腰痛用サポーターをずらして巻いたまま歩くとどうなるか知っているだろうか。一松は知っている。今まさに体感している。
痛い。太ももの外側というか足の付根というか、とにかく歩くと動くそこがサポーターと擦れて時間が経てば経つほど痛くなる。そもそも正しい使用法をしていない一松が悪いのだが、それでも必要だから巻いているのだ。外野は黙っていてほしい。
一松は痛みに強い方ではない。人混みも嫌いだしコミュ障ゆえに初対面の挨拶なんて前日から緊張して吐き気をもよおすしそもそも外出が好きではない。つまり現在、ものすごく気分が悪い。
「うっわー、初めて会う彼氏の友達にその顔とか超強気じゃねセンセ、さっすが犯罪者」
「人相悪いのは地顔なんで、ってゆーか」
「おそ松! しょっぱなから喧嘩うるようなこと言うんじゃない。せんせごめん、こいつ悪いヤツじゃないんだけどわりとクズなんだ」
「それ正直に悪いヤツだって言った方がマシじゃないの。悪気なくクズってつまり元からの性格が最悪ってことだよ」
「チョロちゃんひっでー」
どこか似た顔が三人楽しげに笑いあうのは微笑ましい光景のはずなのに、一松には苛立ちしか与えない。友達だと紹介された二人は顔を合わせた瞬間から大変に感じが悪い。確かににこやかな顔ではないが犯罪者呼ばわりは失礼すぎないだろうか。
「なーカラ松ぅ、おまえの彼ピッピ超怖くね? いつもカラ松が世話になってるねよかったら、とか言ってビールのひとつも奢るとこじゃねえの」
「集るな。せんせはそういうんじゃないから」
そういうの、じゃないならどういうのなんでしょうね。もちろん口にはできないけれど一松の機嫌はもはや最下層だ。
彼氏とか彼ピッピとか、そういうんじゃないらしいんで。知ってますけど。元教師と元生徒どころか元養護教諭で、同じ学校に在籍していたくらいの薄いつながりでしかないですけど。
カラ松があまりにもあざとくかわいくお願いなんて言うから絆されたけれど、やっぱり外になんて出るもんじゃない。隣に立つのがおかしいということがありありとわかってしまう。くたびれてよれたおっさんなんて連れているからカラ松もこうして妙な勘ぐりをされるのだ。
デート、なんて言葉に浮かれなければ。どうして花見になんて来てしまったのか。子供みこしや盆踊りがあるというお祭りを拒否できただけでも恩の字なのだけれど。
「すみませんね児ポさん、こいつ悪気はあるけど隠す気はないところだけは評価できるんですよ。正直でしょ」
緑のシャツを第一ボタンまできっちりとめた生真面目そうな青年がまるでフォローではない内容を口にする。ひでーひでーと大笑いしている失礼な男もにこにこしているカラ松もなにも言わないということは、これが通常営業なのだろうか。仲がいい、のは理解したけれどなぜ一松が巻き込まれているのかはわからない。そもそもジポさんって誰だ。松野ですって自己紹介したよな?
通常巻く位置よりも下にずらしたサポーターが痛い。同い年の青年達と仲良く笑いあうカラ松の顔にいらいらする。友達だという二人から向けられるどこか探るような視線がうっとおしい。
大人としてこんな感情押さえこまなければということはわかっている。二十歳になったばっかりの、まだ学生の子供じみた態度にいちいち腹を立てていては社会を渡っていけない。けれどそもそも一松は社会の波に上手く乗れていないのだから、彼らを流すことができなくてもこれは仕方ないのではないだろうか。というか、だからどうしてここにいなければいけない。
ちらりとカラ松をうかがえば満面の笑みを返される。かわいい。違う、そうじゃなくて。
「せんせ、俺ちょっと飲み物買ってくる。こいつらに奢るって約束だったんだ。せんせのも買ってくるから待ってて!」
「え、ちょ」
「大丈夫! ドクぺはないかもだけど炭酸にするから」
飲み物の希望を告げたかったわけではなく一人置いて行ってほしくなかったのに、カラ松はくるりと身をひるがえし軽やかに駆けて行く。おれビール、じゃねえよおまえが行けよなんで初対面の若者二人に挟まれてんの囚われの宇宙人かよ。
「さって犯罪者センセ、お時間よろしい?」
「ちょっと僕らとお話よろしくお願いしますね、児ポ野郎」
囚われの宇宙人でなんら間違いはなかった。
にやんと笑った赤いパーカーもぺこりと頭を下げた緑シャツも、大変に友達思いで先生はうれしいです。ええ、先生が当事者でなかったら。
じり、と知らず引いた足の裏で砂利が音を立てる。サポーターで擦れた足はあいかわらずじくじくと痛い。思わずよろけた一松を両側から支えてくれた四本の腕は、逃さないとばかりにがっしり挟みこんでホールドを極めた。
