「千空ちゃん俺女の子になっちゃった!!!」
「いや男だが???」
勢いよくゲンが飛び込んできたのは、すっかり夜も更けそろそろ寝ようかと千空が伸びをしていた時だった。
「遅くにメンゴ、ゴイスー混乱してると思うんだけど俺もまだ落ち着けてないっていうかとりあえず来ちゃったっていうかどうしよう女体化とかバイヤーじゃない? 男としてはマイナスだったなで肩とかひょろい外見がプラスになっちゃう感じ?? え、どうしよう俺をめぐって御前試合とか始まったら千空ちゃん参戦して俺の事お嫁さんにしてくれるかな!??」
「待て待て待て寝言は寝て言え。テメーが混乱してることはわかったからとりあえず深呼吸だ、吸って、吐いて」
「そこはひっひっふーってボケるとこじゃん?」
「余裕じゃねえかメンタリスト。俺はもう寝るからとっととテメーも寝床に戻れ」
「硬くなった雰囲気を崩そうっていうメンタリストジョークだって、ちょ、メンゴ。ジーマーでバイヤーなんだってば」
寝床に転がった千空の横に正座し、ここまでは冗談ねとゲンは姿勢を正した。
メンタリストがわざわざ夜更けに話に来るなど、よほどの事態が起こったのだろうか。それにしては外は静かだから、聞かれたくない内緒話かもしれない。
これは本腰を入れて聞くべきだろうと身を起こした千空の正面、真顔のゲンは襟元から紐を引き抜きばさりと袷を開いた。まっ平らな男の胸部があらわになる。
「ね、見て。女の子でしょ」
「……いや男だが」
「ドイヒー! いくらおっぱい小さいからって言っていいことと悪いことがあるんだからね!?」
いやいやいや男だ。
ぷりぷり怒っているゲンの胸元は、まっ平らで平べったいどこからどう見ても男のもの以外ありえない胸。ひょろがりの名を千空と共にほしいままにしている、あばらの浮いたほそっこい体。
「逆に聞きてえが、テメーはなにをどう見て自分が女だと思ってんだ?」
「おっぱいついてるし、下ないし」
「は? ちんこか??」
「あと玉~。さっきトイレ行ったのね。で、しようと思ってこうしたらスカって」
小便をするためちんこに手を添えようとして手をスカす仕草をするゲンは、百億パーセント男だ。
というかもし女だとしたら、男の前でこんな話するような女は千空は嫌だ。性別に夢を見ているつもりはないが、それでも限度というものがある。
「もう俺ビビっちゃってさ~、だってないんだよ!? 寝る前まではあった俺のかわいいジュニアがまったくもって影も形も! あ、このかわいいっていうのはサイズじゃなくて好意を表してんだけど」
「テメーマジで結構オタついてんな!?」
普段は言わないようなシモいことをぽろぽろ零しているあたり、相当動揺しているらしい。
「トーゼンじゃん! ねえ千空ちゃんジーマーでなんでだと思う? 呪いとか? 夕飯に女体化する食べ物とか入ってたのかな」
「ねーわ。飯は皆おなじもん食ってただろ、なんでテメーをピンポイントだよ」
「俺のこと好きになったけど同性だからリームーだし女の子にしちゃえばいける! とか」
「そういうヤツいたのかよ」
「いないね」
性欲込みの好意を抱かれても、成長する前にさっさと違う方向へ向けてしまう男が何を言っている。なんだそれという話だが、千空が把握しているだけで複数人の例があるので実際はもっと多いのだろう。ゲンに不埒な目を向けていたらしい男がいつの間にか別の人間を好きになり、当人といえば協力者みたいな顔をして笑っているのだ。メンタリストだし、と胸を張るがあれはもう妖術使いの域だなと、コハクに至っては怪しげな職業だと分類している。
そもそもゲンの体が女になったという前提で話しているが、千空の目にはこれっぽっちもそう見えない。男だ。何度見ても昨日までと変わらず男の体だ。
すでに寝るつもりだった千空は、だんだん面倒になってきた。これは明日でもいいやつでは? 本人も元気だし、寝れば混乱も収まって自分が女だなどと幻覚も見ないだろう。
「ちょ、千空ちゃん寝ないで、起きてってば! 本当に困ってるんだって!!」
「なにに困るんだよ、ちーっと胸部が膨らんで股間の形状が変わっただけだろ」
「大問題じゃん!!!」
変わっていないので問題はなにもないのだが、ゲンはあくまで自身の肉体が変化していると言い募る。
このままでは寝るどころではない。診察の真似事でもすれば落ち着くかと、しぶしぶ千空は起き上がり眠い目を擦った。
「わかった、とりあえず診てみるから脱げ」
「わーお熱烈ぅ」
「なにあほなこと言ってんだ。テメーの裸なんぞ風呂だのなんだのでしょっちゅう見てるわ」
「だねー」
アンモニアも並んで採ったことあるもんね。あれは正直ビックリしたけど慣れちゃうもんだよねぇ。
ぺらぺらと回る口のわりにゲンの指の動きが悪い。女になっただどうのは置いておくが体に不調があるのかと眉をひそめれば、違う違うと手を振られる。
