松野トド松は未来がみえる

そういやいつからなわけ、と隣から問いかけられカラ松は首をひねった。

「なにがだ?」
「ビール。そっからビール出るなんて宴会芸、初めて見たんですけど」
「おそ松は水出すぞ」
「まあそうだけど、おまえはやったの初めてじゃん」

そこ、と乳首のないつるりとした胸を一松に指さされ、そういえばしたことがなかったなと改めて思う。そもそも胸からなにか出そうと考えたことがないので、試したのもさっきが初めてだ。ビールを出したのも、やってみようかなできるかなできたらおもしろいな、程度の軽い気持ちで。なんせ酔っ払いなので。

「んん~、わからないな。……はっ、もしや乳首がないせいかもしれないな!?」

ほら、常は乳首が蓋になっていてな、マミーの愛の切断により自由を得た胸部のいたずらな……。

「でもさ」

酔いに任せて思いついたまま口にしていたカラ松トークを勢いよくぶった切った一松は、己とカラ松を見比べながら疑問を述べた。

「おれの出ないんだけど」

ほら、とふにふに胸部を揉む一松。確かに先程からこの弟にしてはよく飲んでいるというのに、液体らしきものはなにも見えない。

「マジか」
「マジ」

ふにふにふに。
ふにふにふにふにふに。

「マジだな」
「マジでしょ」

どれほど揉んでみても一松の胸からはなにひとつ出ない。ぐいとビールをあおって胸部を押せば、勢いよくびゅーっとビールが飛ぶ。カラ松の胸からだけ。

「……出るね」

まあ所詮宴会芸だし別に気にしなくてもいいだろう、そう口にしようとしたカラ松の口は、ぽつりとこぼされた言葉にぴたりと止まった。

「いいなぁ」

少し幼い口調は酔っぱらっているせいだ。目元が赤いのは泣いたわけじゃなく酒のせい。隣に座っているのは立派な成人男性で、弟といえ同い年で、今こんな風にぽわぽわしてちょっと弱っていて妙に保護欲をそそるのは絶対確実に酒のせい。それ以外のなにものでもない。
わかりきっているというのに、どうにもカラ松は弱かった。弟に優しくする兄、弟に慕われ尊敬される兄、そういう存在である自分。このシチュエーションを嫌いな兄はいるだろうか? いやいない。全国でアンケートを取ってもいい、絶対にこういうシチュ大好きなはずだ兄という立場の人間は。

「そっ、そうか!? いや、まあ、この技能にも口にはできない苦労的なものはあったりするんだが、うん、はは、そこまで一松が出したいなんて思わなかったぜ」

そこまで、とはどこまでか。一松は一言いいなぁと呟いただけなのだが、これまでの人生すべてをかけてチャレンジしてきたくらいの前提でカラ松はふっとため息をついた。才能があるから簡単にできているのだと思われているが実は裏では血のにじむような努力をしてきた男、しかしそれを憧れの目を向けるボーイには悟らせない……渋いな。クールだ。
なにひとつ努力はしていないが胸部からビールを出せた男ことカラ松は、カラリと氷を鳴らしてウイスキー(真名:麦茶)でのどを潤した。

「いやマジで羨ましいんだよね。別に胸からなにも出なくてもいいんだけどさ、ほら、芸は身を助くって言うじゃん。これから絶対必要だと思うわけ」
「ほう?」
「動画配信でやってくならさ、最初はむつごってことで注目されてもすぐ飽きられるじゃん。そこでチクビールだよ、インパクトすごいでしょ」
「なるほど」
「そりゃむつご売りでいくなら似てる方が断然話題になるだろうけどさ、個性とかって最近うるさいじゃん。そういう時に自分だけのなにかがあればさ、名前覚えてもらえたりしてさ」

まるでチョロ松に就職ついて真面目に考えろと説教されている時のような気分におちいるが、まあ間違ってはいない。なんせカラ松たちは先程動画配信者としてめでたく就職を決めたのだ。その祝いの席で今後のことを語り合う、これほどまでに適した話題はないだろう。
ただ問題は、カラ松には胸からビールを出して売りにする選択肢がないという話である。この松野家次男カラ松、いかす歌やクールな人生相談などは求められればいくらでも与えるつもりであるが、安売りはしない男である。だってあんまり格好よくないし、チクビール。
しかし常日頃さして執着心を持たない弟がこんなにも羨んでくるなんて、まったくカラ松の胸部も持ち主に似てギルティである。むつごなら体の作りも似たようなものなのだから、長男次男だけでなく四男からもなにか液体がでればいいのに。タバスコとか。少々の憐れみを持ちつつ、いくら芸といえクールではないからチクビールはしないと告げるつもりであったカラ松は、なにげなく続けられた一松の言葉にくるりと手の平を返した。

