恋の歌をきかせて - 2/4

「今日も来てるよ」

控室で鏡をのぞき込んでいるカラ松にかけられた声に、胸がはずんだ。
常連客はそれなり。ステージの上のカラ松に声援を送ってくれるボーイズはそれこそ山ほど。魅惑の歌声にカラ松ボーイズとなってしまう彼らのことを、けれどチョロ美はわざわざ言及したりしない。声より金を落とせよ支えるんだよ応援ってそういうことなんだよわかってないよなこれだから素人は。帳簿をつけながらしょっちゅうぶつぶつ呟いているが、残念ながらその点に関してカラ松が力に慣れることはない。色男金はなし、というやつなのだ。ソーリー。

「そ、そうか……いや、違うぞ! 別に班長だけを特別扱いしているわけじゃなくてな」
「ハイハイハイ聞き飽きたって。正体ばれてないか心配だから気にしてるだけなんでしょ」
「そうだ、わかってくれてるならいいんだが」

今日もパーフェクトにビューティフルなことにかわりはないが、一応もう一度鏡に目を落とす。あ、マスカラが少し目じりについている。いけない。綿棒でちょいちょいと拭いながら、カラ松はにっこり鏡の中の己に微笑んだ。んんんマーベラス。
仕事に必要といえ当初はこの格好をすることに抵抗があったが、それも遠い昔。今ではこの罪深いファムファタルにうっとりすることあれど、嫌悪するようなことはまるでない。女装であってもパーフェクトな己にうっとりする以外どうしろというのか。なんせ今のカラ松は、出会う者皆魅了する美しき女神だ。それは彼であっても同様に。
客席からは見えぬようちらりとカウンターに目をやれば、隅で一人、ひっそりと食事をとっている横顔。あれは今日のオススメのカラアゲのせオムライスだ。カラ松も好きなメニューに少々浮かれる。
さほど高級ではないがそれなりに新しいジャケット。少々くたびれたパンツと靴。サンダルではなく革靴だから、きっと一度家に着替えに戻ったんだろう。別にここは気取った店ではない。さすがにサンダルの客はいないがスニーカーならいるし、ジャケット必須でもない。それなのにきちんと着替え、はき慣れぬ靴を選びさほど着ていないジャケットに腕を通す。
そういうところだ。
松野班長の、そういうところがカラ松の胸をいつも妙にきしませる。

「よし、今日のオレもいかしてるぜぇ」
「ラメ男ちゃん、言葉」
「あっと、ごめんなさいねチョロ美」

パチンとウインクを飛ばせば真っ青なつけまつげがバサリと鳴る。肩をすくめながら舞台に出ていく緑色のドレスを見送りながら、カラ松はもう一度ウインクする。今度は鏡に向かって。
美しい。我ながら惚れぼれする。化粧とはなんてすごいんだろう。常のカラ松ももちろんいかしたクールガイだが、青い髪に華やかな化粧をほどこしドレスに身を包んだ己はまた違う美しさだ。ファビュラス。これなら班長が気づかないのも無理はない。
そう。なんということでしょう。夜な夜なこの店に通いラメ男のショーを楽しみにしてくれている班長は、昼間に顔を合わせている取引先の男とこの着飾った姿を同一人物だと認識していないのだ。
もちろんカラ松がそう確信したのには理由がある。さすがに根拠もなく他人を信じるような初心さは持っていない。
初めて客席に松野班長の姿を見つけた時には目を疑った。え、おまえこういう店にくるようなタイプだったのか? というかこっちものすごい見てるけど気づいた? 気づいちゃったかやっぱり。そうだな、どれほど衣装が過激だろうが化粧が派手だろうが、常のカラ松を見知っている者からすればわからないわけない変装だろう。チョロ美やバブエほど変身していては気づかないだろうが、なんせカラ松は常から身ぎれいにしているから差が少ない。
絶対に気づかれている、なんせ嫌味で根暗な男だから弱味を握ったとばかりににやにや言ってくるんだろう。他人のプライバシーをあげつらうもんじゃないと正論を告げても、なんせ性根の腐った男だから気にもせずカラ松にひどいことを言うに違いない。
今日か、いやもっと人の多いところでか。覚悟を決め反論も考え、毅然とした態度でやりすごすつもりではあったけれどからかわれたいわけではない。だからといってこの姿は仕事のためでありけしてカラ松の趣味じゃないと言っても通じないだろうし、そもそも仕事だと外部の人間に告げてはいけない。情報流出などカラ松の首が飛んでしまう。
まあ、どれほど口にしても女装してバーで接客するのがマフィアの仕事とは信じてもらえないかもしれないが。
カラ松だってファミリーに所属する前は、抗争だの銃撃戦だのが仕事でありそれ以外なんて想像もしたことがなかった。実際は、そんな派手なことはめったにおきない。現に今カラ松が取り組んでいるのは、ファミリーの内部情報を流しやがったバカの趣味がオカマバーめぐりだと言うから網を張る、だ。しかも人海戦術のため、このバーにはカラ松が、他の店にはまた違う者が潜入している。どの店にも一人は女装姿のマフィアがいる。言葉にしてみるとちょっとおもしろいなそれ。単なる事実なので実際は笑いどころの欠片もないが。

