◆ 42000summer ◆
日々楽しく夏を満喫しているサマー仮面ではあったが、ここのところ少々物足りなさを感じていた。
否、夏にではない。夏は完璧だ。このサマーが物足りないなど考えたこともないし、明日も明後日も昨日と同じく最高のサマーだ。そこに否やはない。
物足りなさは、黒いサンタクロースの姿をしている。
ブラックサンタ。そう名乗った青年は、サマー仮面の前に現れては危機を救ってくれた。海辺では巨大イカから助けてもらったし、つい先日はリトルギャング達と水鉄砲で遊び、なぜか胸元のペイントを塗りなおしてもらうことになったりもして。
彼と会うたび、サマー仮面の心臓は早鐘のように打つ。その理由はなんとなくつかめているが、まだちょっと納得はできない。したくない。だってそんな、乳首をいっぱい吸われたからとかそういうのはいけないと思うわけで。エッチなのはいけないと思います! いやいやもちろんそれだけじゃない。それだけじゃないんだって絶対に!
ぜえはあと深呼吸し、荒くなってしまった呼吸を整える。そうじゃないそうじゃない。確かにあんなに胸をちゅうちゅう吸われたのは初めてだし、舐めたり噛んだりなんてもっとそうだけど。思い出すとついぼんやりしてしまうくらい強烈な刺激で、自分で触ってみたのとまるで違うから今度また彼に……いやだから機会があったら試してみたいとかそういうことじゃない。違うんだ。落ち着けサマーボーイ、今元気になってしまってはいけない。わかるな? よーしいい子だ。
つまりその、最近ブラックサンタの姿を見ないことに落ち着かないのは事実だ。ただその理由が、好意由来のものかどうかは保留。うん、そういうことだ。だって気持ちよかったから好き! とかそんなのダメだろう。好きじゃなかったら乳首を触られても気持ちよくないだろうって? いやそれはわからないし……刺激は誰がどうやっても刺激だし、好意の有無は快感をプラスするかもしれないけれど、十気持ちいいのが十一気持ちいいになるという考え方もあるだろう。そしてサマー仮面には、あれが十気持ちいいなのか十一気持ちいいなのか判別がつかない。そもそも他人にあんなふうに触れられたのが初めてだから、好きだからあんなふうになってしまった、とも言い切れない。
だいいち彼は絵の具を拭きとる行為としてやっていたわけで、それを違う受け取り方するなんて失礼な話だ。エッチなことされたのまたしてほしい、みたいなのはだからダメ。というかもう一度してほしいとかじゃない。違うったら! ……めちゃくちゃ気持ちよかったのは確かなんだけどな、うん。
「あの~、サマー仮面さんですか?」
自分の中の自分、セルフマイ……マイセルフ……オレの中のマイセルフと対話をしていたところに声をかけられ、慌てて格好いいポーズをとる。サマー仮面たる者いついかなる時もサマーっぽい格好をなまけていてはいけない。
「実は私、冬に所属してます木枯らしといいまして」
薄手のコートと黒いタイツはまるでこの季節に似合っていない。暑いだろうと日陰に誘導するサマー仮面に語られたのは、このままでは冬が来ず困ってしまうという、つまりはクレームであった。
常ならとっくに秋が来ているはずの地が、未だ夏を満喫している。これまでとの違いは夏の申し子たるサマー仮面。これ以上夏が続けば様々な問題が起きるのでそろそろ夏を終わらせてほしい、なるほど。
「確かにオレは夏を満喫するパーソンを祝福し応援する男だが、秋や冬を阻止するようなパワーはないはずだが」
「こちらとしても、サマー仮面さんが意図して夏を終わらせないとは思ってません。ただ、あなたがあまりにも夏を満喫してらっしゃるので、夏が楽しくなってきちゃったみたいで」
「夏が」
楽しく、とは?
「昨今、暑いとか汗をかくとかでわりと文句を言われがちだったみたいなんですよね、夏。それをいうなら冬だって寒すぎるとかまだこないでいいとか早く春になってほしいとかさんざんなんですけど。いやこちらのことはいいです。まあそれで、純粋に夏を愛してるサマー仮面さんの存在がうれしすぎて、よっしおまえの願いをかなえてやろう! ってモードになってて」
「オレの願いは、皆がサマーを満喫すること……」
「そういうことなんですよ。そのために夏が終わらなくって」
全員が満喫しきるまで終わらないみたいです。うんざりといった声を隠さずため息をついた木枯らし嬢は、とっくの昔に夏を満喫しきったらしい。このままでは秋用に新調したコートが着られない、と不満顔だ。
「暦の上ならおかしくないから着てはみたんですけど、今日もまた真夏日じゃないですか。どう贔屓目に見ても我慢大会の参加者にしか見えなくて」
「なるほど」
とてもよく似合っているが、季節に合っていないと思ったのも事実なのでサマー仮面は大人しく肯いた。おしゃれは我慢、といっても限度があるものだ。わかる。
サマー仮面は夏が好きだ。だから皆も夏を楽しんでほしかった、満喫して満足して、ああ夏はいいなぁって。夏を満喫する人々を応援し、サマーポイントを渡し、夏を。
ブラックサンタとも、夏を。一緒に。
「お話が通じる方でよかったです。前任者からはさっぱり報告があがってこなくて」
秋や冬をなくしたいわけではないから夏を終わらせるよう努力する、という内容の書類に親指を押しつけるサマー仮面に、ホッとしたのか少し空気の緩んだ木枯らし嬢が唇をとがらせる。きりりとした顔もステキだが、安堵の表情もとてもかわいらしい。
「前任者? キミの他には誰も訪ねてこなかったと思うが」
夏を終わらせてくれと言われたのはこれが初めてだ。他に冬からの使者など。
「あ、やっぱりお会いになってないです? ブラックサンタ。全身真っ黒のサンタクロースの格好をしてるんですけど」
