レンタルメンタル - 2/2

「まずいよねぇ……」

女体化がばれないように、と与えられた一人用の住居で体を拭きながら、ゲンはため息をもらした。
専用の住居が与えられたことは別にいい。復活者はたいてい二~三人が同居しているが、仕込みだなんだで時間が不規則だからと理由をつければ一人でもそこまで目くじらたてられない。診察と相談のために毎晩千空の元に訪れるのも、寝ろと促しに行っていると考えればなんとか。

「……なんとか……無理、だなぁ~」

どう言い訳をつけてもごまかせない。ゲンはどうにかできても千空が。
千空は、女の体になったゲンに性欲を向けている。

相談した当初はなんの問題もなかった。服着てりゃこれまで通りに見える、とお墨付きをもらえる程度にゲンの胸はささやかで、千空も変化した部分を確かめる程度だったのだ。変化した原因がわからないから定期的に診察はするが健康上問題なければ様子見、でゲンも納得したのである。

いつからか、触れる千空の手に性欲を感じるようになった。

正直、その辺の男に触られるのは嫌だけれど千空相手なら構わない。顔が整っていて下卑た感じがしないのも理由の一つだが、自分より背が低いミジンコだから本気で抵抗すれば逃げられると思っているのが大きい。
なんだかんだ年頃の男の子なので、女体にそそってしまうのは理解できる。たとえささやかでもおっぱいはおっぱい。千空ちゃんも好きなんじゃ~ん、と笑い飛ばしてやればいい。

男が女になった、なんてわけのわからない話をきちんと秘密にしてくれて、定期的におかしなことはないかと診察し、ばれないように住居を別に用意し、水浴びだ風呂だなんて時には呼び立てて行かなくてもいいように言い訳を。
千空には特に利はないのに協力してくれている。こんなによくしてくれているのだから、ちょっと女の子の体を必要以上に触るのくらい気にしなければいい。そもそも本物の女の子でもないのだ。そこらを歩いてる女の子の体を好き勝手触るのは許されないけれど、ゲンは男だ。今は少々形状が違うが、男の体。風呂で背中を流し合うのとなにが違うのだ、同じ同じ。
女の子に興味のある青少年が紛い物に興味を引かれるのは当然、性欲を抱いてしまうのも仕方ない。
これは健全な発育で、だからつまり。

「……早くもとに戻らないとだよねぇ」

男のゲンが傍にいてはまずい。人間だれしも堕落するのだ。簡単な方に流される。このままでは千空はゲンの体に溺れてしまう。女体にきちんと性欲をもてるなら、本物の女の子と経験した方がいいに決まっている。

そして考えたくはないが、このままではゲンは流される。
もし千空から挿入したいと請われれば、何事も経験だよねなんてうそぶいて足を開いてしまいそうだ。だって気持ちいい。千空とそういうことをするのは、絶対気持ちいい。診察の時の丁寧な手つきを思い出す。荒れた指先でそろりと撫で、ゲンが身じろぎすれば慌てて離れる。痛いことをしてごめんね、と言うように頬をそっと寄せてくる仕草だけで許す。かわいい。荒れていない柔らかな部分、と千空の頬や唇をあててくるのが動物めいていてほほえましい。

まだ千空に抱かれていないのは、偏に求められていないからにすぎない。
とんでもなくギラギラした目でゲンを見て、掠れた声で名を呼んで、どこがどう気持ちいいか触ってほしいのかゲンにばかり言わせて。そのくせ触れるだけで指の一本もつっこまない。せっかく女の子になったのに、入れる穴があるのに。

千空の理性に、ゲンは感謝している。心の底から。
もし流されて千空とセックスしたら、女の子として抱かれたら。ゲンは今後どんな顔をして彼の隣に立てばいいのかわからない。
性欲なんてないみたいな顔して男の子なんだな、やっぱり女の子には唆っちゃうよね、未知のこと知りたいもんね満足したかな。

