口は最後に愛を告げる

「ちょっといいすか」

かけられた声で跳ねた肩に気づかれていないといい。
ごまかすように大仰に振り向けば、予想通りの陰気な顔。

「やあ班長さん! 今日は一体どんな問題が」
「山積みなんですよね、見て見ぬフリがうまいっすね。無駄に格好つけてる間にもっとやることがありますよね。気づきませんかこの暑さ、工場にエアコンがないのはまだしもせめて応接室くらいあってもいいでしょっていうかあるのにまったく効いてないってのふざけんなあんたがここにメインで居ますよね居住空間を快適に保つ努力のひとつくらいしてみたらどうなんすかそもそも」
「ストップ! ストップだ! オーケイわかった、わかったからひとつずつゆっくり、順に頼むぜ班長さん」

地の底から響くような低音で恨みがましく問題点を並べたてられても、カラ松にできることはさほどない。
確かにこの工場はカラ松の所属する組織の傘下である。が、自分達に与えられた仕事は、たまに工場に顔を出し作業員を少しばかり脅しつけサボらせないことだ。そもそもマフィアに工場の問題を解決するよう依頼するのがおかしいのではないだろうか。人が足りないはまだしもトイレの水の出が悪いだのエアコンの効きがどうだの言われてもどうしろと言うのだ。勝手に業者に電話してくれ。あとエアコンはフィルターを取り替えろ。
至極もっともな反論は、けれど目の前の男の顔を見たとたん引っ込んでしまう。だって怖い。世の中のすべてを呪ってやると言わんばかりのおどろおどろしいフェイスに、地獄の門番もかくやの低音ボイス。確実に三人は殺している。カラ松の勘は鋭いのだ。
今とて、親の敵と言わんばかりの顔でこちらを睨みつけている。カラ松が一体なにをしたというのだ。確かにマフィアがウロウロするのは恐ろしいかもしれないが、こちらも仕事なのだからそこは素直に怖がってひたすら業務に励んでほしい。

「ゆっくりもなにもあんたがろくに顔出さないから問題山積みだって話なんすよ、大体ねぇ」
「えっ、三日前に来ただろ?」
「ええ三日も間あけてなんなんすか。あんたが担当なんですよねここの」

あまりに気まずいからとおそ松と交代したのだが、サボったのかと思いきや三日前にきちんと来たらしい。この物言いからして、カラ松とおそ松が別人と気づいて文句を言っているわけでもなさそうだ。そりゃそうだろう。チョロ松を含め自分達みつごを見分けるなんて、似せるつもりでいれば親にもさじを投げられるのだから。

「いや、さすがに毎日顔を出せるわけじゃないから……」
「は!?」
「ん~?」
「毎日来ないんすか」
「まあ、そうだな」
「なんでですか。正当な理由がありますよね、ないわけないですよね。こっちが納得するしっかりした理由がないとハイそーですかってわけにいかないんすけど」
「えぇ……」

なぜだ。なぜこうも責め立てられているんだ。
先日代わってくれたおそ松も、その前に代わったチョロ松も、そもそも班長と話さえしなかったと言っていたのに。誰一人話しかけてこないと聞いて、やっと工場の問題もなくなったんだろうと安心して今日は来たのに。なのになぜ、あいかわらずエアコンの効きは悪いしトイレは使用中止の張り紙がしてあるんだ。というか、こまめに顔を出しているカラ松がなぜこうも怒られているのだろう。カラ松はマフィアであって便利屋でもなんでもないはずなんだが。

「そういやあんた今日は化粧でもしてるんすか。そういう色気づいたことする前にもっと自分の仕事に真剣に向き合うとか」

化粧?
唐突な言いがかりに首をかしげるも、班長はおどろおどろしい声でぶつぶつと文句を呟くばかりだ。そりゃ風呂上りに化粧水くらいはつけるが、さすがにそんなことで怒られる意味がわからない。というかそれセクハラとかパワハラじゃないか? いやどちらの立場が上かと問われればマフィアであるカラ松であるはずだが、今この場ではまったくそんな気がしない。
あと、もちろんカラ松は世界が恋するギルトガイだが、メイクで華やかになる方ではなく背中で語るタイプだ。つまりは化粧とかしたことない。

