友達の話

「確かこの間、結論でたんだったよね?」

疑問形、の形をとった尋問に目の前の二人はしおしおと頭を下げた。ソファにちんまり並んで座る姿は、人類復興の立役者とその懐刀にはまるで見えない。せいぜい叱られ待ちの学生だ。もう学生なんて年齢ではないんだけど。
その節は羽京ちゃんにもご迷惑を、とゲンがしょぼしょぼ口にするが、わかっているなら巻き込まないでほしいというのがこちらの偽らざる本音だ。
もちろん彼らの事は大切な友人だと思っている。人類総石化なんて状況から復興まで、一歩一歩諦めずに歩み続けてきた千空やゲンを尊敬しこそすれ、見捨てる事などありえない。助けを求められたらいつ何時でも手を貸したいと考えているし、そのつもりだ。
だけどこれは違うでしょ。

「そもそも僕に聞くことじゃないんだって。こういうのって二人の問題だよね?」
「そーだけど! それはモチのロンでそうなんだけど! 参考っていうか相談っていうか。頼れるのが羽京ちゃんしかいないんだって~!!」
「男同士でどっちがどっちに突っ込むかなんて、部外者いちばんいらないやつでしょ!」

羽京、心のシャウト。
参考ってなに。いったい何をどう答えればいいんだ。二人で話し合ってね以外の何が言える?
前回も切々と説いたはずなのにどうして頼れる相談者ポジにされているのか。頭を抱える羽京にダメ押しのように、千空の声がかかる。

「悪ぃな、俺らのダチのことで」
「……ああ、うん、『友達』の話なんだよね……」

千空、大樹以外にセックスのポジション相談されるような友達いるの? などとひどいことは羽京には言えない。
確かにこういった相談でいもしない『友達』を作り上げ、自分じゃないですよのテイで相談するのはお約束だ。それおまえのことだろ、とわかっていても指摘しない程度の優しさは羽京にだってある。ちゃんと前回は素知らぬ顔をしておいた。
だがそれはそれとして、ここまでわかりやすいのはどうよとゲンを見れば「そうそうトモちゃんがさぁ」などと重ねてきたので羽京はぐっと拳を握った。
ああ、二日目のカレーにつられなければこんな状況におちいらなかったのに!

 

 

確かに、カレーにつられた羽京が悪かったのかもしれない。
いやでも二日目のカレーだよ? 千空ちゃん作のカレー食べにおいでよ、なんてゲンに誘われたら誰でも当然ホイホイついて行くに決まってる。
世界中を飛び回るゲンがお土産にと各国の調味料を持ち込むから、千空作のカレーは様々なスパイスが効いていてとてもおいしい。千空はもっと違う土産よこせなんて言ってるけど、腐らないかさばらない土地によって違いがある、で一番合理的ってやつ。というのはゲンの主張。
まあ、カレーにつられ二人の新居に遊びにきた時点で羽京に油断があったのは事実だ。だが、ポジションについてはとうに解決したのだと。なんならそのお礼かもしれないな、と思ったのは悪くないだろう。
なんせ前回、『友達の話』として男同士のポジションをどう決めるか相談された羽京は八面六臂の大活躍をした。もういっそ羽京ちゃんが決めてくんない? などと投げやりになるゲンを諫め、ちょいちょい設定を忘れ我が事のように語る千空に気づかない顔をし、二人で相談しても埒が明かないから巻き込んだと堂々胸を張る恋人達が「交代で試して良かった方にすっか」「トライアンドエラー、ってわけね」と顔を見合わせ微笑みあうまでやりきったのだ。
頼むから最後まで友達の話という建前を忘れないでほしいと羽京は切に願った。やるならやりきってくれ。正直なところ、グダグダに穴だらけな『友達の話』より本人達のこととして話してほしかった。千空とゲンがつきあっていようがセックスポジションがどうだろうが今更驚きもなにもないが、設定をすっとばされると「いいの? それ言っちゃうと自分のことってバレちゃうけど??」と無駄にハラハラするので。
なので、こんなにがんばったんだからそりゃ二日目のカレーくらいごちそうしてくれるよね、とウキウキ遊びに来た羽京は悪くない。ないったらない。今そう決めた。

