飴玉をあげよう

あそこは行ってはいけないよ、と今剣はしばらく経ってから教わった。しばらく、というのは人型になってから少し経って、ということだ。初期刀で近侍も務めている陸奥守が、いつも通りからからと笑いながら告げたのだ。
「どうしてですか? ……あ、主さまの新しいお部屋を建てるんですね!」
人数の割に大きな屋敷だと毎日駆けまわっていたけれど、最近は見知らぬ顔も増えてきた。人型の方が刀の状態より場所をとることは今剣とて理解していたし、人間はすぐに建物を建てることも知っていた。したり顔で肯けば、そんなところじゃと撫でられる。
「もう! こどもあつかいしないでください! 小さいのは見た目だけなんですからねっ」
「ははは。わかっとるつもりじゃが、こげにこまいとどうしてもなぁ」
人型をとった当初はわからなかった陸奥守の言い分がわかる。どれだけ関係ないと思っていても、小柄で幼い見た目をとっている短刀は精神まで幼いように今剣も感じてしまうようになったから。幼い相手にはそれなりの対応を。ここにきて長い刀ほど人型に引きずられて人間のような態度をとる、と戸惑っていたのはどの刀だったか。
本丸は広く、人数は多くなかった。駆けまわる場所は山ほどあったし、遊んでばかりいられない程度に役目もあった。だから今剣はなんの疑問も抱かずにその注意を聞きいれた。

 

 

首をかしげたのは乱であったか秋田であったか。
「でもあそこ、住めるようなお部屋ないよね?」
「建物はありますよ」
「あんなの掘立小屋だよ。ボクならぜったい住むのやだもん」
服が汚れちゃうよ、なんて刀らしくないことを口を尖らせて言うから皆で笑って。こっそりのぞいてみよう、と話がまとまるのは早かった。
だって別に危ないわけじゃない。屋敷内は結界がはってあって敵はけして入ってこないと言われていたし、実際に今まで破られたことはない。ただ入ったことのない建物があるだけ。遠目に見える、そう、乱の言う通りの掘立小屋。なにを恐れることがあるだろう。触れればすぐに血を流す人間ではなく刀の自分たちに。
でも禁止されてます、と止める五虎退に見張りを任せ足を踏み入れる。今剣たちの新しい主はとても優しい。いつだってにこにこ穏やかだから、たとえ見つかっても少し怒られる程度ですむだろう。
要は暇だったのだ。みなはっきりと口にはしなかったけれど、行動に飢えていた。毎日出兵していたはずが、いつからか遠征要員となり。畑仕事や馬当番がメインとなり。太刀や大太刀が増えるにつれ今剣たち短刀は時間を持て余すようになった。刀には使いどころがある。短刀はあくまでも近接がメインで、広い戦場では不利だ。わかっている。今剣とてわかっているのだ。
それでもどうしてか、持て余す。人型などとらなかった頃は時間など気にしたこともなかったのに。
どうせなにもない。単に物置にでも使われている古い小屋で、荷が積んであるから子供が走り回っては危ないなんてその程度の。そう理解しつつ、禁じられていることをするという高揚感に身を任せた。
どうして刀の数が増えてから告げられたのかなんて考えもせず。

 

 