「千空ちゃんに他意はないってわかってるし俺男なんだけど、でもほら、今は女の子の体なんだよなーって思うと……なんかこう、ね? 自分で脱いで見せちゃうんだ、みたいな」
「……俺が脱がす方が嫌じゃねえか?」
「そうだねそこはね! 千空ちゃん冴えてるぅ!!」
冴えてるもなにも千空に男の服を脱がす趣味はないし、ゲンもおとなしく脱がされるタマじゃないだろう。どうも先ほどからテンションがおかしい。常ならば夜中にこうも騒ぐ男ではない。
「……どう、かな」
ズボンと下着を脱いだゲンは、襟元まで詰まった服をはだけ胸が見えるように両手で上着を押さえた。
全部脱いでしまえば服をたくし上げたりせず面倒でないだろうに、俺一人だけは嫌じゃんと口をとがらせる。千空が服を脱ぐ意味はないし、男二人が密室で裸になっている方が嫌なのではないか。
「胸は自分でも見たんだけど、あの、下はよく見えなくて……どうなってるのかが、ちょっと」
見慣れた身体だ。
積極的に見た記憶はないが、一瞥するだけでわかる男の肉体。
ないとわめいていた陰茎も陰嚢も股間にはきちんとあるし、存在に気づかないほど小さいわけでもない。小用を足そうとしてこれに気づかないのは確かにおかしい。ゲンは、触れようとしたがなかったと言っていた。だが、ある。
しかし気まずげに下半身をさらしているゲンは嘘をついている顔でもない。正直、本気を出されれば見破れる自信はないが、そもそもこんな嘘をついてなんになる? 千空に股間を見せたかった? いや、そんな独特の嗜好をもっているならもう少し嬉しそうにするだろう。知らないが。そんな変態の思考回路を知りたくもないのでどうでもいいが。
「あの、千空ちゃん?」
ゲンが本気で女になったと千空を騙すつもりなら、まず服は脱がない。男だと確実にわかる部分を見せず、声帯模写と仕草だけで騙るだろう。宝島で女装した時も、喉仏は襟の詰まった服で隠していたのだから。
「千空ちゃ~ん、もしもし、聞こえますか~」
ではもしや、本気で?
「千空ちゃ~ん、何考えてんだか知らないけどちょっと戻ってきてお兄さんとお話しよ~。……あ、今はお姉さんか」
本当に、ゲンの目には女の体だと映っているのか。
「……妙なキノコだのなんだの、マジで食ってねえんだよな?」
「皆と同じものだけだって。幻覚系は俺も考えたんだけど、どれだけ記憶たどっても思い当たる節がなくて」
石化を解かれてすぐ、司帝国から石神村まで単独で来た男の嗅覚は鋭い。本人がないというなら本当に心当たりがないのだろう。
では気づかないうちに虫に刺されていた可能性か。
「足、肩幅に開いてシャンと立て。動くなよ」
幻覚を見せる作用のある毒をもつ虫に心当たりはないが、なんせ3700年経っているのだ。なにがどう進化しているかわからない。腫れたりしていればそこから何かわかるかもしれない。
つるりとした頬、細長い首、骨の浮いた薄い上半身。髪をかきあげ、服をめくり、ひっかき傷のひとつでもないかと確認する。
平らな下腹、こつこつ背骨が見える背中、よく歩くためか案外しっかりしている太もも。張ったふくらはぎからぎゅっと絞られた足首、アーチの強い足の裏。虫に刺されていそうなところを重点的に見ているが、なめらかな肌があるばかりでマグマのつけた傷跡くらいしか残っちゃいない。
他に可能性があるならば脳か視神経、もしくは精神的なものだがどれも現状ではどうしようもない。できることは様子見くらいだ。
己が女に見えているというだけで実際の肉体に変化はないのだから、本人が理解して動けば問題ないだろう。ゲンならそれくらいはうまくやる。そこまで考えて千空はふと疑問を抱いた。
胸は乳房があるように見えているらしいが、実際にはないのだ。本人が触れた時は脳を騙せたとしても、他人に触れられた時はどう感じるのだろうか。
「ゲン、触るが騒ぐなよ」
「え、うぇっ!??」
平らな胸板にぺたりと手のひらをあててみる。脂肪などまるでない、触れればすぐ感じる骨。薄い皮膚を揺らすように指を動かせば、ゲンがびくりと肩を震わせた。
「……これ、どんな風に感じるんだ?」
「え? えーと、触られてるなぁって」
「これまでと同じか?」
「ああ、そういう。うーん、感覚は特に変わった感じしないんだよねぇ」
「テメーが言う通り一応ふくらんでんなら、これまでとは感覚が違うんじゃないかと踏んだんだが」
「……どうせ小さいですーっだ。まあちょっと、揺れてるなって気は……嘘、してないです」
いかにも悔しい、と言わんばかりに揺れてないと口にするゲンの反応がわからない。胸が大きかろうが小さかろうがどうでもいいだろうに。いや、そういえば女になったと飛び込んできた時から、胸の大きさについて過敏な反応をしていた。
……大きい胸になりたかった、のか?