「というか、両方試してみてもう一度話し合う、に決まったんじゃなかったの」

前回の、ちょっと羽京ちゃんの意見が聞きたいんだけど、から始まったどちらの尻に挿入すべきかプレゼンを思い出し遠い目になる。『友達の話』なのにそこまで深い話を無関係な第三者にするの良くないよ、と言えばよかった。そうしたら今こんなことに巻き込まれていなかっただろうに。
男同士が理由ではない。千空とゲンがつきあっているのは以前から知っていたし、仲がいいに越したことはない。
ただ羽京は、異性同性関係なく、親しい友人間の性的なあれこれを知りたくない。まったく。挿入の方向がどっちとか二人だけの秘密にしてくれ。そして友人とはカレーに合うトッピングの話とかしよう。本気で。

「ああ、まず俺、のダチが突っ込んだんだが」
「まだその設定でいくの」
「設定とかじゃないです~。トモダチの話です~」

しかもこれ。
だからどこに存在するの、その友達。
恋人になってそれなりに長いらしい二人だが、挿入を伴う性行為は医療がもう少し発展してから、と復興後のお楽しみにとっておいたらしい。 医者もろくにいなかったのだから慎重になるのはわかる。やりたい盛りだろうにセックス我慢してえらいな、とも思う。だけど教えてはいらなかったな……どっちがどうの話をするには避けて通れないって言われても、まずその相談をされたくなかったな……ここまで聞いておいてあれだけど。

「初回はなんとか終わったんだよ。で、次はこいつが突っ込む番なのに別にもういいとか言い出しやがって」
「別にいいでしょ、千空ちゃんの希望通りそっちが入れる方していいって言ってるんだから」
「そういうことじゃねえだろ、する前はテメーが突っ込むって張り切ってたじゃねえか。なんで急に意見変えてんだよ」
「意見変えさせたくてやったんじゃなかったの? それともしてみたら思ってたほどよくなくて突っ込まれたくなっちゃった~!?」
「あ゛!? 誰もんなこた言ってねぇだろ、テメーの中は最高だったが!??」
「じゃあいいじゃん、はい終了~」
「じゃねえんだよ!!!」

……なるほど。
いやなるほどじゃないな。というか、相談ってこれ? 前回から話進んでここ? まさか羽京はこれに割って入って冷静な意見とやらを言わないといけないのか??

「羽京!」
「羽京ちゃん!!」

俺の味方だよな、という視線が痛い。なんで二人そろってこっちを見る。そういうところで息ピッタリになるくらいなら、挿入方向でも息を合わせてほしかった。

「だからいいかげん友達の話設定を諦めなって!」

 

 

個別に話を聞きます、とリビングからゲンを追い出し千空の対面にかけ直せば、眉間にしわを寄せ不機嫌そうな顔を向けられる。
照れくささを不機嫌でカバーするなんて青さが妙に眩しくて、羽京は軽く笑った。

「んだよ」
「いや、うれしくて」

出会った頃ならきっときれいに隠されていただろう。まだ線の細い少年だった頃から、千空は自身のコントロールに長けていた。大人顔負けのそれは当時確かに武器になったが、今はもう不要だ。その実感が、羽京はなによりうれしい。

「千空とこんな話するようになるなんてね」
「……まさか愛だの恋だのが最重要課題になるなんざ、予想外だ」

最重要なんだ、なんて恋に浮かれる青年に指摘するほど羽京の意地は悪くない。二人の友人として、お互いを大切に思っているのは喜ばしいので。

「今更だからはっきり聞くけど、一応片方は試したんだよね? 千空としては、そっちは無理だなって思った?」

性器を挿入するかされるか、に性別も愛情も無関係だと羽京は知っている。
愛情があっても性欲がわかない場合もあるし、好意がなくとも性器の挿入はできる。個人的に許せないが、体罰のひとつとして性器を挿入する人間が存在するのも知っている。
肉体の反応と反射、情動は連動しない。だから千空が挿入を伴うセックスを苦痛だと感じても、ゲンへの愛情が無いなんてことはない。

「いや、正直気持ちよすぎてちんこ溶けるかと思ったしまたしてえと思ってる」
「あ、そうなんだ」

心配していた方向とは違っていたので少々肩透かしをくらった。いいんだけど。もちろん千空とゲン双方の希望が合うことが大切だからいいんだけど、じゃあ何だ。羽京はいったい何を求められているんだ。

「なら喧嘩する必要ないんじゃないかな。ゲンも受け入れる側がいいって言ってるんだろ」

男の尻に入れたくない、やゲンのことは好きだが性欲がわかない、ではないのだから何の問題もないだろう。なぜこじれている。確かに前回、双方試してみたらと提案したけれど、絶対守らなければというほど生真面目なたちではないだろう。
喧嘩はしてねえと小声で反論してくる千空をじっと見れば、ぐっと拳をにぎりしめて口を開いた。