ぐるり、と地面が回る。
違う。これは今剣が。人型をとっているから足があるのに、しかも二本もあるのだからしゃんと働けばよいのに、蛸のようにぐにゃぐにゃとまるで力が入らないから。
今剣が初めて人型をとったのは、主が力を使った時だ。刀を鋳造し、魂を降す。本当の刀ではない、と言っていた。サニワだから、と。今剣が刀として形作られていた頃の記憶を、最も似た刀を寄り代としてこの時代に結び付ける。魂と言ったり記憶と言ったり主さまの言うことはややこしいな、と思ったのを覚えている。じゃあ刀としての今剣はどうなるのかな、とも。本丸で鋳造された刀に降ろされているのだから、少なくともこの刀身は記憶にある“今剣”ではない。
だけど秋田は。他にも居る、合戦場で拾われてきた刀たちは。
「……うそ、です」
震える声に応える者はいなかった。
「なんで……だってそんな、そんな」
無造作に積み重ねられていた刀たち。打ち捨てられるように、見向きもされず誰もこない掘立小屋に積まれるそれらは。
「どうしてぼくらが」
合戦場で拾われて人型をとった刀は少なくない。最近では本丸で鋳造されるものよりも多いくらいで。……数が合わない、となぜ誰も気づかなかった。
拾われ、つくられ、形をとる刀と人型。どれほど刀を拾ってきても、鋳造しても、人型はまるで増えていない。
「じゃから、近づかんようゆーたがの」
「む、つの」
「ほれ、そんなとこにかたまっとったらふんづけてまうぞ」
なぜ彼はこうも明るく軽やかに声を。知っていながら。そうだ、知っている。近づかないよう告げた陸奥守は知っていて、それで。
「し、って……?」
どうして声が震えるのだろう。考えてみれば当然のことだ。この人型はここで鋳造された刀に主が記憶を降ろしたもの。つくりだされる刀の種類は選べないと、だから粟田口などまだ会えない弟がいると。あれは何といったか、珍しい、そう。
「レア太刀じゃないおんしらは、仕方なかろ? わしはじゃけ、忠告しちゅうよ」
今剣になる前の、けれど同じものが大量に積まれていた。無造作に。いつ錆びても構わないと言わんばかりに、刀としてではなくただの鉄の塊のように。放り出されて。
あれは今剣だ。義経公の守り刀ではない、けれど記憶を映されてしまっては今剣になるしかない鈍。乱も、秋田も、ここに居ない薬研や愛染も。いや、今剣が知っている彼らではない彼らが。
「……おんしも虹色の飴玉、食うとるじゃろ」
もっと強くなれるから、と主がたまにくれる飴玉だ。ほんのり甘くて口の中でほろほろ溶ける、本丸でも人気のおやつ。どうして陸奥守がそんなことを言い出したのかわからないけれど、今剣はこくりとうなづいた。
「とってもがんばってるご褒美だって。みなにはないしょですよって」
自分だけ特別扱いだなんて今剣とて思ってはいない。けれど内緒だとくすくす笑いあって主から口に入れてもらう飴玉はひどく甘くて、もっともっと欲しくなる。今剣はもっと強くなりますよ、と口にする主はとてもうれしそうで、だからこちらも張り切って。強く、なって。どんどん。
「あれは砂糖の塊やない、っちゅーくらいは言うてもええが」
近づいてはいけない、と忠告してくれた陸奥守。主が一番最初につくった刀。ずっと誰より長くこの本丸にいる彼が、今こんな話をする理由、なんて。
「ほんにおんしら、外見ほどガキやないのぉ。ちゃあんとわしの言いたいことわかっとる、っちゅー顔や」

 

「あんた、は」
「ん?」
「あんたは! なんでそんな、悔しくないわけっ!? ボクらをあんまり馬鹿にしてるよ!」
激昂する乱にも、震えて涙を堪える秋田にも、陸奥守はゆっくりと視線を巡らせた。もちろん突っ立っているしかできない今剣にも。
「短刀だけじゃなくて打刀だってあったよ! あそこには陸奥守だっているんだろ!? これまで居たんだろ!!? なのに」
「おんしがなにを言いたいんか、ほんにわからんよ」
「っ、ボ、ボクらをあんな飴玉にして騙して食べさせるとかっ」
「おんしじゃなかろ」
陸奥守の声があまりに凪いでいたから、勢いを殺された乱はぐっと息を詰める。
そうだ。あれは違う。あれは今剣ではない。義経公の今剣ではもちろんありえないし、今ここに立っている今剣とも違う。あれは。
「……あれは鈍、です」
「今剣!?」
「ここで鋳造された刀を見た事あります。あんなもの、誰一人斬れやしない。ただの鉄の塊でした」
あれを刀、などと。
「拾ったものも同じです。乱も秋田も、ああ秋田しか見てないですけどあの時、主が力を使うまでは刀なんかじゃなかった」
本当は今も今剣は刀ではない気がしている。少なくとも義経公の守り刀であった頃とは違う。だって自分たちは人を斬っていない。敵だと示されるのは同じ刀の化物で、毛色の違う検非違使とて主と同じ形をしていない。刀は人を斬るものだろう。それだけが存在意義だと、最後の最期は主を斬る運命の短刀である今剣はよく知っている。
だけど。
だから。
「おんしはほんにかしこいのぉ、今剣。いや、大人なんじゃったか」
「そうですよ! 小さいのは見た目だけです」
だから陸奥守がどうしてここに寄るなと言ったのか、気になります。
笑って告げればぱちくりと目をまたたかせ、ひどく人間じみた表情で陸奥守は頬を掻いた。
ねえあなたまるで刀じゃないみたいですよ。

