ラブレターではありません - 2/2

完璧なハッピーエンドだった。
一松の書く小説ならばこの幸せなシーンでおしまい、二人はずっと仲良く暮らしましためでたしめでたし、だ。

「……来てたの」
「先生お疲れ様です、一週間ぶりだな! 新作ですか!?」

温かい室内に洗濯物をたたむカラ松。ふわりと香る甘い匂いは柔軟剤だろうか。コーヒーでも淹れるな、といそいそ立ち上がるエプロン姿の恋人に一松は目頭が熱くなった。
これだ。こういうのを求めていたのだ。仕事に疲れた時に労ってくれる優しい恋人。いや別に疲れていなくてもそれはそれで、まあなんだ、ええと、うん。会えるならなんでもいいんですけどね実際のところ。

「……まだ案出しだよ。没になるかもね」

期待に満ちた視線からついと顔をそらせば、壁際に置かれたビジネスバッグが目に飛び込んでくる。やけにふくらみいびつなそれは、カラ松自身も忙しくしていたという証だ。

「没なんて! 先生の案を通さないのは残念ながら編集ボーイの目が節穴に違いないと思うんだが、……まあ雑誌のカラーというものもあるからな。しかしいくつもの試練をくぐり抜けるからこそあの素晴らしい作品達が生まれるんだと思えば読むのがいっそう楽しみだな!」
「……おまえほんと編集に向いてないね」
「えっ」

作家を甘やかすにも限度があるだろう。これが追従でなく本心からなのだからカラ松は怖い。なにを書いても受け入れてもらえる、なんてありえないことは一松自身が誰より知っているのに。こんなまっすぐな目で清らかな笑顔で言い切られてしまっては、下手な作品を世に送り出したりできないではないか。

「まあそれでいいんだけどさ」
「んん~? なんだかわからないが先生がオッケーならオレもオールオッケーだぜ」
「そっちも出張? 忙しくしてんだね」

着替えを無理やり詰め込むから鞄の形が崩れるのに、できるビジネスマンって感じだろぉとカラ松は一向に改めない。身だしなみに気を遣うわりに、タンクトップにネクタイを結んでみたりスパンコールでぎらぎら光る靴を履いたりと独自路線が強すぎるせいで女性社員からの評判はいまいちらしい。聞いてもいないのに会社でのカラ松情報を流してくるおそ松は、おまえから言ってやったらカラ松だって改めるんじゃないのと寝言を口走っていた。なぜ改めさせなくてはいけないのだ。一松が贈ったネクタイをしたいがためにタンクトップでも気にせずつけるとか、最高にかわいいではないか。恋人冥利に尽きるというものだ。

「そうなんだ! 実は今度、関西の方でも先生の特集をくんでもらえるかもしれなくてな」

ぱっと顔を輝かせるカラ松は問答無用でかわいい。
オレは編集として先生の役には立てないからせめて営業でがんばるぜ、なんて健気なことを言ってくれたのはつい先日のことだ。一松としては恋人として隣にいてくれれば、そしてできればそのうち、まあ、奥さん的なポジションに座ってくれると大変にありがたいなと思ってみたりなどしたり。うん。まだ言えてないけれど。でも婚約者みたいなものだし。
一松の小説を好きだと言い、背を押し、応援しつづけてくれたカラ松にバラの花束と共に本を捧げたのは半年前のことだ。カラ松をモデルにした主役と一松を摸した猫をカップルにし、ハッピーエンドに収めたのは未だによくやったと自分を褒めたい。

「それでな先生」

あの日から一松とカラ松は恋人になった。少なくとも一松はそう認識しているし、目が合えば頬を赤らめうれしそうに笑うカラ松だってそうに違いない。だってこんな反応以前はしなかった。

「で、そこの店員ガールが言うには……先生?」
「……せんせい?」
「うん? あ、すまない疲れてるんだな。じゃあオレも今日はこれで」

確かに疲れているけれどくみ取ってほしいのはそこじゃない。恋人なんだから名前で呼んでほしいとか、まだ帰らないでほしいとか、おまえの顔を見てるだけで癒されるんだとか。とかとかとか。そういうあれやこれを、もうつきあいも長いんだからそろそろ理解してくれているだろうに。一松の書いた小説をあれだけ読み取ってくれるのだから。それでも気づかぬ顔をして帰ると言うなら、つまりカラ松もまた疲れているということなんだろう。出張帰り、自宅にも寄らず来てくれたのだ。顔を見られただけで良しとしなければいけないのかもしれない。

