出会った頃に千空が十代だったせいかもしれない。高校生だった、と知られたのがまずかった気もする。
さほど変わらぬ年齢のくせに、しかも石化を繰り返し年齢差などもうないも同然の今もなお、ゲンはあからさまに年上ぶる。
「千空ちゃん、寝ぐせついちゃってるよ」
髪を整えるためというより頭を撫でるために手を動かしているゲンは、どうせまたニコニコとこちらを甘やかす兄みたいな表情をしているに違いない。
千空としては一度たりとも兄だと思ったことはない、どころか二人の関係性は恋人のはずなのだが。
「……おい」
「メンゴ、作業のお邪魔だった?」
すい、と離れる手を惜しいと思うのはいつもだ。
恋人同士のふれあいに戸惑い照れる千空に、寒いからと距離を縮め手が荒れていると触れ癒されるからとハグを求めるのはいつもゲンから。
本来なら理由などつけなくともいいものなのだろう。ただ心の思うまま、触れ、寄り添うようなつきあい方をしてきたはずだ。この男なら。
それなのに千空に合わせ、寄せては返す波のようにゆらゆら恋人と兄と仲間の顔ができるゲンはきっと慣れている。
おかしなことじゃない。芸能界で派手に生きていた男だ、恋人の一人や二人いて当たり前。たとえ芸能人でなくともこんなに傍に置き甲斐のある男、誰もが手を伸ばしたに違いない。
別に千空は過去を気にする質ではない。
ない、はずだ。
ゲンが過去どれほど多くの人間とつきあいあれこれしてきたとしても、現在の恋人は千空であり今後は別れない限り他の候補者は現れない。
だから問題はないのだが、ただ、あまりに上手に甘やかされるから。
「別に邪魔じゃねえ」
ああほらまた。こんな言い方をすれば敏いメンタリストは邪魔だと理解して去ってしまう。
実際のところ、ゲンが隣に居ればそちらに気をとられ作業が片手間になってしまうので、作業を進めるには居ない方がいい。
けれど千空としては、居なくてもよいなどということはなく。
だから。
つまり。
この気持ちこそ察せよ、というのは甘えすぎだとわかっている。
「ちょっとフランソワちゃんのとこ顔だしてこなきゃだから、そろそろ行くね。新作できそうって聞いたから後で千空ちゃんにも持ってきてあげる」
楽しみにしててね、と言い置き立ち上がる恋人の手をつかんだ。
「千空ちゃん?」
不思議そうなゲンの声。
当然だ。これまで千空は立ち去るゲンを止めたことなどなかったし、そもそも止める必要もない。会話はひと段落ついたし詰めなければいけない悪だくみもない。ゲンが顔を出し少しだけ恋人同士として触れ合い、千空が照れて戸惑ったあたりで終了。
二人の関係はあくまで科学王国のリーダーと参謀で、恋人として千空からそれらしい行動をとったこともない。
これで恋人だと言えるのは、ゲンがそれを許していてくれるからだ。
引き留めるため手を握ったのも今日が初めて。ただ恋人にもう少し傍にいろと伝えたいだけなのに、そんなこと想像もしていないと言わんばかりにゲンは首をかしげている。
「あ゛~、その、だから」
誰かとつきあうのが初めての千空を思いやってか、少しでも千空が戸惑えばゲンはすぐ身を引いた。
照れる千空のため理由をくれた。
日常を緩やかにとりまくゲンからの愛情。千空が動かなくとも察して動いてくれるできすぎた恋人。
ここまで甘やかされてばかりではそりゃ兄のような顔もされる。
「もう少し、ここにいろ」
「え、でも」
「作業は! 進まねえから後から爆速でやる。巻き返す」
「いや進まないなら別に、って……俺は気にしないよ? こうしてたまに千空ちゃんとイチャイチャできたらそれでいいから」
でも千空ちゃんが俺の事考えてくれたのはゴイスーうれしい!