「あ゛~、乳房は乳腺と脂肪だからな。もしテメーが女になっても脂肪は調達できねえ、ない袖はふれねえってやつだ」
「ない乳もふれない……細くて巨乳とか憧れじゃん、バーンって胸あるの楽しいのに」
「楽しいか? でかくても小さくても機能に変わりねえなら動きやすい方がいいだろ」
「千空ちゃんジーマーで夢ない……わかってたけど」
「あ゛ぁ゛!?」
せっかく慰めてやった、ではないこいつを慰める必要などないのだから事実を伝えたわけだが、呆れたようなゲンの声にカチンとくる。あれだ、事実を伝えているのに本気にされてない感じがむかつくやつだ。
「でもちょっと元気でたかも。ふふ、ちょーっとだけだけどね」
元気ないってなんでだとか胸の大小以前にまずふくらみがないぞとかテメー下半身丸出しなのわかってるか相当間抜けな恰好だぞとか。
千空が口にしたらいくらでもいつもの空気に変えられる言葉が、飛び出さなかった。
「ま、別に小さくてもいいじゃんね、やっぱ大事なのは感度だよ感度」
「テメーはその感度とやらはいいのかよ。さっきからピクリとも反応してねえぞ」
「え~、だって撫でられてるだけだし特に気持ちいいとかは……待って。ってことは女の子、胸揉まれても気持ちよくないんだ!? 先人の知識は嘘だったんだ!??」
「んだよ先人の知識」
「Aから始まってVに続くやつ~」
明るい声に空気が緩む。
「まあ皮膚だからな。腹さわってんのと似たようなもんだろ」
「ぜんっぜん違うけどジーマーで千空ちゃんが千空ちゃん……」
ふくらみはないがさらさらした肌は触り心地がいい。話しながらなんとなく撫でさすっていると、手のひらにつぷりと引っかかる軽い感触。
荒れている千空の手とまるで違う、滑らかなゲンの肌にポツリとあるでっぱりは妙に目を引いた。乳首だ。刺激を与えれば勃つのも当然の反応でおかしなことはない。なんだかやけに赤いのは千空の手が擦ったからで、ぴんぴん尖っているのも千空が刺激したからで、よく見えるのはゲンが前をはだけて千空に見せるために胸を張っているからだ。
ぎゅ、と押し込めば親指をきゅんと押し返す。
「……ここはどんな感じだ」
「別に変わんないっていうか、乳首とか特に意識したことなかったからわかんないかも」
「胸の形が変わってるなら脂肪や筋肉が増えてる可能性があるだろ。乳首も男と女じゃ違うのに感覚がまったく同じってのはおかしかねえか?」
「そ、そう言われてみたら確かに違うかも……」
女の子の胸なんだもんね、と呟いたゲンはとたんカッと頬を染めた。
「なんか千空ちゃんの手が触ったとこ、ぞわぞわする」
まるで暗示にでもかかったようだ。
本当に女の体なら触れられて気持ちよくなるはずだ、なんて。
実際のところ胸を揉まれて気持ちよくなるのかどうか、千空は知らない。だがゲンはそういうものだと思っていた。女の体は胸を揉まれれば気持ちいいものだ、と。
乳首を指先ではじくようにしながら手のひら全体で胸を揉みこむ。跳ねる肩をなだめるために名を呼べば、千空ちゃんと震える声が返ってきた。
「まだ動いちゃダメ……? そろそろ腕がしんどいなぁとか」
「もうちっと待て。しっかり胸はってこっちに突き出してろ」
浮き出たあばらを撫で、わき腹から背中まで探り、また胸元に戻る。さらさらしていたゲンの肌は、今はじとりと湿り千空の手にひっついている。突き出された胸にちょんと並んでいる乳首は最初に見た時より膨らんでいる気がする。さりさりと親指で乳頭を擦ってやれば、ミチミチと破裂しそうなほど膨らんで。
「……母乳でも出そうな勢いだな」
「えっ!? ジーマーで!??」
「いやまだ出ねえ。出ねえがそれくらい腫れてるっつーか」
うまそうっつーか。
つい口に出しそうになった言葉を千空は慌てて飲み込んだ。
なんだ。どうした。俺は今なにを考えた。うまそうってなんだ、おかしいだろ。そもそも母乳なんざ子供を産まないと出ない。まだ出ねえ、じゃねえ。出そう、なんて兆候もない。ただゲンの乳首が赤くてピンピン尖ってまるでグミかなにかのようで、口に入れたらどうなんだろうなと思って。