「正直、ゲンとのセックスは最高だった。とんでもなく気持ちよかったし、できるならもっとしてえ。つきあいだした頃にやっちまってたら猿になってたわ」
「十代だったもんね」

そういうもんだよと頷けばそういうもんかと納得される。
ああ、この子はこんな、羽京にとって当たり前のことさえろくに知らず何もかも人類復興のためにささげてきたのか。千空が望み選んだ道で、彼が後悔などかけらもしていないことを知っていても。それでもなお、ほんの少しの心の痛みが消せない。もっと寄り添えなかったか、なにかできることはなかったか。支えていたつもりだったけれど、目の前の青年のたくましいとはいいがたい背にすべての責任を乗せていたのは事実だ。

「だが、ゲンがやりたくねえならいい。あいつに無理させてまで自分の性欲満たしたいわけじゃねえ」
「え、やりたくないって言ってた??」

わりと赤裸々に、千空ちゃんとセックスした~いできな~いと叫んでいたゲンを知っている身として羽京はそっと問うてみた。もしかして清純ムーブとかしてないよね今更。千空の好きなタイプをロールしているなら、羽京と飲むたび「どうしよう千空ちゃんかわいすぎてこのままじゃ襲っちゃう……ウソ絶対しないよ傷つけたりしないよぉ愛してんだからジーマーでセックスくらいしなくても平気だよぉ」とぐずぐずしていたのはばらしてはいけないだろう。
ゲンがそれなりに性欲のある成人男性だと知っていたので、羽京は慎重に言葉を選ぶ。
羽京が思い込んでいたようにゲンも、千空には性欲がないのだと考え「俺も全然ないのよ、だから安心して♡」的なことを言っていたら。この十年の友人の苦労を無にするわけにはいかない。

「言ってねえ。いや、俺に挿入するのはなしでいいとは言った」
「ええと、二回目をしたくないじゃなくて、次からもずっと千空を受け入れる方がいいってことだよね。してみて、ゲンは受け身の方が気持ちいいからそっちがしたいって意味じゃないの」
「……泣いてたんだよ、あいつ」
「え」
「こちとら童貞様だからな、初回からヒンヒン言わせるとかさすがに無理だってわかってる。だからせめて痛みがねえように、傷つけねえようにってくらいは気ぃつけてた」

初回からというよりヒンヒン言わすっていうのがちょっと夢見がちというかさすが童貞というか。
いやまあ千空のかわいらしいところを知ったということでいいんだろう。羽京は、セックス中演技する人多いらしいよとは口にしないでおいた。彼の恋人など、盛り上げるために演技のひとつやふたつ、ばれないようにさらりと入れ込んできそうだ。ジョーシキでしょ、とにんまり笑う顔が目に浮かぶ。

「でも泣かれちゃった、と」
「おう。そこまで下手くそだったかってショック受けてねえとは言わないがな、セックスだってトライアンドエラーだろ。回数こなしゃちったぁマシになるだろうし、突っ込む方なら気持ちいいのはわかりきってんだ。じゃあ今後は逆でいきゃいいじゃねえか。俺はあいつとずっとやってくためならどっちでもいいんだ。ならゲンがつっこみゃ問題ねえ」

泣く。セックス中に、あのゲンが?
ドイヒーとしょっちゅう泣いていたが、あれはノーカウントだろう。なんせ涙は自由自在に操れたはずだ。
そもそもセックスして泣くほど痛いとか嫌だとか、挿入する場所を間違えたとか無理やり突っ込んだくらいしか羽京には思いつかない。場所は男なら尻以外ないし、間違えないだろう。傷つけないよう気をつけていたと千空が言うなら確実にそうしたに違いない。
それでゲンが泣く、なんてありえるんだろうか。

「……千空とひとつになれて感激のあまり、とか……ごめんちょっとこれ僕の中のゲンの解釈違いってやつかもしれない」
「悪いがそりゃ俺もちっと無理がある説だと……ゴイスー自主練したから俺のナカ超気持ちいいよ、ってご機嫌に足開いてきやがったんだが」
「そっちなら解釈一致だ」

飲むたび千空がいかにかわいいか語られてきた羽京としては、お試しといえ俺のナカで気持ちよくなってねと全力で自己開発したゲンしか思い浮かばない。おおげさに喘ぎはしても、泣きはしないだろう。

