彼女は妹

「で、さっぱりわかんねえんだよ」
「なるほどな! そりゃ俺もわかんねえな!!」

うっそでしょ!? 鈍いにも程がある!!
頷きあう男二人を除く、研究室中の人間の心の声がそろった瞬間だった。

「ごめん聞こえちゃったんだけどさ、どこがわかんなかったの?」

盗み聞き、のつもりはなかったけれどこちらに向けてない会話を聞いていたのは事実だ。それでもどうしてもがまんならなかったのか、勇気ある質問者がハイと手を挙げた。
そう広くもない研究室で、声をひそめることもなく話していた時点で隠すつもりもなかったのだろう。相談者こと石神くんは、研究室中の人間の目を集めていたことに少し目を見開いてから、全部だと答えた。

「聞こえてたならわかんだろ。そもそも何が原因でいつからどうなったか、解決の糸口ひとつ見つからねえ」

本気?
聞いてたこっちにはものすごくわかりやすかったんだけど、当事者は眉間にしわをよせ険しい顔をしている。顔だけは本当にいいからどんな表情してても絵になるの、慣れた今でもすごいな。美。

「えぇ……彼女へのホワイトデーのお返しの話でしょ?」
「彼女じゃねえ」
「いやそこはいいよ」

即座に訂正が入るけれど、毎年欠かさずバレンタインにチョコをくれる隣に住む幼馴染の女の子、ホワイトデーにはリクエストされるのが常なのに今年はされないうえ聞いたらいらないと言われたがどうしよう、って相談の時点で百%彼女でしょ。彼女じゃなくてもおつきあいまで秒読み、少なくとも研究以外で石神くんが気にする相手ってことは相当大事な子。
あの石神がねえ、という生温い視線に気づいているのかいないのか、落ち着かなげに咳払いをした石神くんは再度口を開いた。

「彼女じゃねえが、何かもらったら返すだろ。今年はでけえケーキ焼いてたし、俺は製菓にゃ詳しくねえが大変なんだろ、色々。だから欲しいもんやるのはおかしくねえ」

まあスポンジがきれいに膨らむかとか、延々生クリーム泡立てるの大変とかはあるよ。あるけどさぁ。

「これまでうちらからのチョコにお返ししたことないじゃーん」
「そーだそーだ」
「糖分補給用資金はこっちも出してるだろ」
「買ってくるっていう労力に対する感謝が足りないよね」
「私たちからのバレンタインです♡って言ったでしょ、ちゃんと」

研究室に置いてあるお菓子はゼミ生で資金を出し合って購入している。買い出しと称して自分の好みの物を多めにしたりするけれど、一応皆の好みを取り揃えようとしているんだから感謝してほしい。
まあバレンタインと言ってもパッケージにハートが描いてあるとかそんな程度だし、本気でお返しが欲しいわけじゃない。もらっても正直困るけど。

「あれ? でも石神くんってお菓子食べるけど、持って帰るほど好きじゃなかったよね」

さっきからクロムくんに相談していた内容じゃ、石神くんがもらったチョコに彼女が嫉妬して怒った感じだった。でもこの研究室以外で、石神くんがチョコを手に入れることはない。
入学当初はそりゃモテた石神くんだけど、院生の今となっては難攻不落の代名詞だ。どんな美人に誘われてもなびかない、かわいい子に酔っちゃった♡されてもお持ち帰りしてくれない、おまけに研究一辺倒でいつでもどこでも白衣のまま。顔だけは最高だから観賞用、つきあうのは勘弁というのが彼の周りの評価のはずなのに。

「あ゛~、教授のもらってきた高いやつあっただろ」
「マカロン? そうそう、あれ有名なんだよなかなか買えなくて」
「ゲ、いや、うちのが前に食いてえって言ってたからやったんだよ」

なるほどなるほど。へ~、彼女が食べたいって言ってたのちゃんと覚えてて? 喜ばせようってわっざわざお菓子持って帰って? ていうか『うちの』って。別に名前教えてもらってもこっちだって困るけどさぁ、うちのって。そこまで言って、して、でわかんないの??