……そこだ、おかしいのは口に入れたらだ。なぜ入れる。男の乳首だ。いや女ならいいというわけではないがこれまで千空は誰の乳首も口に入れたいなどと思ったことはない。赤ん坊ではないのだ。いや赤ん坊は食事のために乳首に吸いつくのであって、食事でさえないのに口に含みたいと考えた時点で。
「アウトだ」
「バイヤーな病気!??」
あまりに深刻な千空の声に、つられたゲンも悲痛な声で叫ぶ。
「いや違う。ちょっとこっちの話だ、気にすんな」
「え、俺の胸診てくれてたんだよね? アウトってそのことじゃなくて?? ねえなんかごまかしてるよね!??」
きゃんきゃんわめくゲンはどこからどう見ても男で、昨日までとなにひとつ変わっちゃいない。
それなのになぜ千空はこんな状況におちいっているのだ。男の乳首について考えたことなど生まれてこの方一秒もない、はずだったのに。
ぽちりと存在を主張する乳首がある胸板と、同じく薄っぺらい腹には腹筋が見える。脂肪がなさすぎて浮き出てるやつだなこれは。
ごつりと存在を主張する腰骨と意外に張った太もも。科学王国と帝国を往復していた脚力の持ち主なんだから足の筋肉は体格に見合わず立派だ。そしてその間にやはりある、男根。存在を無視できるほど小さくはないこれが、ゲンにはいったいどう見えているのか。
「今日、風呂には入ったか?」
「え? うん、お風呂の時はまだ男だったし」
じゃあいけるだろ。後から考えれば戸惑うほど軽く判断して、千空は手を伸ばした。見た目が自身のものとさほど変わらなかったせいか、嫌悪感もわかない。そんなものよりも、とにかくゲンは男だと自身の脳に叩き込みたかった。あとついでに診てほしいと言われたので。
目の前の存在は男。乳首が妙にうまそうに見えるし千空に触られたらぞわぞわするなんてとんでもないことを口走っていたが、男。
陰茎を軽くつかむと、ゲンは息をのんで身を固くした。
「ここはどうだ」
「っ、あの、ちょっと怖いっていうか。未知の感覚が」
「さわられてるってことはわかるんだな? 違和感は?」
「すごい、あの、……クリって男のちんこみたいに感じるとか言うじゃん? たぶんあれって神経とかそういうやつだよね!?」
「……陰核さわられてる、ってテメーは感じるってことか」
「そっ、うなんだけどちょっとオブラートに包んでほしいっていうか」
陰核だと思うにはでかすぎねえかとか尿道の存在はどう考えんだとか、口から出そうになる疑問をぐっとこらえる。わからないから診てほしい、ときた人間を問い詰めても答えが出てくることは少ない。
「ちっと見えにくいな。こっちに足かけろ」
「か、壁ドン……いや足ドン? じゃなくて! ちょ、千空ちゃんこの態勢はズイマーだって」
「あ゛? 診てくれっつったのはテメーだろ」
壁を蹴るように片足を上げさせ、ゲンと壁の間に座り込む。ガバリと足を開けさせたから見やすくなったと伝えれば、オブラート! とまた叫ばれた。
「もうちっと奥も触るからな」
竿を握っていた手を根元にすべらすようにして、睾丸にふれる。正直ここが一番の謎だ。女の股の何をこれにあてはめるというんだ。
「い、今はええと、お、女の子の大事なとこの一番外側っていうか……あのやらかいとこに千空ちゃんの手があるっていうか」
「大陰唇だな。その奥に小陰唇だの膣口だのがあるんだが……自分で指つっこんでみたか?」
「つっ、こむのは、まだ。なんかほら、衛生的に問題ありそうじゃん!? だからしてないっていうか、怖いってわけじゃないけどほらやっぱりなんか」
「傷でもつきゃオオゴトだからな、触らず来たんで正解だ」
なるほど、大陰唇にしては体外でぶらぶらしすぎな気もするがわからないでもない。
陰嚢にふれれば真ん中に穴がないことはごまかしきれないから膣がないことに気づくだろうが、はたしてそれでゲンは納得するだろうか。
女体になった、が不完全な女体もどきになった、に代わるだけの気もする。
千空はすでに、ゲンが本気で女の体になったのだと信じていると考えていた。ビックリにしては体を張りすぎているし、意地を張るにしてもここまで悪ふざけを継続したりもしないだろう。
