ラッキースケベ不要論

両手を握って、目をあわせて。
「あなたはいますぐ一松にお小遣いをあげたくなる」
「……しゃーねえなあ、んなしけた面してんなよ。ほら、これでお馬さんにでも会ってきな」
目の前に差し出された五百円玉に震えが押さえきれない。なんせ目の前にいるのは、弟の財布から金を抜くことはあっても自らの懐からなにか取り出すなんてありえないおそ松だ。
これは本物だ。
じゃーね、と居間を出て行く背中は追わず一松はじっと手のひらの五百円玉を見つめた。
「マジか……え、夢とか……いや」
ひねりすぎて真っ赤になっている頬をもう一度ひねるも、痛みはあれど目の前の世界は終わらない。目覚めない。見慣れた松野家の居間で、一松は両手を見つめた。
「夢じゃない……?」

 

朝から不審な男に「キミに決めたダヨーン。詳しいことはおいといて、キミは催眠術が使えるようになったんダヨーン」と絡まれた時には己の不運を呪ったりもしたが、おそらくあの男が原因だろう。意味の分からないことをまくし立てて去っていった男の言うことなど無視してもよかったのに、暇だったせいか顔を合わせたチョロ松に「一松様と呼びたくなる」と冗談めかして告げたのは本能がなにかを感じていたのか。
ごく普通の会話になぜかまざる「一松様」に首をひねっていたのはチョロ松以外の兄弟のみであった。
いやいやまさかね、とトド松に「兄弟にデレたくなる」と催眠術をかければもののみごとにデレデレトッティが出現だ。あざとい。かわいいけど。そんなバカなと十四松に「袖をのばさない」とかければパーカーの袖を折っていた。本能の強そうな十四松ならかからないだろうと思っていたのに。いや催眠術が使えるようになったとか信じてないけど。一松はまだ信じてないけど、そういうの。でも。にーさんおそろいっすね、と笑う十四松とそうだなと笑うカラ松は平和だった。悪くない。ちくしょう。

こうなったら絶対にありえないだろうことを、と最後の砦とばかりにおそ松にかけたのが「お小遣いをあげたくなる」である。絶対確実にない、と思いこんでいた事が起こるとしばし人はどうしていいかわからず呆然としてしまうものだ。例にもれず一松はひたすら両手を見つめた。
催眠術にかけるのは簡単。
両手を握って、目をのぞき込んでかけたい内容を口にする。
それだけで目の前の相手は一松が口にした通りの行動をとった。一定時間で解けるようだが、解けてからも催眠術でとった行動に疑問は抱かないようで、あれはなんだったのかと一松に聞きに来た松はいない。
これは使える。
使わないでいるわけがない。
よくエロマンガにある展開だ。催眠術で美少女達をあれやこれ。目の前でストリップさせたり胸押し当てるのが挨拶だと設定したり下着はつけないのが当たり前だと信じさせたりするアレだ。
かけるのが一人ずつしかできないのと一定時間で効果がきれることからハーレム展開は難しいが、たった一人にエッチなことをしてもらう分にはなんの問題もない。そう。問題などないのだ一松にとっては。

たった一人にだけ、カラ松とだけエッチな展開に持ち込めれば万々歳なのだから。

 

◆◆◆

 

別に一松は、積極的にカラ松とどうこうなりたいわけではない。
いくらカラ松が性的でエロい雰囲気をぷんぷんさせている暴力的なまでのセックスシンボルだからといって、一松にとっては血を分けた兄である。遺伝子まで同じむつごの兄がどれほどシコくとも、さすがに同じ顔に欲情しては他松に怪訝がられるというくらいは理解している。エロいけど。アレにぐっと来ないとか他のやつらの性嗜好が理解できないけど。まあ昆虫図鑑で抜いたりへそのしわフェチだったりするから仕方ない、と兄弟の好みを受け入れる程度の心の広さは一松にだってある。
ただ兄弟に疑問を抱かれたくないだけで、合法的にカラ松とあれこれできるのであれば拒むつもりはもちろんない。大歓迎だ。そしてこの力があれば、偶然を装った接触を待つでもなくエッチな展開に持ち込めるのだ。催眠術をうまく使えば。そう、一松が望んだわけではなく、なんらかのハプニングによってエッチな展開になる。
ラッキースケベだ。
少年マンガにありがちなラッキースケベは神という名の作者が起こすが、松野家のラッキースケベは一松が神として起こそう。