それで?
二回目はある? でも女の子の体がどんなものか知ったのに?
溜まったらまたする? 俺の体どこまで女の子かな、子宮あったら赤ちゃんできるの?
ずっと女の子のまま? セックス中に男に戻ったら萎えちゃうよね?
ねえそれで? それで、それで、それで、どうなる。

いつ戻るのか、戻らないのかわからない。せめて期限が決まっていたら気持ちも切り替えられただろうに、いきなり女の子になったからゲンの感情はずっと落ち着かない。ふわふわしている。地に足がついていない。
だから千空の知識欲を、仲間への好意を、優しさを、都合よく勝手に見誤ろうとしてしまう。

「健全な発達のお邪魔はしちゃダメだしね~。体は慣れてきたからこのままでもなんとかなる。ズルズルいってもいつどうなるかわかんないし」

女の子じゃない。
今はそうでも、違う。
千空が興味を持っているのは女の子の肉体で、いずれゲンは男に戻るつもりで、戻りたくて、だから。

ああ、でもたとえ興味本位であろうと女の子として扱ってくれた。バカなことをと笑い飛ばさず一緒に考えてくれた。
風呂はどうしよう、トイレは、寝床は、着替えは。ばれないかと無意識に身構えるゲンの肩をたたき、誰かと二人きりにならぬよう目を光らせ、それとなくいつもかばってくれていた。隣にいる時間が増えた。名を呼ばれ、視線で労わられ、無理はするなと言いにくそうにもごもご口ごもって。
一人で秘密を抱え込まないことがどれほど助かったことか。
千空が。
バカバカしいことを、と笑い飛ばさず受け止めてくれただけでとんでもなく。

「千空ちゃんのためにも、ちゃんとしなきゃね」

はだけていた服をきっちり着なおし、立ち上がる。
大丈夫、いくら女体に唆ったといっても千空は理性的だ。おそらくゲンが男だということも、心理的にストップがかかっているのだろう。
だから無事戻れたと伝えればいい。男に戻った、それだけでこの関係はおしまい。これまで通りに戻れるはずだから。

 

◆◆◆

 

男の体に戻ったからもう診察しなくてもいいよ、ありがとう。
それで終わるはずだった。もう夜に千空のところへ顔を出すこともないだろうなとしんみり告げたゲンに、千空はあからさまに戸惑った顔をして見せた。なんだろう、お礼とか? 確かに迷惑をかけたので言葉だけでは足りないかもしれない。
では、と今後の千空が喜びそうなことをつけたせば、苦虫をかみつぶしたような表情をされた。
なんで。

本当に全部戻っているか確認する、と千空が言い出すことは予想外だったが責任感が強いからわからないでもない。だが、大丈夫だと言い張るゲンが隠し事をしているのでは、怪我か、なんて心配性にもほどがある。
常ならば笑い話になるところだが、今回ばかりは放っておいてほしかった。なんせゲンの体はまだ女の子のままだ。診察されてはバレてしまう。
そもそも服を着ていれば見た目ではわからないとお墨付きをくれたくせに、千空はなぜか男に戻ったのが嘘だと確信しているようだ。

「怪我とかじゃないって。そんなの隠さず治療してもらう方がいいじゃん、わざわざ痛いの放っておくほど俺マゾじゃないよ~」
「じゃあなんだ……? これまでテメーがこうも抵抗したことなかったぞ」
「抵抗って、言い方! 単に男に戻ったからもう大丈夫だよって話でしょ」
「だから、本当に全部戻ったか確認するっつってんだろ。つーかなにがあった。いきなり戻るにもきっかけくらいは」
「女の子になったのも突然だったし、戻るのも突然でおかしくないって」
「そもそも股は自分で確認できねえって俺のとこきただろうが、大丈夫ってなんで言い切れる。……いや、やっと気づいたのか、俺の」

そうだよな。ああ浮かれてた。調子に乗ってた。最初から卑怯な事してるのに受け入れられるとか夢見がちすぎんだろ。
隣同士、ぴたりとひっつけて敷いてある布団の上に座り込んだ千空はなんだか妙に小さく見えた。
泣く直前の子どものような寄る辺のない顔をして、懺悔のようになにかブツブツと呟いて。

