落第生 - 2/2

目を開くと見知らぬ天井だった――なんてことはなく、それなりに見知った千空の部屋の天井だった。
そろりと隣に視線を巡らせば、枕を抱えて大の字で寝ている千空。そこは俺を抱えるとこじゃないかな、まで考えてゲンは現状が夢でないと実感した。夢ならもう少し自分の思う通りになっていてもいいはず。
身を起こして記憶とあっているか確認する。
鎖骨と腹、内ももに内出血。左の二の腕に噛み跡。キスマークはごまかせても噛み跡は難しいかもしれない。衣装さんがスルースキルの高い人であればいいのだけれど。
ムムム、と難しい顔をしてみても長く続かない。すぐ口元が緩んでしまう。

「……テスト、ってさぁ」

呆れた声を出したつもりだったのに、ゲンの耳に飛び込んできたのは嬉しさを隠しきれない弾んだ声。あーあ。ほんとにもう、この子はなんて自分をひっかきまわしてくれるんだろう。

 

◆◆◆

 

千空と恋人になったのは、彼が十七歳の時だった。
一応ゲンとて危機管理能力はある。どれほど好きだと言われても年下の、まだ高校生に手を出すつもりなんて絶対にない。なにが起こっても成人しているゲンの責任になるのだから。
それなのに名目だけといえ恋人になったのは単純な話、惚れてしまったからだ。友人として親しく過ごすうち、どんどん惹かれてしまったのだから仕方ない。ちゃんと待つけど予約済なんで、と周囲に牽制するためには名目だけといえ恋人という立場はとても便利だった。

だから千空の十八歳の誕生日は、とんでもなく落胆したのだ。正直なところ。
ハグしながらの「好きだ」「かわいい」にまぎれて「抱きたい」「テメーに入れたい」などと不埒なことも口走っていたので、ポジションの希望は把握済み。こちらとしては別にこだわりはないというか、まあかわいいあの子が望むなら譲ってもいいかな? うまくいかなかったら交代してもいいよね? みたいな。うん。
一ヶ月前から尻の穴を拡張していたゲンは、いつ努力の証を披露しようかとそわそわドキドキしていたのだ。お誕生日をお祝いして、そのまま盛り上がってはムードとしてはいいけどソファではきつい。できれば千空の部屋に誘導したいけれどうまくできるだろうか。セックスの前に風呂に入りたいと言えば場所の移動もスムーズにいくかもしれない。

ゲンからまるで外れない千空のまなざし。ケーキを食べる唇、マグカップを引き寄せる指先、笑うゲンをきゅうと目を細めてまるで眩しいもののように。好きだ好きだ好きだ。全身から伝わる千空の気持ち。隣に座っているだけで、熱のようにじわじわとゲンを炙り息が詰まる。心臓が早鐘のように打つ。抱きしめられた時、思っていたより力が強くて少し驚いた。もっと細い、若木のような腕だったはず。ゲンに触れる時には優しくさわっていたのだ、そう気づいてしまえばダメだった。名前を呼ばれた。何度も。頬を寄せ、腕を回し、2人の間に隙間なんてないくらいに抱きしめあって。
そのまま「じゃあそろそろ寝るか」で何事もなく寝るなんて、想像できるわけがない。

 

 

千空の十八歳の誕生日になにもなかったのは、高校を卒業してからと考えているのだろう。確かにパチンコ店もAVも高校生は不可だった。なるほど、十八という数字にゲンが踊らされてしまったということか。
照れくさかったけれど、あれだけ盛り上がっていたのにきちんと我慢してくれた恋人が誇らしい気持ちにもなった。千空は誰より真剣にゲンを思ってくれている。だからこそ、こちらの立場が悪くならないようにがんばってくれているのだ。

だから彼が卒業した後、ゲンの誕生日にはそりゃもうとんでもなくがんばって準備した。三月中はまだ高校生の気分かもしれないけど四月はね? 大学生だよね? 四月一日までは年度が替わりませんとか知るか千空ちゃんはもう大人なんです~!!!
一応挿入はできますよレベルではない。千空とて男同士で最初から気持ちよくなれるとは思っていないだろう。そこをあえての、初心者が男同士で最高に気持ちいいなんて! だ。俺初めてなのに、と恥じらいつつ俺たちこっちの相性もゴイスーいいんだね、でメロメロにして絶対離れられないようにしてやろう。
指だけではなく道具も使用してがっつり開発したゲンの尻は、けれど指一本たりと入れられずに終わった。