「うん、それじゃ」
「次作の案が通ったら教えてくれ! 腕によりをかけてごちそう作るから、お祝いをしよう」

案が通るまでは来てくれないの、とか。泊まってうちから出社すれば、とか。情けない言葉をすべてのみこんで一松はなんとか口角を上げる。笑え笑え。ごちそう作るとかお祝いとか、ちゃんとうれしいことをカラ松はたくさん並べてくれている。通常、職場が違う恋人同士なら週末くらいしか会えないのだ。遠距離ならもっと。それなのに一松とカラ松は、少なくとも週に二回、修羅場になれば毎日通ってきてくれているじゃないか。今回は珍しく顔を見せなかったが、それでも一週間。たったの七日を久しぶりと言う程に、自分達は会っているのだ。

「じゃあからあげ以外にしてよ」
「ホワイ!? なぜだ先生、ジューシーにして肉汁あふれるバードからの贈り物になにか恨みでも……もしや腹をくだしたのか!?」
「鶏は贈り物になるつもりさらさらなかったと思うけどね……いやいいけど、なんだかんだいつもからあげじゃん。あと腹は問題ないから」
「そうか? それくらいお祝いをしているということかもしれないな」

ごちそうといえばからあげだからな、と屈託なく笑う顔に一松は白旗を上げる。そう、お祝いをしょっちゅうしてくれてるんだ……そうだね、おまえなにかっつってすーぐ先生よかったなおめでとうってからあげを。へえ。お祝いって言わない時も実は祝ってくれてたとか、そういう……うん、そう……は~、もう。

「……バッカだな心底」

かわいい。バカみたいにかわいい。おかしい。なんだこれ、この目の前の男はどういうつもりだ。一松の心臓をこんなにも締めつけ傷めつけていったいどうしたいのだ。誰か助けてくれ。嘘。いやだこのまま放っておいて。一松とカラ松だけを置き去りにして世界が進んでいってほしい。

「先生はよくわからないことを悩みすぎて腹が痛くなるんじゃないか? からあげが食べたくないなんて重症だぞ」
「腹は大丈夫だってだから。せめて手羽先もつけてよ」
「まかせてくれ!!!」

もういい。わかった。そっちがその気ならこっちだって腹をくくる。
いびつな鞄を抱えて去る後ろ姿を見送りながら、一松は脳内でいくつもの案をぐるぐると検討しだす。もちろん次回作の案などではない。あれはもう出したのだから、却下されない限り書き始めるまでは忘れてしまおう。というかお祝いを早急に開催するためにも没なんかにされている場合ではない。早く通してカラ松に再度ここへきてもらうのだ。
ひとつひとつ逃げ道をつぶして、まっすぐゴールにしか辿り着かないようにして。他の道なんてなかったように。雑誌連載でちまちまと牽制し遠まわしなアピールを繰り返し、年単位で囲い込んで恋人の座を勝ち取ったのだ。次のステップに進むのだってきっとそうしなければいけないのだ。ゲームだってそうだろう。イベントは進むごとにクリアが難しくなるし手間も時間もかかる。レアアイテムが必要な場合もある。問題ない。一松はそういうことがなんせ得意な方なので。
目標は結婚を前提にした同棲開始である。

 

◆◆◆

 

まずはソファである。なにをおいても必要なものといえばソファだ。仮眠に使えるような、大きくてスプリングのきいたしっかりしたソファ。
使うのは一松ではない。一松は基本的に布団が好きだ。どれほど転がっても落ちることはないし、枕元と言わず周囲にぐるりと読みかけの本やゲームを置いておける。引っ越す時も移動が楽であるし、たまに日光に当てようなどと思いついた時も簡単。仮眠であってもソファに転がるより布団にダイブしたい、そういう男である。
ただ今回ばかりはソファが必要なのだ。