だからこそ、今後の事を考えねばいけない。
男だぞ、と伝えることは簡単だ。だが本人の目にそう見えていないうえここまで認識がバグっているなら、千空の前で納得する素振りだけ見せて、今後こちらに相談しなくなるだけだろう。まるで解決しない。
そもそも脳や視神経の異常ならまだしも、精神的なものの場合、事実を指摘するべきか。こういったことはメンタリストの領分だろうが、今回ばかりは任せてしまうわけにもいかない。千空にできることはせいぜい、本人を安心させ認識が戻った時に気まずくないようにしてやるくらいだ。男のくせに女だって言いはって女物の服着てたぞ、などと後々言われて恥ずかしいのはゲンだ。止められる立場にいるのに見過ごすほど千空とて鬼ではない。
「ざっと確認したが問題はねえ。原因不明だが、現状できるのは様子見くらいだ」
「うん、ありがとね」
「だが男が女になったなんぞ騒動になるに決まってる。おありがてえことに、テメーは服着てりゃこれまでと変わらなく見える。だから」
「りょー。男のままってことで動くよ」
よし。これでゲンが元に戻ってもなんの問題もない。ほっと安堵の息をつけば、千空の顔の横にあった白いものがぶるりと揺れた。
張りがあり、白くすべらかな温かいもの。問題が解決したことにより眠気がきていた千空は、深く考えずつい頬を寄せた。ぺたりと頬にひっつく、つるりとなめらかな感触。
「ひぃっ!??」
「……おい、テメーなんだこれは」
「足! 太もも!! 千空ちゃんこそなんなのいきなり!!!」
片足を上げさせて間に座り込んでいたのだから、問わずともゲンの内ももだということはわかっている。だが問題はそこではない。
なんだこのつるすべ。ムダ毛の一本もない、適度に張りがありつつ柔らかく、すべすべしてるうえに千空の頬に張りつくこの感触。
自身の内ももと触り比べてみるが、ムダ毛は似たようなものだがこんなにすべすべもちもちしていない。筋肉か。ゲンの方がよく歩くから筋肉が発達しているのか。確かに筋肉は力を抜いていれば柔らかいらしいが、千空は自身で確かめられたことはない。
「もちもちしてるくせにさらすべしやがって、手触りがいいにもほどがあるだろ……手をケアしてるのは知ってたがテメーこんなとこまで気ぃつかってんのかよ。渡したハンドクリーム足りねえだろ、全身やってたら」
そういえば先ほど触診した胸部も、というか触ったところ全部すべすべしていた。
全身に塗ったくっているなんてご苦労な事だと千空が顔を上げれば、パクパクと口を開閉しているゲンが目に入った。いつもは口から生まれたようにペラペラしゃべっているくせに、珍しいこともあるものだ。
「な、せ、そ、…ッ」
「あ゛? いきなり体温上がってねえか、どうしたんだ」
「上りもするでしょ! 千空ちゃんなに!? なんなの、どういうつもりでそういうこと……ううん、なんの他意もないよね知ってる知ってる、思ったことさらっと伝えてるだけなんだよねジーマーでバイヤー、これだから」
ぎゅ、とゲンの内ももにひっついていない方の耳が引っ張られる。
「よ~く耳かっぽじって聞いてほしいんだけど、いきなり人の体に触っちゃいけません。ちゃんと触っていいですかって聞いて、どうぞって言われてから触ってください。幼稚園で習いましたね? あとハンドクリームは足りてるのでお気遣いなく」
「触っていいか、ゲン」
「さっきの今でなんでオッケー出ると思っちゃうかな~。ダメです」
なにがひっかかっているのかわからないが、どうやらゲンは恥ずかしいらしい。女体になったのが体に悪影響はない、とわかって安心と共に羞恥心も戻ってきたのかもしれない。だが診ろと言った手前やめることもできず、せめてと千空に悪態をついているのか。
それはなんとも、普段こちらを年下扱いしてくるメンタリストにしてはやけに。
どうにも、おかわいらしい反応、というやつではないか。
「ねえ、確認終わったらもう足下ろして大丈夫? さすがに疲れてきちゃったな~、とか」