常よりも距離をとり気まずげにする千空は、ゲンをあまり見ない。あんなに好きだ好きだと全身で伝えてきていたくせに、ゲンから目を離さなかったくせに。隣に座れば間にクッションを置かれ、手を握ればわざとらしく頭をかくふりをして離す。え、なんで。何が起こったの。前回外で会った時と違いすぎる。あの時はちゃんとデートらしく、まで考えてそうじゃないことに気づいた。恋人だと思われないように、外ではよき友人の顔だけ見せているのだ。恋人らしいイチャイチャは家の中だけ。外では手もつながないし肩も触れない。
しないの、と絞り出した問いかけはしないという答えが返る。
そっか。しない。しないのか。今日この日、名実ともに千空の恋人になるのだとゲンは浮かれていろんな準備をして、楽しみに待っていたのだけれど。
でも、しないのか。

 

 

十八になったとたん即がっつくなんて愛がないと思われると考えちゃったかな、とその後も数回誘ってみた。
ねえ俺とそういうことしないの? 名目だけじゃない、本物の恋人にならない? 俺、キミの事メロメロにしたくてゴイスーがんばってるんだけど。

断られるたびそっけなくなる千空の気持ちなんて、メンタリストじゃなくてもわかる。ゲンの事を嫌いになったわけじゃない。友人として好いてはくれている。ただ恋ではなくなっただけ。だからセックスしたくなくて困っている、それだけ。

別に言ってくれればいいのに。それくらいで気まずくならないし二人の間の友情はなくならない。セックスしてしまっていれば少し気まずかったかもしれないが、自分たちは何もしていないのだから。キスのひとつさえも。
それともメンタリストだからわかるだろうと甘えられているのだろうか。マジックに有効かと少し勉強しただけで、メンタリズムを学んでいても心が強くなるわけじゃない。好きな子に振られたら普通にしんどい。ああ、でも年上だから。ゲンの方が大人だから、ちゃんとうまく動いてあげないと。
もう恋人ではないにしろ、大切な友人ではあるんだし。

 

◆◆◆

 

まさか二十歳が約束の日だと思っていたなんて。
十七歳でつきあいだしたのだ。さすがに三年待たせるのは遠回しなお断りだし、ゲンとしては十八までだって結構長かった。

本当に我慢できるかテストされていると思っていた、と口走った千空の顔といったら。
ふざけるな、セックスせずともせめてキスのひとつくらい。手さえろくにつながない、愛の言葉も伝えないでなにが恋人。罵ってやろうと吸い込んだ空気は、千空の期待に満ちた表情を見たとたんすこんと胸に落っこちた。

ゲンが別れたつもりでいた間も、よき友人として過ごしている時も、ずっと千空の中では恋人で。
近づけていた顔を離せば露骨に残念そうにしょげ、ゲンをつかんだ手は緩めず、二人抜け出そうなんて精一杯の誘い文句。口説くのも、愛の言葉も、好意を示す行動も得意じゃないのを知ってる。甘やかして先回りしていたゲンに責任の一端があるのは自覚しているけれど、別に構わない。そういうつもり、で動いていたのだ。
ああ、でもまずいな。こんなに不器用でかわいいところを見せては皆千空に恋してしまう。ゲンだけに向けてくれればいいのに。
落第生だから大目に見てくれと、左手の薬指に口づけてきた男の眉間をちょいとつついてやる。
あんなこと素でする落第生がいるものか。

「おっはー、千空ちゃん昨日はよく眠れた?」

わざとらしいくらい明るい声に、枕を抱いたまま千空はもごもご返事をした。こめかみに拳をぐりぐりしているのは頭が痛いのかもしれない。そういえば昨日は酒を飲んでいた。

「あ゛? あ~、おう、酒も入ってた、し……っ!?」

がばりと布団をはいで自分とゲンの下着を確認する千空に、笑いをこらえられない。安心してください、はいてますよ。

「だいじょーぶ。千空ちゃんの貞操は無事だよ♡」
「……マジか……」
「もしかしてお酒も昨日が初めて?」
「おう……っくしょ、やらかした……」
「んふふ、だからやらかしてないんだって」
「ちげぇよ。テメーとがっつりやるつもりで俺は」