「ま、待ってくれ班長さん! オレは化粧はしてないぞ!?」

怒られるネタは一つでも減らそうと必死に言いつのれば、は? とまたすごまれる。だからなんでそう歯をカチカチ鳴らしながら下から睨みつけてくるんだ、めちゃくちゃ怖い! 脅してやろうにも至近距離すぎて拳銃が抜きづらい。鼻さきがひっつきそうになり知らず身体が逃げる。
じり、と距離をとれば即座につめられた。背中が壁にあたる。逃げられない。

「下手な嘘つかないでいーっすよ。あんた今日はそんだけかわいくしといて言い逃れるとか無理でしょ」
「いや本当に! そもそもなんで急に」
「こないだと全然違うし……ずっとこうだったのにいきなり普通になるから変だなと思ってたんすよ。なんなんすか男を惹きつけるゆるふわメイクとかそういうアレでなんかこう」
「待て待て待て、ちょ、班長さんなんかおかしなことを口走ってるぞ! 何連勤目だ!?」

座った目で訳のわからないことを言う男は、カラ松から視線を外さないままじゅーななと口にした。

「じゅ、十七連勤はきついな……なるほど」
「あんたとこからの突き上げがきつくて休むに休めないんすね。納期早めるならあんたも毎日顔出すべきじゃないすか、それが道理ってもんでしょうこの世の中の」

きっとあまりの疲れに脳を通さず口が動いているのだろう。気の毒に。そっくりなのをいいことに兄弟で入れ代わってはサボっているカラ松は、働きづめの班長にことの外同情した。まあ褒められたのがうれしかった、というのもある。かわいいではなくかっこいいがふさわしい形容詞だと思うが、日本語のかわいいは多大な表現を含むと言うじゃないか。男を惹きつけるだのなんだのも、カラ松のあまりの男ぶりに作業員達が憧れているのかもしれない。兄貴として。
なるほど、では毎日顔を出せというのも納得がいく。憧れの兄貴が見ていてくれるならがんばれる、というやつだな。確かに納期を早めたのはこちらの都合だ、カラ松が応援のため毎日来るのは道理というものなんだろう。

「はは~ん、了解したぜ班長さん! じゃあ納期を守れたらカラ松オンリーコンサート ~オレのいかしたバタフライ~ を開催しようじゃないか!」
「いやそういうのはいらないんで」
「えっ」
「大人しくここでじっとしててほしいんですよ、あちこちうろつかないで」
「えぇ……」

ここ、とへたれたソファを指さされカラ松は困惑することしかできない。
士気を上げるためにもカラ松ボーイズのために工場内を歩き回ってファンサービスを行うべきではないのか。応接室に閉じこもりっきりでは報告に来る班長にしか会えないではないか。あと確かにエアコンの効きが悪いからフィルター取り替えてほしい。

「……じゃあこないだみたいな化粧なんだったらいいっすよ、ちょっとくらいうろついても」
「こないだ?」
「前回来た時とか、その前とか。もっと前とか今日みたいなのはダメっす」

化粧はしていないし前回来たのはおそ松だ。その前はチョロ松。
カラ松ではないとばれているわけではない。けれど、ここまでしか譲れないとぶすくれた顔をしている男は自分達を的確に判別できている。正確には、カラ松だけを。

「……班長さん、オレは応接室になるべく居る方がいいのか?」
「そっすね」
「この部屋に報告に来るのは班長さんだけだな」
「作業員がラインから抜けるのは休憩と交代だけでしょ、普通。報告はオレの役目ですし」
「じゃあ毎日班長さんとだけ会うことになるな」
「っ、まあそうなるんじゃないっすか。変な言い方しないでください」