「千空ちゃん?」
「ああ、いや、テメーがそんな顔すんじゃねえ。百億%俺が、俺だけが悪い」

ゲンが男に戻れたと嘘をついたのは確かに千空の目を覚まさせるためだが、これは誰が悪いという話ではない。

お元気いっぱいの青少年の前に触れてもいい女体が現れたら唆られるのも無理はない。性欲に流され挿入しなかっただけ千空は立派だった。毎回膣口やその周辺を撫でまわしていたのだ、興味はあるだろうに彼は指さえ入れていない。最初に怖いとゲンが言ったのを覚えてくれているのだろう。そういうところが優しいし、もう少し強気に押してくれてもいいかなと思うところだ。
じゃなくて! 押されちゃダメ。流されないで俺。

「千空ちゃんは何も悪くないよ。もう診察しなくても平気っていうのはどっちかっていうと俺の問題、っていうか」

このままではセックスしよって言ってしまいそうだからです。青少年の未来のために我慢するつもりはありますが正直流されそうだし請われたらどうなるかわかりません。
これは素直に言えないな、とそれらしい理屈をひねり出そうとしたゲンは、千空が口にした可能性についぽかんと口を開いた。

「……おい、もしかして誰か好きなやつができて俺に触られたくないとか、そういう恋愛脳的なやつか!?」
「は!?」

ありえないでしょ。
千空以外に触られる事を想像するだけで鳥肌がたちそうだ。それを言うに事欠いて恋愛脳とは、つまりゲンが誰か他の相手に。

「テメーに惚れた相手ができて、そうじゃねえ俺に触られたくないっつーのは理解できる。だがあくまで俺のは診察で、好きなやつに操立てするのは悪いこっちゃねえが例外と考えるべきだ。……いや、言い訳だ。悪い。あんまりにも唆る反応するからやりすぎたところはある、ってこれもテメーのせいにしてるみたいに聞こえるな。ちげぇ、俺の理性が弱すぎたせいだ。そりゃ毎回股間膨らましてる男になんざ嫌だよな、難しいとは思うがなるべく興奮しないように見るから確認だけさせろ」
「ちょ、待って待って千空ちゃん落ち着いて」
「つーか今日も普通に男とは距離取ってただろ。戻ったっていつだ。テメーの体が男だってちゃんと精神は理解してんのか? そもそも惚れた相手は女と男どっちだ? 症状を伝えた方がいいだろうから時間とって一度連れてきたらちゃんと説明するから」
「待ってってだから! 早口すぎ一方的すぎ全然わかんない!!」

本当にわからない。千空がなにを言っているのか。
惚れた相手ってなんだ。連れてきてなにを説明するのだ。
男に戻りましたありがとう、で距離をとり、女体に性欲を抱けるようになった千空はそのうち誰か女の子に恋をする。その時ゲンが相談にのる未来はあるだろうし、うまくいくように背中だって押す。そういう話ではなかったか。

「あのさ、男に戻ったって報告してるだけなのに、なんで好きな相手を千空ちゃんに紹介するみたいなことになってんの?」

千空ちゃん俺のパパなの? わざとらしくからかえば、むっとした表情を隠しもしない。
それなのに目には心配そうな色をにじませて、言葉を惜しみもせずに。

「紹介じゃねえよ、テメーの事を説明するためだっつってんだろ」
「だからそこ。俺の何を説明するのさ」
「あ゛~、つまりその、男だ女だっていう自己認識の話だよ。戻ったかもしれねえが、いつまたなるかわからねえだろ。どうせテメーはきれいに隠すだろうが、つきあってる相手くらいは知っておいてもいいだろ」

ああ、ほらこうだ。仕方ない。こんなの諦めちゃうしかない。
女の子としてのゲンが、わあわあ叫ぶ。ねえこれ認めよ、いいかげん逃げらんないよ、ねえ。わかってるでしょ俺、ねえ、気づいてるんでしょ。