 

◆◆◆

 

あそこは行ってはいけないよ、と今剣はしばらく経ってから教わった。しばらく、というのは人型になってから少し経って、ということだ。よく構ってくれる乱や秋田から耳打ちされたのだ。
けれど暇を持て余していた今剣にとって、その情報は渡りに船でしかなかった。すでに大所帯であるここでは新入りで短刀の今剣に戦場へ赴く機会などない。馬や畑の世話とて同じく時間のある者たちが率先して行うし、小柄な今剣は子供扱いされて遊んでいなさいとどこからも追われてしまう。
だからだ。行ってはいけない、なんてどうせたいした秘密でもないだろう。なんせ建物の外観ならここからでも見える、危険など欠片も感じられない単なる掘立小屋で。けれど禁じられているからこそ、近づきたい。こっそり見に行きたい。
「今剣か」
ろくに話したこともない陸奥守だったから、よけいに驚いた。
「聞いとらんかったか? こっちは近づかん方がええ。……は、なんじゃ肝試しか」
おんしは案外子供らしぃのぉ、なんて笑われては口をつぐむしかない。確かに禁じられていることだからするなんて、子供っぽいことこの上ないのだから。
「いやー、笑った笑った。ああ、でもほんに今は立ち入り禁止なんじゃ。なんや儀式をしちゅうらしぃて」
「儀式ならいけませんね。ありがとうございます、陸奥守!」
「……おんしはまっこと、かいらしいのぉ」
じゃからこれをやろう、と手の平に乗せられたのはきれいな玉。戦場から戻ってきた刀に、たまに手渡されている食べ物だとは知っている。口にしたことはないのでなにかはわからない。
「これは飴玉っちゅー食べ物じゃ」
「うわぁ、いいんですか? はじめて食べます!」
「おん。じゃが数がないからの、これはおんしとわしとの秘密じゃ」
「はい!」
初めて口にした飴玉は、なんだか舌がびりびりした。これがおいしい、だろうか。飴玉をもらう者は皆うれしそうにしていたから、きっととびきりおいしいものなんだと思っていた。
「のう今剣よ、折れんかったらまた喰えるぞ」
「そーですね」
正直、期待していた味ではなかったのでもういらないと思ったけれど、楽しげに笑う陸奥守に水を差す必要はないだろうと考えるくらいには今剣とて人型に慣れてきていた。
「あまり美味くなかったか? これはな、慣れじゃ」
「慣れ?」
「おん。甘うて甘うてどうしようもない、癖になる……勝利の味じゃ」
確かに戦場から戻ればもらえるようだった、けれど陸奥守は最近出ていなかったはずで。
それなのに今剣はここが正念場だとなぜか。この勘働きはどういうことか。それでも。

 

「……勝利条件はなんですか」
「どんな手をつこうても折れんことかのう」
ここに一人居る限り次は形にさせない。ぼそりと呟かれた言葉の意味なんて今剣は知らない。次、が打ち直しではないだろうことくらいは察せても、理解してはいけないと警鐘が鳴る。
「わしゃあおんしを気に入りそうな予感がしちゅうよ。なるべく長く居ってくれ」
「じゃあまた飴玉をいっしょに食べましょう!」
「ええのぉ。また、な」
「また、です」
折ってくれ、と聞こえたなんてまだ人型に慣れていないからに決まっている。