「待て。ちっと気になることが出てきた。テメーでここ持ち上げるみたいにして引っ張り上げとけ」
陰茎と陰嚢を持ち上げろと言っても今のゲンには見えていないので、両手ですくい上げて腹に押しつけさせる。
「なんっ、え、千空ちゃん!?」
「俺は触ったらダメなんだろ。じゃあテメーにご協力いただくしかねえだろ。おら、しっかり持ち上げとけ。その奥ちょっと見るだけだから」
「バカじゃないのバカじゃないのほんっとバイヤーすぎ千空ちゃんの科学バカ!! これ、その、……くぱぁってやつだよわかってんの!? 本物の女の子にしたらジーマー責任取らなきゃレベルだからね!??」
文句をわめきたてるわりに、足も上げたまま手はしっかり性器を押さえつけている。
千空の手伝いをする際には指示通り動かないと危ない、と実験を手伝い身に染みているせいだろう。いい傾向じゃねえかと頷く千空になにを思ったのか、またギイギイ怒っている。
かわいこぶってもダメだとかなんとか、興奮しすぎているのか言っていることに筋が通っていない。なぜ女がどうだの責任だのの話が出てきているのだろう。
日焼けを知らない太ももがなんだか赤く染まっている。
べこりとへこんだなまっちろい腹も、ふくらみなどまったくない胸も、ぽこりと喉仏の浮いた細い首も。やけに赤く、よく見ればじんわり汗がにじんでいる。顔はいつも通り白いまま、今は千空への文句をわめきながら大仰に表情を作っているというのに。
いつもは服に隠されている部分だけ、まるで恥じらうかのように。
気づいた途端、どっと身体中に血が廻った。
普段は見せない舞台裏、涼しい顔をしたゲンの素直な感情が一皮むけばこんなにも赤裸々に。本人は千空に気づかれているとも思っていない、隠せていると信じているそれを、ゲン本人が知らぬ間に千空だけが。
風呂の時とは違う。温まれば赤くなる身体とはまったく別物。
耳を引っ張って離された内ももにもう一度頬を寄せてみる。あまりに赤く染まっているので、触れる前から熱が伝わるような気がした。
頬、少し顔を傾けて鼻梁、ゲンの顔が見たくなって少し顔を上げれば、意図せず唇が内ももをかすめた。
「せっ、んくうちゃん」
白いままの顔。脈拍や発汗はある程度コントロールできると言っていたことを思い出す。今もしているのだろう。顔色はさほど変わらず、常通り。動揺を千空に気づかれないように、言われるがままの態勢を崩しもせず健気なまでに実直に。
隠されている部分はこんなにも素直だというのに。
「もう少しだ」
ゲンならば、自分一人の秘密にしておくこともできたはずだ。
実際、肉体に変化はないのだから千空には気づくきっかけすらない。それなのに、一番に相談に来て、自分では見られなかった部分を託して。
千空になら、と秘密を。隠している、はぐらかす、ごまかすそれを。
「もうちっとだけ、見せろ」
それは目の前の男から向けられるものとしては破格だと理解していたから、千空は浮かれた。浮かれて、つい、少し欲張った。
誰も知らない秘密はとんでもなく唆る。
◆◆◆
なぜこうなったんだか、と己の股間を眺めつつ千空は考えても意味のないことに意識を飛ばした。
目の前ではお元気いっぱいの性器が自己主張している。正直、ちんこが痛いなと思ってやっと最近抜いてないと気づくレベルだったので、こうもイキイキした自身を見ることはめったにない。
ない、はずだったのだが、ここ最近はわりとしょっちゅう出会っている。
石世界で強制的に健康的な生活を送っているため元気になった、ならいいのだが違うことを十分に理解しているので、千空はもう一度股間を見つめてから深いため息をついた。
なぜ、ではないのだ。わかっている。ただ、今は落ち着いてほしいというか、千空がこれからしようと考えていることに股間がわんぱくすぎては支障が出るというか。
「……これまでもうちっとおとなしく落ち着いてただろ、おい」