あくまでもハプニングであるから一松が他松から後ろ指をさされることはないし、カラ松も実の弟から性的な目で見られていると困惑することはないだろう。そう、ハプニング。仕方ないこと。
こけるカラ松と落下地点に偶然いた一松、ぶつかる身体、カラ松は普段から胸元をはだけがちだから一松の口元に胸がくることもあるだろうし、驚いた一松が口を開いていてそこになにか飛び込んできたからびっくりして舐めちゃうことはおかしくないし、それが乳首だったりしてうっかり高い声でちゃうカラ松とかそういうのあるあるある。ほらおかしくない。意図せずだから。ごめん、とか顔真っ赤にして飛び起きるカラ松とかどちゃシコすぎるからガン見するのは自然の摂理だし、一松は記憶力がいいから舌の感触とか表情とか忘れられないのは当たり前だし、自家発電時ちょっと記憶を反芻するかもしれないけどまあそこらへんは黙っておくから見ないふりして。
すばらしいなラッキースケベ。

問題はいかにしてそういった行動にもっていくかだ。催眠術で一松のことを見えないようにしてシコ松してもらう、には少々時間が足りない。いきなり現れた弟に驚く顔は見たいが途中でやめられては一松としても蛇の生殺しだ。一松の精液を飲まないとのどが渇いて死にそう、なんてのも嫌いじゃないが出せと迫られて緊張から勃たなかった場合死んでしまう。主に一松の精神が。
「……なかなか難しいな」
「おっ、どうしたんだブラザー。なにか悩みがあるならこのオレに」
これまでのAVのシチュエーションを思い返しながら幸せなため息をついていると、脳天気な顔をしたターゲットがひょいひょいと近づいてきた。一松の脳内で結構な割合で大変なことになっているというのにお気楽なものだ。カラ松は知らないから警戒するわけもないのだが。
「……なんか用」
その畳の縁につまづいてこけろ。もしくはすべって一松に覆い被さるようにこけろ。その手に持ってるカップひっくりかえして乳首が透けちゃってるうえになんかぷっくりしてるよおれに見られたかったのルートも可。
「さっきカラ松ガールからもらった桜茶のお裾分けだ。グッドスメルだろぉ~」
「おまえ相変わらずババ受けだけはいいね」
前言撤回。こけたりカップひっくり返したりはなしで。

手ずからカラ松が淹れてくれた茶を無駄にするようなことは起こってはいけない。だってカップは二つあるのだ。これはもしかしなくとも、隣に座って一緒に飲もうフラグではないか。一松はカラ松のことを大変に性的でエロい存在だと認識しているし正直オナペットなのだが、そういう感情を抜きにしてもまあそれなりに、うん、居心地が悪くないというか。落ち着くというか。共にいて過ごしやすい相手だとも思っているので。
つまりは一緒にお茶してお話したい。
「ノンノン、確かにこれをくれたのは年輩のガールだがカラ松ガールズは星の数だからな。年齢の幅でしばられない男なのさ」
「こないだ小学生に緊張してたくせに」
「あれは、んんっ、最近のキッズはたまに攻撃的だからな」
公園で決め顔の練習を平日昼間からしているから不審者メールの対象になるのだ、と同じく小中学生保護者から要注意人物として注意喚起されている一松は他人事のように決めつける。松野家のむつごはさほど詳しくない人間にとって、真っ昼間からいろんなところに出没する怪しい成人男性でしかない。むつごということを知らない相手からは、さきほどパチンコで負けていた男が路地裏で猫をかまい川を泳いでいるのだ。不審者待った無し。だからこそカラ松はいきなり防犯ブザーを鳴らされ苦手意識までもっている。大変にいいことなので一松はフォローなんてしてやらない。