「ぶっちゃけセンセはさ、カラ松のことが好きなの子供が好きなの」
「子供が好きとか言ったこと一切ありません」
「でも手は出したんでしょ、犯罪ですよね。それについてはどうお考えなんですか」
「許されないことを、したと思ってる。償うつもりもある」
「じゃあ悪いことしちゃったんだ? やっぱ犯罪者センセなんだ!?」
「おい煽るなよ、逆切れされたら嫌だよ面倒なんだから。というか償いって具体的になにをどうするつもりなんです?」
なんでこうも問い詰められているのか。両脇がそろってカラ松のセコムぶっているからだ。中学時代に手を出したことを確実に知られているとしか思えない質問に、一松ができるのは誠実に答えることだけだった。友達が昔イタズラされた犯罪者と親しくなったぜ~って連れてきたらそりゃ警戒するね。当然当然、つーか親しくなるカラ松がおかしい。
償いなんて、いくらでもしたい。カラ松が望むことをなんでもする。だけど彼はあっけらかんと笑うだけで一松になにも求めないから。謝罪も金も渡せていない。
「……逆に訊きたいんだけど、あいつは俺にどうしてほしいか知ってる? 普通に遊びに来るとか警戒心どうなってるの」
昔ふれた時とはまるで違う、骨っぽく硬い大人の男の身体。けれどカラ松だというだけで、一松の欲は簡単に煽られる。ひどいことをする大人じゃない、一松が傷をつけたかわいそうな子供が大きくなった肉体。もう絶対に傷つけたりしない。カラ松が一松の過去の行いを許してくれて、好意を受け入れてくれて、そんな都合のいいこと起こらないとわかっているけれどそれでも。それでも、区切りとして。
すべてを清算したら今度こそ、ちゃんと大人同士、一対一で口説こう。十六歳も年上のよれたさえないおっさんなんて勝算はまったくないけれども、一松が自分自身を許すにはそうしないといけない。のに。
決心を丸ごと裏切って酔ったカラ松をお持ち帰りしたうえに襲った最低な男がここに居る一松だ。
謝罪も許しもなにもない、受け入れるだの精算だのお笑い草。うやむやにして勢いだけでカラ松の優しさに甘えている。なぜか遊びに来るから、なぜか懐かれたから。そうじゃない。なぜか、じゃないだろう死ねクソ。
許されないこんな男。
「こんな最底辺のゴミ野郎のとこのこのこ来てさ、楽しそうに笑ってさ、一緒にメシ食ったりテレビ見たりおかしいよ。あいつの優しさなんなの。神なの。友達ならちゃんと注意してやってよ、でないと」
せんせ、なんて呼ばないでくれ。
そんないいものじゃない。カラ松にとって先生であったことなど過去一度もない。
彼の前じゃいつでもひどい。自分勝手に傷つけたり欲望を抑えられないまま襲ったり、そんな最低な男でしかない。男は狼なのよ気をつけなさい、なんて狼だって一松と一緒にされたくないだろう。
「でないとあいつ泣いちゃうでしょ」
一松が傷つける。ひどいことをする。償うなんて言ってるくせに、なんでもすると思っているのに、それでも。
同じ口でカラ松の望まないことを言う。
「……児ポさんは」
児ポ野郎からさんづけに変わったのはなんなのか。ランクが少しはマシになったのか、単に通行人の耳を気にしたのか。
「カラ松のこと、ちゃんと好きなんですね」
安心した、と緩んだ口調で続けられて一松はきょとりと視線を横にやった。
「え、なんで」
「なんでってあんなにかわいいから心配だよおまえら気をつけて、って主張しといてセンセなに言ってんの」
「は!?」
両脇からだよねーだのめでたしめでたしだの続けられてどうしていいかわからない。一言たりともそんなことは言ってない。カラ松は頭カラッポのぽやぽやしたヤツだから友達なら気をつけてやってほしいな、とは思っているけれど好きだとかそんな。そんな。
「ところで児ポさんはインポだそうですけど、性欲は子供対象でカラ松は聖域って考えでいいですか?」
「あ~、あれだろ、おまえの中のレイカ!」
「にゃーちゃんだっつってるだろ! つうか僕のことは今は置いとけ、話がややこしくなる」
「でも渡したどのオカズも役立たなかったつってたじゃん。ガキでも勃たないんじゃねーのインポって」
「勃起しなくてもムラッとしたりはあるんじゃない? まあ子供がいいならカラ松じゃ勃たないのはわかるんだけど」
「は!?」
ぽんぽんと跳ねるボールのように交わされる会話についていけなくてぼんやり聞き流していたが、今、なんだか妙なことを言われた気がして一松は思わず声を上げた。
勃たない、とか。
ちょっと待ってほしいそんなことになっていれば一松の太ももは痛くないしそもそもどうしてそんな個人情報を初対面のこいつらが。
「え、ちょ、なに、なんでキミたちそんな、え?」
