我らに永久を - 3/3

目の前の光景が信じられなくて、信じたくなくて、まばたきを繰り返すことなんてきっと石垣はしない。一回、二回、三回。どれだけ目を閉じて世界を終わらせても、開いた目に映る光景が変わらないから絶望する。そんなこと知らないのだ。だから。

「おまえの望みを全部かなえてやれるのに、なんで俺と別れるん」

だからこんなにもひどい言葉を吐ける。
御堂筋の望みなんてひとつも知らないくせに。だって訊かれたことも話したこともない。そのくせ自分ならかなえられるなんて傲慢なことを言い放って別れを拒否するなんて。
かなわない。
石垣とつきあったままでは。恋人として傍にいては、かなわない。

「せやし、や」

知らないくせに。
なにも知らないくせに。知ろうともしないくせに。

「御堂筋?」
「キミィがそんなやから、ボクは」

御堂筋の望みなんて知らないくせに、かなえてくれなんてしやしないのに、どうして。裏切ることなんてありえないと、信じ切った顔ができる。誰より御堂筋を傷つけるのは石垣だというのに。
知らないだろう。知らないだろうに。

「……石垣くんはぁ、なんでアルファがオメガを選ぶか知っとる?」
「え? 番やからやろ」
「言い方変えるわ。アルファでもベータでも選び放題のアルファ男が、子を産ませる相手にオメガを選ぶ理由」

アルファ女性なら理由はある。オメガ相手ならば己の腹を痛めず子を持てるから。産む性であるオメガなら、たとえ男性であっても妊娠するのはオメガの方だ。
けれどアルファ男性は。

「フェロモンが発情期が言うてもな、最近はええ薬が出とる。日常生活では気ぃつかんくらい抑えられるフェロモンやったら、それに煽られる本能なんてない」

気まずげな顔をする石垣が目の端にひっかかった。うんざりする。
そうや、おまえや。きれいにベータの皮を被って生きていたオメガ。石垣がベータだと思いこんで浮かれていた御堂筋のことなど、想像もしなかっただろう無知な。オメガだと告白する時、にやついていたのを見逃しなどしない。

「そもそも子供産める言うてもな、男や。ぱっと見、同性でしかないし。なぁ、別にオメガの男選ばんでもアルファ男は問題ないと思わん?」
「そう、言われたら……そうかもしれん、けど」
「オメガのプライド傷つけてもぉた? 堪忍な~」
「っ、ちゃう! そんなんちゃう。そういうのとは、ちゃうやろ……」

石垣の言いたいことなどわかっている。愛だのなんだの、腹の足しにもならない夢のような話をしたいんだろう。アホらしい。
目の前の夢見がちな男が考えているような理屈で回っているのは、ひどく無知で幸せなごく一部の世界だ。御堂筋には入れない。

「……俺が、おまえの子を」
「確率が高いねん」

口を開いたことに気づかなかったふりをして、遮った。聞きたくなんてないから。再び聞いてしまえばもう抗えない。

「アルファとオメガの間にできる子、他の組み合わせよりもアルファが産まれる率が高いからや」

簡単な話やろ、と笑いかければぽかんと開いたままの口。まだ飲み込めていないのか、理解しても意味がわからないのか。

「教科書とかには載ってへんで。けどアルファの中ではよう知られた話や。アルファ同士やらアルファとベータでならほとんどベータの子しか産まれへんのに、オメガ相手ならアルファかオメガのどっちか」

 

 

温かいけれど小さい背中。やわらかで力のない手の平。
小柄な方だった自分よりほんの少し大きいだけの、華奢な人。
お父さんは翔のことが大好きよ、なんて。忙しい人だから会えないだけ、なんて。

 

 

「誰かて優秀な子が欲しいもんなぁ」

それがたとえ社会的弱者であるオメガを抱えこまなくてはいけなかったとしても。

「アルファやからこそわかるんよ。ボクらは優遇されてる。産まれながらに贔屓されてる。キミィらとはスタート地点から違う上に、道は整備されてるし馬力は違うしで。……なぁ」

愛してもいないオメガとの間に子を成すほどに。アルファの家族がいたくせに。なのにただ、優秀な跡継がほしいなんてそんなくだらないことで。オメガの。母の人生をめちゃくちゃにした。

「いっぺん楽してまうとな、普通のことさえしんどくて耐えられんようになるんよ。アルファで生きてくとなぁ、それ以外の生活なんてあほらしゅうてやってられん」

お父さんは翔のことが大好きよ。
なぁ母さん。ほんまに? それはボクに伝えたかったんやのうて、自分に言い聞かせてたんちゃうの。大好きよ。大好きやから子までつくった。生活費や入院代、けして安くない費用をかけたのは愛しているから。好きだから。アルファの子を産んだからじゃない。翔がアルファだからじゃない。
そう、信じて。

「せやのにな、アルファとオメガの組み合わせはそこまで多くない。アルファ同士で結婚するのが一番多いのはなんでか、わかるぅ?」
「……出会いが、ないからか? アルファもオメガも数が少ないし、私立のええとこ通ってるアルファが多いし」
「ぶっぶー。アルファとオメガの組み合わせがアルファの産まれる率いっちゃん高いなら、強制的に見合でもなんでもして出会わすやろ。発情期に会ってまえばしまいや」
「そんな言い方せんと。犬猫の掛け合わせちゃうんやから」
「ふぁー、ご立派な言い分やなぁ」
「御堂筋! 茶化すんやない」