恋人になって半年、カラ松との仲は一切進展していない。足げしく家に通い家事をし目が合えばうれしげに笑い頬を染めるカラ松であるが、恋人としての空気にだけまるでならないのだ。おそらく業務として一松の家に通いすぎたことが原因だろう。アシスタントという名目で自宅に招いていたため、仕事として家事をしているという印象が強すぎるのだ。目があえばひっそり笑うとかオフィスラブっぽくていいなあ、などとうっかり思ってしまうが、一松宅が常に職場だと認識されたままでは当たり前に先には進めない。先生、という呼び方はプライベートで名前で呼ぶようになってでもついうっかり、で出るのは大変に萌えるが常にではさみしい。
つまり早急に、この家にはプライベートで訪れている、と理解してほしいのだ。
一松とてこの半年、漫然と生きていたわけではない。まるで恋人としてのふれあいができないな、と疑問を抱いてからいくつも対策をたてたのだ。結果はでていないわけだが。
仕事としてやっていた家事を断る、のはオレを必要としていないのかと嘆かれたので却下。先生って呼ばれると仕事中っぽくてちょっと、という名前で呼んでアピールは仕事してるじゃないかという純粋なまなざしで消え去った。確かに書きものしてた。帰り際お別れのキスをと目論んだ時は顔が赤いし息も荒いと風邪を心配された。つらい。風呂にでも入れば仕事気分がリセットされるだろうと勧めれば、きちんとスーツを着込んで出てきて爽やかに帰って行った。

そもそも恋人としての空気とはなんだ。どうやってつくればいいのだ。なんとなく座る距離が近くて、手がぶつかって、お互い顔を赤くして見つめあって引き寄せられるように顔が近づいて? どさっと布団の上に押し倒して?? 気持ちが盛り上がってそのまま???
まず机を挟んで向かいに座っているのだ。まあそこはなんとか隣同士に座るとしよう、テレビが見にくいとかなんとか言って。で、距離が近づいてお互い視線があって顔が近づいてキス、とか。え、歯磨きはどのタイミングですれば? いやもちろん最初から舌をどうこうするようなキスをしたいなんて夢見てはいない。それでも口をひっつけるのだ。息とか臭かったらばれるだろうし、歯にネギとか挟まってたら一松は羞恥で死ねるし、ああそうだ鼻毛チェックとかもしておきたい。だけどそういうことを万全にしてからさあと隣に座って、はたして自然に恋人同士の空気とやらを出せるのか。
そこを何とかクリアしたとして、次に押し倒す場所である。布団を敷きっぱなしにしてその上で、と思いきや家事を担っているカラ松は布団を出しっぱなしにはしてくれない。大変好ましいがこの場合勘弁してほしい。畳の上でそのまま、とか痛いだろう。畳の跡がついたカラ松の肌、とか想像するとすこぶる色々がはかどるが、そういったことはもう少し上級者向けである。あとゴムとかローションとかそういう必要なものをどこに収納しておくかとか、悩みどころは多い。だって必要だろう。だけど途中でちょっとごめんねと取りに行ける関係なら、空気がどうこう言わずやろうぜと言ってセックスに持ち込めるはずだ。

その点ソファがあれば今までの問題点がさらりと片付く。
歯磨きした後でも隣同士で座ることに理由をつけなくていいし、片づけてないからいつでも押し倒せるし、サイドに収納のついているものを選べばゴムもローションも閉まっておける。手を伸ばせば届くのだから雰囲気を壊すこともない。
完璧だ。
本来ベッドであればもっとよかったのかもしれない。しかしながら一松宅にあるベッドは一松の仕事部屋兼寝室にあるシングルのもので、部屋といえばゲーム用のデスクトップと机でいっぱいいっぱいの巣のような場所だ。あそこにどう誘いこめというのか。それこそセックスしようぜと言わんばかりではないか。ワンルームであればこんな悩みはなかったかもしれないが、一松の城は寝室とリビングが別れているのだから仕方がない。そのおかげでトイレに行く際油断してうたたねするカラ松なんて激シコ案件を目撃したりできるので悪いことばかりではないが。
なにはともあれソファである。カラ松との仲が進展しないのも、この家を半分職場だと思っているのも、すべてはソファが解決してくれるのだ。おそらく。たぶん。きっと。
次にカラ松が訪れるまでには、と一松は見飽きるほど眺めたネット通販のサイトを再度のぞきこむ。あいつが好きそうで、大人二人がじたばたしても大丈夫で、スプリングがきいていて、肌触りもよくないといけない。革の方が好みだろうが直接触れるのは嫌だろう。まったく注文が多い恋人は困りものだな、とにんまり口元をゆがめる一松は輝かしい未来を疑いなどしなかった。

 

◆◆◆

 

