「知ってますけど」
「え」
真っ青になって震えて逃げ去ると信じ切っていた班長は、もう一度繰り返した。
「知ってます、松野さんがラメ男さんだってこと」
こすったから口紅ほっぺたまでついてますよ。どうでもいいことをさも重大そうに言いながら、指先がするりと頬に触れる。荒れ気味なんだろう、少しざらついている。あんなに親しくしていたのに気づかなかったな、まで考えてから触れられるのが初めてだからだと自覚する。
初めてといえば、こんなに近くに寄ることもこれまでなかったんじゃないだろうか。なんせ班長は大人しく穏やかな男だったから、乱闘で腕や足をへし折ることもなかったので。
「……ええと、待ってくれいつから」
「最初から」
「さっ、……キミはラメ男のことをひどく褒めていなかったか? まるでそう、こ、好意があるみたいに」
恋をしているように。
そうだ。カラ松とて気づかれたのではないかと当初はひやひやしていたのだ。けれどあまりに彼がラメ男に好意的で、気に食わない職場の人間には絶対に向けない感情を抱いていたから。だから別人だと思われているのだと。
待て。最初から気づいていたというなら、別人設定でやっていたあれこれは。カラ松にナイト様呼びされたと思っていたのか松野班長は。いやあれはその場のノリでどうにか。だがその前に投げちゅーしたことあるのは、ええとなんとか飲み屋のノリとして。いやでも酔客からカラ松をかばったのは。
「まあ好意はそりゃ……あったのでしょーがないでしょ……」
うつった。
じわじわと班長の首が赤くなるから、そこに触れていたカラ松にもうつったのだ。だからこんなに頬が熱い。オレのせいじゃない、おまえのせいだ。
「……いや、でも……きらきらしてるとか、歌が好きとか、なんかこう……すき、みたいな」
「だからまあ……そっすよ」
「らっ、ラメ男をだよな!?」
ひっくり返ったまるでクールじゃない声に驚いたのか、ぱちくりと見開いた目がカラ松を見る。意外と幼い顔をしている。予想しているより若いのかもしれない、もしかして。
「え? だって一緒でしょ、そこは」
指先から熱がめぐり、ひどくむずがゆい。なんだこれなんだこれなんだこれ。どうにも落ち着かない、そわつく、いっそ踊ってしまいたい今ならステージでなくとも。
あのやわらかで繊細なものは、幻の存在にだけ向けられたものだと思い込んでいた。
隣にいる、松野カラ松にはけして差し出されない。こんなに近くにいるのに。同じ人間なのに。まさかそれが。
「……つまり、その……松野班長は、オレを好き、ということだろうか」
「は? まぁそう、……いや、ちょ、あの! 歌!! あんたの歌が好きってことで!!!」
いきなり動かれたため、足を抑え込んでいた膝が跳ねあがる。
「あっバカあんたそれ、裾っ、って待ってなにか着て、着てください!!!」
「? 着てるだろう、ドレス」
「肩も腹も脚も出しっぱなしだろーが乳首も見えてんだよそれはカーテンだ!!!!!」
「ずっとこういう格好じゃないか、今更」
ノースリーブでスリットが長く入ってるだけの、ちょっとセクシーなドレスだ。裾に向かうブルーのグラデーションが美しいお気に入りのドレスをカーテン呼ばわりされ、少々腹が立つ。腹がみえてなにが悪い、鍛えているからたるんだりしていないし乳首にいたっては男のものじゃないか。そりゃこれをレディが着こなしていれば大変にセクシーだが、どこからどう見ても男のカラ松が着ていればちょっとした愛嬌だろう。
そもそも彼はこのドレスでステージに立つカラ松を何度も見ているはずである。今とて歌が好きだと言ったじゃないか。あれだけキラキラしているだのうっとり語っていたくせに、いったいどういうことだ。
それとも、ラメ男ならよくてカラ松は滑稽ということか。
床に落ちている青いカツラに、むりやりこすったため崩れているだろう化粧に、班長の首にかけたままのごつい手を彩る似合わぬ青い指先に、一斉に嘲笑われている気がした。きれいにメイクしカツラを被りライトにあたったラメ男ではないから。そりゃそうだ。だって今など、たんなる男で。似合わぬ化粧をした、ごつい男の。やっぱり、班長は。