まだ言わない。
今日もなにも言わない。
もしかして気づかれたと思ったのが勘違いで、カラ松とラメ男がまさか同一人物とは考えていないのだろうか。
いや、カラ松が気を抜くのを待っているのかもしれない。ばれていなかったのだと油断したところに秘密を叩きこむつもりなのかもしれない。そこまで恨まれるなにをカラ松がしたというのか、と嘆いてみても仕方ない。考えてみれば確かに恨まれる。なんせカラ松はマフィアだ。彼の職場をしめあげ、世間一般にはけして口外できないようなものを作らせている。ばれれば一蓮托生、どころかこちらとしては切り捨てて逃げる気満々の、トカゲのしっぽ部分。これは嫌われ喧嘩を売られるのは当然だ。
しかしそれにしても気が長い。やはり気づかなかったのでは、と楽観的になるカラ松を慎重派なカラ松が諌める。気づいてないなら店に通い詰めるのはおかしいだろう、これは気づいているぞ覚悟しておけアピールでは?
店に通う班長に少しアピールしてみる。返る反応は単なる客のものだ。工場の班長に近づいてみる。未だに、あんたオカマなんすか、と笑われていない。
わからない。どちらだ。気になるから松野班長を観察し、首をかしげ、また観察し。そうして見ている間に気づいたことがある。
松野班長の機嫌が悪くカラ松に嫌味ったらしかったり喧嘩を売るのは、目の下の隈が常よりなおひどくひげもろくに剃らずよろよろしている時だ。ぼろ雑巾のくせによくもまあそんな気力があるな、と思っていたが逆。業務が忙しすぎて包むオブラートが破れてしまっているのだ。そしてその忙しさの原因はこちらである。なるほど、納得。確かに少々つんけんしたくもなるだろう。されるカラ松としてはたまったものではないが、理由がわかれば仕方ないなと諦めてやれる。
そしてそれ以外の班長は、そこまで嫌な男ではなかった。目つきが悪いのも抑揚のないぼそぼそとした話し方も、カラ松に喧嘩を売っているわけではなく単に忙しくしんどいから。理解できればカラ松とて鬼ではない、少しくらい思いやってやれる。こちらが少し譲れば目をぱちぱちさせ意外そうに頭を下げるのはなかなか楽しい。

