熱い。
「ゲン」
荒い吐息がうなじを焦がす。
すがりつくようにゲンに回された腕は身動きのひとつも許さず、固い手のひらがさりさりと平べったい腹を撫でた。上着も腰に巻いていた布も脱いでいるため、背にぴたりとひっついた千空の体温が伝わってくる。
「ゲン、なぁゲン」
肌に直接触れる場所を探してうごめく指先が、紐の合わせ目から潜り込んだ。荒れた指先がへそに引っかかり、そのままくにゅんと突っ込まれ思わず腰が跳ねる。悲鳴を上げそうになり、必死に両手で口を抑えた。なにかを確かめるように押される腹、指先がはいまわり肌から強制的に熱を送り込まれるようだ。
「っ、うん、だいじょぶ、大丈夫だよ千空ちゃ、ん」
カプカプとうなじを甘く唇で食まれるたび肩が震える。きっともう襟は千空の唾液でびっしょり濡れそぼっているだろう。
熱を帯びた声音。ゲンの耳に触れる千空の頬や鼻先はひどく熱い。セックスの真似事のように腰を動かしゲンの尻にこすりつけるあたり、千空の意識はもうおぼろげなのだろう。
千空につられ興奮している自分を必死に抑え、ゲンはことさら優しい声を出した。
「安心して。俺はΩじゃないからね」
「……ッ、テメーは、Ωじゃねえ」
苦し気に繰り返される言葉に安堵の息をつく。ああ、Ωでなくなっておいてよかった。もしゲンがΩのままであったなら、番ってしまう可能性を考え千空はゲンがこんなに近くにいることを許さなかっただろう。
事故でもなんでも、一度意に反して番えば苦しむのはΩ側なのだから。
「うん、だから噛まれても番にならないよ」
気を紛らわせるためにいくらでもうなじを噛めばいい。どうせなにも起こらない。
こうして千空の発情につきあうたび繰り返す問答に、どこか不満そうに抱きしめられるのが常だった。理性的な千空のことだ、自分でコントロールできない衝動を抑えるのにゲンが手を貸しているのが納得いかないのかもしれない。
「今はΩじゃない、んだよな」
「そうだよ。だってほら、俺は千空ちゃんにつられてヒート起こしてないんだから」
速いテンポで打つ脈と乱れる息をなんとか押し隠し、常のトーンで返す。
嘘だ。いや嘘じゃない。確かに心臓は全力ダッシュをきめた後みたいに打ってるし、体温はひどく高い。興奮している。でもこれはαの発情にあてられたわけじゃない。千空だ。千空が興奮し、息を荒げ、ゲンの身体をまさぐり腰を押しつけるから。まるで、ゲンで興奮していると言わんばかりの行動をとるから。
ぐりぐりと尻に硬いものを押しつけられ、尻タブを割るように突かれる。
「ゲン」
べろりとうなじの汗を舐め上げ、耳の後ろに鼻先をつっこんだ千空に全身で抱きつかれたままのゲンはぐっと息をつめた。
β! 俺はβ! もうΩじゃない!!
人間には男女の他に第二の性がある。当初は性別による差別などもあったらしいが、ゲンが生まれた頃にはすでに、Ωだからといって将来を閉ざされるようなことはなかった。フェロモンを抑制する薬は流通し、希望者はフェロモンを生み出す器官や疑似子宮を取る手術も受けることができたからだ。
ゲンは三千七百年前、すでに手術を受けていた。肉体的にも精神的にもβ男性となんら変わらない。
千空がαだとわかった時には少々怯んだが、彼が発情しても引きずられることはなかった。石化前は発情したことがない、という千空をなだめ手伝ってやる心の余裕があったくらいだ。
以降、αとしての慣れぬ発情に苦しむ千空に寄り添い、共に過ごすのはゲンの役目だった。
おそらく石化から復活した者の中にΩが発見されるまでは。それまでだけ、ゲンは千空の腕の中に居てもいい。
「っくしょ、なんでテメー、Ωじゃねえんだ」
吐き捨てるような声とは真逆に、ゲンのうなじはやわく甘く舐められるのみ。
たまに歯をたてることはあっても、千空はけして噛まない。唇で食み、舐め、痕をつけることもするくせに噛むことだけはしない。頑なに。
「俺がΩなら、ッ、ジーマーで困るでしょ」
「ゲン、ゲンッ」
ずりゅんずりゅんと尻の肉に千空のものが擦りつけられる音が響く。
きっと下着の中はぐちゃぐちゃだ。ゲンと同じように。
尻をこじ開けるように突かれ、思わず足を開けば太ももの間にぐいと押し込まれる。そのまましごくのかと思えば、トチュトチュ小刻みに会陰を叩かれゲンは叫びそうになった。
違う、感じてない! 俺はβ、β男性! β男性は……好きな子が発情してたらどうしたらいいんだっけ!?