好きなんだよ、千空ちゃんが。

わんわんと脳内で叫ばれ他の事が考えられなくなる。ああ、ありえない。こんなの引きずられているだけだ。だってゲンの肉体がどれほど女の子のものに変化していても、精神は変わらない。これまで通り、男の、千空に好意的ではあったけれど恋などしていなかった、男のものだというのに。

本当は、千空が、じゃない。
ゲンが。ゲンの方が、我慢できない。

流されるんじゃなくて、請われたからでもなくて、ゲンが求めているのだ。
性欲を持って触られている。診察という名目の陰に隠れて、なにもかも全部見てほしい。触って。もっと。もっと欲張って。欲しいって言って。
挿入したいと請われたら。女の子として求められたら。
ゲンは。

「……別に千空ちゃんに説明してもらわなくても、また女の子になったらちゃんと言うよ。その時恋人がいたら。だいたい隠せるわけないじゃん? プラトニックならまだしも」
「いーや、テメーは隠すし隠し通せる」
「なに、ゴイスー信じてくれてんじゃん、どうしたの」

うれしいけれどうれしくない。
ゲンの恋人に自分がなるなんて想定もしていないからこその返答。
惚れた相手ができたから触られるのが嫌になったんだろう、なんて。説明するから連れてこい、だなんて。

「……千空ちゃんのバカ」

知ってるし。女の子の体に唆って診察って名目でエッチな触り方してたくせに。なのに診察とかバーカバーカなんだそれ。ごまかし野郎。
わかってるし。ゲンが男だったら欠片も興味持ってないくせに。さりげなく千空とセットの仕事を増やしたり、男と二人きりにならないように気をつかったり、外で水浴びするより中で拭けってお湯沸かす用のコンロつくってくれたりしないくせに。
知ってる。わかってる。だってずっとそうだった。
千空の傍にずっといたのに。男のゲンが、ずっとずっと。
なのに千空が唆ったのも、優しくしてくれたのも、思いやってくれてるのも。全部全部、女の子相手なのだ。

「むっつりスケベ。頭でっかち。バカバカバーカ」
「っだおい、ケンカ売ってんのか」
「俺が女の子の体だから唆っただけじゃん!」

言う必要のない言葉が転がり出た。

そんなの当然。指摘する必要もない。年頃の青少年がお手軽に触れていい女体を差し出されたら興味を持つのなんてあたりまえ。女の子の体だから唆った。そうだよ。わざわざケンカ売るなんてしなくても。
でも、でも、でも。千空があんまりにもひどいから。ゲンに興味なんてないくせに、存在もしない誰かに説明するって言いながらしょげた顔をするから。
男のゲンのことはどうでもいいくせに、女の子の身体にだけは独占欲をみせるなんてひどい。しょげた顔をするくらいなら、ゲン自身に少しくらい唆ってもいいだろうに。
ああやだ。やだやだやだ、こんなの一番やだ。みっともない。でもでもだってなんてメンタリストとしてどうなの。いいことなんて一つもないってわかってるくせに。
コントロールできない。言葉が止まらない。言ってもどうしようもないと理解しているのに。

「男のままの俺だったらしないでしょ!? 女の子だからしたんじゃん! 好きな相手とかなんなの、意味わかんない!!」
「おい、なにをそんな興奮して」
「正直に女体に唆ってあれこれしましたって言えよへたれ! 男の俺にはなにもできないくせに!!」

終わった。言っちゃった。
まん丸に目を見開いている千空を見て、己の口から飛び出した言葉を思い返して、ゲンは覚悟した。
千空は忘れない。ごまかされてくれるかもしれないけれど、今ゲンが言ったことを、なかったことにはできないだろう。

