スパイダー

「うん? 友達だよ」

にこにこなんの他意もないといった笑顔を向けられて一松はなるほどと納得した。
なるほど、最終手段か。

 

◆◆◆

 

弱ければ欲しいものなんてすぐ奪われるのはこの世の摂理だ。どれほどいつくしんでいても大切に思っていても、そんなことなにひとつ役立たない。だから一松は強くなるために努力を惜しまなかったし、イタリアのマフィアの中ではトップの勢力を誇るファミリーを取り仕切るようになった現在、この考え方は正しいとしみじみ実感している。
なんせこの地位だからこそ、趣味でこんな異国にまで来てしまえる。それだけの金を一松が稼ぐから。

「今回は俺に任せてくれ。あっちじゃ世話になりっぱなしだったからな」
「楽しみにしてる」

逃がしてしまって後悔していた仔猫を偶然みつけたのは天の采配だった。
もう二度と逃がさないと囲い込んで、大切に大切に甘やかしてやれば仔猫はすぐさま懐き一松なしではいられなくなった。はずだったのに。

「カラ松の弟にも紹介してくれるんでしょ」

愚かで優しい仔猫はあいかわらず誰にでもその愛情をふりまいている。それが性分であれば飼い主としてはどれほど業腹でもかなえてやらねばならない。なんせ猫はストレスに弱い生き物なのだから。
とっくに独り立ちしているのだから無視すればいいと思うのに、そうしてしまえば仔猫が寂しがるだろうというそれだけの理由で一松は彼のわがままをかなえてやるしかない。家族に会いたい、弟に会いたい。そんなもの一松がいれば必要ないだろうに、そう理解させてしまって仔猫が泣いてしまえばどうしよう。そううろたえる程度には一松は新しく飼いはじめた仔猫に夢中だった。
なんせずっと欲しかったのだ。

「一松、ありがとうな」

少し甘ったるい優しい声音の鳴き声。一松の名を呼ぶ時だけの彼の特別。

「なにが」
「俺のわがままでこんなところまで来てくれて。日本で仕事って言ってたけど大丈夫か?」
「半分くらい休暇も兼ねてるから問題ないよ。カラ松の実家行ってみたかったんだからいい機会だし」
「そう言ってくれると気が楽だけど。でもさすがイタリア、休暇長いんだな」
「俺にいわせりゃそっちがおかしいよ。働きすぎ」
「でもやりがいあるぞ。皆を守る仕事だ」

おそろいだもんな、と無邪気に微笑まれて肯く。仔猫が刑事だと聞いた時の衝撃などとっくに乗りこえた。一松とて他のファミリーの起こしたもめごとを納めたりして治安を守っているしとんでもなくやばい薬は扱っていない、周囲の平和を守っていると言っても過言ではないから仔猫と同じだよと言っても嘘じゃない。それにしても猫のおまわりさんとかかわいいな。
目の前でふわふわ笑っている男は一松の唯一ほしかった仔猫でどこまでもひどい男だ。
怪我をしていたから助けた、偶然昔の知り合いだからと治るまで同居した、おまえのことを昔から憎からず思っていたよ。ここまでお膳立てしてやった流れにも乗らずかといって他に心があるのかとさぐればそうでもない。
触れれば赤くなり囁けばびくりと震え名を呼べば嬉しそうに笑顔を向ける。あからさまな好意に手を出そうとすればすぐさま怯え耳を伏せる。もしや己の感情を自覚していないのかと、かわいいヤキモチのひとつでも妬かせようと女に手を出せばそのまま出ていかれた時は本当に焦った。
自覚もしない手も出せない、そのくせ嬉しげに懐き寄ってくるかわいい姿にどうしていいのかがわからない。
こんなにも一松に執着させるのがこの男だけだからどうしようもない。

「親もだけど弟がすごく心配しててな」
「ああ、あんたお人好しがすぎてすぐ騙されそうだもんね」
「同じこと言われた。やっぱり一松と気が合うんじゃないかな」

一松のかわいい仔猫。
仕方がないから飼い主として彼の望みをかなえてやる。

「ねえテミヤゲってなにがいいの」
「別に気にしなくていいのに」
「カラ松の実家に挨拶じゃん。いるでしょ」

家族に会いたい、一松にもできたら会わせたいな。
そんなかわいいことねだられたらかなえるしかない。溺愛しているのだ。甘やかしている。自覚もしてるし周囲にもばれているだろうけれど仕方ない。なんせこの仔猫は一度逃げた。もう絶対にそんな気を起こさせないように、どれほど一松の傍にいることが素晴らしいかをつめこんでやらなければいけない。つかまえて閉じ込めてしまえば話は早いけれど、猫の自由さを愛しているのだからそれは最終手段だ。

 

◆◆◆

 

「イタリア旅行中にすごく世話になったんだ。喧嘩に巻き込まれて怪我したのを助けてくれて」
「は!? ちょっとそれどういうこと」
「いやもめごとっぽかったからな、つい」
「なんで外国でまで職業意識だしちゃってるの!? いくら刑事だからって関係ないんだからね??! ……まあ無事だったみたいだけど」
「うん、一松が助けてくれてな」
「ところで外国って保険が効かないらしいけど治療費とかどうしたの」
「いや一松のところのおかかえ?医師さんが手当してくれたからなんか大丈夫だったらしい」
「へえ、それはそれは兄が大変お世話になりまして。こんなところまで一緒に来ていただけるなんてそりゃもうお暇なお仕事されてるんでしょうね?」
「一松は刑事だぞ!」
「なんでそれでおかかえ医師とかいるのさ」
「えっ……いやお家も大きかったからそうなのかなって」
「なにその納得」
「そういや昔会った時は家族はいないって言ってたな」
「昔!? なに初対面じゃないの!!?」
「あれ言わなかったか? ほら、大学の時あちこち旅してただろ」
「バックパッカーね、やってたね」
「あの時会ってるんだ。また会えるなんてすごい偶然だよな!」
「運命かもね」

さらりと付け加えれば仔猫と似た顔立ちの男はぎりぎりと歯をかみしめながら一松に顔を向けた。やっと。

「……ところでカラ松兄さん、なんで恋人つなぎしてるの……あんたたちまさか」

 

冒頭に戻る。