どころか雰囲気など気にも留めていないだろう山姥切は、今度はゴロンゴロン転がっている。いくら目新しいからってベッドで遊びすぎじゃねえか。っつーかそこでこれからおまえが色々されるのわかってるか? そもそも、常の山姥切なら南泉の顔を見たとたん「待ちくたびれたよ」とテキパキ服を脱ぎだしてもおかしくないのに何もしない。いくら洋室が珍しいといえ、部屋から出るための条件をクリアしようという気配すらないのは不自然じゃないか。
「おい、どうしたよ」
「何がかな?」
あっさり返る声に生じる違和感。こいつがいらぬ軽口やからかいを混ぜず返事するなんてどういうことだ。らしくないにもほどがある。胡乱げな南泉の視線がうるさかったのだろう、山姥切はまたベッドを堪能しに戻ってしまった。なんだ、この妙な引っかかりは。顔色は悪くないし機嫌もいい、動きに不審な所はなかった。呂律も回っているし会話の受け答えだってしっかりしている。ただ、常より南泉に絡まないというだけで。
何か言いたげにこちらを見るくせに、南泉が見つめ返せばするりと視線がそらされる。尖り気味の唇は開いては閉じ、けれど言葉が出てくることはない。これじゃあまるで照れてるみたいだな、と思いついてしまった南泉はあまりの己の思考に呆然とした。
は? 照れ?? こいつが俺相手に照れ……???
え、じゃあさっきからの不審な態度は恥ずかしがって、……恥ずかしがって!?? 山姥切が!??!?
己で思いついたことながら、照れる山姥切という存在があまりに衝撃的で混乱する。初めて閨を共にした時も、さっさと服を脱ぎ捨て演練でも挑むかのように「セックスするよ猫殺しくん!」とのたまった刀である。もうちょっと恥じらいを持て、と嘆いた南泉に「俺に恥ずべきところなどないが」と堂々胸を張ったのだから筋金入りだ。それはそうだがそうじゃない。南泉としてはそういう時くらい甘い雰囲気を楽しみたかったのだが、山姥切はスポーツの一種だと思っていそうなので仕方ないのだろう。
つまりその山姥切が。精神が頑丈すぎて心の繊細さをどこかに置き忘れてきただろうこいつが。情緒というものを欠片も理解していないだろう、心が化け物のこの刀が。部屋から出るために南泉とセックスをしなければいけない事に、恥ずかしがっているなんて。おい、赤飯だ。急ですまねえが今晩は祝い膳にしてくれ燭台切。
「……すまない! キミがこの部屋に来たのは俺のせいだ」
「は? おお、いやそれはまあ、別に」
「ほら、指示の内容が一部不明瞭だろ? 候補を上げていた時に、つい、キミの名を呼んでしまって」
だから必要なものをご用意しますにキミが含まれてしまったんだと思う。珍しく反省しているような顔をしているが、山姥切が何を言っているのか南泉はわからない。いや、意味はわかる。ただ理解したくない。
指示の内容は大変にわかりやすくまるで不明瞭な点は見当たりませんが。というかこの状況で南泉以外を呼ぶ可能性があったのか。おい、そこのところはっきりさせろ。許さねえぞ。つーかもしかして南泉がご用意されてしまった、のを申し訳なく思っての態度か先程までのあれは。照れや恥じらいではなく。とりあえず祝い膳は取りやめてくれ燭台切。
「それにしてもバツバツイキ、とやらは何を指し示しているんだろうね。文字が伏せてあるのかとも考えたけど、最後にイキがつく言葉なんて生意気くらいしか思いつかなくて。でも生意気するって日本語としておかしいし」
「あ~……いや、その、にゃ」
そういえば南泉が部屋に取り込まれた時そんなこと口にしていたな、とか。生意気するはおかしいけど生イキならやれそうじゃね、とか。いやナマでやっちまうなら用意されてるコンドームの意味は、とか。とかとかとか。そうだなこいつ生意気だよな、まあプライド激高で高慢なとこも悪くねえし、じゃなくて。
マジか。
マジなのか。
「おっまえ、俺のこと備品扱いしてんじゃねえよ」
「俺じゃなくて怪異だよ、キミを備品扱いしてご用意したの」
もしかしてメスイキとか、ナカイキとか、カライキとか、ナマイキとか。いやコンドームが置いてあるからナマは違うか、ってそれさっき考えた。つか別に置いてある物全て使わなくてもいいから問題ないか。ないな。いやだから、とにかく、こうもあからさまにしてほしいことを指示されているのに、意味がわかっていないのか。
「あっ、もしかして『イキイキ』か!?」
思いついたとたん立ち上がり壁に蹴りをいれだした腐れ縁に、南泉はつい遠い目をした。おまえの『イキイキ』って乱暴すぎねえ? つーかノータイムで蹴りをいれるな。あまりのことに怪異も泣くぞ。現に条件の部分、さっきまでなかった『ヒント! ×のうちひとつは”ス”!!!』という文字が浮き出てきている。……やっぱりこれメスイキだろ。