このあたりで、カラ松から班長への疑惑はかなり薄まっていた。
だって同一人物だと知っていて、どうして店に通うだろう。他の者目当てと言うには班長はラメ男のショーの時間ばかり選んで来たし、誰かを隣に座らせることもなかった。お互いの関係が改善されてきた今ならまだしも、いがみ合っている男の歌など誰が好き好んで聞きたいだろう。カラ松なら嫌だ。ショーが楽しいならその相手だけ出ない時を狙って通う。
だからおそらく、彼の眼には別人に見えている。カラ松の希望的観測では。

 

◆◆◆

 

別人だと思っていると確信を持ったのは、班長がラメ男をかばった時だ。
元々が男の従業員ばかりだからか、性質の悪い酔い方をする客はたまにいる。ただ話題になっているから、物珍しいからと足を運び酒の勢いでひどい絡み方をする男に当たったのは、単にカラ松の運が悪かった。
無理やり肩を組まれステージからひっぱり降ろされる。髪はカツラか胸をふくらませないのはなぜかと絡んでくる程度ならなんてことはない。ただ、常通りはいはいといなし舞台袖から出てきたチョロ美と視線で相談していたら、勝手に切れて叫び出したのにはまいった。酒席のあれこれを知らぬわけではないが、得意でもない。力任せに店の外に放り出すことはできるが、それで店に迷惑をかけるのも心苦しい。一体どうしてくれようか。

「あのっ」

カラ松の肩に回っていた腕が消えた。正確には、誰かが持ちあげた。

「その、まだショーのと、途中ですしっ、あの」

背中。少し丸まり細く筋肉もたいしてない。震える声音。カラ松の目の前に突然入りこんだそれらは、とんでもなく頼りなく震えていて、どうしようもなく男らしかった。

「きゃー! 見て見てチョロ美っ、ラメ男ボーイズ! ナイト様よぉっ。サイコーにいかしたナイト様が守ってくれたの、すっごくうれしい感激ーーー!!!」

カラ松と酔っ払いの間に割り込んだ肩を抱きしめ大声で叫ぶ。ぽかんと口を開いた酔っ払いを押し退けそそくさとステージ上に戻る。目の前の背中も一緒にひっぱりあげれば、目をまんまるにして固まった松野班長は素直にカラ松の腕の中におさまった。どうなることかと見守っていたボーイズもカラ松が引いた筋道に乗ってくれるのだろう、とたんやんやと歓声が飛ぶ。
いつの間にかステージ下に来ていたバブエが絡んできた客の腕をとり、やったーいっぱい食べていいって太っ腹だね~と叫びながらソファに座らせた。OGORI OGORIの大合唱。楽しげなBGMを即座に流すチョロ美といい、やはりこの二人相当できる。許可がでたらファミリーに勧誘してみようか。
ただ一人、まるで状況をつかめていない班長だけが目を白黒させている。青白い頬、強張った肩、震えていた声。人と関わるのが得意ではないだろう、ましてやこんな風に飛び出してくるなどこれまでの彼の人生にあったのだろうか。少し観察しただけでわかる小心で目立つことの嫌いな男が、それなのにこうしてカラ松をかばった。どう見てもこちらの方が強く、場慣れしていることはこの場にいる者全員理解できる。ステージの下、近くにいた客達は誰も腰をあげなかったのに、最も遠いカウンターの彼だけが。

「ありがとう。もう少しだけつきあってくれ」

ひっそり告げた言葉の真意は通じているだろうか。それ以前に耳に入っていないかもしれない。工場では班長として前に出て指示することも多かろうに、なかなか不器用な人種だ。
しかしこのまま客席にいてもらってはいらぬ火種になる。肩を抱きあちこちにナイトだときゃあきゃあ笑いかけ、歌いながら舞台袖に連れ込む頃には班長の足もなんとか動くようになっていた。

「本当に助かった! ありがとう、あのままじゃステージをめちゃくちゃにしてしまっていたから」
「は、いえ」
「お礼と言ってはなんだがなにか希望はあるか? 遠慮せず言ってほしい」
「や、そんなつもりじゃ、えっと、なくて」
「あっ、食券とかどうだろう」
「え、ここ食券とか売ってるんすか」