「違うでしょ……だってそんな、あんた今松野さんの顔だし、それでそんな肩とか足とか、っ」
目に毒なんで。ぼそぼそと告げられる言葉は悪くとろうと思えばいくらでも。けれど。
「ラメ男さんはまあそういう衣装ってことで、あの、趣味なんだろうなって思って。そりゃいいか嫌かって言われたらべたべたされたりそういう目で見られたりとかすげえむかつくけど、おれが口にすることじゃないっていうか。でも今は違うっていうか、松野さんだし。いやラメ男さんも松野さんなんだけど、でもなんか今はもっとこう、あの、松野さんじゃないすか」
哀れな程に真っ赤な顔。なにを言っているのか自分でもわからないんだろう、それでもなんとか伝えようと必死に口を開く様。松野さん、松野さん。繰り返し出てくるカラ松の名前。
「班長はオレに友情を感じてくれてる、と思ってたんだ」
「そうです! いや、おれなんかおこがましいと思うんですけどでも、その」
「オレも班長に友情を感じてたから、いい友人になれるだろうって」
「おれもっ、あの、あんたと友達に。親しい友達になれたらいいなって」
バカだなあ。
目の前で真っ赤な顔のまま友達にと語る男の愚かさといったら。なんてバカだ。これでごまかせていると思っているんだろうか。もし無自覚なら救いようがない。
ラメ男への感情は、傍目に見る限り確実に恋であったのだ。それはカラ松が同情し、せめて優しくふってやらねばと考えてしまうほどに。それほど一途で健気な感情を向けていた相手と同じだと。同一人物だと最初から知っていた、そう告げる口で友達だなんて。
今とてこうも意識し服を着ろと叫ぶ、その理由だけは目をそらすなんて。
「ラメ男の歌が好きなんだよな。よかったら今歌うぞ。リクエストしてくれ」
「えっ、急になに」
「んん~? 礼みたいなものかな、色々。あとはまあうれしいからだな、なんせ班長さんに好かれていたんだ」
「ちがっ、うわけじゃないけどそういうのはちょっと」
盛大にふってやろうと思って呼びだした。
カラ松を見ず違う方向ばかり追いかける班長など、少しくらい傷ついたらいい。とんでもなくひどく振られて、泣いて沈んで落ち込んで、そうしたらちゃんとカラ松が慰めてやろうと。そうすればラメ男が消えてもなんの問題もないだろうと。
ついカッとして正体をばらした時にはもう終わりだと思ったけれど、こうもいい方向に収まるなんて。さすが日頃の行いがいい。
幻の相手に惚れているなんてかわいそうにという同情が、こちらを見ないという苛立ちに変わった理由なんてカラ松はとっくに気づいたし覚悟を決めたのだ。
だから班長もさっさと決めてくれなけりゃいけない。
一人ステージで歌うのも嫌いじゃないけれど、ここは舞台ではなく今はプライベートタイムだ。できれば二人でできることを、いくらでも。
「オレの歌は聞きたくないか?」
「そんなことぜってぇ言ってないから!!!」
「じゃあいいだろ。それとも班長が歌ってくれるのか?」
「は!? ムリなんで。つーかなんでそんな話になってんの。歌う必要ないでしょ」
「いい声してるじゃないか。なあ、いいだろ聞きたいんだ」
「いやいやいやないから。ありえないから」
気づいたならあとはきれいに全部理由をつけてやれる。
だから覚悟を決めて、こちらを。カラ松を見てくれたなら。
全部やるよ。カラ松も、ラメ男も。だからちゃんと受けとめてほしい。本当はちゃんとわかっているだろう、実際のところ。言い訳もそろそろ品切れだ。
「歌ってくれよ」
恋の歌を。
カラ松のためだけに。
「一松」
見開かれた瞳に映る顔はきっとまったくクールじゃないと他人事のようにカラ松は考えた。化粧はよれて口紅は頬までこすれて大惨事。マスカラが落ちて目の下は真っ青だろう。だけどきっと今、どうしようもなくうれしそうに笑っている。見えないからわからないけれど、わかる。なんせ目の前にそんな顔をした男がいる。
すがりつくように抱きしめられながら、ゆるむ口元を隠すこともできずカラ松はもう一度口を開いた。
「一松、頼むよ」