「先生、はっきり言ってほしい。オレは先生みたいに頭がよくないんだ」

ほろりとカラ松がこぼした涙に頭が真っ白になる。
なんで。どうして。いったいなにが起こっているんだ。一松の告げた言葉で泣いて喜んでいるならまだしも、これはどう見ても悲しんでいる。カラ松が悲しむようなことを言ってしまったのか、一松は。

「え、あの」
「オレが来るのが迷惑ならそう言ってくれ。前はちゃんと言ってくれてたじゃないか」
「なに、え、あの」
「言ってくれたらちゃんとするから」

まったくわからない。カラ松はなにを求めているんだ。ちゃんとするってなんだ。一松がカラ松にしてほしいことなんて、願っていることなんて、毎日顔を見たいから一緒に暮らしませんか、だ。まだ言えていないけれど。
いつものように家に来て、ソファを見せた時は普通だった。クールだな、なんて目を輝かせていたはずだ。家事をしようとするから別にいいよと止めたのは、早く隣同士に座っていちゃつきたいがために雑用をすべて一松が片づけておいたからだ。新しいからと変に遠慮してソファじゃない場所に座らないよう、カラ松の分のコーヒーを置いた場所が近すぎただろうか。下心が見え透いていた? それでも泣くほどじゃないだろう。え、泣くほどイヤとか傷つくんですけど……まさかそんな。
お腹すいてた? いや今日は外で食べてきたはずだ。ごちそうは休みの日に改めて、と言ったけど実は面倒だった? 休みの日までおまえにメシ作りたくなんざねえよ! いやいやいや食事は正直めちゃくちゃありがたいし助かってるしカラ松の手作りと思うだけですべては光り輝くけれど、でもどうしても絶対に作らないといけないわけじゃなく。面倒なら自分が作るし。なんなら一緒に。ねえ。あの。
わからない。なにが悪かったのかわからないから、ただでさえ動きの悪い一松の口はもはや使い物にならない。

「ちゃんと、できる、から」

ぐずぐずと鼻をすすりあげる音とへあだのひぃだのという一松の声にならない呼吸音ばかりが響く。なにか。なにかうまいこと。いやうまくなくていいから、この状況を打開するようななにか言葉。カラ松が泣きやんでくれるようなそんな。
なにがダメだった。なんで泣いてるの。嫌われた。泣かれた。もうダメ。なんで。なにが。どうして。だっておまえが。おまえ。ぜんぶおまえのために。

「っ、わっかんねえよ!!! なに言ってんのかぜんっぜんさっぱりわかんねえ! 意味わかんねえ!!! なに、なんなの、いきなり泣いてなんのつもりだよそんなにおれが嫌かよ隣に座るのさえ泣くほど嫌とかそっちこそ言えよ!! わっかんねえよそんなのこっちだって!!! なんだよわかれよ! おれの本あれだけ理解してんじゃん!! すげえうれしい感想ばっかくれるじゃん!!! 読み込みすげえじゃん!!!! じゃあなんでおれがわかんねえのわかってくんないわけ!!!??」

肺の中の空気がすべて抜けた。一松の精神も同様に抜け落ちてしまいそう。なに。今のとんでもない開き直りなに。泣いてる恋人に言う台詞として最悪でしかない。わからないことをわかれ、ってどういうことだ。いやもちろんわからないけれど、説明してくれたらうれしいけど、でも泣いてる相手に言っていいことじゃないだろう。
絶対に嫌われた。
カラ松の目から涙と一緒に一松への好意までもが零れていくのを見たくなくて、ぎゅうと目をつぶる。謝って間に合うだろうか。本当はそんなこと思ってない、ひどいことを言ってごめん。でも本当かと問いなおされれば肯けないかもしれない。

「せ、んせい」

震える声。ああまだおれのこと先生って呼んでくれるの。それともこれは小説家と営業に戻りましょうという線引きだろうか。

「先生、オレうれしい……! オレの感想、喜んでもらえてたんだな!?」
「そこぉ!!!??」
「え!?」
「よりによってそこピックアップ!? 違うだろ、ざっけんなよクソ松てめえ、ここはおれのひどい発言責めたりがっかりしたって嘆いたりするシーンだろ! だっから編集向いてねえっつーんだよボケカスクソ松!!!」
「えぇ……なんで強気ぃ」
「強気にもなるっつーの!!!!!」