「モテるだろうし」
「モテ……? え、モテるのか!? チクビールだぞ!??」
「そりゃモテるよ。おまえ知らないわけ? 有名人ならなんでもいいってヤツはわりといるし、動画配信者がファンの子を~とか有名じゃん」
「え、ファンが」
「つくでしょ。最初はむつご珍しさから見ててさ、そのうちあの人なんだか気になるな……へえ猫が好きなんだ、みたいな」

さりげなく己にファンがつく妄想をしているあたり、一松も立派に松野家のむつごだ。ずうずうしい。そしてまたカラ松も、当然のようにファンにきゃあきゃあ囲まれている妄想を繰り広げてみた。
きゃーカラ松さんクール! しびれる! お願いまたビール出して見せて~。ずるーい次は私のお願いきいてくれるって約束ぅ~! ハッハッハ、カラ松ガールズ落ち着いてくれ。キミ達が望むならオレはいついかなる時でも出すさ……ビールを!!!

「……いいな」
「いいでしょ」
「サイッコーだな!!」
「サイッコーでしょ!?」
「っ、……そうか一松、おまえの胸からはなにも出ないから……」
「……仕方ないよ」
「すまない、こんな時にオレはどう言えばいいのか」

モテないことが決定してしまった一松に、モテモテ強者のカラ松が告げる言葉などない。それでもなにか力になれることは、と心痛めていた兄に弟は涙できらめく目をまっすぐ向けてとんでもない攻撃をしかけてきた。

「でも乳首が戻ったら出ないならおまえもモテない仲間だから」
「え」
「さっき言ってたろ、乳首切られたからでたんじゃないかって。つまり治ったら出ない、配信してもモテない、これまで通りクソゴミカースト底辺野郎なわけ」
「いや、でも」
「さっき出したのもさ、最初に十四松にしたのより勢いなかったし。たぶんどんどんでなくなってるってわけ」

言われてみれば確かにそうだった気もする。そしてむつごの怪我の治りはなぜか周囲の皆より早い。だからこそマミーも乳首を切り取るなどという暴挙にでるわけだが、まあそこはそれ。これまでの経験から朝になれば新しい乳首が生えているだろう。
ぎゅっと胸を押してみると、しょろしょろとビールが流れていく。先程までと違い、今のカラ松の気分のように弱々しい。
乳首が治ることは喜ばしいし胸からビールは出なくても問題ない。これまでは。しかしうっかりモテという夢をみてしまったカラ松にとって、チクビールはもはや欠かせないものになっている。だって上げて落とすとか酷なことするから。

「ど、どうしよう一松っ」
「な~にが~」
「ビールが出ないとカラ松ガールズが悲しんでしまう!」
「べっつにいーんじゃねーのー。ほら、なんせ最初からでないからこっちは。出る人はまあ、今後とも出るように努力なりなんなりしたらいいんじゃないすかねぇ」
「ぐっ、確かに出ないおまえには他人事かもしれないが……よし、じゃあ無事オレの乳首が治ってもビールが出るようになれば、次はおまえのも協力するから!」
「……でも自分でもなんで出るのかわからん、みたいなこと言ってたじゃん。そんな人が協力ってなにできんの」
「そこはこう、出るようにする過程で適当におまえも学んでくれよ。なあ、いじけてないで協力してくれって~」

別に一松はチクビールのプロではない。どちらかと言えば乳首のある状態で水を出すおそ松をこそ師とあおぐべきであり、一松に協力してもらったところでなにをどうしたらいいのかわからないのはお互い様である。
だが最初にモテの夢を見せてくれたからだろうか。カラ松はすでに、一松なくして成功なし、と思いこんでしまっていた。一芸が、とか売りが、なんて明日からのことを具体的に考えていたのも心強い。社会不適合者を自称しているが、真面目な男なのだこの弟は。