「……もしかして千空、その、ゲンの泣き顔にぐっときたりなんて趣味が」
「ねーよ!」
「だよね。いや無いとは思ってたんだけど、ゲンのことだから千空にそういう趣味があったら合わせそうだなとか」
「それだ」
「ん?」
「元々あいつは異性愛者だ。ハーレムが夢だなんだ言ってやがったし、石化前につきあってたやつも女って聞いてる。今回偶然俺にひっかかったが、ゲンの知ってるセックスはちんこ突っ込む方だろ」
「まあそうだろうね」
「今回ゲンとやってみて思ったんだが、途轍もねえな。自分で処理すんのとまるっきり違う。セックスなんざそうまでご大層に言うことかよと思ってたんだが、ありゃしたくなる。なんでも経験してみるもんだな、この年齢になって毎日やりてえとか思いもしなかったわ」

あまりの新鮮な感想に、羽京はゲンに席を外させたことを申し訳なく思った。
いやごめん。本当にごめん。これゲン絶対直接聞きたかったよね。悪気はなかった、どころか良かれと思ってそれぞれと話そうとしたんだけど、まさかこんな早々に『友達の話』設定が消えるとは思いもよらず。

「あれを知ってるゲンが、受け身オンリーに回るっつーのが納得いかねえ。ピッカピカの童貞テクに陥落、っつーわけもないだろ」
「千空に気を遣って受け身に回るって言ってる、と思ってる?」
「それ以外ねーだろ」

基本的にゲンは千空の意見に合わせる。それは彼が科学王国のリーダーであったからに他ならないのだけれど、恋人の現在もそうなのは我慢ならないということか。

「あの、一言いいかな」
「おう」
「それ全部ゲンに言えば万事解決では」
「あ゛? ……あー、だから、その……ダチの話なわけだが」
「ここから立て直せる『友達の話』ってある?」

つい茶化して睨まれてしまった。
羽京とて浮かれている自覚はあるが、許してほしい。だって千空がこんなにもゲンを求めている。
酔うたび好きだ好きだと管を巻いていたゲンを思い出す。大切で愛おしくてかわいい、何物からも守りたい男の子。けれど千空が先頭に立たねば未来に進めなかったから、せめてもと寄り添うことを選んだ友人。彼の献身が目の前で健やかに実を結んでいる。それはなんてすばらしいことだろうか。

「気を遣ってたとしても、それがゲンの希望ならかなえてあげればいいと思うけど」

千空だってどうしても受け身になりたいというわけではなかったはずだ。前回は、経験者のゲンが挿入する方がミスが起きにくいと主張していたのだから。

「トライアンドエラーなんでしょ? もし本当に痛みでゲンが泣いてたとしても、次は絶対痛くないように対策すればいいんじゃないかな」
「痛みじゃなく、男に突っ込まれてんのがつらい場合もあるだろ。ゲンのやつ、なんだかんだあほみてえにプライド高ぇし」
「それこそありえないと思うなあ」

千空相手ならなんでもいいと言いそうな男の顔を思い出せば、羽京の脳内で大正解と花を巻き散らかした。たぶんゲンのプライドはそこにはない。
本当はわかっているのだ、千空だって。ゲンはそんなこと気にしないと。
だからこそ妙に歯切れが悪く、非論理的な推察ばかり口にして。あいつはこう考えているんじゃないか、否定しているが本当はこうに違いない。ずっと一緒に居るんだから聞けばいいのに。それを、ああだこうだ理由をつけて勝手に思い悩んで。

「……あいつ、ふらふらしてんだろ」

覚悟が決まった、かのようにため息をついた千空はまっすぐ羽京を見て口を開いた。

「あっちこっち寄ってって首突っ込んで、どこ行ってもふらふらしてっから世界中に知り合いいんだよ。だからこそ外交官もどきも立派にやってきてくださるんだが」

ホワイマンの脅威が過ぎ去った後、ゲンは世界中への説明と交渉などという手間と時間ばかりかかる面倒事を割り振られ飛び回っていた。向いてないと嘆く本人は「だって千空ちゃんになかなか会えない」しか文句を言わなかったので、おそらく誰より向いていたのだろう。一応仕事の愚痴を聞くつもりだった羽京は、飲み会三度目から心配するのをやめた。そりゃ守秘義務とかあるかもしれないけどね? 恋人に会えなくてさみしいぴえんだけで力押しされる酒の席とか最悪だからね??