す、す……? と悩んでいる山姥切よりも怪異に同情してしまう。怪異もまさか、この部屋でこの備品でこの指示、なのに内容がまったく伝わらないなど思いもしなかっただろう。ちょっと小腹がすいたからおやつでも、の気持ちで閉じ込めたらイキイキと蹴られ、暴れられ、もっとヒントは出ないかと小突かれている。化け物切なんかを閉じ込めてしまったばかりに、あまりに哀れだ。
「暴れんなって、出られるから」
「猫殺しくん知ってるのかい?」
きょとんと幼げな顔をしているが、この男は昨夜もメスイキした。
そう、山姥切はメスイキできるのだ。最初はそうでもなかったが、回数を重ねてきた最近はそれなりに。本刃は気持ちよさそうだし止められてないし、南泉的にも達成感ひとしおなので積極的にがんばっている。おそらく怪異も、だからこそ山姥切を部屋に招いたのだろう。気軽にやってくれると思い込んで。一人で大丈夫だろうけど難しそうなら相手も用意するよ、なんて至れり尽くせりがこんなことになろうとは。行為はしているのに名称を知らないなど予想できるわけがない。わかる。わかるぞ怪異。南泉も今、目の前の現実に正直納得いかない。
確かに顕現時の基本知識にはない。が、そういったものは日常を過ごす中でなんとなく得るものだろう。南泉とて『××イキ』と書いてあればメスイキかナカイキ、次点でカライキか? なんて知識いつ学んだと問われても困る。そもそも本霊の時にこういう言葉は知らなかったが、気をやるとかおなごの様になんてそれらしい表現はあっただろう。なぜ山姥切は、そういった行為すら知らない幼児のような顔を向けるんだ。これではまるで「おまえの身体は知ってるぞ」と告げる南泉がただのエロオヤジでしかない。ひどい風評被害だ、単なる事実なのに!
「知ってるっつーか、お前が最近するやつだよ」
「イキイキ?」
「イキイキから離れろ」
なんだよ俺はいつだって全力でイキイキできるぞ、とむくれられても困る。山姥切がイキイキ楽しそうに敵を屠っているのはその通りだし、南泉としても望ましい。というか最近と言っただろうが話を聞け。お前がイキイキしていない時があったか。あったならきちんと報告しろ、その場合こちらもそれなりの対応を取らねばならない。
「とりあえずいったん俺に任せろ。ほら、こっち来い」
疑う様子も無く寄ってくる山姥切をさっさとベッドに押し倒しながら、もっと警戒心を持つよう教えてやらなきゃなと南泉は明日からの予定をたてた。ベッドの上で来いと言われて素直に寄る意味をこいつは知るべきである。何かあれば南泉を呼べ、は五百年かけて刷り込めたので、もう五百年も教え込めば警戒心も育つだろう。
出会ってこの方、肝心の情緒は一向に育つ気配を見せないが。
◆◆◆
「そういえば、結局バツバツイキってなんだったのかな」
出られない部屋から出たとたんぶち込まれた爆弾に、南泉は思わずうなった。
「さっきしたことで、猫殺しくんが必要で」
「だから備品扱いやめろっつーの」
「バツのひとつは”ス”」
そこまでわかっていて出てこないなんて、本当に名称を知らないんだろう。さらりと告げればいいだけなのに、なんだか無垢な幼児にイケナイことを教えている気分になってしまう。落ち着け、こいつは南北朝産まれの古刀だ。腐れ縁歴だけでも五百年は経つ。だというのに、この妙な罪悪感はなんだ。呼称を知らないだけでやるこたやってんだぞ。
くたくたのふにゃふにゃな山姥切は、南泉の腕の中で眠そうに目をこすっている。抱き上げて運んでやっているのは甘やかしているのではない。山姥切の足がろくに立たないため、仕方なく手助けしてやっているのだ。主から初期刀、果ては最近来た新刃にまで山姥切に甘いと言われるため、つい心中で言い訳してしまう。別に南泉が甘やかしてるわけじゃなく、どうしようもない理由がいつでもあるのだから仕方がない。他の連中だって同じような行動をとっているんだから、南泉だけをあげつらう必要はないはずだ。あと今回は、条件を達成するための行動に南泉の意志も多分に含まれてしまったせいでもあるので。まあ、なんだ。ベッドは布団とまた違い、新鮮で大変に良かった。スプリングはいい仕事をする。ぜひ洋室のある連れ込み宿を調べようと心に決めるほどには。
「おい、寝るなら部屋戻ってからにしろよにゃ」
「寝ないよ、寝ない……ちょっとまばたきが長いだけ」
「それ寝てんだよにゃ~」
山姥切の眠気が醒めるようにあえてにゃあにゃあ言うも、さほど効果はないようだ。腕の中の体を揺すってやっても、うんうんと満足げに胸元に懐かれるだけ。うんじゃねえんだよ、こんな時にだけ可愛げだしてくんな。せめて部屋まで待て、廊下じゃ誰が見るかわからねえ。あとメスイキの説明はせめて部屋に戻ってからでお願いします。
