ラストショータイム

何回袖を通しても着慣れないスーツの襟元をひっぱり、千空はため息をもらした。これでもかと飾り立てられた手首や指先が重い。
飽きた? と視線だけで問うてくるゲンの脇腹を小突き、空いたグラスをウエイターに渡す。
顔つなぎ、コネ、スポンサーゲット♡とせかされるまま幾度となくパーティーには出ているが、未だに何がどうなっているのか千空はわかっていない。ゲンと共に出向き、隣でペラペラ話しているのをぼんやり眺めて適時うなずけばいつの間にか研究の予算がおりている。
興味があるなら金を出せ、でいいと思うのだがそういうものではないらしい。大人は色々あるのよ、とはメンタリストの言だが年齢だけで言うなら千空とてとっくに大人と言える。

大人。
ずっと、そうあろうと努力してきた。

人類総復活を目指していた頃は、正直大人も子どももなかった。各自できることを全力で。そうしなければ生きていけなかったし、それが当たり前だった。千空はその時必要な科学知識を豊富に持っていたから指導者として動いたが、自分がリーダーに向いていると思ったことはない。大人だとも。それは隣の男が一番よく知っているだろう。千空が新たな責任を負うたび苦い顔をし、共に背負ってくれたゲンが。

千空ちゃんなんてちょっと小突いたら即エンドのひょろがりなんだからね、ミジンコとしての自覚を持ちなよ。オコサマは早く寝な、大きくなれないよ。俺のがちょっとだけお兄さんだからさ。
からかいや軽口に混ぜ込まれた心配は、正しく千空に届きその心身を守った。憤ってじゃれて争って、自分たちはひとまとまりにただ役目を果たした。そこに大人も子どももない。必要なことをできる者が、誰もできないなら最も確率の高い者が。

人口が増え、ロケットができ、脅威が取り除かれ後はひたすら復興への道を歩むのみとなってから。千空の抱えていたものはどんどん減っていった。そして大人であることを求められた。
科学王国のリーダー。人類の代表。すべてのクラフト製作者。
作ってほしいものは千空に頼まずとも売られるようになった。科学王国は解散。代表、などという仰々しい名目はしたい者に譲り、身軽になり、ただの研究者になったのは千空の願ったことだ。
市井の一研究者だから必要な資金はあちこちに顔を出し工面せねばならないし、やりたいことをすぐにできるわけではない。興味のない事をし、社会とやらの荒波に揉まれ歯車の一つになる。けれどそれが大人だというなら。ゲンと共に歩く人生のために必要なものだと言うならば、千空はいくらでも努力するつもりだった。

石神博士はまだまだ子どもだとみえる。愛想よく笑いながら千空を子ども扱いする人間はどんどん手を伸ばす。これはいらないだろう、こんな大層なもの子どもにはまだ早い、大人になるまでこちらで管理しましょう。
年齢だけでは大人と言えないのはわかる。だから千空は黙って手を離した。確かにパッと見ただのガキにでかい権力握らしとくのは怖いわな。おもしろくなさそうな顔を隠さないゲンにそう告げたのは、嘘ではない。けれど好きな相手にいいところを見せたい気持ちはあるので、いつまでも子どもだと侮られないよう。立派な大人として扱われるよう、努力はしたのだ。これでも。

ああ、でもそれも今晩で終わりだ。

「ゲン」

とっくに仕事の話でなくなった会話に堂々と割り込み、隣の男の腕を引く。
大人らしく笑顔を浮かべて待ったりなどしない。どちらでもいいから落とせと言い含められただろう着飾った女に愛想よく笑顔も向けないし、ゲンに鼻の下を伸ばしていた男を睨みつけるのもやめない。
大人しくするのは止めたのだ。
なんせ隣の男が唆してくれたので。
――最近の千空ちゃんつまんないよね。ねえ、そろそろちゃんと勝ち馬の顔して?

「もういいだろ。行くぞ」
「え~、千空ちゃん相変わらずせっかち。メンゴね、またお話してくれる?」

甘ったるい声をかけながら背を向けるゲンの肩越しに見た男は、フォローが効いたのかさほど機嫌を悪くしていない。期待してんじゃねえ。苛立ちと共にゲンの細い首を引き寄せれば、なんの抵抗もなく小さな頭が千空の頬に寄った。耳に触れる髪の感触に浮かれる。すべて許されている。ゲンに。

「もう我慢できなくなっちゃった?」
「限界だわ」
「お楽しみが待ってるもんねぇ」

骨ばった肩を抱く千空の手首や指を彩る宝飾。耳にも、スーツにも、動くたびジャラジャラと音をたて身を飾ると言うには重すぎる貴金属。千空を縛るそれらが、本日から翼になってくれるのだからまったく石というものはおありがたい。クロムが好むのもわかる。
千空ほど貴金属を身に着けてはいないが、ゲンのまとっているスーツも売っぱらえばなかなかの値になるはずだ。組み合わせ方のせいでド派手だが一つ一つの品はいいので、一気に処分しなければバレないだろうとは詐欺師一歩手前のメンタリストの主張。

「テメーもそろそろウズウズしてんじゃねえのか。久しぶりだろ、こんな大掛かりなマジックショー」
「んふふ、あさぎりゲン一世一代の人体消失マジックだよ。ゴイスー楽しみ!」

肩を抱いたまま耳元で囁けば、とんでもなく浮かれた声が返る。ああこれだ。千空はずっとこれが欲しかった。ゲンと二人、ああだこうだと計画を練って笑いあう。ただこれだけでよかった。
丸い後頭部を撫でつけうなじに手を当てれば、興奮しているのか常より温かい。うれしいな、と素直に思う。千空だけじゃない。ゲンも望んでこの計画に乗ってくれている。
仲睦まじい姿に声をかけにくいのか、妬まし気な視線だけを向けてくる周囲に舌を出し千空はにやりと笑った。

なあアインシュタインのおっさん。あんたも写真を撮られた時こんな気分だったのか。
ざまぁみろと残念だったなを混ぜて捏ねて、浮かれた花火でも打ち上げるみたいな。
見ろよ、こいつは俺のだ。見るなよ、俺だけのだ。

聞き分けのいい大人は止めたのだ。舌を出すなど子どもっぽいだろう。なぁ、俺らは夢見がちなことばかり言うただのガキでいることに決めた。一生。好きな事しかしないで生きるわ。
そんな千空が好きだと腕の中のマジシャンが笑うので。

 

前代未聞のあさぎりゲン人体消失マジックは見事成功し、そのトリックは生涯見抜かれることはなかった。