こんな、男の自分にもなにかしてほしい、みたいな。
同性の同盟相手からぶつけられるには重すぎて困惑するしかない感情。女の子の身体だから唆る、そりゃそうだ。ゲンとて合法的に触っていいよとなれば、戸惑いつつ触れてしまうだろう。男のゲンに触らない。当然だ、理由がない。診察、という名目さえ。
勝手に激昂して怒鳴って、意味がわからないと嘆きたいのは千空の方だ。男の体だったゲンになにをしろと言う。ねえ、ごめんね。
千空は悪くない、ひどいこともしていない。年頃の青少年としてはよく堪えた方だ。それで。それが。ああ、どうして。

ほろりと零れ落ちそうな涙を閉じ込めるため、ゲンはぐっと目を閉じた。
ダメだ、泣くのは卑怯すぎる。勝手にわめいて、なじって、泣くまでしては一方的に千空を責めているだけになってしまう。
違う。ゲンはそんなことがしたかったんじゃない。
ちゃんと大丈夫になったよと伝えて、助かったって感謝もして、それで。
いつか千空が好きになった子ができたら協力するから教えてねって言えたら大成功。無理でも、そのうち。ちゃんと言えるはずなのに。

「……テメー黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって」

こんな風に怒らせたいわけじゃなかった。
エッチな触り方をされたのだって、嫌じゃなかった。

「惚れた相手ができたなら、ってこちとら必死に虚勢はって精一杯の譲歩してんだわ。卑怯な真似してたから後ろめたくてな、せめて言い訳しねえでって黙って聞いてたらなんだ? あ゛!? 女だから触った??」
「っ、ちょっと言いすぎたかも、そこはメンゴ。あの、感謝はジーマーでしてるんだよ? ただほら、あんまり迷惑かけるのもなんだしもう戻ったから気にしないでほしいって言うか」
「ほーん、戻った。つまりテメーの自己認識じゃあ今、男の肉体なんだな」
「そうそう! 千空ちゃんはお手軽に触れる女体がなくなってちょーっと残念かもだけど、言っても胸も小さいし服着てたらわかんないくらい男だったんだし、ってか俺だし」
「おう、テメーだ。ゲン」
「初心者くんもスライム相手で経験詰んだら次いくじゃん? せっかく千空ちゃんも女の子に興味が出てきたんだからこの際あちこちに目を向けてみたら、……ッ」

手首に痛みが走り思わず目を開いた。
強く、握りつぶすかのような力で千空が手首をつかんでいる。ずっと優しかったのに。くすぐったくて笑っちゃうくらいに柔らかく撫でてくれてたのに。
男相手だとこんなに力任せに。ゲンのことなど考えず。女の子の時はあんなに思いやってくれてたのに。

違う違う違う。千空は不器用なだけ、知らないだけ。女の子に優しくすることは知ってても、男になら力加減なんてしなくていいと思っているだけ。きっと。ゲンが今は女の子だから、女の子の肉体は脆いから。だから痛いと思うだけ。
ねえ、そうだよね。

「今回のお礼に、千空ちゃんがちゃんとつきあえるまで協力するよ~。さすがに人妻はバイヤーだけど、相手のいない子なら誰だってお任せ!」

メンタリストに任せてよと、きちんと笑えているだろうか。

 

 

 

湿った空気と水音。似たような雰囲気はこの間から何回もあったけれど、決定的に違う声。

「ゲン」

診察中、どれだけ触り方が性的でも千空はけしてこんな声を出さなかった。あくまでも確認、診察。態勢を変えたり足を抑えたりの指示は、常日頃聞くものと大差なく。

「こっち見ろよ。ゲン、しっかり目ぇ開け」

聞き分けの悪い子どもを促すようなセリフを、甘ったるく蕩けた声で言うものだから、つい視線を向けてしまう。
ゲンの足の間、股より少し顔を離した千空がなにかを口に含んでいる。
クリトリスがくちゅくちゅ舐められ、ちゅぱっと吸われる感触がしたのに千空の顔はそこにない。離れている。なんで。なに、どうして。だって感触は確かにあるのに。