後腐れなく受け取ってもらえる消え物なら、と工場の食堂の食券を提案してみたカラ松に返ってきたのはきょとんとした顔と予想外の言葉。いやどれほど場末のものに見えてもここはバーであるし。クーポンならまだしも食券はさすがに。
笑い飛ばしかけたカラ松の視界に入ってきたのは青い爪。
カラ松は塗らない、これはラメ男の。そうだ、ここはオカマバーでショーに出ていたのはラメ男。女装した姿のまま。
助けてもらったのはカラ松ではない。ラメ男だ。

「っ、あ、違って、あの」

一気に顔に熱がこもるのがわかった。化粧が隠してくれているだろうか、今、きっと真っ赤になっている。
同一人物だとばれているのかどうなんだ。こんな風に助けてくれたし二人きりなのに正体を知っていると言いもしない、やっぱり気づいていないんじゃないか。班長は純粋にこの店に通って、ラメ男を気に入っているから。
いやいやいや気に入ってるってなんだ。オレだ。違うラメ男だ。けどそれは女装したオレで、いやその前に班長がラメ男目当てで通ってるってのもどうかって話で、でもいつだってショーの時間にあわせるように来てはラメ男の歌を聞いて帰っている。今だって別にかばわなくてもよかった、この職業の人間なら軽くあしらえるだろう絡まれ方にまるでこちらを守るみたいに割って入って。

「……あの、おれ帰ります」
「え、だってお礼」
「いや本当、マジでいいんで。そういうつもりじゃなくて」

常に青白い松野班長の耳が赤い。あいかわらず隈はひどいけれどひげはきれいに剃られている。きょときょととあちこちに飛ぶ視線、あからさまに落ち着かないと主張する指先。出来心だ。目の前で自分よりおたついている人間がいたから、つい。カラ松の手の平で指先を包み込んでみたのに、他に理由などない。

「っう、え、へぁ」
「じゃあ次から十回分、食事を無料にする! 店には話を通しておくから安心してたくさん食べてくれ」
「だ、からそんな」
「じゃあ五回! これ以上は譲歩しないからな」
「でも」

じわじわと熱を持つ指先。真っ赤な頬。カラ松と視線はあわさぬくせにこちらのことを全身で意識して。
惚れられている。
これは惚れられてしまっている。確定だろう。これで違う方がいっそ驚く。カラ松ガールズはシャイな子ばかりだったのでこんなにも全身全霊で好意を表されることはなかったが、経験がなくともこれはわかる。目の前の男は、絶対にカラ松のことが、いやラメ男に惚れているのだ。

「それとも歌のリクエストでも聞こうか? よかったら言ってみてくれ」
「っ、え、ぁ」
「ねえナイト様、あたしの歌を聞きに来てよ。五回だけでいいから」

しなだれかかってみればとたん固まった男は、お願いと囁けばぶんぶん首を縦に動かした。
なんだ、ばれたのではなかった。おまえの秘密を知っているぞ、と通っていたわけではなくカラ松とはまるで無関係に彼はこの店に足を運んでいたのだ。
安堵の息と共に吐き出したのは少々の憐憫。
だってこのラメ男は幻。カラ松は女装を趣味としているわけではないし、ターゲットを捕獲すればこの店にいる必要もない。せめてチョロ美かバブエに惚れれば希望もあったろうに、なんともせつない話じゃないか。
悪いやつじゃない、どころかいいやつなんだろう。こうして身を呈して他人をかばうなんてそうそう見ない。最近はカラ松に対してもさほど攻撃的でなくなったし、少し話してみれば人相が悪いだけの善良な男だということくらいはわかる。そうだ。こうして惚れた相手を目の前にしてしどろもどろになるような。
ここでばらしてしまうことは簡単だった。班長気づかなかったか、実はオレとは顔見知りなんだ。そう笑ってカツラをとれば、さっさとこの熱病のような感情に水をぶっかけてやれば。そうしていたなら傷は浅くすんだ。そちらの方がずっと親切だろう。火が点いたばかりなら消してもちょっとした火傷ですむ。本当に彼のことを考えるならそうしてやるべきだった。だって応えられないことだけは確実なのだ。
今ならそう思う。けれどあの時のカラ松は違う道を選んだ。
きれいな夢をぎりぎりまで楽しませてやればいい。恋などしょせんいつかは消える、だから班長の目にとびっきりのラメ男を映してやったらいい。恋は返せないけれど好意ならいくらでも。いつも声援を送ってくれるボーイズにするように、ファビュラスでミステリアスなファムファタルでいよう。