逃げようにも上半身は絡みつくようにしがみつかれ、腹をきゅうきゅうと指先で押されているのだ。
手は口を抑えているから使えない。身をよじることもできない。カリカリとへそのふちを引っかかれ、下腹を熱い手のひらでゆっくり押される。
とっくにないはずの子宮が、うずいた気がした。
「噛んでも番には、ならないよ」
だから噛んで。
噛みたいなら俺のこと噛んでよ千空ちゃん。
「安心して」
手術を受けたことを後悔などしていない。本能に振り回される人生なんてゲンはごめんだ。Ωでなくなったことを悔やんだことはない。
それでも。
ゲンにだけすがりつくこの少年を受け入れてやる器官があればよかったな、とも考えてしまう。もう今となってはどうしようもないことだけれど。
いつか千空とお似合いのΩの子が現れたら。たぶん少し、ゲンは気落ちするだろう。寂しい。でもちゃんと受け入れられる。応援して背を押して笑って過ごせる。
この愛おしい子の熱さをいつまでも覚えておこう。
◆◆◆
「宝島で、石化しただろ」
「っ、もとから石化してる子の中にΩがいたかも!? 全員復活する前に船に乗ったけど、調べた方がよかったかな」
耳元で囁けばまるで見当違いの返事。千空にはいつかΩの子が、といつでもゲンは口にする。そんなことを望んでいないとどれほど告げても、でもαなんだからと聞く耳を持たない。
第二の性など重視したことがない。そんなものに引きずられ好意を抱くなんてバカバカしい。
けれど今、αでよかったと思える可能性が浮かび上がってきた。
「原理ははっきり解明してねえが、石化から復活する時に修復機能がある」
「千空ちゃんそれで無事だったんだよね、司ちゃんに殺されちゃった時」
「少々の欠損は勝手に治してくださる、とんでもねえ作用だ」
「うん、でもそれ今する話――」
欲のまま動く腰を止めることなく打ちつけ、けして逃がさぬよう両腕に力を込める。
気づいたゲンが身をよじるが、離すわけがない。
「手術で取ったんだろ、疑似子宮だのなんだの。じゃあそれが修復されたならテメーは」
ゲンの耳の裏、とんでもなく欲をあおる匂いのする場所を舐め上げる。
別に宝島で石化したからじゃない。それ以前からずっと、目の前の男の全身どこでも舐めて食んでしてやりたかった。しなかったのは逃げられたくないからだ。
ただ、二度目の石化以降どうしようもなく唆る匂いを振りまいていたのでこの考察に自信を得たのは事実。
一度目の石化で修復されなかった手術跡が、二度目の石化で傷として修復されたのはなぜだ。
欠損だと。自らがΩであったなら、過去そうであったように戻れればと考えたのでは。
この世界で共に在ったα、千空のためだけにΩで在れと。
「千空ちゃん!」
この薄い腹につっこんで揺さぶってぐちゃぐちゃにしてやりたい。身も世もなく泣かせ、目の前の千空しか世界に居ないと思わせたい。こんなに甘ったるい声で名を呼ぶくせに、千空のことばかり考えているくせに、なぜ離れようとする。口を抑えるばかりで両手はこちらに向けられない。
俺のためにΩに戻ったんじゃないのか。不要なものではなく欠損と認識したんじゃないのか。
「テメーがΩに戻ってんなら、噛んだら番になるぞ」
そっと歯をたてれば、ぴたりと動きを止める。
逃げろ。今ならまだ。いやだ逃げるな。ここにずっと。
相反する感情が千空の中をめぐり破裂しそうだ。噛みたい。ゲンと番いたい。他のαのものになど絶対に。ああ、けれど手術をしΩとしては生きないと決めたならゲンは。ゲンが。ゲン。
「ゲン、なぁ」
「……噛んで、千空ちゃん」
ゲン自ら差し出したうなじに噛みついた瞬間、かちりと脳の中、何かがはまったような音がした。
勝利を寿ぐファンファーレのように高らかに。