「え、や、なんでぇ」

千空の両手はゲンの太ももに添えられ足を閉じないように固定している。舌をべろりと出しなにもないところを舐める仕草をすれば、クリトリスがねろりと舐められた。
おかしい。距離がある、届かない、そこにはなにも触れていないはず。なのに舐められている感触はたしかにあって。
舌をだしたまま、なにかをなぞるように千空の顔がゆっくり股間に近づけば、やわらかいぬめっとした感触がゲンに伝わる。なにもないのに。見ているのに。見えないのに。

「なに、なんなの、っ、おかしい」
「どこがどうなってる、感じる、全部言え。いつもみたいにちゃんとテメーの言葉にしろよ」
「だってない、ないよぉ…ッ」

今度はゆっくりと千空の顔が離れていく。確かに距離があって、ゲンには絶対になにも触れていなくて、それなのにクリトリスはまた舐められた。なんで。誰に。

怖い。

いつも言葉にできたのは、千空がなにを言っても受け止めてくれたからだ。
女の子の身体になって、未知の快感を知って。混乱してぐずぐずになったゲンに、嫌なら目を閉じていろと、俺が見ててやるから大丈夫だと千空が。
みっともなく気持ちよくなっても、泣いてわめいても、千空が名を呼んで大丈夫だと言ったから。問題ない、ゲン、経過観察だけだ。ゲン。反射だ、おかしくない、男でも女でも誰でもこう反応するんだ。ゲン。

「いつもみてえに恥ずかしがって目ぇ閉じてんのもおかわいらしいがよ、今回ばかりはちゃんと見ろ」

落ち着いた声音で名を呼んでくれた。いつも通りの、日常の続き。
目を開け、なんて。見ろ、だなんて。こんな食らいつきそうな目をしていたなんて、ゲンは知らない。見ていない。

「うそ、うそやだ、なんで」

なにもない。
それなのに千空はなにかを頬張りゲンは快感を得ている。千空の頬が内側から押されて膨らみ、顔がゆがんでいる。知ってる。3700年さかのぼらないといけないけれど、ゲンはこの快感を知っている。
ただ、女の子の体ではけして得られないはずの。

「なんで俺フェラされて……!? おちんちんないのにぃ!??」
「あうお」

もごもごと千空が口を動かした途端、生ぬるいものにぐにゅりと挟まれ思わずゲンは息をつめた。
イクかと思った瞬間冷たい空気に包まれ、ないはずの陰茎の根本がぎゅっと千空に握られる。

「あるぞ」

わざわざ言い直した千空は、にんまり笑って指先ですいと空間をなぞった。ピリリと快感が走り抜け、息が詰まる。

「テメーに今どう見えてるかは知らねえが、俺の目にはずっと変わらず男だ。昨日も、今日も」
「おと、え? 男??」
「立派に勃起したちんこ、ちゃんとあるぞ。ここまできてる」

ぺろりと舐められた感触はあるのに、千空の舌はゲンの股間から離れている。そう、まるで勃起した陰茎分だけの距離。

「うそ、だって千空ちゃん途中から結構エッチな感じにさわってきてたじゃん! あれ女の子の体だからでしょ!?」
「やっぱばれてたのかよ……テメーの反応があんまり唆るもんでつい。診察つってたのに悪かった」
「いやそれは女の子相手なら気持ちわかるし……ってほら、千空ちゃんが唆るってことは男なわけないじゃん」
「じゃあこれなんだよ」

唇で竿であろう部分を食まれて、腰が跳ねる。

「俺にはずっと、男に見えてた。男のテメーの乳首吸って、触って、あちこち舐めてした」

今日はまだ触れられていないのに、千空が言葉にするからこれまでされたことを思い出してしまう。診察だと思っていた。いや、本当はゲンもちゃんとわかっていた。あんなの診察だと思うなんてありえない。
立派な建前の元、千空はゲンの隅々まで知りたがったしゲンはそれを許した。知ってほしかったから。