「俺が言うのは筋が違うっつーのはわかってんだ。あいつを責めたいわけでもねえ。全力でやってくださってんのはわかってるし、あんな七面倒で難易度高いこと片手間でやれってのが無理なのも」
「うん?」
「でも、あ゛~どう言ったらいいか……いやどう取り繕ってもどうしようもねえんだが、俺は」

がばりと頭を上げた千空は、ひどく追い詰められた表情をしていた。

「あいつを閉じ込めとくことにとんでもなく唆った」

ひどい暴露がきた。
甘々の新婚宅かと思いきやここは監禁部屋だったのか。

「いや、でもゲン普通に出歩いてるよね? え、まさかそういうプレイを……!?」
「なんでそうアブノーマルなプレイをさせたがるんだよ! ちげえよ、そういう願望が俺にあるっつーこった」

今回ばかりは誤解されるような言い方をした千空が悪いと思う。驚きの余り短絡的な思考になるのはよくあることなので、そこで羽京を責められても責任はとれない。

「……ゲンを抱いた時、俺の腕の中、囲い込んでずっとこのまま俺のことだけ見て知ってどこにも行かなけりゃ、って思っちまった。あいつはそんなガラじゃねえのに。どこでも好きなとこふらふらするし閉じ込めたらさっさと逃げ出す、そういう男だっつーのに。なのに、ちっと一回尻に突っ込んだくらいで勝手に俺の脳は自分の物みてえに勘違いしだしやがって」
「千空が傍に居てって言えば大喜びで居ると思うよ、ゲン」

なんせ世界を相手取っている間も、最もつらいのは恋人になかなか会えないこと、だった男だ。千空が希望すれば全力で傍に居るだろう。腕の中でも外でも距離はたいして変わらないんだから、今さら気にしなくてもいいのに。周りも慣れているので騒ぐこともないだろうし。
というか、これまであまりに近しく居たので離れている現状に違和感を抱いただけなのでは。距離感バグってたもんね、と頷く羽京を後目に千空はひたすら鬱々と続けた。

「俺は自分の脳が信用できねえ。このままあいつを抱く方ばっかしてたら、本気で俺だけのもんだって勘違いしちまう。ゲンを女扱いしたいわけじゃねえし、俺の横に居るならどっちでもいいんだ。だがあんな気持ちいい事繰り返したらやめられなくなる。中毒性すげえぞ、あいつの中」

この会話中おそらく一番不要な情報ではないだろうか、ゲンの尻の感想。
大変シリアスに語られた千空の苦悩は、羽京にしてみれば「好きすぎちゃってあたしどうなるのかわかんなくて怖い」でしかなかった。
なるほど、童貞こじらせてこの年齢になるとなかなかの大惨事。初めてのセックスに浮かれちゃったんだね……仕方なかったことといえ、千空にはかわいそうな事をしてしまった。こんな話を羽京にしたとか、後から絶対恥ずかしさで悶える。黒歴史ってこうやって作られるんだなぁ。
神判を待つ罪人のような顔をした千空の気を楽にしてやることは、羽京にとって難しくはない。
けれどそれはパートナーの役目であろうから、羽京は終了を告げ千空をリビングから追い出した。

 

 

「わかってるから何も言わないで!」

ドアから入ってきた途端に叫んだゲンに無言でソファを指せば、ああだの違うだの呻きながら大人しく座った。

「はい、個人面談を始めます」
「ねえジーマーで反省してるから。羽京ちゃん巻き込んだこと反省しまくってるから今日はもう勘弁してくれない? 今度おごるし。あ、おいしいパンが食べ放題のお店教えるから!」
「『友達の話』は聞いてたと思うんだけど、それをふまえてゲンとしてはどうかな」

リビングを出はしたがドアの陰でこっそり聞き耳を立てていたことを指摘すれば、ソファにつんであったクッションに倒れこんだ。

「……あんなこと考えてたとか予想外すぎてリームー……あとこっそり聞いててメンゴ」
「するだろうなって思ってたから僕はいいよ。ちなみに千空はちゃんと自分の部屋にこもってるみたい」
「そうしてって言った。……ねえ、千空ちゃんかわいすぎない?」

同意してもしなくても怒られそうな質問は、答えなくてもよかったらしい。
クッションを抱え直したゲンは、ボスンボスンと拳を打ちつけながら熱く語り始めた。クッションへたるからあんまり乱暴にしない方がいいと思う。