「ブラック……」
「もう! 報告書もろくに出してないからどうせサボってるんですよ。これだから指示だけ出して放置の社風は困るんですよね」
小鳥のさえずりのような高い声が紡ぐ名を、サマー仮面はなかなか飲みこむことができない。
ブラックサンタ。全身真っ黒。彼女はなんと言った? 冬からの使者、夏を終わらせてほしいと告げに来たメッセンジャー。そうか。なんだ、そうか。
何度も顔をあわせたのは。彼が自分をわざわざ探して訪ねてきたのは。
「……夏を、終わらせたかったのか……」
夏を満喫したかった。共に。
サマー仮面は彼と一緒に夏を満喫したかったのだ。
だけど彼はただ、早く冬にしたいと言いに来ていただけで。冬が来ないと困るから。だから早くと、そう伝えに来ていただけなのだ。
会いに来てくれていたわけじゃない。
「そうなんですよ! じゃあ、よろしくお願いしますね。ご協力感謝します!」
軽やかに去っていく木枯らし嬢の背を見送りながら、サマー仮面はどうすればいいのかわからず立ちつくす。
夏を終わらせるって、そもそもどうすればいい? 続けているという自覚さえなかった。今年の夏は長いな、とも思っていなかった。ただただ毎日楽しく過ごしていただけで、だから終わらせると言われても。
さんさんと降り注ぐ陽の光。熱気のせいかゆらゆら揺れる遠くのビル群。全体的に白く光って見える風景は、どうしてか常より色が褪せていた。もっと生命力に満ちているはずなのに。
「こんなとこでなにしてんの」
「!? ブラックサン、……キミか、自主練ボーイ」
「そうだけど、なに、おれだったら悪いわけ」
「すまない、声が似ていたからうっかり聞き間違ってしまって」
会いたいと願っていたからだろうか。この公園でしょっちゅう炎を出す練習をしている真面目な青年に、ブラックサンタと呼びかけてしまった。声は似てる人よくいるもんね、とフォローをしてくれる青年はとても優しい。間違われたというのに気を悪くすることなく、サマー仮面を気遣ってさえくれる。なぜかひどくどもっているが、どうしたのだろう。トイレでも我慢しているのだろうか。
「いや、間違えた方の声もキミの声も、その辺にあまりいないくらいのいい声だぞ。低くて色っぽくて、耳元で話されたりしたらぞくっとするような」
「うぇっ」
「ほら、この間いたずらボーイズに水鉄砲で囲まれただろう? あの時に思ったんだ」
女の子もイチコロだ。太鼓判を押してやれば、自主練ボーイはもにょもにょと何事か呟いた後、ずいっと距離を詰めてきた。
「こ、こんな声でイチコロとかないでしょ」
耳元というより肩先でぼそりと呟かれ、あまりのかわいさに吹きだしそうになる。いけない、ここで笑ってはせっかく勇気を出したのに。
「んん~? そんなことはないさボーイ、もう少し口を開いて、はっきり声に出すんだ。キミの声はとてもステキだ、自信を持ってくれ!」
「……あんたも」
「ん?」
「サマー仮面も、あの、……おれの声、悪くないと思う、わけ」
「オフコース! 今だってほら、ドキドキしてるぜぇ」
自信の持てない青少年の背を押してやる。それだけのつもりでサマー仮面は青年の手を取った。軽い気持ちでひょいと左胸に手の平をあてさせる。先程驚いたせいで少し早く動く鼓動を聞かせ、自信を持たせる。本当に、ただそれだけのつもりで。
少しかさついた手のひらと指先、ぺたりとひっつく体温。
胸元に押しつけるように当てられた手。不可抗力といえまるで揉むように動いた、たまに指先が皮膚をくすぐって。手の平が乳首を押しつぶしたり転がしたりして、刺激でつんと尖ればまた手の平が。彼の。
事故といえ初めての胸への刺激と、その後ブラックサンタにペイントを塗り直してもらったことまで一気に記憶が押し寄せてくる。記憶だけならまだしも、胸元の感触があの時の羞恥と快感まで細かく掘りかえしよみがえらせる。触れてもいないのにじわりと乳首が立ちあがった気がして、サマー仮面は慌てて青年の手を離した。
「どどどどうだ!? ドキドキしてただろう??」
「あっ? う、あ、うん! そーデスネ!?」
焦りがうつったのか、なぜか青年もひどく動揺している。まあいきなりこの完璧な肉体に触れるなんてこと驚いてしかるべきかもしれない。サマーを満喫するスタイルになるための努力を日々怠らないサマー仮面は、自慢の腹筋を見て心を落ちつけた。よしよし、今日もよきサマーを過ごせそうだ。
だが自分はこれ以上サマーを満喫してはいけないのだった。夏をどう終わらせればいいかはわからないが、続くのはサマー仮面があまりに夏を楽しんでいるからと先程指摘されたではないか。つまり、夏を楽しまない。エンジョイしてはいけない。なんたること。こんなに素晴らしい季節を楽しまず過ごすだなんて、いったいなにをどうしたら可能なのか。
「……なに、なんかえらくしょげてんじゃん。もしかして、あの、……最近なんか傷つくことあったとか? 嫌なこと言われたとかそういう……全身真っ黒の男とかに」
もしそうならあれはあんたをバカにしたとか嘲笑ったわけじゃなくて小学生メンタルの発動というかなんというか。百パーセントあっちが悪いからあんたが凹むことはないんだけど。
自主練ボーイがなにやらもごもご呟いていたが、重大な悩みにぶちあたっているサマー仮面にはまるで聞こえていなかった。だって本当にどうしろというのだ。
「実はさっき、夏をこれ以上満喫してはいけなくなってしまった」
自覚はなかったが心が弱っていたのかもしれない。
夏を終わらせず秋や冬に迷惑をかけていたことも、これ以上満喫してはいけないことも、ブラックサンタが仕事で顔を出していたということも。すべてがどうにもむなしく、哀しい。こんな感情、いらないのに。