「男のテメーに唆りまくってんだ。女はどこにも出てこねえよ、最初から」

ゲンの目にはなにもないように見える、けれど確実に快感はある。まさかそんな、ありえない。だけどいきなり女の子の体になった、もありえないような話だ。でも、だけど、だって。
足を抑えていた手もいつの間にか参戦し、千空がなにかをぐちゅぐちゅとしごいている。自分でするより強めの刺激とやわい口内の感触。千空のきれいな顔をゆがませているのはゲンの。

「やだやだやだ、うそ、なんで、やだって千空ちゃんダメ離し……ッ」

千空が手のひらに吐き出したどろりとした液体は、まぎれもなく精液に見える。

「さすがに女から精液は出ねえだろ」
「……罪悪感ハンパないから早く捨てて、口ゆすいで。……出しちゃってごめんなさい…」
「出させようとしてフェラしてんだから出ねえ方が困る。へこむ必要ないだろ」

そういう問題ではない。

「男のテメーに唆ってる、ってこれならわかりやすいだろ。理解したか?」
「しました! いまだに信じらんないんだけど、俺は今男の体ってことはわかった。女の子になった、てのは俺の思い込みかなにか、了解です!! ……いやでもわかんないんだけど、千空ちゃん別にこれまで俺の事なんとも思ってなかったじゃん?」
「そうだな」
「男の人が好き、だった?」
「いや、考えたことねえな」
「だよね? そもそもこれまで俺のことそういう風に見たことなかったでしょ。なのになんで急に」

女の体に性欲がわき、そこに引っ張られて情がわいたのを恋だと思い込むならわかる。欲だけなんて申し訳ないという気持ちが、最初から恋をしていたのだと勝手に自分を騙し理由をつけるのだ。
ありえない話だが、ゲンが本当に女体化し、性欲につられ千空が恋に落ちたとする。その後、男に戻ったゲンに変わらぬ愛を告げるなら理解はできる。ゲンなら男に戻った相手に性欲を抱くことはできないが、千空なら違うかもしれない。この少年が自身で考えているよりずっとロマンチストで誠実なことを、ゲンは知っているので。

けれど千空が言うには、ゲンは最初から男のまま。女の姿になったことはないという。
ではなぜ。女体に引きずられたわけではなく、性欲を抱く対象でもない相手に。

「んなもんテメーに惚れたからだろ。惚れた相手に唆られねえでどうすんだよ」
「ぅえっ!?」
「なんつー声出しやがる。つうかテメーこそここまでされて抵抗のひとつもしねえってのは、俺のこと好きでいいのか」

抵抗。
そうだ、ミジンコの千空相手なら、いざとなれば蹴倒して逃げられると考えていたのではなかったか。
やめてと言えば止めてくれたのではないのか。

「……だって」

ゲンの両手は、診察の時と同じように上着の裾をたくし上げ胸の両横で動いていない。
足は大きく開き間に千空を迎え入れている。なんなら少し腰を突き出すまでして。じっとりしめった太ももの裏。震える膝。抵抗、なんて。すべて千空が見やすいように、見てもらうために。ゲンが自分から。

「だって、そういう感じ全然なかった。これまで」

女の子の身体になった、と告げるまで。

「そりゃこれまではそうじゃなかったからな」
「だから……っ」

女の子のゲンには優しかった。
痛いことも怖いこともしなかった。
男の時と違う。全然違う。なのに。
ずっと男だったなら、ゲンが変わっていないなら、どうして。

「これまでこれまでって、初対面から惚れてねえとアウトか!? テメーのことはずっと頼りになるヤツだって思ってた。で、今回焦ったり照れたりする顔に唆ってうっかり惚れた。もっと見たことねえ顔見てえし、さわりてえし、他の誰にもよこしたくねえんだ。……それじゃあダメかよ、ゲン」

一生懸命、一緒に考えてくれたのがうれしかった。
笑い飛ばさずゲンに向き合い、ひとつひとつ丁寧に。どんな小さな悩みでもくだらないと言わず、バカらしいと呆れず、いつでも気遣ってくれた。
優しかった。
女の子になったなんて秘密を共に抱えてくれた千空を、そういう意味で好きになった。優しくしてくれたから、うれしくて。