「ってーかなに!? 俺がどっか行っちゃうかも!?? ないない、ないでしょどれだけ俺が必死で帰ってきたと思ってんの。全部千空ちゃんの傍に居たいからじゃん!? ずっと時間とられるより一気に終わらせて後からゆっくりしよってことじゃん!」
「それ千空に言いなよ」
「言ってる! 外交官もどきお役御免になるためにゴイスーがんばったって言いまくってるのよジーマーで。それも全部千空ちゃんと一緒に過ごすためだって。別に監禁プレイだってSMだってそこまでどぎついのじゃなきゃ全然オッケーだし! いやどぎつくても千空ちゃんとならいけちゃうかもだし!!」

なんで伝わってないかな~、と嘆くゲンを少々気の毒に思う。
彼ほど千空に忠実に献身した者はいないだろうに、まだ不安がられているなんて。ただまあ、千空の不安も恋が原因なのだから仕方ないと大目にみてやりたくもある。大人は恋に惑う若者に甘いので。

「でもさ、いくら恋愛感情に浮かされていたといえ、ゲンならどうにでもできたんじゃない?」
「なぁにメンタリストにそういう勝負いどんじゃう~? って言っても本当今回はダメダメ、予想外。俺とのセックスに拒否感なかったのはよかったけど、抱く方だと閉じ込めたいとか」
「待って。拒否感?」

きょとんとしたゲンの表情にわざとらしさはない。そもそも今そんなことをしても意味はない。

「え、千空がキミとのこと拒否するかもとか未だに考えてたのゲン」

それはあまりに千空が哀れだろうと口を挟めば、わからないとばかりに首をかしげる目の前の男。
羽京でなくとも、二人をよく知る人間なら誰でも。千空がゲンを、ゲンは千空をあまりに当然に特別扱いしていることを知っている。石化当初からの仲間だから、年齢が近いから、リーダーと参謀だから。そんな名目でこの関係は怖い、と言っていたのは誰であったか。
お互いを理解し、同じ未来を見、相手をただひたすら愚直なまでに疑わない。
そこにあるものがなんの名もつけられていない方が恐ろしい。あんなのおかしい。怖い。
その気持ちなら羽京も理解できる。いっそ愛だ恋だと言ってほしい。そうではないと、感情の巨大さだけが目につき理解できないのだ。
理由がほしい。わかりやすい。
千空に自覚がないことは納得できる。情緒面を置き去りに先頭を走っていくことを選んだのだ。けれど千空の落とすものを後ろから拾って歩いていたメンタリストが、ゲンが。誰もが皆そこにあるとわかっているものを見ていないなんて。

「さすがに恋愛感情に踊らされすぎじゃない?」
「そう言われちゃうと面目ないよねぇ。ほんと脳のバグ怖い、ちゃんと考えてるつもりなのに浮かれまくっておかしなことばっかり」

そこが楽しいところだけどさ、とまとめるゲンは自覚しているのだろう。千空のことに関してご自慢のメンタリズムがまるで仕事をしていないことを。
羽京としては、メンタリズムを駆使してではなく素であそこまで千空を陥落させていることに衝撃をいだいている。つまりお似合いすぎるということだろう。知ってたけど。今さらお互い以外を選ばれても困惑するけれど。

「千空ちゃんに好かれてることは疑ってないよ。セックスを積極的にしたいくらい性欲があるかどうかは怪しいと思ってたけどさ」
「そこは僕も。というかゲン、どっちでもいいって言ってただろ。急に頑なになったの、どうしたの」

かわいいかわいい恋人の希望なら、トップでもボトムでも、なんなら性行為はなくてもいい。一番近い位置で大切な唯一の存在になりたいのよ、ある意味ゴイスー贅沢でしょ。本心から笑っていたゲンを知っているからこそ、羽京は口を閉じない。
受け身をしようと主張していたのだって、男らしさに妙にこだわるところのある千空なら挿入したいのでは、という気遣い半分、身体に負担のかかるらしい受け身をさせたくない思いやり半分だろう。

「と、思ってたんだよねぇ……正直俺に勃たない可能性も結構あると思っててさぁ」
「見くびってるねぇ」
「そんなつもりじゃなくて! だって俺よ? そりゃ千空ちゃんが好む行動言動態度もろもろがんばってうまく唆ってくれてたけど、裸になったら普通の男でしょ。ごまかすにしても限度がさ、あるし」
「これ、好きな相手ならときめくよ待ち?」
「だからメンゴって! 俺が思ってるより千空ちゃんがちゃんと男の子でした!!」