「一松、おまえだけが頼りなんだ」

オレのモテのためにがんばってくれ。その後でおまえのモテについてもちゃんと考えるから。胸から出す液体の種類とか。
精一杯の誠意を込めて懇願すれば、んぐぅと息をつめた音と激しい舌打ち。すぐ呼吸音から不審者の雰囲気出すのはお勧めできないと兄としては思うが、別にカラ松自身のことではないので指摘はしない。

「……ちゃんと、おまえも考えろよ」
「! おう!!」

ほら、やっぱり真面目でいい弟なのだ。
第一段階クリアだのちょろすぎるだの今の会話には関係なさそうな言葉を早口で呟きつづける不審者極まりないルックだが、中身を知ればきっとステキな一松ガールも現れるはずだ。同じくゼンラマンで通報待ったなしのカラ松は満足そうにうなずいた。
オレとおまえのモテのために精一杯がんばろうじゃないか!

 

◆◆◆

 

カリカリとかさぶた部分を爪の先でこすられ、カラ松は思わず逃げそうになる上半身を必死にとどめた。
モテのためにがんばる、なんて決意はとっくにどこかへ飛んでいってしまっている。

「だいぶ治ってきてる。ここ、たぶん下の方に乳首ができてきてるんじゃないかな。ちょっと感触が違うって言うか、なんかコリコリして芯がある感じ」

指の腹でくにゅりと押されると、確かに先程はなかった感覚がある。こう、少し硬めのグミを押しつけられているというかなんというか。しかしこの場合のグミとはつまりカラ松の乳首未満、乳首の種というべきもので。

「あれ、すげえ顔赤いけど酔った? さっきからビール飲みっぱだもんな」

おまえにしては飲んだ方だもんな、なんて他意のない一松の言葉にカラ松の頬はもっと熱を持つ。
違う。飲んだビールはほとんど胸から出てしまって、なんなら常より酔ってないくらいなのだ。この顔の赤みは酔いではなく、まぎれもなく羞恥からだ。

「じゃあもっぺん出して。乳首できかけで出たら、完全に乳首になっても出る可能性高いってことだし」
「お、おう」

胸の前、鼻がついてしまいそうなほど至近距離で見つめられながら乳首からビールを出す練習をする。
改めて考えればどこをどう切り取ってもおかしな行動を、先程から二人は大まじめにしていた。どんな世界線だ。現実味がまるでない。すでに酔い潰れ地面に転がっている兄弟達と仮眠をとっているチビ太の寝息ばかりが響く状況が、現実感を大いに損なっている原因という気もする。
そもそも酒に弱いカラ松と一松がそろって起きている、という状態が珍しいのだ。なおかつ穏やかに、ひとつの目標に向かって努力までしている。これは夢だろうか、と思うもぎゅうと押した胸にはピリリとした痛みが走るのでおそらくは現実だ。

「い、一松、あの」
「やっぱり出が悪くなってる。ねえ、自覚としてはどうなの。せき止められた、みたいな感じとかするわけ?」
「えっ、あの、よくわからない……」
「ちっ、使えねえな。ほら、あるじゃん、水飲んだらのどのとこ通ってったな、みたいなさ。そういうのはないの?」

こことか、と脇の下から乳首方面にするりと手をすべらされ、思わず息をのむ。

「お、ちょっと出た。なあ、今どの辺が流れた感じした?」
「流れたっていうか、その辺はよくわからないんだが、あの……出る時ちょっと痛いからそろそろやめないか」
「は? なんで??」

なんで? いやなんでがなんで???

「おっ、おまえの尊敬する兄が痛みを訴えてるんだぞ!? ここは大人しく引いてそうかこれまでありがとうカラ松兄さんぼくの分もがんばってモテてね応援してるよ、って言うのが筋ってもんじゃないか?」
「いや尊敬する兄とか生まれてこの方存在したことないし。つーかなにさりげなくおれへの協力もないことにしてんだよ」
「いだだだだだだっ、ちょ、痛い!!」

ぎゅむと乳首未満をつねられて涙が出てしまう。でっぱりがなくても胸の肉はあるのだ。つねられたら痛いに決まっているだろうバカ!
やる気がないと責められるが仕方ないではないか。痛いのは誰でも嫌だろう、カラ松もまるで好きではない。しかもこの胸の痛みは、ぴりぴりとまるで静電気でも起きているかのように胸元で弾ける。治りかけのむずがゆいかさぶたに時折走るパチンという刺激は、いつくるかわからないからこそ余計に痛みが鮮明だ。

「っ、は~。で?」
「え」
「痛いってなに、血はでてねえけどどんな感じなわけ」

眉間にしわを寄せ夜道では確実に会いたくない顔をしているが、これまでならカラ松の意向など無視して押してきたであろう一松が譲る姿勢を見せている。え、すごいな。そんなにチクビールができる兄は尊敬に値するのか。やるじゃないかオレの胸部!