同じだ。
なんだ、そうだ。ゲンとてこうなってから、恋に落ちたのだ。
体に引きずられて、なんて。ずっと男だったなら、なにに引きずられて。

「お、女の子だからエッチな感じにさわるんだなって、思って」
「悪かったよ」
「俺じゃなくて、身体だけに興味あるんだって思ってて」
「テメーのだからだ」
「千空ちゃんはちゃんと女の子に唆るんだから、俺が邪魔しちゃダメって」
「んだそりゃ」

ああ、ほら、今も。
駄々をこねているだけのゲンの言葉にひとつひとつきちんと応えて、面倒な様子も見せない。
甘やかすみたいに笑って、かわいいなって目をして。
こんなのずるい。ひどい。

「うそ。……ほんとは俺が、千空ちゃんと誰かが仲良くなるの見るのやだから離れようとした」
「テメーがいいって言ってるだろ」
「うん」

好きに、なってしまっていた。いつの間にかずっと。

「うん……好き」

ゲンの目にはまだ自身が女に見えているが、千空には男に見えているという。これまでも男のままであったと。では下心がある触り方だと感じた時も、ずっと千空は男のゲンにそういう行為を。

「……俺、男でよかったのかぁ」
「あ? なんだ?」
「ん、ううん、俺の目がバグってるだけなら明日から気にせずこれまで通りした方がいいだろうなって。風呂とか着替えとか」

なんだかんだ千空にはかなり気をつかってもらっていた。
今後は少しでも楽になるだろうと笑いかければ、なぜか顔をしかめている。

「どしたの」
「……テメーはずっと俺には男に見えてたんだ。で、こうだ」
「うん? ゴイスー大変だったよね、ありがと」
「そうじゃねえ。あ゛~、だからつまり、俺はわりと心が狭い!」
「いきなりなに、ってい゛だっ!! え、なに!?」

なんの説明もなく内ももに噛みつかれ、ゲンは悲鳴をあげた。
くっきりついた歯型はどうごまかしても人間のものだ。こんなもの誰かに見られたらどんな誤解を受けるかわかったもんじゃない。

「ドイヒー! なんなの急に、これ消えるまで温泉も行けないじゃん」
「だろうな」

満足げににんまり笑う千空が理解できない。
ひどいひどいと嘆くゲンに、言っただろうと千空は胸を張った。

「男でも女でも関係なく、テメーがいいんだよ、俺は」
「ゴイスー熱烈、うれしいよ」
「つまり男でも女でもむかつく」
「は?」
「ゲン、テメーの周りにいる人間すべてに妬くんだ、俺は」

 

◆◆◆

 

目覚めてすぐ確認した体は、男のものだった。
ささやかに膨らんでいたはずの胸はぺたりと平らで、股間には生まれてこの方慣れ親しんだジュニア。
消えても変化してもいなかった男の肉体。千空の目に映っていた、ゲン。

「……この体に唆られちゃったの、千空ちゃん」

ゲンの腰に腕を回し、眠りながらも独占欲を発揮している千空。昨夜つけられた内ももの歯形。

女の子の体になったと一番に千空に相談に来た。他の誰かに言うなんて考えもしなかった。男のゲンが女になったなんて、こんなバイヤーな現象に千空がそそられないわけないから。
興味を引きたくて、視線を独り占めしたくて、ほんの少しでも可能性がほしくて。
女の子だったらな。今のままの自分は好き、それでも。興味をもたれる形ならな。今の体では皆と同じだから。自分だけの強み、自分だけの武器、自分だけの。通常ありえないことが起これば相談にのってくれるに違いない、千空なら。

男でも女でも、なんてゲンだって。千空であれば、千空でなければ。
敵を欺くにはまず味方から。自分の持てるすべてを使って。なるほどなるほど。

「やるじゃん、俺。百億万点だ」

自分を騙すにしても、こんなに完璧に。
持てる力すべてをかけて落とした恋人の隣で、ゲンは晴れやかに笑った。