「あのさ、えーと……そいつと夏満喫したいのはなんで」
青年に言ってもどうにもならない。頭ではわかっていても、口はほろりほろりと泣き言を告げた。
気持ちを打ち明ける度、自主練ボーイの頭にはネコ耳が生えた。ぴょこぴょこ動いてとてもかわいらしいが一体どういう構造なんだろう。そもそもこうも簡単にネコ耳って生えたり消えたりするものだったろうか。というかこれ訊いてもいいことだろうか。本人気にしてたら悪いしなぁ。
「なんで?」
「他のこととはちょっと毛色違うじゃん。ほら、夏が終わらないとか迷惑かけちゃったとかはさ、あの、知らなかったことだしこれからは大丈夫でしょ。まだ解決策はわかんないけど、まあ一緒に考えるとして」
一緒に考えてくれるのか。なんでだ。どうしてか知らないが、自主練ボーイはひどく優しくしてくれる。ボランティア精神が旺盛なんだろうか。
「でもその、あ~、ブラックサンタ? そいつのはさ、ブラックサンタがあんたに会いに来てたのが仕事っぽいのが嫌って話でしょ」
「……そうなのか?」
「そうだよ! どう聞いてもあんたそう言ってんの!! それってつまり、あの、仮定っていうかもしかしてなんだけどそう考えた方が一貫性が出るって言うかその、だから」
なんて親身になってくれるんだろう。この優しさはボーイの得難い資質だ。少し人見知りのきらいがあるがそんなこと大した問題じゃない、大切なのは彼の温かさ。心の広さ。人の悩みをこうも真剣に悩んでくれるなんて、いっそ心配になってしまう。
ああ、せめて理由があるなら。
サマー仮面に好意があるから、なんて理由で親身になってくれるならこちらも安心なのに。
……ん?
オレを、好きでいてくれたら。
「ブラックサンタのこと好きなんじゃないの!?」
「えっ!??」
「恋、っていうかあの、恋愛感情的なやつで!!!」
己の心の動きに戸惑っているうちに、なぜか恋バナに巻きこまれている。唐突過ぎて驚くしかない。
ブラックサンタのことが好き。なるほど。
サマー仮面は確かに彼に好意を抱いている。一緒に夏を満喫できたらさぞ楽しかろうと思っているし、したい。止められたからできないけれど。だけどそれが恋愛感情かと言われるとよくわからない。
いや、正直そうかなと思わないでもないのだ。彼のことを考えるとドキドキするし、一緒にいたいし、でも近くにいるとなぜか顔が熱くなってきてどうも本調子が出ない。ただそれは、彼といる時に巻きこまれたハプニングでドキドキしているんじゃないかとも思う。吊り橋効果というやつか。だって彼のどこに惚れたのかと問われたらよくわからない。恥ずかしい目にはあっているので、それを深層心理が思い出して顔が赤くなっているんじゃないだろうか。
「……そう、なんだろうか」
「そうだよ、きっと!」
「確かにブラックサンタのことを好ましく思ってはいるが……」
「あっちだってあんたのこと好きだって」
「いや、それはどうだろうか」
「だってあんたすごいかわいいし、一緒にいたら好きにならないわけないから」
さらりと伝えられた言葉にびくりと肩が震える。
待ってくれ。自主練ボーイは今しれっとなにを言った? かわいい、とか好きにならないわけない、とか。一緒にいたらって、それはつまりキミも結構一緒にいる時間あったと思うんだが。そこのところはどうなんだ。
そろりと青年の顔をうかがうと、頬を染めたりすることもなく堂々と立っている。照れのひとつもない。
なんだ、今のは言葉のあやとか勢いってやつか。おれも好きだ、とかそういうことではなく。全然、まったく、これっぽっちもそういうことじゃなく。ブラックサンタとかいう、キミの知らない男とオレをひっつけてやろうという百パーセント善意からの言葉でしかないのか。
なぜかひどく、意地悪な気持ちになった。
どうしようもなく彼を傷つけてやりたい。この悪気のない顔を歪ませてやりたい。ひどいことを言って、取り返しのつかないようにしたい。
サマー仮面は基本的に善意の男だ。夏を満喫するパーソンを応援し、楽しむことを推奨する。悪意などまるで振りまかない存在、だけど。
「恋なんてまさか。友情さ」
キミの言うことなんてすべて否定してやる。
「ブラックサンタへの気持ちは友情だから、愛だ恋だになることはない」
一緒にいたら好きになる、なんてひどいことを言う。じゃあキミは。キミとだって一緒に過ごした時間はたくさんある。まるでそんな気はないくせに、適当に耳当たりのいい言葉を告げて。こんなひどい男、傷つけたってきっと構わない。だってサマー仮面の方が先に傷つけられた。ひどいことを言われた。だから。
自主練ボーイはぱちんと一度まばたきをして、ゆっくり言葉を咀嚼し、そうかと肯いた。
「まあ、あんたがそう言うなら、そうなんだろうね」
「ああ、そうさ」
思い出した。そもそも彼には愛しい後輩がいるのだ。初めて会った日に語っていた、青年を尊敬し恋したかわいらしい後輩。その好意に応えるのだと言っていたじゃないか。そうだ、だから自主練ボーイがサマー仮面に対してどうこう思うことはない。
自分にはちゃっかりかわいい恋人がいるからって、適当な事を言ってごまかすなんてひどいな。口に出せば非難がましくなってしまいそうで、サマー仮面はぐっと言葉を飲みこんだ。文句を言いたいわけではないのだ。ただ、ほんの少し拗ねてみただけというか、軽く憤るというか、お約束でごめんねと言ってほしいというか。言葉遊び、の範疇なんだろうか、これは。
自主練ボーイにどうしてほしいのだろう。我ながら面倒なことになっているな、とため息をつこうとしてサマー仮面はふと気づいた。適当なこと、ではないのかもしれない。もしかしてこれは、好きと言ってくれるなよという牽制ではないか。