会話の接ぎ穂がうまくいったらしく、隣に座ってなんだかんだと話しだしたカラ松に一松は密かに拳を握る。よかった。こいつの仰々しい話し方は苛ついたりもするけれど、まあたまに悪くない言い回しもするしなんせ声がマシだ。低く穏やかで男らしい声は、春先のうららかな空気に溶けてゆったりと一松を包み込んでいく。温かい風呂につかっているような、心地いいマッサージのような。
……マッサージ?
「マッサージだ!!!」
「ひぇっ!? ま、マッサージ???」
そうだ、定番ではないか。感度をあげてのマッサージ。おかしい、一松は普通に腰を揉んでくれているだけじゃないかどうしてオレこんなに感じて、みたいな。どうしたのこんなにしちゃって、もしかしておれに触られただけで感じちゃったの、みたいな。な!
ド定番ではないか。
「肩でも凝ってるのか? そういえば駅裏によく効く整体があるって」
「おまえが凝りをほぐされるんだよ!!! いいからマッサージだぁ!!!!!」
襟元をひっつかんで怒鳴ればまるで話についていけてない顔のままこくこくと肯かれる。おまえもう少し警戒心を持て。勢いに流されてなんでもかんでも了解していては貞操もそのうちあっさり奪われてきそうで一松はとても心配している。たまに背後から睨みをきかせてみてはいるが、いかんせんカラ松はふわふわとすぐに外に飛び出す考えなしの頭からっぽ野郎だ。目の届かないところでなにか起こっている可能性が非常に高い。兄弟内で最も一松の庇護欲をそそる男は、やっと脳に情報がいったのかぺらぺらと礼を述べ出した。ちょうどいいからこのままかけてしまおう。

催眠術をかけるには、両手を握って目をあわせる。
今まさに襟ぐりを持ったこの手をカラ松の手に移動させ、この至近距離で目をあわせ……あわせる? え、おれが?? 燃えないゴミのおれが???
「しかし一松がマッサージの心得まであるとは知らなかったな。もしかして前にバイトしたって言ってたのはマッサージ店だったのか?」
「……むり」
「最近少し肩が凝るなと思っていたんだ。整体に行くまでもないと思っていたんだが、そう言ってくれるなら助かるな!」
ぴかぴかの目をしてご機嫌にしゃべりまくるカラ松と目をあわすとか、無理。焦げて死ぬ。
手を握るとかもっと無理。襟ぐりひっつかんでなに言ってんだって? そっちがなに言ってんの、これは服でしょ。あくまでも服。パーカーとかつなぎとか皮ジャンとか、まあなんでもいいけど直じゃない。手は直接だよ? 無理無理無理、無理がすぎる。
先程までさくさくとかけてきた兄弟達にはどう言って手を握ったのだったか。ええと普通にさっとつかんで、怪訝な顔される前に目をあわせて、いや不思議そうにされても気にせずずばっと。
そもそも手をつなげて目をあわせたとして、で、なんて言うの。感度あがってくれ、とか言うわけ。いやおかしい。そんなこといきなり言いだす弟とかどう。おかしくない? おかしいね。おかしいよ!
「っ、ばーっかなんでおれがそんなことしてやらなきゃなわけ!? 嘘だよ嘘!!!」
カラ松が淹れてくれたお茶を忘れずに回収しつつ退散することに必死であった一松は、だから気づかなかった。一松の捨て台詞を聞き、カレンダーを見て納得したように肯いたカラ松を見ていなかった。

 

◆◆◆

 

鏡の前でじっと己をみつめる一松の表情は、追いつめられていた。
「これしかない……これ、いやもっと他になにかあるんじゃ……でももうこれしか」
ぶつぶつと呟く自問自答にも覇気がない。催眠術を覚えた! ラッキースケベだ!! と息巻いていた勢いはとっくに消え、今となってはなにをどうしてああも浮かれたのかさえわからない。
一松とてがんばったのだ。
唐突にカラ松の両手を握るなんて無理、ならば理由づけをすればいい。前向きにそう考え、いきなり目の前でよろけてみたり(普通に避けられた)虫がとまっていると言ってみたり(即座に平手が飛んだ)スポーツ中継に興奮して手を取り合おうとしてみたり(拳をつきあげやがった)エトセトラエトセトラ。
カラ松に催眠術をかけられないなら第三者を巻き込めばいい。驚くくらい手を握る機会を逃してきた一松は考えを改める。そうそう、ラッキースケベなんだから誰かがぶつかってこけたカラ松が一松に向かって倒れこんでもいいわけだ。なぜかバケツが落ちてきて水を被ったカラ松の乳首が透けて見えるとか、こけた誰かがカラ松の服をつかんでいたから脱げちゃったとか。二人しかいない状況より過激度は落ちるがそこは妥協も必要だろう。なんせ一松は、この催眠術でいい思いがしたいのだ。乳首だの裸だの銭湯でいつも見ているじゃないかという心の声はこの際無視する。
ところがこれもまたうまくいかない。十四松に催眠術でカラ松が怪我しない程度にぶつかるよう指示を出す、までは上手くいったのだ。ただ一松がカラ松の傍に行く前に十四松がつっこんでいってしまうだけで。一松の方に向かって倒れ込みあわよくば胸元に頭など抱きかかえてくれるのでなければ、カラ松がすっころんでいるのなんか松野家の日常である。催眠術をかける必要もない。一松が所定の位置にスタンバってから、では次はカラ松がくるかどうかがわからない。あまり複雑な指示は通らないあたり、納得はできても歯がゆいばかりだ。こんなことでエッチなイタズラができると思っていたのかあの謎の男は。