つい語り掛けてしまうが返事はない。話されたら問題が増えるだけなのでいいのだが、それにしても空気を読まない元気っぷりだ。まあ仕方ないことかもしれない。なんせこれからゲンが来る。最近のあれこれで、千空のちんこはしっかり学習してしまったのだ。勃ち上らざるをえない存在というものがある、と。
科学の世界に神はいないうえこんなことに巻き込んではかわいそうなので千空のちんこに誓うしかないが、本当に、あの夜ゲンが泣きついてくるまで千空はそういった意味でゲンを見たことがなかった。ちんこは当然、反応したこともない。
だというのに今はこんなにも、持ち主の意志を裏切る勢いではしゃぎ放題だ。
「もうちっと理性が強いと思ってたんだぞ、俺は」
ため息とともに嘆けば、気持ち落ち着いたような気もする。
ああ本当に、千空は過信していたのだ。己の理性を。脳を。
すべて己の管理下においていると、信じ切っていたというのに。
女の子になっちゃった、などと男の体のままで世迷言を抜かしたゲンを千空が診察した翌朝。
目覚めた途端、己の昨夜の狼藉を思い出し千空は頭を抱えた。
狼藉。そう、千空はまぎれもなくゲンに対して狼藉を働いた。あれはない。深夜のノリでもあれはなかった。
言い訳するなら、メンタリストの普段隠しているあれやこれについ興味がわいてしまったのだ。
大げさに泣いたりわめいたり笑ったり、常はコロコロ表情を変えるゲンが無言でビクビク震えていたのもよくない。こんなになっちゃってるの、引かない? 伏せられたまつ毛が水分で束になり、もったり重そうに揺れていた。己のことではなく、あくまでも千空を気遣ってきた小さい声。
高い技術でガチガチに固めた対外用のメンタリストからふいにのぞいた、見たことのないゲン。
うっすら赤く染まった胸元を撫でれば身をよじった。千空の荒れた手にぽちりと勃った乳首がひっかかり、押しつぶしてこねればそのたび喉をふるわせた。どう感じる、どこをさわられている。問うたびに目をまたたかせ、答えては顔を伏せる。
特に嫌悪感もなかったため千空が握ったままだった陰茎は頭をもたげ、先走りでくちゅりと音がするたびゲンの肩は跳ねる。女の子のとこ濡れてる。自己申告が妙につたなかったから、つい何度か聞き返したのは我ながらオヤジ臭すぎると猛省している。
亀頭が陰核で、なら竿は。玉は。ゲンの脳でどのように処理されているか確認する、という名目にしてはしつこくさわりすぎていたし、何度も声に出させた。わかんないわかんない女の子の体になんてなったことないんだからわかんない。ぐずぐずになったゲンは射精した途端気を失うように眠り、好奇心を満たした千空も満足して隣で眠りについたのだ。
どう贔屓目に見ても昨夜の千空はエロオヤジであった。診察のつもりは最初だけで、後半はゲンがどんな表情をするのかばかり見たくてあちこち触った。
とにかく謝罪だ。許されるかどうかではない、誠意を見せないと始まらない。
そう、正座をしてゲンの目覚めを待っていた千空にかけられたのが「昨日はありがとうね」だったのだからあの男はわからない。千空ちゃんに診てもらって安心しちゃった、じゃない。布団俺がとっちゃったんだ、ごめんねってなんだ。テメーをいやらしい気持ち百億パーセントで触りまくった変態が一緒に寝てたんだがそれについての危機感はないのか。持て。警戒しろ。
というか仮にも女の体になっている自覚があるなら寝起きのふにゃふにゃした顔をこっちに向けるな。後頭部の髪が少し逆立ってるぞ油断するな。なんで紐でしか止まってねえんだテメーの服は、もっときっちりしっかり絶対脱がせられないような頑丈なやつを着ろ。カセキに頼んで溶接するか?
逆切れもいいところの注意をする間もなく出て行ったゲンは、つつがなく一日を終えて千空の元に再度顔を出した。今晩も一緒に居ていい? などと笑って。
馬鹿野郎昨日の事を忘れたのか笑っている場合じゃないだろう。いやこいつは礼を言っていたくらいだからエロオヤジと化していた千空には気づかず、すべて丸っと診察だったと信じているのか。おい、危機管理能力! 距離感!! 芸能界で生き馬の目を抜いてきたんじゃないのかゴールデンタイムに冠番組を持っていた男!!!