「内緒だった? ごっめーんセンセ、いやほら俺ら相談されてたからさ。どんだけがんばっても据え膳喰わないどころかまずぴくりとも反応しねーってカラ松超しょんぼりしてたから」
「そりゃ勃起不全とか男としてショックですよね児ポさんの年齢だと加齢かなとか思っちゃいますよね、うん、でも病気は恥ずかしいことじゃないんでさっさと病院行くのがいいんじゃないですか」
「つーかエロいの見ても勃たないとかどんな感じ? あーヤりて~って頭は思うのに体は言うこときかないって感じ?? 俺なんか定期的に出さないとちょっとした刺激で暴発しちゃいそうだけどEDだとそーでもないの!??」
「喰いつきすぎだよおまえ」
「だってちょー気になるじゃん! バイアグラの感想とか聞きたいじゃん!!」
カラ松から子供が好きなのだと思われているのは知っていた。おまえが好きだから手を出した、子供に興味はない、と告げるには一松は罪を犯し過ぎていたから、やんわりと否定だけはしておいた。それがさほど伝わっていないことは感じていたので諦めるとして。
今、そこの赤パーカーのキミ、うん、なんて言ったかな。もう一度。
据え膳食わない、とか。がんばって、とか。まるでカラ松が一松に手を出されたがっているような。ぼんやり感じつつ、まさかと否定してきたそれが正解だったとしたら。
「……いやだって子供すげえ勧めてきたよ!?」
だからありえないと思ったのだ。
先生の好みだろ、と年端もいかない子供の写真を見せられる。プレゼントだと合法ロリのDVDや雑誌を渡される。カラ松は学生といえすでに成人した立派な男だ。童顔ではないし身体も鍛えている、どう見ても年齢より幼く見られる方ではない。もしカラ松が一松のことをそういった意味で好きなら、子供を性的対象としないでほしいと思うだろう。どう考えても。自分とかけ離れた外見の写真やDVDを嬉々として渡してくるなんてありえない。俺のこと性的に見てないでこっちにしておいてくれ、の方がよっぽど。ほら、だからギリギリ合法なDVDとか、子供服の作り方なんて本とか。だから恋情なんてあるはずなくて。否定して。
「そりゃ大人ヤダよ子供でちんこ勃たせたいよ~って泣かれたらよしよししちゃうじゃん。あのお人好しよ?」
「……え!?」
泣いてないかめんごめんご、じゃねーよ。今ひっかかったのはそこじゃない。一松が聞きたいのは。
「あいつに勃ってんのばれないようにこちとら必死なんですけどぉ!!?」
腰痛サポーターってほんと便利。ちょっと下にずらして巻いておけば歩き方が普段より小股になるくらいで足をひきずってだらだら歩く一松なら外見上なんの問題もない。ゆるいジャージもあいまって、まさかこんな風に簡易射精管理されてるとか想像もされない。ただちょっと長期間つけているとサポーターと肌がこすれて痛いのと、勃ちあがりかけてはぎゅっと押さえつけられるのが逆にだんだん気持ちよくなってきてしまっているのが問題と言うか。あれこれ調教かな?
「は? 児ポさん子供にちゃんと勃ってるなら問題解決かよ勃起不全でレポート書くつもりだったのにどーしたらいいんだよ!」
「ぶっはチョロちゃん非道! センセがEDってるってすげぇばらす気満々じゃん!」
「別に積極的にばらすとかないよ人聞きの悪い。ただ協力者に名前は載せる」
「授業で発表するやつじゃん。めちゃくちゃ皆の前でやるやつじゃん!」
またも置いてけぼりにされた一松は、けれど今それどころではない。レポートだの発表だの若さきらめく発言はスルーして、きちんと大切なことを拾い上げて。
たぶん彼らは一松の知らないいろいろなことを知っている。主にカラ松の。意図せずこぼされるそれらを拾って、集めて、欠けたピースをきれいにはめこんで。もしかしたら違うかもしれない。希望なんておかしい。まさか。ありえない。けれどカラ松の態度に彼らの発言、全部最初から一松と違う前提で話をしていたならば。
「あの、え、ちょっと待ってつまり」
一松が子供で勃起したいと思っている、からあの妙なセレクションで。
俺のこと気持ち悪い目で見てるのばれてるんだよやめろよギリ犯罪じゃないこっちにしてくれ、じゃなかったのか。
「松野で勃起しちゃうのは、大丈夫だった……?」
「あれ? 逆にセンセこそカラ松でいけちゃう方向だった??」
どーするよじゃねーようるさい赤パーカー、関係ない通りすがりの肩を抱いて巻きこむんじゃない。注意しようと顔を上げて、一松は言葉を失った。すみませんごめんなさい犯罪者がこんな浮かれて本当にどうしようもない反省しているのは本当です嘘じゃなくて。
あっけにとられた顔でぽかんと口を開き赤パーカーに肩を組まれているカラ松に、まずなにから伝えればいいのか。