やんややんやと皆に冷やかされながら見事千空にお持ち帰りされ、最近お尻広げてないなどうしようかな、と考えているうちに盛り上がってベッドの上。
まあいいか流れに任せよう、までゲンが覚悟を決めたにもかかわらず千空は寝落ちた。それはもう気持ちよさそうに、ゲンにキスマークや歯形だけつけて。
どうしてくれよう、どころかもうおかしくておかしくて。あんなにがんばったのに。千空らしくもなく必死に言葉で口説いて、ゲンにすがって、三年も待って。ちょっと傍によるだけで我慢できなくなるくらいゲンを求めていたくせに。
寝落ちって。

「……だせぇにも程があるだろ俺……」
「いや、おもしろいよ。エンターテイメント的には百点満点だよ千空ちゃん」

がっくり肩を落とし全力でしくったと表現している現在まで含め。

「あ゛っ!!」
「え~、まだなんかあった?」

何かに気づいたように叫び声をあげる千空を笑い飛ばしたいのに、ここまで来るとだんだんかわいそうになってくる。千空の事だ、張り切ってロードマップを作りウキウキ計画をたてていたのだろう。肩を落としたままもそもそ机に向かう背中は、情けないを通り越していっそ哀れだ。あまりの姿に、ゲンくらいは甘やかしてあげないとなんて使命感までわいてくるくらい。
戻ってきた千空を慰めてやろうと手を伸ばせば、なぜか目の前にずいと小箱が差し出された。

「テメーが起きたらこれが指にはまってる予定だった」

千空の手のひらに乗せられたビロード張りの小さな箱。パカリと蓋が開けば、中にはシンプルな指輪が。

「……はまってませんけど?」
「おう、だった。……テメーのが早く起きた」
「っぶふ!!」

セックスして、一緒に寝て、目覚めたゲンが指輪を見つけて。

「ど、どれもできてな~い!」

寝落ちして、枕かかえて、起きたらとっくに恋人は目を覚ましていて。
なにひとつ計画通りいかなかったらしい千空は、指輪を差し出したままひたすら項垂れている。なんとか巻き返せる方法を必死になって考えているんだろうか。昨夜からずっといいとこなしだから、なんて。

馬鹿だなぁ。いいとこなんて、ずっとない。

ゲンが知り合い、共に過ごし、好きになったのは。言葉は足らないしガキっぽい意地もはる、でもゲンのことを好きで好きでどうしようもないと隠しもしない、不器用な年下の男の子。
勝手にテストされてるつもりで、合格してるだろうなんて間違いばかりこちらによこして。そのくせゲンの心を離さない、ひどいことばかりするかわいい子。

「プロポーズする前にさ、千空ちゃん」

落第生でいいよ。
その分いっぱい補講しよう。

「抱きしめて好きって言うもんだよ、ベッドの上なら」

もっとマシなプロポーズするって言ってたくせにこれだから、面白くて目が離せない。へこたれ方までかわいいとか才能じゃない?

「ゲン、好きだ。名目じゃない恋人がいいし、結婚もしたい。こっから生涯ずっと、死んでからも一緒にいてくれ」

学習能力の高い生徒は即座に百点満点の回答を出してきた。
キスの時に歯が当たらなかったら完璧だったのにね。また失敗したと耳を赤らめる千空を、ゲンは今度こそと抱きしめた。
一番大切なことを教えてあげる。ねえ、かわいい人。

「全部一緒にお勉強していこうね、千空ちゃん」

しないの、じゃなくてしようと言えばよかった。セックスしようって、楽しみにしてたんだよって。大人ぶっていい恰好しようとして、ゲンだって全然優等生じゃない。先生にもなれない。
だから教えて、キミのこと。だから知ってね、俺のこと。
恋人だから二人で一緒に歩こう。同じスピードで。

「とりあえず、キスマークと歯形は俺の許可を取ってからです」
「……服着て見えないとこなら」
「許可を取ってからです」