「約束。ね、ナイト様約束」

小指を強引にひっぱりだし絡ませる。ゆーびきーりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます。歌い終わっても固まったままの班長に、戻ってきたチョロ美が顔をしかめる。確かにステージを盛り上げなおし戻ればまだ部外者がいる、と苦い顔になるのはわかるが許してほしい。なかなか繊細なんだ、このボーイは。

「……じゃ、じゃああの、明日」
「んん~?」
「明日、またきますっ」

どたんばたんと結局ステージを横切って走り去ってしまったが、きっとバブエがうまく納めてくれるだろう。彼を舞台袖にひっぱりこんだのは裏口から帰す予定だったからだが、まあ本人がいいなら気にすることでもない。

「で?」
「あ、五回分食事をタダにすることで話はついたぜ」
「オッケー。あんたの給料から引いとくね」
「oh……こういうのは店としてのトラブル費扱いじゃないのか」
「そんな予算あるわけないでしょ」

十回にしなくて良かった。胸をなでおろすカラ松にかけられたのは予想外の声。

「そういやいいことあったの? なんかすごくうれしそうだけど」

うれしそう?

「チョロ美が店から食事代を出してくれたらもっとハッピーになるぜ~?」
「それ以上頭をハッピーにしなくてもいいんだよ」

そっと指先をすべらせた口角は、確かに上を向いていた。
まあそりゃ好意を抱かれるのはうれしい。それもあんなふうに真摯に。ピュアな感情にふれて、心が浮き立つのは当然のことだ。
それに正体がばれていたのではないとわかったのもよかった。対処法は考えていたといえ、ずっと警戒して過ごすのは疲れてしまう。うん、そうそう、そうだな。カラ松がうれしそうに見えるならきっとそれが理由で。
だから、明日から工場に行くのが楽しみになったのも同じ理由だ。

 

◆◆◆

 

了解、と携帯電話を切りカラ松は立ちすくんだ。
どうしよう。いやどうしようもなにもない、仕事が終わったのだ、良かったじゃないか。
ぐらりぐらりと揺れる脳みそに糖分が必要な気がして、自動販売機に指を伸ばす。今必要なのはおそらく無糖ではなく加糖だ。いやいっそココアとかおしるこの方がいいのかもしれない。コーヒーの苦みではこの混乱を収めることは難しいのではないか。

「珍しいっすね」
「っ、班長」
「疲れてんすか、そんな甘いの」
「え、甘……甘酒!?」
「ちょ、なんでそんなびっくり……自分で買ったんでしょ」

手の中の缶の見慣れなさに目を見開けば、ひひ、と余計に笑われる。甘いものを求めていたが、さすがに甘酒を買うつもりではなかった。それほどまでにぼんやりしていた理由が目の前にいきなり現れたのだから、少し驚くくらい許してほしい。
先程、カラ松の関わっている仕事のひとつが終了した。
ターゲットが捕獲されたので、もうバーに潜入する必要はない。女装もなかなか大変だったよね酒が飲めるのは良かったけどお疲れお疲れ~。電話から聞こえる同僚の軽い声と共にもたらされたのは、ラメ男の消失だ。
潜入捜査が終わったのだから、ラメ男も消える。当然だ。円満に辞め、できればチョロ美とバブエをファミリーに勧誘できたらなと以前から考えていたのだからそうすればいい。マフィアに再就職は断られたとしても、金にはがめついが気のいい二人は、さして理由も問わず送りだしてくれるだろう。雇ってくれた時と同様に。
ずっと、そう思っていた。その予定だった。