じゃあなおさら、ゲンが受け身にこだわる理由がわからない。
もにょ、と口角を下げたゲンは再度クッションの海にダイブした。

「あのね、ほんっとうにオフレコにしてくれる? これ千空ちゃんにバレたら俺本気で逃げるから。羽京ちゃん責任重大だよ」
「はいはい、僕も首突っ込みたくなんかないんだよ新婚家庭に」
「……ゴイスー、大人になってたんだよね」

千空ちゃん。
ぽつりと呟かれた言葉は当たり前のことだった。世界的に有名な科学者としては確かに若いかもしれないが、石化から復活して十年以上、当時十代の少年も立派なアラサーだ。大人以外のなにものでもない。

「わかってるよ、だってずっと一緒にいたもん。別にいつまでも子どもだと思ってたわけじゃないしさ、どんどん成長してくの隣で見てたんだよ俺は。ひょろがりとかもやしとか言われてたのも、月行きの時鍛えてから一応継続してたのも知ってるし」

知ってるし。わかってるし。
繰り返す言葉はゲンの心情の裏返しだ。
子ども扱いしていたつもりはないのだろう。恋人としてつきあっていたのだ、一人前の男性としてふれあっていたつもりで。でも。

「なるほど、ゲンはしばらく世界中飛び回ってたもんね。そんなに離れたの、初めてだったんだ」
「成長期もう終わったはずじゃない!? ずるい! なんか力とか前より強いし俺より小さかったはずなのになんかちょっと大きい気するし、声も体温も手のひらの硬さも千空ちゃんじゃないのに千空ちゃんだし!!!」

声は、好きな相手の前では低くなるんだったか。目の前でクッションに埋まりジタバタしているメンタリストから教わった小ネタを思い出す。ゲンと初めて、で体温上がっちゃったのかもしれないな。荒れていた手のひらは、復興が進み以前よりずっと柔らかくなった。

「千空ちゃんだってわかってるけど、千空ちゃんだけど、でも俺の知ってる千空ちゃんよりなんかずっと大人でさぁ! 初めての童貞くんに教えてあげよ♡って俺のえちおにムーブはもうめちゃくちゃだし」
「えちおにってなに」
「えっちなおにいさん。経験者だからしっかりリードして最高の思い出にしよって」

呆れた羽京のため息は放ったままゲンの口は留まるところを知らない。堰が切れたように飛び出すのはあの日の後悔。
いや、これ惚気だな。まったく後悔してないな。

「痛いとかしんどいとかは覚悟してたし、千空ちゃんが俺に欲情して勃起してるって事実だけでイクかと思うくらい気持ちよかったから気にしないのに。なのにめちゃくちゃ丁寧にされるし、優しいし、ゆっくりじっくりで全然焦ったり暴発もなしで。童貞って嘘じゃん……ファッション童貞野郎め……もっと俺が上にのってあれこれって想定で」

具体的な話は別に聞きたくないけれど、積極的かつ丁寧にされたのなら痛みはなかったんだろう。
しかも受け身でえちおにとやらがうまくいかなかったなら、千空も希望するよう今度は逆をすればいいのに。

「ゲン、さっきからうまく逸らしてるけどいい加減白状しちゃいなよ。キミ達のセックスがどうなってもお互いが納得してるなら問題ないよ。でも僕を巻き込むくらいこじれてるならちゃんと話しな」

千空が思っていたより大人であったとか。
丁寧でゆっくりで、まるで童貞と思えなかったとか。
そんなこと、次は逆をやってみて話し合って決めようという最初の取り決めをなかったことにする理由にはならない。

「してみたら受け身が気持ちよかったからずっとやりたい、がゲンの本心なら千空は納得するよ」

言外に違うのだろうと告げれば、今度こそゲンはクッションから顔を上げなくなった。
千空が引っ掛かっていた、泣くほど受け身がつらいというのは違うと思う。どれほど痛くとも苦しくとも、そう決めたらゲンは顔にださない。男だから突っ込まれたくない、なんて根拠のないプライドもない。
だからこそ羽京はひっかかっている。
ゲンが泣いていた、という千空の主張に。もし本当に痛みで涙がにじんだとしても、千空に気づかれないよう拭うだろうに。
それもできなかった。もしくはしなかった?

「千空、ゲンが泣いてたのがとにかくひっかかってたよ」
「だよね……」
「そこは僕も」
「ほんとしょーもないことなのよ。……ムカついてさぁ」

は?

