研究所の廊下を歩いていると、窓越しに特徴的なシルエットが見えた。重力を無視して元気に立ち上がった髪の毛。あれが寝ぐせは嘘でしょと未だに疑っているけれど、何回同じ部屋で寝起きしてもあのままの髪型なんだからもう信じるしかない。
気づくかな、と手を振ってみれば窓を開くような動きをしている。三階のあの辺りは休憩室があったから、これから仮眠でもとるのかも。じゃあ今日は帰った方がいいかもしれないな。
千空ちゃんに急ぎで伝えなければいけない情報は今のところない。一目会えたら、時間があれば一緒にお茶でも飲めたら大ラッキー、くらいで来たんだから仕方ない。こんなに広い研究施設で、一階と三階といえ会えたんだから良しとしないとね。
「千空ちゃん、俺今日は帰る……ね!?」
大きく手を振りながら叫べば、千空ちゃんもこちらに手を振り返しながら窓を開き――いきなり三階からダイブした。
「っ!? 千空ちゃん!!」
「おう、来てたのかメンタリスト」
「は!?」
助けを呼ぼうと踵を返せば、なぜか背後から千空ちゃんの声。振り返れば確かに本人。待って、じゃあ窓から飛び降りたのは俺の目の錯覚?
「え、千空ちゃんずっとここに居た? 三階から飛び降りたり」
足の有無を確認したり透けていないか肩や背をぺたぺた触る俺ににんまり笑いかけ、千空ちゃんはちょっと胸を張った。
「テメーが来てるって聞いたから俺は歩いてここまで来たが、三階なんかから飛び降りた命知らずなら」
ガタ、と窓が開く音と共に飛び込んできた白衣。千空ちゃんのようなツンツン立ち上がった髪と赤い瞳、銀色の――銀色のボディ!?
シャキン、と効果音でも出そうな勢いでポーズを決めた謎の不審者と隣で得意満面の千空ちゃん。ドヤドヤドヤの大ドヤ顔だ。
「メカ千空だろうな!」
「おまえがゲンだな! 俺はメカ千空、よろしくな!」
……これ絶対わざと黙ってたでしょ。俺を驚かせるためだけに内緒にしてたでしょ!
してやったり、とばかりに笑う千空ちゃんに歯噛みしていたら、メカ千空ちゃんがもう一度元気に「よろしくな!」と繰り返す。メンゴ、キミは悪くないのよ。よろしくね。
◆◆◆
どうやらメカ千空ちゃんは、ロケット作りの頃から存在していたらしい。コンピューターのシステム? 演算?? 説明されたけどわかんないわかんない。とにかく実態を持たないプログラム、だった彼は最近メカな肉体を得たらしい。
「一応肉体モデルは俺だが、頑丈さは折り紙付きだ。三階程度から飛び降りたってびくともしねえよ」
シュババ、と何もなくともポーズを決めるメカ千空ちゃんを頼もし気に見る千空ちゃん。確かに人の体を模して、なら自分のデータが手っ取り早いだろうけどさぁ。髪型まで一緒にすることなかったんじゃん!?
「そうかもしれないけどさ~、心臓に悪いよ。ジーマーでびっくりしたんだからね!」
「あ゛~、まあ、メカの奴も普段はもうちっと大人しくしてやがるし……ドッキリ量産してぇわけじゃねえから気をつける」
あ、わかっちゃった。これ千空ちゃん、俺にメカ千空ちゃんの性能自慢したくてダイブ止めなかったな。
俺が本気でビビったの見て、やっとやりすぎに気づいてくれたってわけね。
ちょこっとしおれた髪の毛とピンピンのままの髪の毛を模した金属が目の前で並んでる。こうして見れば違うんだけど、シルエットがガチで同じすぎてジーマーで驚いたよね。白衣着てるのも揃えにきてるって感じだし。
「それにしてもゴイスーだよねぇ。おかげでメカ千空ちゃんが丈夫ってことはしっかりわかっちゃった~」
「ゲン! ゲンはどれくらい丈夫だ? 五階くらいか?」
「いや~一階がなんとかだよ。あと階数は丈夫の単位じゃないからねメカ千空ちゃん」
五階、で背伸びしてバンザイしたメカ千空ちゃんは、一階と口にしながら今度はしゃがみこむ。
ポーズを決めてくれるのもだけど、さっきからなんせよく動く。落ち着きがないとは違うんだけど、ジェスチャーが大げさというか、発言すべてに動きをつけているというか。
「表情が固定だから動きでより伝わりやすくしてある」
「なるほど~」
とりあえずメカ千空ちゃんが俺にゴイスー友好的で大歓迎してくれてることが伝わってくるから、動きを大きくしたのは大正解。
千空ちゃんと同じ顔が真顔で跳んだり跳ねたりしてるのはちょっとばかりシュールだけど。
「そういえば声は違うんだね」
声帯データも自分にした方が手間かからなさそうなのに。
ふと思いついた疑問を口にすれば、とたん千空ちゃんは苦い顔をした。
「あっ、そっか千空ちゃんと同じ声だと色々ズイマーだもんね。声帯認証で管理してるデータとか」
「いや、研究関連は声帯認証パスまで進んでねえから特に問題ねえ。初期は俺の声を使ったんだが、なんつーか」
ガリガリ頭をかきむしる千空ちゃんと隣でその真似っこをするメカ千空ちゃん。親子かな? あんまりかわいいことばっかりしないでほしい。久しぶりの千空ちゃんなんだから過剰供給すぎると受けとめられない。