思考錯誤を繰り返し、時刻はすでに夜。ひたすらカラ松に催眠術をかけることに一日を費やしてしまった一松は、結果が出ないまま今日が終わることが耐えられなかった。
だってこんな気持ちのままあいつの隣で寝られる?
確かにラッキースケベの対象としてカラ松を選んだのは一松だ。こつりと出ている肩の骨にぐるりとえぐれたように出ている肩甲骨、うっすら浮き出て数えられる背骨を伝ってひきしまった腰と弾力のある尻、かじりつきたいむちりとした太ももから素直にまっすぐのびる脛、ひざの裏のくぼみ、甲高でアーチがきつい足の裏。ひとつひとつを眺めた事もエロい行動を脳内でさせたこともあるけれど、それはあくまで一松も性的にもよおしていた時だ。エロ本の代わりに頼っただけであるから常はたんなるムカつく同い年の兄である。
けれど今日は、見すぎてしまった。継続的にカラ松を見て、傍に居、考えすぎてしまった。ただの兄だ。ムカつく、まあ居心地は悪くないし嫌いじゃないけど、でも兄弟の。どうとも思っていなかったはずのカラ松のことを見、考えすぎてしまったから。
落ち着かない。ありとあらゆるエッチなハプニングの可能性をさぐったのだ。そのどれもが不発で終わったというのに、これから隣同士で眠らなければならないなんて。せめて一度でもラッキースケベが成功していれば、ガス抜きとは言わないがいつものように過ごせるだろうに。
だからもうこれしかない。最後の手段なのだ。

カラ松の手は握れない。他松に頼るのもダメ。じゃあ誰に催眠術をかけるかって、一松本人にかけるしかない。
大丈夫。なんてことない。ほら、両手を握って、鏡越しに目をあわせて。カラ松のことばかりの脳内をどうにか平常運転に戻すために、このよくわからない興奮状態を鎮めるために、催眠術を。
「一松の、カラ松への感情を」
一定期間でいいのだ。眠るまで。明日になればぜんぶ忘れてしまう。怖い夢みたいなものだから大丈夫。二つ上の兄がとんでもなく性的だと認識していても、常にそう感じているのでなければ兄弟はやっていける。
だからこの、あいつをエロいと思ってしまう感情を。今だけ。
「聞かせてほしいな」
唐突に耳に飛び込んできた言葉は一松が口にしようと思っていた形ではなかった。なくす、と動く予定だった口をぽかんと開いたままゆっくり振り返ると、とんでもなくゴキゲンに笑っているカラ松がいた。予想通り。
なに。カラ松への感情。エロいとか、ムカつくとか、歌はまあ悪くないとか大仰なせりふ回しをやめろとかもう少し布面積を増やせとか。肉ばっかり食うな人の話を聞け鼻歌もっと歌えわからないことを適当に流すなフリーハグとか馬鹿なの鏡ばっか見てなにが楽しいの次に言うこと考えるよりこっちの話を聞けだから会話がとんちんかんになるんだバーカバーカバーカ、なんでもっとおれのこと見ないの。こっち向けよ。気にしろよ。話せよ。ラッキースケベ起きろよ。なんで普段は不幸に巻き込まれまくってるくせに今回だけスルーしまくってんだよ巻き込まれろよ。ボケ。クソ。

「好き」

は?