「あのさ……あのバツの部分」
「はいはい、もうおまえの部屋つくから起きてろよ」
「起きてるって。でね、さっきの怪異なんだけど」
「主への報告はとりあえず俺がするから、起きたら詳細おまえも報告しろよにゃ」
懸命に話そうとする山姥切には申し訳ないが、廊下でメスイキだのなんだの言いたくない南泉はせっせと話を遮った。セックスをスポーツの一種だと分類している山姥切はなんとも思わないだろうが、親しい仲の秘め事だと考えている南泉にとって、そういう話題は白昼堂々するものではない。二振りきりの部屋でならいくらでも教えるし、なんなら今晩も閨で実践してやるから勘弁してくれ。
勝手知ったる山姥切の部屋、テキパキと布団を敷けば内番着のまま腐れ縁が転がり込んできた。布団と結婚するなんて口走ってるあたり、理性が眠気に負けている。そうとうに眠いのだろう。脳を通さず思いつくまま口から言いたい事を垂れ流しているせいか、こうなった山姥切は自分が何を言ったか覚えていない。寝落ちる前に話した事を、初耳だと反応されること複数回。眠そうな山姥切と実のある話をするな、はすでに南泉の心の標語である。
「布団……布団は最高だ」
「あんなにベッド気に入ってたくせに、さっそく浮気たぁふてえ野郎だにゃあ」
「ベッドもいい。好きだよベッド、跳ねるし」
「そんなに気に入ったのかよ」
口調がしっかりしているわりに言葉選びが少々拙い。さほど考えず思ったまま口にしているあたり、そろそろ寝落ちする頃か。この会話も起きた時にはなかったことになるだろう。幾度も経験した南泉はよくよく知っている。だから。
「うん、好き」
「へぇ。……俺のことは?」
だから。流れでさらりと口にしてしまわないかと、つい。どうせ明日になれば山姥切は何を言ったかなど忘れてしまうのだ。
「そりゃ好きだよ。……ああ、そうか『好き』なのか、あのバツバツに入る言葉。だから猫殺しくんがご用意されたんだね」
「は?」
待て。
いや、ちょっと待ってくださいお願いします。
今流れがおかしくなかったか?
すき? すきってなんだ。山姥切が?? ××に好きが入る?? ……好きイキ!?!!?
だから猫殺しくんがご用意されたんだねって『だから』!?
「あの気持ちいいの、呼び名があったの知らなかったな」
「名前、っつーか。は? え? ちょ、あの、気持ちいいって俺に言っちまっていいやつかにゃ!?」
「猫殺しくんうるさいよ」
うるさくもなるだろう。
この言い方じゃまるで山姥切が南泉のことを好きだと、そう理解してしまうわけだがいいのか!?
「あれ? じゃあ最初から猫殺しくんも一緒じゃないと達成できないよね。俺だけじゃ好きイキにならないのに」
理解してしまってよかった!
そうだよな、『好きイキ』なら好きな相手としなけりゃおかしいよな。もちろんメスイキでもナカイキでもカライキでもナマイキでも、いかなるイキ方であろうと南泉相手以外許さないわけだが。というかさっきメスイキのことを「あの気持ちいいの」と言わなかったかおまえ。内心そう呼んでたのか。今日も気持ちいいイキ方したな、とか思ってたのか。射精せず中でイクのを? っは~~~~~~~今後も任せろ毎回めちゃくちゃに気持ちよくしてやる。
ではなく。いや今後の性生活は大事だがそれは置いて。
「山姥切長義! 俺もおまえが!!」
今こそ積年の思いを告げる時、と姿勢を正した南泉の目の前には、健やかな寝息をたてている山姥切。ずっと気にしていた××イキの謎が解けて満足したのか、すこんと寝落ちしたらしい。勢いが空回った南泉は、告げる言葉を飲みこみ頭を抱えた。起きた山姥切はどうせ今の会話も覚えていないだろう。これまで通り。けれど南泉はもう逃してやれない。待ってやれない。未成熟だと思っていた情緒もそれなりに育っていると知ってしまったので。
仕方なく、眠る山姥切を南泉は腕の中にしっかり囲い込んだ。すり寄ってくる頭を撫でつけてやるが、これはけして甘やかしではない。腕も脚もがっちり絡め、全身で逃がさないと主張しておく。これくらいあからさまにしても「なんだか今日の猫殺しくんは甘えただね」で流す相手だ、油断はできない。わけのわからない理屈を並べ立てられ逃げられる前に先手を取り、先ほどの発言の真意を問い詰めねば。眠くて覚えていないと言うならもう一度、いや何度でも繰り返してやる。なんなら××イキのバリエーションも実践してやろう。もしまたあの怪異に引っかかった時、一瞬でも南泉以外の手を借りようなどと考えないように。何があっても、何もなくとも、すぐさま南泉の名を呼ぶように。
自主的に『でられない部屋』に籠った南泉とご用意された山姥切が出てきたのは、翌日の昼だった。