荒い呼吸を落ちつけようとソファに座りこめば、隣にもうひとつ体温。初めっからそうやって素直に座ってくれりゃよかったんですけどねえ。

「……で?」
「んん?」
「で!? バッカ今は場面転換じゃねえよおまえの告白からなんだよ。ほらなんで泣いたのかさっさと白状しろよ、ほら、聞いてやるから」
「先生今日は優しいな!」

冷めたコーヒーを差し出せばパッと顔を輝かせるとか、おまえなに、だからなんで。おれいつでもおまえにだけはめちゃくちゃ優しくしてるつもりなんですけどねえ!?
伝わってなさに肩を落とせば、カラ松は隣でぽつぽつと言葉をこぼし始める。

「……先生とおれは、ラバーじゃないか。本とバラの花を贈ってくれた時、本当にうれしかったんだぜ。おれのことをちゃんと見て、話を聞いて、覚えていてくれたんだって……ハッピーエンドがいいって言ったから幸せに終わらせてくれたんだろ、あの話。バラが好きだって言ってたの覚えててくれたんだろ。照れ屋な先生がめいっぱいがんばってくれたのがすごく伝わってきてな、おれ」

清水の舞台から飛び降りるつもりだった告白をうっとり語られ、一松は羞恥で死にそうだった。せめて尻を出させてくれ。

「おれ、物語の主人公になったみたいな気持ちだった。先生の書く話の登場人物。波乱万丈な冒険もいいし日常をゆっくり過ごす話もいい、どの作品にも先生の愛がつめこまれてるあのお話達の」

そんないいもんじゃない。一松はただの妄想を吐き出しているだけだ。こんな感想を抱くのはカラ松が愛に満ち溢れた男だからだろう。

「……だけどやっぱり、オレは違ったんだ」
「なんかわからないままなんだけどさ」

ため息も涙目もしょぼくれた態度も落とされた肩も、なにがどうなったのかはわからないけれど一松が原因らしい。そしてカラ松はそれでも隣にいる。それならいい。まだなんとかなる、する、しなけりゃいけないのだ。

「おまえが本の中の人物だと……お、おれが、困る、んです……けど」
「へ」
「その……おれは作者なわけでしょ、じゃあおまえが登場人物だとするとさ、あの……あ、会えない、し」

のどよがんばれ、あとでいくらでも砂をはいていいからなんとか今だけでも音を出せ。舌も今動かないならちょん切ってやる。なんとかカラ松をひきとめねば、なにかしら生じているらしい行き違いを正さねば、今度こそ隣の男はいなくなってしまう。なんのためにこっぱずかしいほど露骨なアピールをしたのだ。おれのだおれのだ手を出すなと作品で主張しまくったのだ。花束も、ソファも、家事だアシスタントだなんだかんだ、ぜんぶ。
カラ松に会いたいからだ。
清水の舞台どころじゃない、今度は東京タワーから飛び降りるつもりで告げた言葉はさらりと流されカラ松が差し出したのは新たなる爆弾。

「……でも先生、オレのこともういらないんじゃ」
「どこから出てきたわけその新説」

唱えたこともないんですけどね!!!!!

 

 

書いて書いて書いて消して書いて書いて。
一松の執筆スピードはさほど早くない。ただ集中するとひたすら書き続けるため早いと思われがちなだけだ。書く以外のことすべてを後回しにするから、アシスタントなんて名目でカラ松を呼びつけることができたのだ。
書いて書いて消して少し考えて書いて書いて書いて。
先生のお役にたてないオレはラバーとして失格なんじゃないかと思って。カラ松がどこからかひっさげてきた新説は、一松の心もまた同様に引き裂いた。

これまで書いてたんだから家事をするアシスタントは本来いらないんだ。だけど仕事が増えたから必要なんだって思っていた。編集だって先生は独自の世界観を大切にするからそんなに相談とかしないんだって、でも身近で見てると案の段階からちゃんと相談して一緒に作り上げてて。せめて営業で、と思っても先生の本はすばらしいからオレにできるのはきっかけくらいで、あとは自然と売れるし。サイン会なんかも負担なんだって、前のはすごく無理してくれたんだって。オレは人前に出てわあわあされるのうれしいけど先生は違うんだなって……先生とオレとじゃ感じ方が全然違うんだなって思って、そうしたら。
そうしたら、なんでオレ達ラバーになったのかなって。オレが好きなオレは先生の好きなオレじゃないかも、しれないし。でもアシスタントとして家に行けるくらいには好かれてるんだし、不安に思うことないんだけど。でも。