「あの、パチパチというかピリピリというか、こう電気あてたみたいな感じでバチッとなるんだ。ずっと痛いわけじゃなくビールを出す時だけなんだが、もしかしたらふさがるべき穴? とかを無理やりこじ開けてるから痛いんじゃないかと」
「出す時ねえ……炭酸が刺激になってるとか?」
「でも最初は平気だったぞ」
「同じとここすってたら段々傷つくとかそういう理屈じゃないの」
「あ~、一理あるな」
「……で、止めるのはいいとしてさ、どうするの。そもそもおまえビールどこまで入ってんの?」
「んん? なんで胸もむんだ一松」
「ホースだってさ、蛇口閉めても中に水溜まったままじゃん。おまえの胸さ、さっき脇の辺から圧迫したら出が良くなったってことはその辺には確実にビール溜まってるわけでしょ」

なるほどその通りだなと肯いていると、再度どうするのと問いかけられる。

「どう、とは?」
「だからさ、このまま新しい乳首が生えたらたぶんおまえもうチクビールでないわけじゃん。ふさがるべき穴とかさっき言ってたし」
「そうだな」

モテは惜しいが痛みはもっと勘弁してほしい。きっとカラ松ガールズなら理解してくれるはずだ。

「じゃあ残ったビールはどこにいくかって話でしょ」
「……? 普通に胃に」
「行くなら乳首からは出てねえよ」
「だよなぁ」

一松の心配にやっと納得いって、カラ松は改めて己の胸部をマジマジと見た。外側からはわからないが、この中には未だ発射されぬビールがたぷたぷと眠っているのだろう。いずれ体内に吸収されるなら問題ないが、どうだろう。ビールはアルコールだ。アルコールを直接粘膜から摂取するとまずかったはず、という知識ならあるがこの場合粘膜と考えていいのだろうか。

「つーか腐るんじゃね」
「う゛ぇ」
「アルコールつってもそこまで度数高くもないしさ、体温くらいの温度で湿気もありそうだしカビとか大喜び案件でしょ」

体臭が腐臭とか最悪だね。ひひっと笑われあまりの未来に目の前が真っ暗になる。クールでクレバー、爽やかな香りのするいかした男松野カラ松を期待されているというのに腐臭だなんてそんな。

「い、一松~、そんな他人事みたいな顔しないで考えてくれ!」
「百%他人事ですし」
「おまえの乳首からビールを出す協力ができなかったのは悪かったって! 一人でモテようとしてゴメン、ちゃんとおまえにも一松ガールズができるような案一緒に考えるから」
「具体的には?」
「えっ、えーとあのその、あっ、サングラス! いかした男はサングラスだ! 今度おまえに似合うのプレゼントしよう!!!」
「ああいうのって似合う似合わないあるじゃん。本人不在で似合うのって言われてもねえ」
「え、オレの顔であわせたらどうせそっくりなんだし……」
「あーあーがっかりだよなぁ、まさかこんな裏切りがあるとかね~」
「じゃ、じゃあつきあってくれ! おまえに似合うの見つくろうから一緒に行こう!!」
「なんで交通費かけてまで出かけなきゃなんないわけ」
「わかった奢る!」

ようやくヨシと肯かれ肩の力が抜ける。近所のメガネ屋で見つくろうつもりであったのにいつの間にか交通費をかけて二人買いに行く約束になってしまったが、弟と出かけることに否やはないのでカラ松は晴れ晴れとした笑顔になった。よくわからないが協力はとりつけた。三人寄れば文殊の知恵というではないか。今回は二人だが、一人でこの試練に立ち向かうよりずっといい。

「……その解決策だけどさ、確実なのひとつあるよ」
「えっ、もう思いついたのか!? さすが一松だな!!」
「ひひ、あざーす。つーか思いつかないのがどうなのって話。要はさ、ビールを全部押しだしちゃえばいいわけでしょ」