「……班長さん、そういえば以前に話してくれた、ほら、フードが美味しいと言っていたバーの」
「っうえ、なに、なんすか」
「まだ通っているのか?」

昨日も店に来ていたことを知っていて問いかければ、帽子を目深にかぶりなおしそっすねとぶっきらぼうに返答をよこす。
無料の五回はとっくに終わった。ナイト様、には店で目が合ったときにラメ男が手を振る程度だ。隣に座って話そうとすれば、トイレから出てこなくなってしまいチョロ美からたいそう叱られた。たった一つしかないトイレを独占されればまあ怒るのも仕方ない。

カラ松としては、数回食事に行った。
彼を誤解していた詫びの気持ちで一度誘い、職場の人間関係をよくすれば生産性が上がると聞きまた誘い。安い居酒屋に腰を落ち着けテバサキをほおばる班長は常より肩の力が抜けていて、水を向ければそれなりに話す。少々の不満や改善点に出来る範囲で手を出せば、やりやすくなったと感謝の言葉。確かに生産性もアップし、風通しのよい職場とはこういうことかと膝を打ったものだ。
そして酒の入った班長の口は、少々すべりやすくなる。
ほろりほろりと零れるのはバーの歌姫の話題。青い髪がライトに映えてキラキラして、うっとりする低音と楽しげに歌う姿をずっと見ていたくて。
微笑ましいなあと思っていた。
それが自分だからというわけではなく、ただただ好きな人を思う班長のいじらしさを。姿を見て、歌を聞いて、なるべく長くあの人が歌えればいいと願われて。なんてきれいな感情だろう。自分のものにしたい、こちらを向いてほしいなんて欲ではない純粋な好意。少年の初恋のようなそれを、カラ松は大切にしてやりたかったのだ。
ラメ男は幻、永遠に歌い続ける人形ではない。それはわかっていて、それでも自分のせいで消えてしまうのは心苦しい。

「……あ、あんまり頻繁に行ったら、その、引かれたり、しますかね」
「いや!? うれしいだろう! うれしい! 大丈夫、オレなら絶対うれしいから!!」
「あっそ……いや、うん」

潜入捜査は終了。ラメ男でいる必要はない。だけど、なあ、こんな状態の友人を前にいったいどうしろと言うんだ。カラ松は傷つく班長を見たいわけではない。
なぜ最初にばらさなかった。仕事だと言えば、いや趣味であったとしても笑うような人間じゃないというのに。
そう、カラ松は本心から困っていた。どうしていいかわからない。これがたんなる仕事先の一従業員に惚れられていた程度なら、運が悪かったなボーイ今度はキューピッドにもっといい縁を願いなとでも慰め終わりにするのに。けれど松野班長は、できれば傷ついてほしくない。悲しんだり、泣いたりせずなるべく笑って健康な生活を送ってほしい。情がわいたというか、まあ、話していて楽しいし一緒に飲みに行くのも悪くない。味の好みも似ているしさほど酒に強くない同士無茶をしないでいられる。共に過ごして心地よい相手とはそうそう出会えるものじゃない、くらいはカラ松とて知っているから。
だから。だけど。
このままでは百%、カラ松のせいで班長は失恋する。いや失恋の前に、いきなり好きな相手が失踪するのか。これ確実に心に傷がつくタイプだろう。せめて円満に振られれば日にち薬も効くだろうが、唐突に姿を消したなんて絶対に心に残ってしまうじゃないか。
カラ松は班長のことを気に入っている。だからこそ、ラメ男なんて幻の存在に夢中になって傷つかないでほしい。