そうだ。先程気づきそうになった感情。目の前の青年への淡い好意。このまま放っておいては恋に成長してしまう可能性に勘付いた彼が、育ちきる前に違う方向へ向けようとしたに違いない。すでに恋人のいる身では好意など向けられても困るだろう、確かに。そうか。うん、そうだな。
「ブラックサンタにも、キミにも、オレが抱いているのは友情だけさ」
だから安心してくれ。間違ってもキミに告白などして困らせたりはしない。うっかり見つけてしまった恋愛感情など、見なかったふりをするよ。面倒な事にはしない。
そして、行き場のなくなった恋愛感情の宛て先をブラックサンタにすることも、また、ない。彼のことを好ましく思っているからこそ、おそらく恋になってしまう強さの好意を抱いているからこそ、絶対に。
だって悔しいだろ、キミが適当にねじ曲げた方向に行ってしまうなんて。
恋にしない。恋ではない。これは友情だから今以上を求めない。だからまあ、これはサマー仮面の単なる意地。ちょっとした意趣返しでしかないけれど。
「……ああ、そう。へえ。……おれ忙しいんで、そろそろ行くわ」
「もう少しで夏も終わるだろうから、自主練ボーイも残り少ないサマーを満喫してくれ!」
ゆっくり去る後ろ姿を明日も見たいなと願いながら、サマー仮面は明るい声をかけた。
夏の間だけ。きっともうすぐ終わってしまうこのサマーバケーションの間だけ、友情と名付けた感情そのままに自主練ボーイやブラックサンタと会えたなら。
そうしたら、きっと速やかに秋がくるだろう。
すげぇ火だ、などと叫んだ男をぎろりと睨みつける。見てんじゃねえぞこちとら見せもんじゃねえんだよふざけんなチクショウボケクソ。
なーにが友情だ。好ましく思ってる、だ。一緒にサマーを満喫したい、近くにいたらドキドキする、でも会えないと寂しい。そんなの絶対期待するだろ。したわ。めちゃくちゃに期待しまくったっつーの。サマー仮面に好かれてるんだ、両想いだって浮かれまくって天にも昇る心持ちだったわ。そうかだから乳首にあれこれやっても平気だったんだなんだよあんたも実はあれ喜んでたんじゃんわかったよ任せて今度はもっとちゃんとあちこちを、って言うところだったし。なんならちょっと口から出たし。あっ、下からもとかそういうのはないんで、掛けてないんでそこのところはよろしく。
つうかまさかの友情オチとかないわ~、ない。ユーザーの好みとかちっともわかっていやがらねえなこのクソゲー。波乱万丈とか予測できないどんでん返しとかいらないの。こっちの求めてるのはあくまでラブラブとか安定で、ハプニングはちょっとエッチなやつオンリーでお願いしたいわけ。なにかあって服がエッチく破れるのはありだけど怪我されんのはかわいそうだからなし、とかそういうぬるい感じなんすよ。どこに送るわけお客様の声は。は~、ほんとない。ありえない。
期待した分叩きつけられた現実がつらすぎて、受け止めきれなかったブラックサンタは、よろよろとリア充うごめく海辺に来ていた。
この憤りは炎に転換せねば耐えられない。今ならこれまでで一番の人体発火ができるだろう。なのでちょっと燃え広がりやすそうな街中は怖いし……火事はさすがにねえ、シャレにならないんで。などという冷静な考えの元、リア充カップル以外に燃える物などなさそうな海辺に来たのだ。こういう部分を弊社は評価しやがらないからクソだ。キミの判断力はすばらしいから夏担当にしよう! とかないかね。ないな。つーか夏に回されても困るし。発火してどうするよって話だ。キャンプファイヤーか。
意思の力で炎を操るなんてすごい、キャンプファイヤーでモテモテだろう! はしゃいだ声と大仰な仕草を思い出してまた炎が強くなる。
チクショウ、そんなのどうでもいい。嘘。モテはしたい。でもそういうことじゃない。そうじゃなくて、だから、最近すごい自主練をがんばっていたのとか仕事のできる男ぶりたかったのとか。全部。
「ブラックサンタ!!!」
あんたにただ褒めてほしかっただけとか、どうしようもない。
「落ち着くんだ! すごい熱気だぞ!? これキミのファイヤーパワーだろ」
「……人体発火するくらいしか能のない男なんで」
「あぅち! ほら、砂が、あつっ、あつ、鉄板みたいになって、あっつ!!」
「……夏だから暑い方がいいんじゃないっすかね」
「そういう問題じゃなぁい! あつっ、ちょ、ちょっと火を抑えてくれ!!」
いちゃこらちゅっちゅしてやがったリア充共は、とっくの昔に逃げて行った。もう少し放っておいてくれたら勝手に鎮火して帰るんだから、サマー仮面もどこかへ行ってほしい。勝手に誤解して期待を裏切られたから八つ当たり、はさすがにガキ臭すぎる。わかっているからこうして一人発散しているのだ。そこに来られても、落ち着いてないからまだ大人の対応なんてできない。時間が欲しい。
「……火が収まったら帰るからほっといて」
「そういうわけにもいかないだろう」
「なんで。……街の平和を守るとかそんなやつ? 誰かに泣きつかれたりしたわけ」
「いや、オレはただ夏を満喫している皆にサマーポイントを進呈し応援するだけで、特にヒーローとかそういうのじゃないから」
「じゃあなんなの」
先程の好きだなんだという会話をまるで意識していないらしい、あまりに常通りのサマー仮面にイライラする。
ほんの欠片も恋愛感情がないのだとつきつけられている。わかっていても逃避したいのだ。それなのに。
「だってブラックサンタのことだぞ!? オレが一番に関わりたいじゃないか!!」
なのにこんなことを胸張って言うから誤解するのだ。クソが。