ニコニコと本当にうれしそうに口にするから質が悪い。ちょっと手を引いて引き留めただけだ。本心を口にしただけだ。たったそれだけでこんなに喜ぶくせに、普段は千空のペースに合わせて距離をとって。
「ちげぇよ。……俺が」
たまに、では我慢できないのだ。もっと、がいいのだ。
去ってほしくなくて、そろりと腕の中に囲い込む。警戒心の欠片もなく穏やかに笑うゲンは、村の子ども達に向けるようなまなざしを千空に向けている。
もう少し恋人のゲンに傍に居てほしい。胸の内にあふれる言葉はどうしてこうも口から出ないのか。
「俺が、テメーと、こ、ういうことをしたくて」
抱きしめてもいいだろうか。
いいはずだ。だって恋人だ。この腕をぐっと近づけて、ゲンを世界から隠してしまっても。
ゲンから抱きしめられたことはある。何度も、ハグは癒されるからねと。ドイヒー作業で疲れた俺を労わって、と細い腕を回され頭に頬ずりされて。
けれど逆はしたことがない。
未だゲンに触れていない腕を、手を、彼の肩に背に回していいだろうか。ゲンはまだ疲れていない。だから千空を抱きしめはしない。そして千空も疲れてはいない。それでも。
癒す名目ではないハグを朝っぱらからする。細い骨ばかりの体を抱きしめても癒されなどしないし、落ち着きもしない。鼻をくすぐる花の香りやゲンの体温を思い出せば無駄に叫びたくなるし、走り回っていっそ川にでも飛び込みたい。情緒なんてめちゃくちゃだ。作業効率など捨ててしまえ。
それでも、なお。
「え、どうしたの。らしくないこと言っちゃって」
「……ダメかよ」
「ぜ、んっぜん、いや全然オッケーだけどどしたのかなって」
これまでそんな素振りなかったでしょ。さみしがらせちゃった?
未だに千空を気遣う言葉ばかり口にして、ひどく年下扱いばかりする。ゲンがこうなのはこれまでの千空の言動のせいだ。戸惑って照れてするばかりの恋愛初心者を甘やかすことばかりうまい男の、望むだろう恋人像にさえ沿ってやれない。
「俺がしてえからしてる」
「……最近寒くなってきたもんね、杠ちゃんに皆の冬用の服のこと相談してこよっか」
「別に夏でもテメーとならひっつきてえ」
囲い込んでいるだけで触れてもいないのに、腕の中にゲンが居ると意識するだけで体温がじわじわと上がっているのがわかる。寒いどころか手のひらの汗をどうしようか迷っているくらいだ。一度手汗を拭きたいが、ゲンにまわしている腕を解きたくはない。
「……千空ちゃんジーマーでどうしたの、俺のために無理してるとかならほんと今のままで」
「無理じゃねえ。俺がしてえ」
繰り返しても繰り返しても、ゲンは戸惑うばかりだ。それくらい千空が、この程度の接触すらしなかった証だろう。
「テメーが気をつかって控えてくださってる恋人同士のイチャコラだがな、正直もっとずっとすげえしてえ。俺が照れてるせいだってわかってんだが、んな甘えてる場合じゃなかった」
過去この男がしてきた恋人への甘えも甘やかしも、なにもかも全部塗りかえてしまいたい。消すことは不可能だし千空は過去にこだわるタイプではない。ないけれど、ゲンの中の一番ではいたいのだ。なにもかもの。
「俺が抱きしめ返さなかったりぶっきらぼうになったりすんのは慣れてねえからだ。テメーと恋人だっつうことを夢でなく現実だと無理やりにでも理解すりゃ、おいおい変わるだろうと思ってたんだがな」
「……もっと、ってハグとか?」
「ああ。できれば四六時中テメー横に置いときてえし手はつないで移動してえ、意味なく抱きしめたりキスしたりしてえし体格が許しゃ膝の上にでも抱えておきてえところだわ」
「ちょ、待って急に勢いついたね!? それハグとかってレベルじゃないんじゃ」
「テメーが傍に居たら作業に集中できねえのも、それくらい置いといたら慣れてどうにかなるだろ」
「いや、そこまでしなくてもこれまで通り作業中は離れてたらいいでしょ」
「あ゛? そしたらテメーの顔見れねえじゃねえか」
「待って!? ちょ、千空ちゃんなんか変なもの食べた? さっきまでと違いすぎない!?」
「口に出してなかっただけでこれまで通りだが」
一度言葉にしてしまえばつらつらと出る。ゲンが拒まないことはわかっていたのだから、千空が羞恥を克服すれば何の問題もない。
「いや、そんなだって千空ちゃんが……? 照れ屋なかわいい俺の千空ちゃんが……」
「今はテメーをぎゅうぎゅうに抱きしめてえなと思ってる千空ちゃんだな」
「は!? え、今!??」
千空の腕の中にいる、と初めて気づいたかのようにゲンは顔を上げ。
「……イチャイチャしたい時には俺から近づくので、それ以外は勘弁してください……」
「俺がいちゃつきたい時はどうしたらいいんだよ」
「自分で考えてよぉ!」
供給過多で死ぬ、と叫んだゲンは千空とさほど変わらぬ年相応のガキくさい表情をしていたので、考えた千空はとりあえずぎゅうぎゅうに抱きしめることにした。