ゲンに嫌われ距離を取られるとばかり覚悟していた千空は、今日は布団も持参したからさと笑うゲンに混乱するばかりで、言わねばと考えていたことをひとつも告げることができなかった。注意どころか謝罪も。
そうしてゲンが隣で寝る夜が重なれば、どんどん謝りにくくなる。今更どの面下げて。そもそも毎晩隣で寝ている状況で、いやらしい気持ちで触りましたと謝罪されたら怖いのでは。いやだからといって黙っているのは誠実ではない、今からでもゲンとは距離をとるべきだろう。だがそもそもこうして無防備に寄ってくるゲンにも責任があるのでは?
自身を女だと思い込んでいるゲンは、これまでと変わらぬよう上手く取り繕ってはいたがどことなく男性全般に距離を取っていた。誰も気づかぬほど微妙に、千空とて泣きつかれていなければ気づきもしなかっただろうほど巧妙に。そのくせ千空にだけは近い。秘密を知っているからと安心しているのか、夜ごと枕を並べて眠るため親密度が上がったのか、肩が触れ合うような距離でも平気な顔をしている。
男同士だ。ゲンの認識がどうであれ、肉体はこれまで通り、一緒に風呂にも入ったし隣同士アンモニア採取のためツレションもした男。どこを見てもぐっとくるようなことはまるでなかった。そのはず、なのに。
肩を組まれている姿を見た。腕を引かれるところも。笑いあって背中を叩いたり、ふざけて手を引っ張ったり。様々な男と。
おかしくない。これまでもよく見た。ゲンは案外パーソナルスペースが狭い。触れ合う距離が近い方が親しみやすいと理解しているんだろう、メンタリストとしてもその方が動きやすいと。なにもおかしいところはない。男同士、背中を叩くなんて千空だってしょっちゅうする。
ただ、千空がおかしかった。
むしゃくしゃして、苛立って、嘘をついた。
経過観察だと。前回から変わったところがないか確認したいと、不要だとわかっていたのにゲンの身体を再度診察した。千空にだけ頼ってくれることが、それしかないから。
なにも変わらない、男の肉体だった。前回同様あちこち触れ、言葉にさせ、羞恥に染まる様を見るためわざと大きく足を開かせた。前回は壁にかけさせた足を自分で持ち上げるよう促せば、片足で立つのはつらいと言うので座らせた。立てた膝を割り身を入れれば、えむじかいきゃく……と謎の呪文を唱えていた。意味は教えてもらえていない。
その後も、幾度も。
母乳が出る可能性が、と延々乳首をいじり吸った日もあれば、正確な数値を知りたいと縄をメジャー代わりに身体に巻き付け測ったこともある。千空は目測で正確な数値がわかるので、あれは単に縄の刺激で震えるゲンを見たいだけだった。我がことながら欲望に忠実すぎる。
抱きしめたり舐めたり、どう考えても診察としておかしいことをしてもゲンは拒まなかった。
なのでつい、千空は調子に乗ったのだ。もしかして、と。
ここまで許すなんてもしかして。こんなことまでさせるのはもしかして、こいつも。だってさすがにこれは診察だと思わないだろう。こんなことをさせて、あんなところまで触らせて、許して。それはつまり。
そう、とっくに千空は自覚したし、いい加減ゲンも認めるべきだ。
きっかけがきっかけなのでどうにも格好がつかないが、自覚したならすることはただひとつ。
告白だ。
ゲンの反応から見ても、断られることはまずないだろう。なんなら同じような好意を抱かれている可能性もある。性欲からか、と拗ねられても問題ない。そもそも思い返せば、ゲンを好きでなかった時期がない。確かにきっかけは性欲かもしれないが、元から好意はあったのだから単なるトリガーだ。いつ引いても弾は発射した。
「かっこつかねえからとりあえず落ち着け。……言った後なら、まあ構わねえから」
さすがに勃起したまま告白はしたくない。
ゲンが戻るまでになんとか落ち着こうと股間を説得していた千空は、数分後、予想もしなかったことを告げられるとは思ってもいなかった。
「千空ちゃん、俺男に戻ったからさ、もう診察しなくて大丈夫だよ。これまでありがとうね、ジーマーで。お礼に誰か女の子紹介しちゃおっか?」
「……あ゛!?」