「あっ、これは深い意味はなくてだな、ただキミのことはオレが一番の理解者でいたいというか、悩みがあるなら一緒に悩みたいというか、その、あ~」
期待、してしまうだろう。こんなの。
「……キミのことが知りたいんだ。ダメだったか」
これは友情の範囲内だろ、なんてまるでそうじゃない感情を隠してるみたいな言い方。怪しめ、勘ぐれ、深読みしろと言わんばかり。これがわざとなら相当なものだし天然ならとんでもない。堕天使かよ。ねえ、あんた結局なんなの。どっちなの。おれのこと好きなのはわかるけど、それはさっきまでたむろしてたリア充カップル的なあれなの。違うの。こちとら変質者でしかないあんたの格好までどんどん性的に見えてきて、いっそ仮面込みでかわいいと思い出してきちゃったんだけど。仮面とったらめちゃくちゃぶさいく、とか想像してみてもまったく萎えないわけ、ちんこが。
もうこれ責任とってほしいんだけどどうしたらいいの。
「なあブラックサンタ! キミの好きな季節はいつだ? やっぱり冬だろうか」
パチンパチンと指先で炎が爆ぜる。
「オレか? ふっふ~ん、オレはもちろんサマー! このエネルギーに満ちた陽の元、夏を満喫し愛す人々をひたすら応援し夏を楽しむのがオレの使命!!」
耐火製といえ直接炎にあたっているサンタ服は、すでにあちこち焦げ、穴があきだしている。目深にかぶったサンタ帽もちりちり音がしているから、もう限界だろう。
「だがな! 別に夏だけと決まっているわけじゃないんだ」
声を張るサマー仮面が、炎に炙られけほりと咳きこんだ。仮面の裏に手を入れ汗を拭っているが、脱げばいいのにというのは言ってはいけないお約束なんだろう。なんせサマー『仮面』だからして。
「だから、その……だから! 夏も! キミの好きな季節もっ、一緒に満喫したいんだ!!」
ひらりと舞ったマントに炎が移動する。乾燥しきっていたタオルなど下手な生木より簡単に燃える。意図せずバックに炎を背負ってしまったサマー仮面を海に蹴り込んだ頃には、動揺のあまりブラックサンタの炎も消えていた。
「っバカかおら! 死にてえのかざっけんなクソ死ぬなら寿命全うしてよぼよぼのクソ爺になってからオレの手握りながら楽しかったなぁとかほざいて眠るように死ねよ!!!」
「お、おう……???」
「なにきょとんとしてんだ燃えてんだぞ首に巻いてるタオルだぞ火の傍で布振り回したらいけませんって教わってねーのかよ一般常識なんだよ覚えとけクソがっ!!!」
「これはタオルじゃなくてマントで……」
「んなこたどーでもいいんだよ!」
「ひぇぇ」
波をかきわけざぶんざぶんと打ち寄せられながら怒鳴り散らせば、小麦色の肩がぶるぶると震えた。濡れてへたれた仮面のとげ部分がしょげているように見えて、どうにも怒りが続かない。ダンボール製だからへたれているのであってサマー仮面の心情とはリンクしていない、とわかっているのになぜか心苦しい。卑怯だろうこれ。
「……まあ、火傷してないならいいけど」
これ以上続けてはまるで心配しているようだ、と口をつぐめば一気に静かになる。真夏の海だってのに人っ子一人いないってどういうことだよ、つーかさっき追い払ったのおれ。巨大な炎の柱たちあげたのもおれ。わ~おこの状況つくりあげてんのオンリーおれだよすごいじゃん、わっはっは、は~あ。つうかおまえもおまえだよ。いつもワオワオうっせえんだからしゃべれよ。なにか言え。クソみたいなことでいいから、早くこの無言空間をなんとかしてくれ。でないとトチ狂ったおれがなに言いだすかわからないから。
海に飛び込んだせいで濡れてしまった帽子を絞ってかぶり直す。これくらいの焦げだと新しいのは支給されないだろうな。どうせならもっと派手に燃やしておけばよかった。コートはさすがに交換してもらえるだろうから、帽子だけ古くなってしまう。まあそんなところ誰も注目してないんですけどね。おしゃれと言うより気になるんだよなぁ、セットなのにバラバラだと。
「……自主練ボーイ……?」
呟かれたのは、ブラックサンタのものではない名前。
波の音にまぎれずするりと耳に飛び込んできた、サマー仮面しか呼ばないその。
うかつだった。そうだ、今自分はなにをした。これまで顔を隠してきた帽子を取り、彼の目の前にさらしてしまったのだ。無防備に。火傷に気をとられていたといえ、なんとか隠し通してきた秘密が。
「自主練ボーイが、ブラックサンタ……!!?」
「……そういうことになりますね。なに、騙してたって軽蔑するならしていいよ。勝手に別人だと思い込んでたのはあんただからね」
この期に及んでサマー仮面のせいにするのは、恥ずかしいからだ。
だって思い出してほしい。ブラックサンタのこと好きに違いない、なんてついさっきそそのかしたばかりなのだ自分は。ブラックサンタだって好きだ、とかも言った記憶がある。ノリノリで押してしまっていたのだから仕方ないが、同一人物だとばれては気まずさしかない。おまえはおれが好き、おれもおまえが好き! って言っちゃってるわけだ、友情としか思われていないというのに。
しかも、以前乳首に絵の具を塗った時は一度立ち去ってから現れたりしてる。別人としてわざわざ。公園でよく会う顔見知りと一緒に水鉄砲で撃たれて、別れたと思えば違う人間を装って出現。怪しい。なにが目的なんだ。……好意を持たれてると知ってワンチャンあると思ったんですよね~!!! ペイントをきれいに直すのにのっかって、ちょっとばかりエッチなこともしちゃったんですよね~~~!!! ……はぁ、死ねよ。
いやでもさ、ちょっと深くサンタ帽かぶってあんまり目とか見えないようにしてただけで別人と思いこむのもどうなの。そもそもこんなに人体発火するような人間あちこちにいたらわりと事件じゃない?