「それを誰か他の女の子からもらってきたって誤解されての喧嘩か……いや、説明しなよ」
「別にんなことで怒りゃしねえよ。昔っから俺宛のチョコだのなんだの全部あいつの腹に入ってんだぞ。この時期はおやつに困らなくていいって喜んでるわ」

いや、それ石神くんの口に他の女の子からのチョコ入れたくないってやつでは。
だってもらってこなくても文句言われてないんでしょ。え、そんなの確定じゃん。
隣を見れば同じ意見だろう友が頷いている。ねえ、これ気づいてないの相当鈍くない? クロムくん以上とかありえる?
研究室において鈍いの代名詞であるところのクロムくんは、わけわかんねえなと石神くんに賛同している。
たぶんキミ達二人以外皆わかってるよ。

「でもその辺から気まずい感じなんでしょ? 絶対関係あると思うけど」

ホワイトデーに何が欲しいか聞いたら、マカロンをくれた子にお返ししなよとラッピングされたキャンディーをもらったらしい。で、必要ないと返せばじゃあ自分もいらないと言った、と。
最近はまったくもらってこなかったバレンタインのプレゼントを、今年だけわざわざ持って帰ってきた。彼女としてはそりゃ気をもむよねえ。

「……ねえ、嫌な事思いついちゃったんだけど。もしかして石神くんさぁ、ゼミのやつからもらったとかそういうこと言った?」
「あ゛? そうだな、糖分補給用にいつも菓子置いてるとこにあったやつだから、わざわざお返しとか必要ねえだろっつったわ」
「やだ、うちらがあげたと思われてない!? え、全然石神くんとか狙ってないんですけど!!」
「は!? ……あ~、あれじゃん、奥さんが用意するやつじゃん!」

絶対ないけどもしも、もしもの話チョコをあげたとして。石神くんからかわいくラッピングされたお返しなんかもらったら、確実に彼女の影を感じる。だって用意するわけないもんこの男が。もしお返しするなら、当日なにか奢るとかその程度で。
彼女、マウントとろうとしたんだ……なのに鈍い彼氏は俺らの関係にそういうのはいらねえわかりあってるから、みたいな発言したわけか。そりゃ拗ねるわ。

「石神くんさぁ……彼女も結構めんどい感じだけど、もうちょっと説明してあげなよ」
「欲しいもん探すために一日連れまわされるが別に面倒じゃねえよ。毎年のことだ」
「そういう意味じゃない、っつーかデートじゃん。それデートでしょ」

せっせと毎年バレンタイン手作りして、ホワイトデーはゲーセンでとれたぬいぐるみだの一人じゃ入りにくいパンケーキを奢ってもらうだので、なに? 今時ゲーセンのぬいぐるみ喜ぶ女いる?? 小学生でもナシでしょ。
それをホワイトデーのお返しとしてクロムくんに堂々と言い放ちやがってたってことは、喜んでるんだ……彼女、喜んじゃってんの。健気。やばい、なんかだんだん彼女が不憫になってきた。

「あ゛? あいつは妹みたいなもんだから」

これだよ。
こんな男でいいわけ彼女。

「なんか彼女かわいそうになってきた……マウントとっちゃうくらいこれがモテると思ってるんだ。惚れた欲目ってやつ?」
「顔はいいもん、顔は。なんだっけ、女房思うほどモテないってやつだよ」

いきなりのディスに納得がいかない顔をしている石神くんに、マカロンの入手先からお菓子の資金の話まで全部順に話せばいいと背中を押した私たちは一仕事やり終えた気分だった。
結局なんだったんだ、と首をかしげるクロムくんへの説明は翌日の石神くんに任せたけれど、ご機嫌にあれこれ話していたから問題は解決したんだろう。

 

◆◆◆

 

「いや~、まさかあの時すでに結婚してたとはね」
「妹とか言ってたくせにね」

彼女の大学卒業を待って挙式した石神くんは、そりゃもう愛おしそうな目をして隣を見ていた。ハイハイごちそうさまですお幸せに。
よくまあ妹とか言ったもんだよね、ほんと。

「そういえば大昔はさ、妹って妻のことだったらしいよ」
「現代に生きなよ石神くん」
「ね」