あいかわらず恨みがましい目で呪いでもかけるような声だ。けれど言っている内容は、まるで好きな人を一人占めしたい少女のようじゃないか。

「班長さん、もしかしてオレのこと好きなのか?」
「は!? なんでいきなりそんな突拍子もないこと」
「え、違ったか」
「まあ嫌いかと言われたら別に積極的にそんな嫌うもんじゃないっつーかいつも暑苦しいスーツできめてやがるなきりっとしてるとか声わりといいんだからもっとオレに話しかけたらいいのにとかあちこちふらふら歩きまわってんじゃねーよ邪魔なんだよ顔見れないだろじっとオレの目の届く範囲にいろよマフィアのくせに気の抜けた顔すんじゃねえよかわいいんだよ四六時中キラキラしやがって目に悪いんだから隔離するしかねえな、とかは思ってますけど」

つらつらと並べたてられる悪態にもならない言葉がくすぐったい。
これで本人はなにひとつ変わらぬこれまで通りの顔でいるのだから、目の前で熱烈な告白を受けたカラ松としてはたまったものじゃない。
しんきくさい顔つきもぼそぼそとした声もまるで好みじゃない。でも、まあ、そう。世界はラブアンドピース、愛には愛で返したい。つまりは大変にぐっときてしまった。だってカラ松だけを見分けているのだ、この男の目は。

「あー、その、ええと……班長さん、これは上司命令とか取引先の接待とかじゃなくて、なんだが」

ハラスメント扱いされるわけにはいけないから誘いの言葉はひどく不器用なものになってしまった。
けれどカラ松としては精一杯気を利かせたのだ。自社の上層部である恐ろしいマフィアからの誘い、と思われてしまっては困る。権力をつかうならこんな陰気な男を誘わない。もっとこう、ラグジュアリーでグラマラスなカラ松ガールズとセクシーアンドキューティーな夜を過ごしたい。
だからこれはあくまで個人的な、なぜかカラ松だけを見分けている男への興味だ。

「今度飲みにでも行かないか。キミが休みの前日にでも」
「なら今日っすね」
「えっ、さっき納期がきつくて休めないって」
「十七連勤でまだ働かせるつもりなんすかあんた最低だな。適度な休みは必要でしょ、いくらここがブラック工場でも」

真顔で言いきられてはそうだなと肯くしかない。確かに十七連勤の後は休むべきだ。だがしかし、そこで酒を飲みになんか行っていいものだろうか。まっすぐ家に帰って寝るべきじゃないのか。

「で、店は決めてるんすか。まだならからあげが美味いって評判の店のクーポンが偶然あるんですけど」
「いや、まだだが……班長さんはからあげが好きなのか?」
「あんたからあげ食ってる時いちばんしまりのないかわいい顔するからおもしろいし」

やっぱり寝るべきだろうこの男は。
カラ松のことをかわいいかわいいと、どう考えてもおかしなフィルターが目にかかっている。こういう手口の悪い男、と思うには不器用がすぎるから自覚がないだけなのだ。おそらくは。
かわいくてキラキラしている、とか。同じ顔なのにカラ松だけ特別、とか。

「あ、そういやフィルター交換」
「しなくていい」

そんな風に見られたことはない。

「え、効き悪いって言ってなかったすか」
「ああ、うん、いや」
「ちゃんと考えてくださいよ、あんたが一番居る部屋でしょ」

ぴたり、とピースがあってしまった。いけない。
空調がどうこうは応接室、水の出の問題は応接室から一番近いトイレ、ことあるごとに話しかけてきて報告だなんだとカラ松の傍に来て。ここで食事をとったのはほんの数回だ。そりゃからあげが一番好きだから少しは顔がゆるんだかもしれないが、でもだからといって。

「……フィルターはつけたままで、もう少しいてくれ」
「? ついてるもんでしょ、普通は」

カラ松がこの感情を飲み込むか、班長が自覚するまで。それまでは、そのトンチンカンな恋のフィルターはつけたままで。どうか。