でも、他に千空ちゃんの声でなにか問題があっただろうか。メカ千空ちゃんの無邪気な話し方と声が合わないとか? 確かに千空ちゃんの声かっこいい系だもんね、ぶっきらぼうな発言もいい事言ってる風に聞こえるっていうか。お得な声だよね。
「妙な事言わせられるんだよ、メカの奴が。……好き、とかそういう」
「あ~」
大納得、の声が出てしまった。
はいはいはいそういうやつ。知ってる知ってる、完全に理解した。
声帯模写できるから俺も昔からよく頼まれたよね。千空ちゃんの声で「愛してる」とか「おまえが好きだ」って言ってほしいってやつ。
なんせ千空ちゃん、純情科学少年は復興後だって宣言してたらしいじゃん。しかもかっこつけとかポーズじゃなく、本気でそう考えて動いてるの誰が見てもわかるレベル。告白してもほぼ確で振られるってわかってて、それでもぶつかっていけるメンタルの子なんてめったにいない。ダメ元とか玉砕覚悟って言っても、ほんの少しくらいは成功の目がなけりゃ賭けられないもんだよね。
「俺もあったよそういうの。メカ千空ちゃん仲間じゃーん」
「仲間? なんの仲間だ?」
「千空ちゃんの声で『千空ちゃんが言いそうにない発言ランキング』とか、宴会で盛り上がるんだよね」
諦めてるけどせめて夢がみたいとこっそり頼んできた子もいたし、ゲームのふりで「ぜったいこんなこと言わないよね」って笑ってた子もいた。
俺に個人的に頼んできた子たちには、さすがに本人の知らないところではって断ったけどね。口癖くらいならいいけどやっぱり愛の告白的なのはさぁ、むなしくなっちゃうだけじゃん。余計につらいだけだよ、千空ちゃんの声なのに目を開いたら俺がいるんだもん。
止める俺の言葉に真実味があったせいだろうか。どの子も皆、納得してくれた。
ゲンくんは好きな子の声で自分に好きって言わないの? なんて聞かれた時は、困ったように笑えば同じ笑顔を返してくれる。部屋で一人きり、どれだけ愛の言葉を重ねても目を開けば夢が醒めると簡単に想像がつくからだろう。それがどれほど寂しいか、けして自分に向けられない言葉を紡ぐことがむなしいか。
だからせめて、というわけじゃないけど宴会で賑やかしとして求められた時には断らなかった。ゲームだから、ありえないからと山ほど言い訳つけて請われる「愛してる」。
「結構頼まれたのよ、声帯模写。『愛してる』『結婚してくれ』あたりが基本で『正直テメーが居ないと俺はダメだ』『科学と同じくらい唆る』なんかのよく使う単語入れてくるのとか」
いかにも千空ちゃんが言いそうな口調で、けして言わないだろうセリフ。相手を特定するような情報はいっさい入れず、聞いている子全員が夢を見られるような言葉遣いで。
あなただけ、ではない。
キミだけへの特別、にしてはいけない。
「あ゛!? んだそりゃ。テメーがそんなことしてるの見たことねえぞ」
「そりゃ千空ちゃんがいない時のお楽しみだし」
さすがに本人が居たら気まずいでしょ。千空ちゃんがわけわからんって顔してるの見ながら聞いても夢見れないだろうし。
それの何が楽しいんだ、とあからさまに顔に出してる千空ちゃんがあんまりにも予想通りすぎる。ほらね、そういう顔してる隣で俺が千空ちゃんの声で愛の言葉をうたっても、夢なんて見られるわけがないでしょ。
「いや、言うぞ」
「ん? どうしたのメカ千空ちゃん」
「千空は愛してるって言うぞ」
さらりと落とされた新事実に時が止まる。
「……千空ちゃんにとってメカ千空ちゃんは子どもみたいなものだから、愛してるって言うんじゃないかな」
「俺にじゃなく練習だ。録音して、もうちっと声張るかとか早口すぎるなとか反省してる」
「え、えらいね……?」
「そうだ! 千空はトライアンドエラーが大切だといつも言ってるからな、何回もトライするんだ。えらいぞ!」
褒められてうれしそうに胸をはるメカ千空ちゃんはゴイスー微笑ましいんだけど、隣で口パクパクしてる千空ちゃんの姿は見えてないみたい。衝撃のあまり声にならない、って千空ちゃんでもなるんだね。
「さっきゲンが言ってたセリフは全部言う。あと『一生コーラつ」
「ストップ! 機密事項だ!!」
千空ちゃんが叫んだとたん、メカ千空ちゃんの声がピタリと止まる。両手で口を抑えるジェスチャーはゴイスーかわいい。かわいいけど、ちょっと待って今度は俺の心の準備が。
「……あ゛~、ゲン、メカのやつが言ったのは」
「大丈夫わかってる誤解しない! 俺宛じゃない! オッケー任せて」
「いやなんも任せらんねぇわ、落ち着け!!」
相手を特定するような情報は入れない。だって夢が見られなくなる。
声にするのは、形にしたのは、誰相手でも問題ない一般的で普遍的な愛の言葉。
あなただけ、じゃない。キミだけ特別、じゃない。ここにいない、どこかの誰か。誰でも受け取れる愛の言葉。
俺以外への。
「ゲン、一生コーラ作ってやるから俺の傍で笑っててくれ」
「……そのセリフは声真似したことない、かも」
「そりゃ助かる」