「同じひょろがり仲間だったし何かあったら反撃できると思ってたのね。男同士だし。なのにあの時、上からのしかかられて千空ちゃんに圧しかかられて、全然動けなくて」

どこにもいけなくて、千空ちゃんだけが俺の世界みたいになった。
右も、左も。逃げ場もない、千空ちゃんに囲まれて、押さえつけられて、首を振るくらいしかできることがなくて。
傷つけられると思ったことなんてない。即つっこんできてもおかしくないだろうに、もういいってくらい丁寧に慎重にしてくれる、この手が俺にひどいことするなんてかけらも。
だけど嫌だった。
ぎゅうぎゅうに抑え込まれて、抱きしめられて動けなくて。コントロールしてきた内心がぐちゃぐちゃになって好き勝手に流れていくのが、とんでもなく気持ちよすぎて震えた。
あんなのダメだ。お尻に入れるだけでこんなに精神がめちゃくちゃになるなんて。千空ちゃんの腕だけが俺をつなぎとめる枷だった。ピンでとめられた虫みたい。怖い。ダメ。俺が俺じゃなくなる。
……は? 俺じゃないのに千空ちゃんに愛されるとかどういうこと??

「童貞に気持ちよくさせられすぎてわけわかんなくなって怖い! 的な?」
「こんな俺は俺じゃないのに千空ちゃんに愛されるとかふざけんなって、ムカつくあまり涙でてきちゃったよね」
「……わお、ヒーヒー言わされてた」
「おやじくさいよ羽京ちゃん」
「千空に言って」

なにがさ、と凄まれても困る。これは千空の希望というかなんというか、羽京もまさか初回でかなっているとは思いもしなかった童貞の夢の話なので。

「いや、気持ちよすぎて泣いちゃった♡とは思いもしなくて」
「ムカついて、って言いましたー。まあ気持ちよくなかったとは言わないけど、というか初めてであれってほんとなに? 頭がいいとセックスも上手とかそういう?」

もうこれ手を放していいのでは? 精一杯がんばったと皆ねぎらってくれるのでは? 現状二人に必要なのは対話であり羽京の介入ではない。絶対に。

「……もうさぁ、言いなよ全部。ゲンが思うより成長してたんでしょ、千空。ちゃんと受け止めてくれるって」

気持ちよすぎる♡でもムカつく♡でもなんでもいいから。言葉にできなくても今の彼なら読み取ってくれる。それくらいの余裕ができた。時間がある。千空ただ一人に頼り切っていた頃と同じではないから。

「やだよ、かっこ悪い」
「ゲン、かっこいい売りしてたっけ」
「してないけど! けど、やだよ。ダメ。俺じゃなくなっちゃう怖い、くらいならかわいいけどさぁ……俺じゃないのに千空ちゃんとセックスするのどういうことって怒りがまずくるんだよ。さすがにここまで自分がこじらせてるとは思わなかったもん」
「俺じゃない、じゃないよゲンでしょ。少なくとも肉体は」
「そーだけど~!」

リアルタイム黒歴史建設中の千空も七面倒くさい拗らせ方をしているゲンも、羽京から見れば五十歩百歩。お互いに相手が好きなんだから、それ以外は放っておけばいいだろうに。
これまで、あれもこれもとすべての責任をおってきたから、抱え込むのが癖になっているのかもしれない。千空はもちろん、もしかしたらゲンも、恋に現を抜かしたこともないのだろう。恋愛なんてどうしようもない。バカになった方が勝ちだというのに。『友達の話』だなんて体裁を整えないと恋愛相談さえできないなんて、ああなんて世話のかかる。だから羽京が、人生のほんの少し先輩として世話を焼いてやるしかない。仕方ない。
だって彼らは、ようやくこんなふわふわした悩みで頭を痛められるようになったんだから。

 

 

「ところでゲン、僕ひとつ伝え忘れてたことがあってさ」

すい、と通話中の携帯電話を見せれば信じられないとばかりに見返される。

「千空と電話した後、切るの忘れたままゲンの『友達の話』聞いちゃったんだよね。千空も『友達』に相談されて知ってる内容といえ、申し訳なかったなあと」
「うそでしょ羽京ちゃん」
「やだな。千空はちゃんと自分の部屋にこもってたし、僕はゲンのしてくれた話を千空に言ったりしないよ。オフレコだもんね? 嘘なんてつくもんか」
「うそでしょ羽京ちゃん!!!」

ドアを力任せに開ける音と迫りくる足音をBGMに、羽京は晴れやかに笑った。

「ところで二日目のカレーはタッパーに入れてもらっていい?」