「その……オレが口を出すのはおかしいんだが、こう、経験者の金言というかアドバイスというか、あー……あまり夜の店の人間を信じすぎない方が」
「ラメ男さんは大丈夫っす」
「お、おぉ……そうか」

きっぱり言い切られてしまっては次どうつなげればいいのだ。もちろんカラ松だって班長を騙すつもりはない。大丈夫、そう言われてうれしくないと言えば嘘になるが、今はもう少し冷静になってほしいのだ。ああ、さっき頻繁に通ったら引かれるって言っておけばよかった。本当にうれしいからって正直に告げてどうするのだ。班長から距離をとり頻度を下げてくれればいいのに。

「いや、ほら、夜の蝶のセールストークはすごいからな! ノルマとかもあるから」
「え、じゃあもっと通った方が」
「惜しい! 方向性が違うんだな松野班長~」
「もう少しくらいなら積めると思うんですよ正直」
「これ以上のめりこむなという注意なんだぞこれは」
「は」
「ん?」
「……それはおれの、ええと、心配とか……そういうので」
「改めて聞かれるとなんだが……まあその、そうだな」

言葉にされると妙に気恥かしい。マフィアなのにどうにもクールじゃなかった気がして、カラ松は言葉に詰まった。心配には違いない。ただそれは嬢につっこみすぎて借金等ではなく、いきなり消えたオカマに心をひっつかまれて廃人にならないかというものだが。こんなにもピュアな感情を見たのが初めてなので、いざという時班長がどれほど傷つくのかの予想がつかない。

「あー、おれもその、そろそろちゃんとしなきゃって思ってて。その」

やはりここはラメ男がとんでもない悪女であったという方向性で愛想をつかしてもらうしかないだろうか。
しかし悪女ってどうしたらいいんだ。金か。班長からしぼりとるような金、あるだろうか。ただでさえ雀の涙のような給金をバーにつっこんでいるのだ。貯金もあるかどうか怪しいのに、これ以上は死んでしまうのでは。
いやいや、そういう阿漕な事をしてこその悪女。愛想をつかすのだ。でも金をしぼりとるってどうしたら……貴金属でもねだるか。しかしカラ松が欲しいアクセサリーはラメ男は好まないだろう。家、なんて無茶。無難なところで食事とか。

「松野さん、今度、メシ行きませんか! おれの奢りで!!」
「あっ!? 奢り?? ああ、うん」
「しましたね!? 今うんって言いましたからね、約束したんで! じゃあ明日の夜八時に駅前で!!!」

休憩時間が終わりそうだったのか、走りながら時間を告げる班長にカラ松はとりあえず手を振った。あんな大声を出すなんて珍しい。きちんと休めているんだろうか、最近は。
そしてなぜか、奢りで食事に行くことになっていた。
これまで幾度も食事は一緒にしたが、たいていはカラ松の奢りでたまに割り勘である。金をせびろうと思っていたのはラメ男としてだが、なぜかカラ松の姿で奢られることになってしまった。いやまあそれは構わない。たまには奢られてばかりでなく御馳走しようと思ってくれたのはうれしい。
きっといつもの居酒屋だから大した金額ではないが、その心意気がうれしいじゃないか。仕事先の人間との半分仕事のような食事ではなく、まるで友人とのようで。しかし食事に行くのにわざわざ待ちあわせるなんて、まるでデートみたいだ。

「……いやいやいやいやいや、なんだ、なにを考えているんだオレは」

ラメ男の姿ならまだしも誘われたのはカラ松だ。
違う、ラメ男ならまだしもじゃない。男に誘われてデートとかなんだ。違うだろう。食事。これまで何度もした食事。そういえば松野班長から誘われるのは初めてだな、とかそんなのない。考えてない。誰から誘おうがデートとかそういうのはない。
ところで明日なにを着ていこう。