腹立たしい。数え切れないほど考えて、理解して、受け入れて。それでも幾度考えても苛立ちは隠せない。
目の前の男はこんなにも誠実なのに。大多数のアルファはここまでオメガを侮りはしていないのに。

「茶化しとらん、正解や。犬猫、よりはオメガを人間として認識してるアルファが多いっちゅー話やな」

御堂筋の父親は違った。それだけの話だ。
それだけの話が、こんなにも苦い。

「なあ、おまえはなにを」
「寿命がな、極端に短なるんよ」

知っていた。あの男は知っていたのに。

「は?」
「オメガがアルファを産むとな、身体ぼろっぼろになるんよ。子がオメガやベータなら問題ない。普通の妊娠や。アルファやベータがアルファ産むのも大丈夫。せやし」

アルファだけに与えられる知識。ベータにもオメガにも伝えられない、あくまでも噂だと、本当かどうかはわからないからと誤魔化されるその。
確実性がないからという言い訳ひとつで母の命を縮める選択を、あの男はした。愛なんて見えもしない夢のようなものをあるように見せかけて、好きだとせめてだましてやってくれればよかったのにその手間さえもかけず。

「よっぽどやなかったらアルファはオメガと番うもんやない、て教わるんよ。建前として」
「おまえ……俺が、早死にするて心配してっ」
「ちゃう。幸せな誤解せんとってほしいんやけど、キミの脳みそはおめでたいつくりになっとるから無理かなぁ」

溜息をひとつこぼしてやれば、感極まったように抱きつこうとする。石垣の考えているようなことではない。そんな清らかな理由なんかじゃない。
ただ御堂筋は、あの男と同じ存在にだけはなりたくない。

「せやかてそういうことやろ……! 俺がオメガやから、子がアルファやったら死ぬかもしれんからって」

ああ失敗した。怒りに目がくらんで話の持っていき方を間違えた。石垣はきっとそう受けとめるだろうと思っていたのに。

「見くびらんとってや」

御堂筋の目指すものは。生きる糧、は。

「そもそもボクは子供なんてほしくもない。キミが早死にすんのは勝手やけど、それをボクのせいにされたらかなわんて話や」

誰より早くゴールに。一番に。そのためにどこまでも軽くなる必要があるなら、石垣など背負っていられるわけがない。
石垣の死を持っていたくなど、ない。
できない。そんなことをしては、走るなど。歩くことさえ。
死など。思い出など、たったひとつで足りすぎる。

「俺はおまえのせいになんかせんよ」
「ふぁー。望まれんもせん子産む、言うて? どうせ家族つくろうとか鳥肌もんのこと考えてたんちゃうん、偽善者やしキミ」

ぐ、と口を閉ざした石垣をもっと傷つけたくて言葉を紡ぐ。
ふざけるな。もっともっと傷ついて、嘆いて、ありきたりな考えで御堂筋に向かってきたことを後悔すればいい。見たくもない未来をどうして。どうして。

どうしてキミはアルファにどうとでもされてしまう、力弱いオメガなん。
御堂筋が手にしなくとも、近い将来誰かと番うオメガでしかない。そして死ぬ。御堂筋を一人残して。

「だいたい子供なんて残してなんになるん。もしボクが誰かを求めたとしたらな、その代わりなんて他に求めたりせんよ。そんなんどっちにも失礼な話や」

なんでベータでいてくれん。
キミがアルファであれなどと思わない。ベータであれば。最も人数が多く、一般的などこにでもいる有象無象であれば。名も知らぬ誰かと将来を誓い、同じベータの子を育み平凡かつ幸せに生きてくれただろうに。たまに御堂筋のことを思い出しては、酒の席でネタにでもして。
そういう存在でいてほしかった。石垣は。

オメガなんて弱い存在だから、きっと死ぬ。御堂筋の知らないところで、アルファに好き勝手されて騙されてぼろぼろになって、死ぬ。だけどこの男は馬鹿だからきっと笑って。御堂筋が手に入れても、入れなくても。
石垣は死ぬ。居なくなる。御堂筋よりもずっと早く。

「……なんでキミ、オメガなん」

捨てられない拒めない見ていられない。
どうして抱え込ませる。

「おまえのもんに、してや」
「いやや、ゆーとる」
「なあ御堂筋」
「やや」
「頼むわ」
「かなん」

甘くとろけた声でほろほろに煮崩れた笑顔でやわらかい言葉で、石垣はうっとりと傷つけられたいとささやいた。

「おまえだけや。なあ、俺、おまえにだけどうにでもされたいねん」

どうにでも、なんて言いながら断ることだけは許さないくせに。

「番にして。俺をおまえのもんにして。そしたら俺も、おまえを俺だけのもんにするから」

御堂筋はそんなこと望まない。石垣を自分のものにすることなど。そんなこと決して。
ただ生きていてほしいと、それだけを。

「おまえを俺にちょうだい」

絶対に子供のできない恋人同士になろう、と石垣は笑った。

「……俺はオメガとして間違ってるから、だからこそ俺らは運命や」