「っしゃ」

びっしり書き込まれ黒く見える原稿用紙をわしづかんで一松はドアにぶつかる勢いで仕事部屋を出た。リビングで居心地悪げにソファに座っていたカラ松が背をびくりと跳ねさせる。やっぱ似合うじゃねえかちくしょうクソ。

「読んで」
「え、せんせ」
「いいから読むんだよ!!!」
「ひぇっ」

バカだバカだと思っていたが目の前の男は正真正銘のバカだ。
そもそもサイン会なんて生涯やる気のなかった一松に決意させたのは、書くことの喜びを理解させたのは、背を押してくれたのは。奇妙な言い訳をつけて家に呼びつけ、手を出すなと牽制し、年単位で好意を伝え続けたのは。
本当にバカだ。一松も。
手に入ったと安心した。怖いならいつまでだって待とうと余裕ぶって、カラ松がなにを考えているかなんて気にもしなかった。告白であれだけがんばったんだからしばらくはいいだろうと手を抜いた。あまりにもカラ松が読み取ってくれるから、わかってくれているものだと思い込んでいた。
好きなんだ。大好きなんだ。ぜんぶなんだよ。

「……先生、これ」
「黙って最後まで読めば?」

伝わっていると安心して油断した。でもまさか、まるで伝わっていなかったなんて思いもしないじゃないか。あれだけ嬉しげにこの家に、一松の元に通ってきてくれていたというのに。

「先生……なあ、風呂勧めてくれた時って」
「そうだよ、下心満々でしたよ。書いてあるでしょそこに」
「こ、このソファ」
「おまえといちゃつきたくてだって書いてあるだろ!!!」
「だ、だって先生! そんなのひとことも」
「言ってねえよだから伝わってないって言われたらそーですかってなるだろ! じゃあ次の案行くだろ!!」
「案ってそんな、あの……恥ずかしい……」
「おっまえが地の文がないからわかんなかったって言ったんですけどぉおぉっぉぉ!!!!!」

一松が恥ずかしくないとでも思っているのか。正直今にも発火しそうだ。ここが買ったばかりのソファの上でなければとっくの昔に燃え上がるか脱糞している。目の前に頬を染めうろうろと視線を彷徨わせる恋人がいたらなおさら。

「さっき言ったよね!? 先生はなにも言わないからわからなかった、不安だったって。小説は地の文があるから理解できるけど現実は台詞だけだから理解しにくいっておまえが言ったよね!!?」
「ふ、ふぁい」
「だからおつきあい開始からのおれの心情をひたすら綴ってやったんですけどぉ!?」

家事をしてくれるからじゃない。便利に使えるからじゃない。
一松の作品を愛してくれる人はきっと他にもいる。毎回感想をくれるファンもほんの少しなら。次の作品も期待してますと言われることも。喧々諤々、小説についてやりあう相手もいるかもしれない。
カラ松はそのどれでもない。だけどぜんぶだ。なにもかもがひっついて、つながって、なにかが抜けおちればそのまますべてなくなってしまう。一松の世界のなにかだ。
それに名をつければとんでもなく陳腐な、だけどきっとおまえが大好きな。

「こんなの、まるでラブレターじゃないか」
「違うよ。これは手紙じゃないからね」

一松は口下手だ。自分では一世一代の告白だったカラ松へのものでさえ、本と花束を送りつけるものだった。口が仕事をしていない。そのためにカラ松との仲がこじれたと知っても、きっと先程のように言わなくていいことばかり吐き出してしまう。彼の望むような甘ったるい愛の言葉なんて言えない。
だけど。だから。
せめてできることだけはしよう。現実に地の文がないからわからないと言われるなら、一松の行動を書いてやる。地の文があれば理解してくれるんだろう。不安で泣いたりしないんだろう。

「おれがどうしたこうした、なんだから自伝だよ」
「自伝なんて……生涯を書くのか?」」
「そうだよ」

だってあんたが隣にいる限り書くんだし。つい執筆中のノリで口から飛び出た地の文を耳にしたカラ松は、一松の世界をぐちゃぐちゃに掻きまわす顔をして晴れやかに笑った。

「じゃあやっぱりオレにはラブレターだぜ! ……ところでこのソファすごく気に入ったからずっと居たいんだがどうしたらいいだろう、一松」

だからその顔を。その顔で。あああ。