ひょいと飲みかけの麦茶を手に取り、弟はそれはそれはいい笑顔で言い放った。

「これ飲んで胸から出るまでがんばったらビールは出切った、ってわかるでしょ」

ミネラルも豊富だしビールより人体に馴染むよ、きっと。

「……天才か!!!!!」

 

◆◆◆

 

「待って、なんでこの状況になったかはものすごく嫌だけど理解できたんだけど、まだちょくちょく疑問点あるしそもそも解決方法がおかしいって誰か……いや寝てたか……いやいやいや、えぇ~」

ふすまを開いたとたん、そんなに吸ったら乳首がとれるから、だのまだミルクの味しないからもっとがんばれ、だの言い合ってた兄達を見てしまうなどトド松は前世でいったいどんな悪行を成してしまったのか。憎い。ただひたすらにこの場にいない他の松達が羨ましい。
玄関開けたら二分でごはん、のノリでこんな試練与えないでくんないかな神様~!?

「……全然知りたくないけど一応聞くね。そもそも麦茶で押しだしきったんじゃなかったわけ」

同い年の兄の乳首をちゅっちゅちゅっちゅしつこくちゅっちゅ、え、まだ吸うのちゅっちゅっちゅ、してやがった方に視線を向けると、あぁんだのもっと優しくしてくれだの満更でもなさげに声を上げていた方が代わりに口を開いた。は~名前すら呼びたくねえ。

「それがな、予想より早く乳首が再生されてしまってまだビールの味がした気がする一松が」
「待って! なんか今いきなり現れた名前どういうこと? なんのつもり?? チクビール自分で押し出してたんだよね? なんで味の感想とか言い出してんのグルメリポーター気取りかよ」
「リポーターと言えるほどの感想はなかったぞ? いや、出が悪くなってきてただろ。押すだけじゃ出きらないしって一松が吸ってくれたんだ。協力するって言ったからって律儀だよなぁ」
「待ってってばだから。なんで聞けば聞くほどつっこみどころが満載なわけ!? つーか吸う!!? 兄の、男の乳首を吸っちゃうとか」
「待って待ってってトッティはおっとりさんですなぁ~」
「うっぜ、あごしゃくんな煽ってくんな。つーか乳首吸わせるとか一体なに考えて……っ」
「うん、一松は真面目だよなあ。問題解決のためってあの日からずっとがんばってくれてるんだ」

あまりの新事実にトド松はつっこむ気力を失った。
乳首を切り取られた日からすでに十日は経っている。その間、四番目の兄は二番目の兄の乳首を毎日吸っていたわけだ。素面の状態で。ちゅっちゅちゅっちゅちゅちゅっちゅちゅっちゅ。ものすごくピカピカつやつやした顔をしてやがるのが心底腹立たしい。吸われてる方も頬赤らめてんじゃねえよいいかげんにしろ。

「……ねえ、なんで麦茶じゃなくなったわけ」

ボケナスが手に持っているのはどう見ても牛乳である。麦茶ではない。
あまりのことに萎えてしまい、まったく建設的な意見を述べる気力がない。どうでもよすぎることをとりあえず口にしてみたトド松は、即座に後悔した。なんでこんなこと聞いちゃったんだろう、どんな返事されても脱力しかない。でもこの場に無言とか怖すぎるし。
より赤ちゃんプレイを楽しむため、なんて理由を述べられた日には自分には兄は三人しかいなかったことにしてこれから生きていこう。授乳松の策略にあっさりひっかかる頭すっからかんな兄も、実の兄の乳首を頑なに死守しようとする兄も自分にはいないのだ。健気に前を向いたトド松に、胸からビールだけでなく脳みそも出してしまったであろう兄はけろりと爆弾を投下した。

「色がついていた方がわかりやすいかと思ってな」
「……もしかして」
「こいつからの提案なんですよねこれが。神かよ神だよ神でしかないありがとうございます信仰待ったなしでしょこれ」

おまえかよ! おまえからの提案なのかよ!!!
すでにボーイズであることを隠しさえしない男がさりげなく祈りをささげている。本当に勘弁してほしい。家庭内同性交友も大概だが信仰だの神だの仏だの持ちこまれては宗教戦争が起こってしまう。だってどう考えても目の前のボーイズ以外にこのバカを信仰する存在はいないのに、勝手に鎖国だの弾圧だのしてきそうなのだ。
だが、勝ち誇った信者の鼻っ柱を叩き折ったのもまたその神であった。