 

は???
待って。ちょっと待って。今誰の声。え、なんかおれの口が勝手に動いて。待って。待ってってば、おい。
「わかった」
こくりと肯くカラ松の背後、カレンダーが目に入り一松は息を吹き返した。いや、おまえもなんで肯いてんだよここは笑いにして切り返せよじゃないとまるで本当みたいに。違う。大丈夫今日なら。
なぜ今実の兄に向って告白などしたのかさっぱりわからないが、重要なのはどうにかこの場を切り抜けることだ。理由は後からいくらでも調べる。催眠術の使いすぎで一松の脳がショートしたのかもしれない。よくあるだろうそういうの、小説とかで。人は過分な力を得てはいけない、みたいな。神の領域だ、的なアレ。そんなことよりなにより、この弱味をカラ松に握られないうちに形勢逆転し、墓までもっていく秘密にしろとなんとか脅しつけなければ。
「はっ、バッカじゃねーの騙されて。何日かわかってるわけ、今日は」
「エイプリルフールは終わってるぞ」
「え」
「ほら、もう0時回ってるだろ」
時計は無情にも一松の言い訳を木っ端みじんに砕いた。
「っ、じゃあ」
手を握れないとか目をあわせられないなんて言ってる場合じゃない。
両手を握って、目をあわせて。
カラ松の、指先の皮膚が硬くてごつりとした乾いた手を握って、ぴかぴか光る物ばかり探すからこちらなどちらとも見ない目をのぞきこんで。

お願い。神様謝るから。もうこんな力使わないから、今だけ。効いて。
「さっきの一松の告白を忘れて」
しないよ。ただの兄弟は、弟は、兄のことをそういう風に好きになったりはしない。エロいなと思うことはあっても、エロ本の代わりにしても、好きになっていても。
兄弟の関係性を壊すようなことは、しないから。
だから忘れて。ちゃんと明日からもこれまで通り、たまのラッキーで満足するから。
欲をかいてしまったのがいけなかった。催眠術なんて力、持ってしまったからラッキースケベを自ら起こそうなんて思ってしまって。ほんの少しでも、おまえの目に映りたかったなんて。こちらを意識してほしかったなんて。
もう絶対願わないから、だから神様、ごめんなさい。

「だから一松、エイプリルフールは終わったんだ」
「え、……あれ?」
目の前のカラ松はなにも忘れていないように見える。それとも告白がなくともこの会話になるだろうか。……ならない。どう考えてもこの運びはおかしい。
「なん、なんで……? え?? だっておれ、催眠術」
「うん。だからそれ。エイプリルフールの嘘だろ」
「は?」
「あっさりひっかかったって聞いたけど誰に騙されたんだ?」
「うそ……? お、おそ松兄さんが……小遣いくれ、て……トド松達も、皆」
一松様と呼んで袖をめくって兄弟にデレて小遣いをくれて。そうだ、なんで信じてしまったんだ催眠術なんて馬鹿げたこと。普通にない。ありえない。そもそも見知らぬ男はキミに決めたと叫んで方法を伝えただけだったし、語尾が聞き覚えあったような気も。
「……………しのう」
「ノンノンノン! 思考回路がハリケーンなのは一松の良くないところだぜ。ブラザー達は楽しんでたしおまえの催眠術は悪意のないかわいいものだったし、いいお祭り騒ぎだったじゃないか!」
な、と笑いかけてくる目の前の馬鹿への殺意がとまらない。悪意がないだ? おまえへの欲望がとんでもなくて今日一日どれだけ悩んだと思っているのだ。ラッキースケベを起こすためにどれほど努力したかと。それを。
怒りにまかせ本日の努力をまくしたてていた一松の口は、両手にかかった圧力で声のひとつも出せなくなった。痛い。おいゴリラおまえ握力どれだけあると思ってるんだちょっと手離し、ちょ、いたたいたいいたいいたい痛いって。悪かったよもう神様には謝ったしおまえにもちゃんと今回は謝るつもりはあるから。
「…………へ?」
なにか触れた。
手が痛い。おまえリンゴと同じ気分で力こめてんじゃねーぞ生涯責任追及するぞ、なんて文句も飛び出さない。口が上手く動かない。
だってさっき、触れた。なにか、というかつまり目の前の男の、唇が。
「……おっと、よろけてしまった」
泳ぐ目と熱が伝わってきそうなほど赤い顔、少しとがらせた唇。近すぎて焦点があわない。ぼやける。手はまだつないだままで。つながれたままで。
カラ松。
「あの……エイプリルフールは終わったが、その、ラブハプニングは起こるかもしれない……ちょくちょく」
それともラッキースケベというやつでないとダメだろうか、などと言いだす口は早急にふさいでやらなければならない。でないとこの兄はとんでもないことを言いだす可能性がある。一松が羞恥から発火するようなあれやこれ。ただ残念ながら両手はふさがっているので一松に使えるものはひとつしかない。だからまあ妥協して、説明だのなんだのはもう少し後からお願いしたい。

いきなりだけど神様、ラブハプニングが起こるらしいのでラッキースケベはもういいです。