「こっちは別に騙そうとしたわけじゃないし、どっちかっていうと間違われてた被害者っていうか」
「……公園でいつも自主練してたのも、巨大イカから助けてくれたのも、いたずらボーイ達と遊んだのも、いかすペイントを直してくれたのも」
思っているよりサマー仮面はプラス方向に受けとめてくれていたらしい。自主練とか子供達と遊んだのはまだしも、巨大イカはイカ割りをしろという無茶ブリをしたうえイカ×サマー仮面というカプをこの世に生み出すところだったわけだけど。まあ触手は嫌いじゃないですけど、どう冷静に考えても助けてはいない。大丈夫だろうか。こんなにほわほわに物事を受けとめていて、誰か悪い人間に騙されたりしてないのか。壺とか無駄に買ってたりしない? ちゃんと物入れてる??
「かわいい後輩に尊敬からの恋をされてつきあうつもりなのも、夏を終わらせたいから仕事でオレに声をかけたのも、冬を一人満喫するのも」
「待って、段々おれの話じゃなくなってきた」
「えっ、違うのか!?」
「そもそもかわいい後輩とかいないし。もしいてもこんな社会の底辺ゴミカスクソ野郎を好きになったりしてくんないでしょ。……でも夢くらいは見てもよくない? 誰に害を与えるわけでもないし! ねえ! 冬だって仕事だし! 満喫って言われてもクリスマス時期はお仕事まっただ中でさ、リア充カップルの隣で人体発火してきゃあきゃあ言われる、のを満喫とか言うなら問答無用で喧嘩を売られたと認識するからそこのとこ気をつけて話せよ」
あと一人で満喫とか寂しさで凍えるから勘弁して。それなんの罰ゲーム。コミュ障極まってるせいで一人好きかと思われがちなんですけど、これがわりと群れたい方でね。めちゃくちゃつるみたい。仲間ほしい。できたら薄いつながりの大勢よりがっちりぎっちり身内で固まりたい。求む少数精鋭。だからつまり、お互いが唯一無二の親友とか、最愛の恋人同士とか。そういうの憧れるわけですよ実際。いるかいないかと言うなら皆無だけど。ええ、ええ、無ですよ。ゼロ。存在を確認できません。るっせえほっとけよ夢みるのは自由だろうがチクショウ、自虐しすぎてなんだか泣けてきてしまう。
やっぱりすべてをサマー仮面のせいにしたのはまずかったか。あまりに理不尽だと怒っているのかとよれた仮面をうかがえば、妙に華やいだ空気が巻き散らかされている。え、おれがぼっちで哀れなのそんなに喜ばれちゃうの、そこまで嫌われちゃったわけ。
「そうか! キミのことを好きな後輩はいないんだな!? 寂しさからつい見てしまった夢であって、実際はそんな存在、これっぽっちもまったく欠片もいない、キミの脳内の幻ということだな!!」
とんでもなくはしゃいだ声が、ナイフのようにどすどすとブラックサンタに突き刺さる。いやこれもっと殺傷能力高いヤツ……出刃包丁……いっそ斧……?
「ブラックサンタ、いや自主練ボーイ! ……ブラックボーイ? 自主練サンタ??」
「……ブラックサンタでお願いします……」
「そうか、じゃあブラックサンタ!」
きれいに日焼けした小麦色の肌に青い水着。まるで役立っていない水中メガネとフィン。まだ焦げくさいタオルを首に巻き、乳首にはなぜか太陽と月のペイント。怪しさ極まりない謎の仮面は、水がかかってよれている。
夏の妖精ならぬ怪人、なにを目的としているのかもわからない謎の男。誰が呼んだかサマー仮面。ひたすら夏を満喫し、ただそれだけで夏を延々と続けさせてしまった。
「実はオレがこれ以上夏を満喫すると、秋や冬が来ないらしいんだ。確かにオレは夏を愛する男だが、秋も冬も春もまた愛している」
不審者だと思っていたのだ。最初は。
怪しい以外の何者でもない。それ以外の感情はない。それなのに。
「夏を終わらせてほしいと先日も冬ガールに依頼されたんだが、いかんせんその方法を知らなくてな」
「ああ、冬から他に来たんだね。なに、かわいい女の子からのお願いだからかなえたいって?」
「確かにかわいかったがそこじゃなくてな。ええと」
くっと張った肩。あちらこちらに動く落ち着かない腕。流れてきた水滴が溜まってつるりとこぼれ落ちるへそまでかわいい。チクショウ。もういい、仕方ない、認める。全部かわいい。意味のわからない仮面込みで、めちゃくちゃにかわいい。なんなら乳首のペイントは一周回ってエロさしか感じない。フィンは足音がかわいいうえに脱がせたら小麦色の素足が出てくると思うと、いや日焼けしてない白い肌だったりして……一日中履いてたからって匂いとか気にするのをこう強引に脱がせて、とかほら。もう大騒ぎでしょこれ一部分が。ち、から始まってこで終わる、三文字の。ん、で終わる四文字でもいいな。サマー仮面にはそちらを言っていただくのもとてもよろしいかと。まあめちゃくちゃいい発音でプェニスとか言う可能性が高いんだけどさ、たぶん。
「その、あ~……夏が続いているのはオレが満喫しているから、というなら」
「うん」
「オレが他の季節も満喫したら解決するんじゃないか!? 夏だけじゃなくどの季節もエブリディ毎日楽しいハッピー、皆が終わらないと主張すれば結局同じ期間で終わらせようとなってしまうに違いないマジック!」
なんだそれ。四季によるサマー仮面の取り合い、みたいなことにいつからなっているんだ。というかそれで解決したらわりと泣いてしまうかもしれない。情けなくて。
ただ、そんなことでいいのかと思いつつ、そもそも夏が終わらないというのもどういう理屈なのかさっぱりなので一理ある気もする。とりあえず、夏が終わらないのはサマー仮面が満喫しているせいらしいし。どういうことだ。そういうことだ。やっぱりどう頭をひねっても意味がわからないということしかわからない。