「まあそろそろ止め時かと思っていたから、目撃してしまうこともないさ。すまなかったなトッティ」
「え」
「一松もつきあってくれて助かったぜ! おまえがいなかったらどうなっていたことか……きっと今頃オレの体からはフローラルとは言い難い臭いが漂っていたに違いない」
「や、でもあの、まだそんな」
「そーだよね! カラ松兄さんぜんっぜん臭いとかないし! フローラルでももちろんないけど!! きっともうとっくに出切っちゃってるよ、ビール!!!」

男の乳首なんて吸うとか苦行がんばってえっらいじゃん、でももう全然まったく必要ないからしなくていいしね! よかったね!!
煽ってきやがった顔が大変にむかついていたのでここぞとばかりに言いつのれば、上手い言い訳を思いつかなかったのだろう、ぐっと押し黙ったままのそのそと部屋を出ていった背中はやけに小さく見えた。敵前逃亡だ。ざまあみろ。

「だからまあ、安心してくれよ」

なんの他意もありません、とばかりににこにこ笑いかけられてトド松はため息をついた。

「……安心、ねえ」

あーあ。
ああもう、ほんと最悪。なんでボクばっかりこんな目に。疲れるからツッコミは控えようと思ってるところにこれだし、なんでチョロ松兄さんあたりつっこんでおいてくれないかな。さぼってんじゃねえよシコ松。あ~トッティいい子~、優しい~、かわいい~。
あーあ。ほんっとバカ。あーあーあ。
安心、とかそういう話じゃないんだよねえ。

「あのさ、一応忠告しておくけど、たぶんこの後ああだこうだ理屈こねて乳首吸いたがるだろうしなんだかんだ絡んでくるだろうけど、カラ松兄さんも流すだけじゃなくてちゃんと考えてやりなよ? 素直じゃなくてガラスのハートのクソほどめんどくさい松だけど最近はだいぶがんばってるしさ、素直にもなってきたしさ、そこは汲んでやってもいいんじゃないかと」
「トッティは優しいなぁ!」

よしよしと頭を撫でられ面映ゆい。いい年して、と思わなくもないが今は誰が見ているわけでもなし、兄に褒められるのはいつだってうれしいものなのだ。しかもこの兄の手の平は大きく温かで、いかにも愛しいといわんばかりに動くのが気持ちいい。かわいい弟として扱われるのは大好きだ。

「こーゆーのをあっちにもさぁ~」
「あっちって一松か? んん~、そうだなぁ」

くにゃりと片方だけ上がった口角。緩んだ目元。目の奥、パチパチと弾けるほんの少しの。

「……もー、だからヤなんだよねこういうの! 馬に蹴られる趣味とか全然ないわけ、ほんと」
「馬? おそ松ならつきあってくれるんじゃないか?」
「これが素のくせにさぁ、ほんとも~」

きょとんとした表情にほんの少しの庇護欲をくすぐられながら、トド松はこれが最後と口を開いた。
一応まだ兄は五人いるし。家庭内は平和な方がのんびりニートするにはいいし。別にこちらに面倒事がこないなら見てる分にはまあおもしろいと言えなくもないから。

「ボク実は未来がみえるからわかるんだけどさ、さっきのこと一松兄さんに言ったら全部解決すると思うよ」
「さっき?」
「全力で弟扱いするのに少しだけ抵抗がある、っての」
「っ、別にそんなことは」
「一松兄さんを弟として愛してないって言ってるわけじゃないから。ってか面倒だからボクに言わなくていいんで」
「おまえから振ってきた話じゃないか……ところで全部って」
「胸にビールがまだ残ってるかどうか、とかそういうの」
「……実はまだ残ってると思うんだ。しょっちゅうパチパチして痛いし顔とか熱くなるし」

あんまりつきあわせたら悪いから平気だって言ったけど、とかだからさ。そういうのをボクじゃなくてあっちに! 今頃猫に泣きついてるだろうファッション闇松に言ってやりなって話なわけ。そしたらこんな茶番につきあう必要もなかったわけだよこっちもね。

 

 

翌日以降、トド松は本当に未来がみえる、などとカラ松が真顔で吹聴しまくったため長男からお出かけの誘いが絶えなかった。
だからこっちに面倒がないならって言ってるでしょ!!!