「……まあ、そういうこともあるかもしれないね」
「だろう!? ふっふ~ん、オレの推理もなかなかのものだな!」
「確かにあんたいつでも無駄に楽しそうだし」
夏限定じゃなく、いつだってイキイキ生きるのだろう。自分が活躍できるクリスマスさえも鬱々と過ごすブラックサンタとは正反対だ。
本当のところ、サマー仮面が夏だけを贔屓せずどの季節も満喫すればいい、なんて効果あるかどうか知らない。でもまあ、悪い気はしないだろう。どの季節だって。納得はできないけれど、楽しく生きるのは悪いことじゃない。
「ま、せいぜいがんばって」
サマー仮面、と呼びかけようとしてから夏限定ではなくなるのにおかしい気がして、結局口を閉じた。いつもこうだ。なにか言いたくとも、言おうと思っても、迷っては言い淀んでそのままなかったことにする。今回もそう。だって別に名前なんて呼ばなくてもいいし、あっちも気にしないだろうし、会話としてはおかしくもなんともない。
ただブラックサンタが、最後に彼の名を呼びたかった。それだけの。
「待ってくれ! あの、ほら! ちょっと今のおかしいところなかったか!?」
「は? あんたがおかしいのなんて最初から最後までずっとだけど」
「えっ」
「そもそも季節に意思があるみたいな設定ファンタジーでもないのに混ぜてくるのクソだし、あんたの謎の力はどこからきてるのかもわっかんねえし、サマーパワーとか言ってやったの乳首ペイントのガードだけでしょ。エロにしか特化してないとかなんなの。まあ最高に無駄でエロい力の使い方としてはアリだけど、大正解だけど、でも正直間違ってるよね。あと一年中満喫するとか言って、あんた季節のなんなのさって思うじゃん。意味わかんねえ」
「え……それはすまない???」
「ほーらわかってない。わかってないのに謝るのがまたクソなんだよ。全然悪いと思ってないわけでしょ、わかんないんだから」
「ご、ごめ」
「こんなことだと絶対見知らぬモブに岩陰とかに連れ込まれていかがわしいことされるからね。ちょっと強く言ったらこうとか、パッと見の押しの強さから予想外すぎて股間にぎゅんぎゅんくるタイプじゃん。アウト極まりない」
言いがかりが止まらない。いやちょっとモブは怪しいと思ってるけど、信じやすすぎるうえに強く出られるとおたつく気弱なとことか絶対モブおじさんとか大活躍なわけだけど、でも今のところは言いがかりだ。ごめんなさい。でもでもだって「もぶ? ぎゅんぎゅんくるタイプ……??」って理解できてないのがあからさまなサマー仮面かわいい。幼女属性とか持ってなかったはずなんですけどねぇ。
「ま、もうおれみたいな怪しいのと会うことはないんだから、いいけどさ」
「そこだ!」
両手がぐいと引かれる。痛い。馬鹿力に眉をひそめても、目の前のゴリラはさっぱり気にせず言い募る。仮面のゴリラ赤影。いや黄色だわ。黄影っていたっけ? カレーが好きな役とか。
「オレがサマーを共に満喫したいのは、サマーだけじゃなくオータムもウインターもスプリングもすべて一緒に過ごしたいのは、キミなんだ」
だからもう会わないなんて意地悪を言わないでくれ。
真摯に告げられた言葉が耳から入り、くるくる身体中を巡る。理解がおっつかない脳を通り過ぎ、頬だけでなく全身を真っ赤に染め上げながら、最後に心臓。どんどこ打ち鳴らされてるのはなんだ、暴れ放題なのは言葉なのか心臓なのか、他の部分か。他の部分ってなに。いやでもだって心臓じゃないだろうこれ。もし心臓だったら、こんなに早く打ったらめちゃくちゃ早死にするビート刻んでるでしょ。
「……おれが」
「キミが!」
「あんたと」
「オレと!」
「ハッピーラキスケエッチな日々を……?」
「らきすけというのがなにかはわからないが、どの季節も楽しく過ごしたいんだ。キミと一緒に!」
「……意味がわからない……」
なんでだ。これは夢か。だって途中から話の流れがおかしかった。
冬陣営の誰かに、夏が終わらないのはサマー仮面のせいだと聞いた。そもそもブラックサンタもそう告げるためにこの地に来たのだ。わかる。
夏を満喫している限り終わらないらしい、ということは他の季節も同じだけ満喫すれば問題ないのでは。これはちょっと強引な気もするけど、理解できなくはない。満喫してる本人に、そんなに楽しまないでくれと言ってもどうしていいか困るだろう。それなら他を高いレベル(?)にあわせようというのは、考え方によってはあり。まあここまではいい。
ええとそれで、一年中どの季節も一緒に楽しみたい。ブラックサンタと。
ここ! ここがおかしいだろう、どう聞いても。いつからそんな話になってた?
「自主練ボーイと過ごすのはとても楽しくてな、実は公園のパトロールを増やしたりしてたんだ。また会えたらいいなって」
あまりにかわいい行動の告白にもんどりうちたくなったが、続く言葉を聞きもらしたら生涯後悔すると思って必死に耳を澄ます。じたばたして聞き逃したら自分を許せない。あとなんでいきなりこんな告白になってるのかもわからない。サマー仮面は唐突が過ぎる。心臓に悪い。
「でも、その……ブラックサンタと一緒にいるとすごくドキドキするし」
友情って言ってなかったっけ。勘違いして勝手に期待したんじゃなかったっけ。いやでもこれは、この流れはアリのやつ。これで違ったら本当クレームメールどころか乗りこむからな運営。どこに行きゃいいのかはわかんないけど。
「別々の二人に惹かれてる、なんてギルティだろ。だからちゃんと、どっちが好きなのか考えないとって思ってて」
SUKI
今好きって言った。絶対言った。え、これ友情の好きだよとかないよね。どう考えても恋愛感情的なやつだよね。
サマー仮面が! おれのことを!!
「でも、自主練ボーイはブラックサンタを進めるし。きっとオレの好意に気づいて、遠まわしに断ってるんだと思って」
「は!? ちがっ」
「そういえば前に後輩といい感じになるって言ってたなって。恋人ができたところなのに告白なんてされたら、そりゃ面倒だよな」
誰だよ後輩。
え、あの恥ずかしい口から出まかせの適当妄想? あれを信じきってくれてたわけこいつ。は? 天使かよ、おまえ人を信じるにも限度があるぞ。このおれを尊敬したりする人間がいると思うわけ? しかもそこからの恋。そりゃかわいいツインテールの童顔後輩とかいたらめちゃくちゃうれしいし毎日幸せだろうけど、でもいないし。今目の前にいるのは小麦色の肌の夏男でなぜかどこもかしこもエロかわいいサマー仮面なわけで。
「でも、いくら面倒だからって他の男を進められるのはむっとするだろ」
口調は軽かったのに声は笑っていたのに、ずず、と鼻をすする音がした。仮面のせいで顔が見えない。ねえ、あんた今どんな顔してんの。明るく軽く、なんてことない風に言ってるけど本当に笑ってる?
ブラックサンタを推したのにそんなつもりはまったくなく、他の男をあてがうどころかこのおれとつきあってくださいの願いだけだったんだけど。ねえ。でもあんたはそう思ってなかったんでしょ。好きな相手に別の男勧められたんでしょ。それは結構、かなり、きつくはない?
「まあブラックサンタにもドキドキしてたし、どっちが好きかわからないなんて思ってたから。……オレも誠実じゃなかったから、仕方ないんだけど」
「ちょ、ねえ!」
「でもさっき言ってただろ。後輩はいないって。しかも自主練ボーイとブラックサンタは同一人物で!」
泣いた烏がもう笑った。シリアスがまったく続かない。
ぱっと両手を開いたサマー仮面は、ワオワオとうれしげに叫びながら人気のない海辺で愛を叫んだ。おれへの。
「どの季節もキミと満喫したい。できたら全部がいいけれど、難しかったらキミの好きな季節だけでもいいから」
ブラックサンタで、自主練ボーイで。
そしてどちらでもあってどちらでもないおれに。
「オレとサマーを満喫しないか? そして思う存分夏の思い出を作ったら次は秋、冬、春と思い出を作ろう! そしてまた、次の夏もオレと一緒に過ごしてほしい!!」
なんだそれ。
バカだな、あんたはサマー仮面でおれはブラックサンタ。どう見ても季節に縛られた二人なのに、秋も春もとか。
「……じゃああんた、サマー仮面じゃなくなっちゃうよ」
「んん? そうか、そうだな……エブリディ仮面、とかどうだろう?」
「どうだろうじゃねーよダメに決まってんだろ、っつーかもう本当……」
仮面は残しておきたいのか、というかエブリディってなんだバカかバカだかわいいなんだこいつ、もう。もう。
アイデンティティだろう名前も、こんなに愛していた夏も、すべてさらりと手放しておれの手を握るなんて。ブラックサンタには求めないのに。キミの好きな季節だけでもいい、って冬だけでもいいってことでしょ。おれだけはブラックサンタのまま、あんたは謎の仮面でしかなくなっても。
「夏はさ」
転職活動はうまくいくかわからないし、まだ炎を手の平に一つ出すのがせいぜいで。
「サマー仮面と、その恋人になるよ」
でもよくよく考えたら人体発火できるからブラックサンタ、というのもどうだって話だ。サンタクロースに発火の情報なんてひとつもない。なんでこの特技でこの名前しょってんのって話だし。ブラックってつけたら許されるもんじゃないぞ訴訟もんだぞ、いや本当に。
「それで冬は、ブラックサンタとその恋人になってよ」
だからきっと、なんでもいいのだ。本当は。
名乗ればそうなるし、いつだってなんにだって好きな存在になっていい。おれも、あんたも。
「えっ、春と秋も恋人がいいんだが」
困った、と言わんばかりに肩を落とさないでほしい。これ以上おれの心臓を痛めつけてどうするの。寿命絶対縮んでる。働かせすぎってそのうちスト起こされたら責任とってほしい。
「春と秋は! その……おれ達サマー仮面でもブラックサンタでもないわけだから」
大丈夫。言え。もし断られたら笑って流せばいい。大丈夫だから。だってほら、恋人がいいって言われてる。ちゃんと好かれてる。誤解じゃない。勘違いでもない。だからダメって言われても、それは全否定とかじゃないから。
頭にはサンタ帽。全身真っ黒のサンタクロースの衣装。脱いでしまえばなにひとつ残らない。
なんて、そんなことはない。
帽子をとって名乗れば、好きな人はひどくはしゃいだ笑い声をあげて抱きついてきた。耳元にささやかれたのは恋人の名前。そっと小声で呼んでみれば、なんだと浮かれた返事が返る。
太陽を摸した仮面はすいと頭上に跳ねあげられ、陽の光からも夏からも恋人達を隠した。
両手は抱きしめることに忙しかったから。完璧な言い訳で触れた唇は、ほんの少し冷たい。
夏は終わる。
そうして、愛しい恋人と初めて過ごす秋が、冬が、春が。初めての『二度目の夏』がやってくるのだ。
この先、赤塚の地で異常気象が起こることはなかった。